暁の大地


第二十章




パンゲア大陸
聖ロドニウス教会
学究の間

「老師、この現象をどう理解すればよいのでしょう?」
じっと丸天井に映し出される映像を目を凝らして眺めていた修行僧グウェンはザカキス師を振り向いた。

エリオルが弟子たちに伝えたという数々の技術の中でも、門外不出の秘伝である星辰位相図―――
部屋の中央部分、床を半階分ほど低く設えた部分に置かれている、不思議な形状の円筒形状の機械。
その機械を使えば遥か彼方に存在していて、肉眼では見ることのできない数多くの天体を観察することができる。
そしてまたその機械からその様子を天井に画像として映し出すことができるのだった。

この機械を動かすには特殊な燃料が必要で、その燃料の精製も聖ロドニウス教会の修道僧が行っているが、総院長の許可を得た特別な僧だけがその作業に当たることができ、その精製の過程についても、必要な原料についても同僚の僧侶たちにさえ、口外することは許されていなかった。

「そうだな・・・。私には尋常な動きとは思えない。ここのこころ毎晩だしな」
ザカキス師は顎に当てた手をゆっくりと動かしながら徐に答えた。
弟子たちからは老師と呼ばれているが、まだ三十代初めの精悍な顔立ちの僧侶である。
「はい、機械の故障も疑ってみましたが、そうとも思えないので」

グウェンは圧倒的な重量感を持って鎮座している黒々とした巨大な機械を僅かに見下ろしながら師の顔を見やった。
「・・・このような時にオルランド様はどちらへいらっしゃっているのでしょう。お出かけになられてから、ずいぶんと日数が経つように思われますが」
「ふむ」
ザカキス師は下ろした手をゆっくりと胸の前で組みながら小さく溜息を洩らした。

オルランド師は一般の僧侶たちには外遊していると伝えられているが、実際はそうではないだろうとザカキスは睨んでいる。
オルランドは定例会議のためナタニエル総院長とともに帝国議会に向かったはず、それが突然総院長だけがやけに早く戻ってきて、何やら騒動が起きたと思ったら、その晩の夕餉の前に総院長から学僧全員へ招集がかかり、オルランドの外遊が発表されたのだ。

ずっと自分の研究室にこもっていたザカキスとその弟子たちが他の僧侶から洩れ聞いた話では、総院長はラインハルトの身柄の確保を試みたが、相手は魔道士、うまくすり抜けられて脱出されてしまったらしい。

ラインハルトが教会に身を寄せることになった詳しい経緯をオルランドは語ってはくれなかったが、教会が王子に身柄の保障と資料の提供を申し出たことは間違いないだろう。
それが一転、ラインハルト王子の拘束を目論むには帝国側から何らかの働きかけがあったからと思われる。
当然、オルランドの外遊についても文字どおりには受け取れなかった。

オルランドの不在にはナタニエルの意思も働いているのでは、とザカキスは感じている。
オルランドはナタニエル総院長にとっては言葉は悪いが目の上の瘤、オルランドには敬意を払いながらも、その勇退を一刻も早くと望んでいたはずだ。
その経歴や実力からいって、エドマンド前総院長の後継者はオルランドこそふさわしいと、誰もが口には出さないが思っていることは間違いないのだから。

「・・・分かった、総院長のところへ行ってこよう」
ザカキス師の口調に感じるものがあったのか、グウェンをはじめ居合わせた僧侶たちは揃ってザカキスの顔色を伺うように見つめている。

「なに心配はいらぬ。ここ数日の星辰の動きを報告して指示を仰ぐだけだ。ついでにオルランド師の予定についても聞いてくるとしよう。あの方以上に星辰の動きを読める方はいないのだからな」
「老師、私も・・・」
お供しますというグウェンを手で制してザカキス師は徐に展望室を出て行った。






パンゲア大陸
聖ロドニウス教会
総院長室

「星辰の運行に異変が?」
重厚な造りの飾り気のない机についた両手で顎を支えるようにして、総院長ナタニエルは眼前に立つザカキス師を見上げた。
「はい、これまでの記録を全て辿って確認しました。これまで規則正しい運行を見せていた星辰の多くが、その軌道に微妙ではありますが、変動をみせています。これまで多少の蹌踉は見られましたが、ほとんどが観測時の誤差と思われる程度でしたが、ここ数日の動きは・・・」

「誤差を超えるものであると」
「言えると思います。まあ正確に言えば、軌道を外れると暫くしてまた元に戻り、今度は逆方向に移行して行くという感じです。それを繰り返しているのですが、日を追うごとにその振れ幅が大きくなっていくようです」
「ふうむ」

ナタニエル総院長は考え込むように眼を細める。
凡人の眼だ、とザカキスは思う。
この人に聖ロドニウス教会の全ての運営を管理することなどできるわけがない。
もちろん前総院長にしてもそれ以前の院長たちにしても、一人で全てを管理していたわけではないが、優れた人材を積極的に登用し上手く差配して教会全体を、ひいては帝国や大陸の各国を統治していたといえる。
それがうまくいっていたのはどの院長たちにも天賦の才と仁徳による人望が厚かったからに他ならない。

それがこの人、ナタニエル総院長には悲しいことになかった。
彼の周囲を取り囲むのは権力に擦り寄ることでしか保身を図ることの出来ない唾棄すべき輩ばかり。
そんな連中のお追従を真に受け悦に行っている姿を見るたびにザカキスは胸が悪くなり、眼を伏せる毎日だった。

それでも何とかナタニエルに従ってきたのは何より、オルランド師が何事につけナタニエルを総院長として立てて、決して彼の前に出ようとはしなかったからであった。
オルランドは常々言っていた、私は研究に没頭したい、そのためには総院長の地位は邪魔なだけだ、ナタニエル師が面倒な仕事を一手に引き受けてくれているおかげで、自分は学究三昧の日々を送れているのだ、と。

オルランド師がそれでいいのなら、とザカキスは思っていた。
だが今オルランドはいない・・・

「そなたではその原因が分からぬのか?」
「残念ながら、私の知識、経験では計りしれぬことでございます。我が師オルランドであればいま少し詳しいことが分かるかもしれませんが」

「・・・。分かった、帝国と連絡を取って、オルランド師に伝えてもらうよう手配しよう。それまでは今しばらく様子を見て何かあれば報告してくれ」
ナタニエル総院長はそう言うとザカキス師に退出するよう手を振った。

「オルランド師の外遊はいつまで続くのでしょうか。あの方も星辰の運行の異常にはすでに気付いておられると思うのですが」
退出の合図を無視されて少し気分を害したナタニエルは幾分きつい口調で答える。
「皇帝陛下よりのご下命で、オルランドにはあることを調べてもらっているのだ。これは重大な事ゆえ、オルランドほどの知恵者でなければ務まらぬ任務だ」
「任務・・・」

「そなたの言うことも分かるが、今その任務を中断させるほど逼迫した事態とは私には思えぬ」
「ですが・・・、ここ数日の星辰の動き、私には大きな変事の前触れのような気がしてならないのです。このまま見過ごしていてよいものか」
「うむ、そなたの心配も分からぬでもない。なんとかオルランドと連絡をとり、指示を仰ぐよう手配しよう。オルランドから返事が届いたらそなたに知らせることとする。それでよいか」
ナタニエルはそう言うと顎の下で手を組み、ザカキスをじっと見つめた。

「分かりました。今は師からの連絡を待つしかないのでしょう。至急の手配をお願います」
総院長の話がどこまで本当か分からない。だが今はオルランドよりの回答を待つしかないらしい。
星辰の運行の乱れは世の乱れの前兆―――
ザカキスは不安と焦燥を感じながら身を翻し、総院長室を後にしたのだった。






パンゲア大陸
某所

―――ああマティアス、もう少しだけ月の光を浴びていたいわ
そう言って微笑んだあの姿を見たのはいつのことだったか。
もう随分と昔だ。
自分がまだ幼かった頃。
あの時の姿そのままに髪を揺らし姉は微笑んで宙に舞う妖精たちとともに月光を楽しんでいる。

マティアスはほっと溜息を吐いた。
あの優しく美しかった姉はもういない。
頭では分かっていても感情としてそれを理解し受け入れるには相当の時間がかかる。
だが、どんなに辛いことでも現実を受け入れなければ先へ進むことはできない。
それは分かっているのだが、それができない者もいる・・・

「ランディ卿から吉報が入った。最近抱え入れた優秀な助手のおかげで過去の遺産の使い方が少しずつ解明されてきたそうだ」
「過去の遺産・・・ですか」
傍らに立つ声の主の方を見やりながらマティアスは答える。

「そう、あの遣い方の分からぬ数多くの機械装置。あれらを使いこなすことができれば研究のスピードが格段に上がるだろう」
いつになく陽気な声にマティアスは反比例するように陰鬱な気分になるが、それを気取られるわけにはいかない。
「それで皇帝陛下は今日は御気分がよろしいのですね」
「ああ、私の長年の望みがかなう日が少し近づいたのだからね」

皇帝セドリックの望み、それはレティシアの復活―――そんなことが叶うわけがないことは誰もが知りながら誰も口に出すことはできなかった。
そんなことを口にすればセドリックは・・・

レティシアが蘇る訳などないことはセドリック自身が一番よくわかっているはず、マティアスはそう思っていた。
それでも一縷の望みに縋らなくてはいられないのだろう。
セドリックは皇帝として一族を束ねていくには余りにも純粋で、繊細すぎる男だった。

いまだに独身で跡取りが居ないのも一族の頭痛の種だ。
このままセドリックに子供ができなかった場合、その死後後継者問題で一族が二分三分するのは避けられないからだ。
血統的に次期皇帝の座に一番近いと思われるのはユージン卿を始めとする蛇の一族の貴族たちであるが、高貴の血統を誇る竜の一族であるマティアスにも権利が無いわけではない。

そんなこんなで一族のうちでも水面下で様々な動きがあるのはマティアスも知っていた。
今度の戦に関してもそういった動きが複雑に絡んでいる。
皇帝を囲む御前会議でもその列席者の中に真に皇帝のことを考えている者が幾人いるだろうか。

マティアスはそんな権力闘争に身を投じる気はさらさら無かった。
皇帝の側近くに仕えるのはひとえにセドリックが友人として側にいてほしいと望んだからでしかない。
本当はセドリックはレティシアに側にいて欲しかったのだろうが。

ミュゼルーシア神の巫女として選ばれたレティシアが皇帝の側仕えとなるのは許されることではない。
そう分かっていてなお、皇帝セドリックはそれを望んだ。
だが、レティシアの心はもっと別のところにあったのだ。
それもまたセドリックには口が裂けても言えないことだった。

レティシアのホログラムに恍惚と見入るセドリックに侍従が声をかける。
「皇帝陛下、ユージン卿が謁見を申し出ておられます。内密の用件なので陛下と二人きりでお話ししたいとのことですが」
至福の時を中断されてセドリックは少々気分を害したようだが、
「ユージン卿が?」
と呟いてマティアスを見やる。

マティアスは
「戦のことで緊急の用件かもしれません。謁見を許可されるのがよろしいかと」
と答えた。

「そなたも同席してくれぬか。私は戦の話はよくわからぬ」
マティアスはしばらく考えたが、
「内密の用件とのこと、私は同席しない方がよろしいでしょう。私が同席したのではユージン卿は肝心の話はしないでしょうから」
「分かった、話はすぐすむと思うからここで待っていてくれ」
そう言って服務室へと向かうセドリックの後ろ姿を目で追いながらマティアスはホログラムのスイッチを切った。






パンゲア大陸
某所

セドリックはなかなか戻ってこなかった。
やけに長い報告だとは思ったが、マティアスは努めて気にしないようにした。
戦のことは自分とは無関係、その立場を貫くのが今の自分には一番と思う。
レティシアが逝ってしまってから自分にはもう守りたいものなどないが、それでも自分が下手に動けば迷惑をかける者たちが少なからずいるのは間違いない。

それに・・・マティアスはルドルフのことを思った。
一別以来折に触れ見守ってきた相手だが、ハルレンディアの騎士リヒャルトはまずまずの隠れ場所を見つけ出してくれたようだ。
彼女の真の力はまだ未知数だが、聖少女の資格を受け継いでいることに一族が気付く前に現世と隔絶できてよかった、マティアスはそう思った。

聖少女の力を借りてこの世をエリオル以前の世界に戻すことができれば―――
一族の者なら誰しもがそう思う。
だが、それは言うほどたやすいことではないだろう。
そうは分かっていても、聖少女の存在はこの世に無用な騒乱を引き起こす。
かつて、ルドルフ一世との戦が引きこされたように・・・

レティシア―――ただ一人の肉親と呼べる姉。
あのときは自分は幼すぎてレティシアの思いを理解することができず、守ることができなかった。
今なら、大人になった今なら守りきることができただろうか。
わからない、と思った。
レティの思いは自分とはかけ離れたところにあった。
だがルドルフは・・・

実際はそれほど長い時間はかからなかったのかもしれないが、マティアスにとってはうんざりするぐらいの時間が過ぎ去ったころ、扉が開いた。
セドリックがゆっくりと室内に入ってくる。後ろには先ほどの侍従と、数名のユージン卿配下の兵士を従えていた。

虚を吐かれ言葉もないマティアスに対し、侍従はいつもの調子で淡々と告げた。
「恐れながら皇帝陛下のご命令により、セレスティン公爵閣下の身柄を拘束させていただきます」
「なに」
わらわらと室内に駆け込んできた兵士たちがマティアスの周囲を取り囲んだ。
「公爵閣下に置かせられては、皇帝陛下のご意向に背かれることなく、我らの指示に従っていただきたい」

「どういうことですか、皇帝陛下。理由を聞かせていただきたい」
マティアスに真っ向から見つめられてセドリックは潤ませた目を俯かせた。
「マティアス、このような措置は私にとっても本意ではないのだが・・・。軍事上の作戦のため、そなたにはしばらくユージン卿の監視下に入っていてもらいたい」
「!」

「なに、ほんのしばらくの間だ、そなたは東の離宮に蟄居してもらう。離宮外への外出や、外部の者の訪問は制限されるが、そのほかの生活の自由は保証する。私の命令、というよりは頼みとして聞き入れてもらえぬか」
マティアスは躊躇うことなく答える。
「皇帝陛下がそうお望みならばいかなることも喜んで従いましょう、ですが・・・いきなりのご下命、その真の理由を聞かせていただくわけにはまいりませんか」
「軍事上の理由、としか今は言えぬ。許してくれ・・・」
セドリックの表情は沈鬱さを増して大きく歪んだ。

「わかりました。軍事上の機密は私の関知するところではございません。失礼いたしました」
マティアスがは兵士たちに取り囲まれながら一歩踏み出すと、セドリックは
「すまない、だが、私はそなたを信頼している。なるべく早く私の側仕えとして戻ってこれるよう、私も力を尽くすつもりだ」
「陛下・・・」
これまで周囲の者から何をいわれようと自分を一の側近として遇してくれていた皇帝に、このような決断をさせるには、よほどのことがあったはずだ。
脳裏を過る嫌な予感にわざと目をつぶりながらマティアスは兵士たちに従い皇帝執務室を後にした。








ゾーネンニーデルン
エルデバルト東街道

南国の空は雲ひとつなく晴れ上がり、まばゆい日差しが惜しげもなく大地に降り注いでいる。
ゾーネンニーデルンの北の町ロディウムから王都ドレシェットグラートを経ることなく隣国ローゼンシュタットへ抜けるには、裏街道と渾名されるエルデバルト東街道を東北に向かい、ゾーネンニーデルン第二の都市グルゴスバルドを通過して同西街道を辿るのが近道だ。
南の町ドレシェットグラートが政治の中心であるならば北西部の町グルゴスバルドは商業の中心地。
グルゴバルドからはメムゼン北街道を使えば国境の町リエナシュタットへ抜けられる。
ローゼンシュタットからフィルデンラントへ直線で品物を運ぶのも便がいいとあって、同街道の通行量はドレッシェングラートを経由する本街道であるグロースドラッド街道よりも多いのだそうだ。

今そのエルデバルト東街道を南国特有の強烈な日差しに辟易しながらラインハルトはリヒャルトとともにローゼンシュタットへと向かっていた。
周囲には旅の道連れである数人の者が数名ずつの横並びに縦列を作って歩調を合わせて歩いている。
用意してもらった地厚のフードは日よけにはなるが、暑さを防ぐにはあまり向いていない。
ラインハルトの頬は熱を帯びて上気し、ほんのり紅を差したようだ。

「お二人とも具合が悪いことはございませんか」
旅の世話役の女性が声をかけてくる。
「はい、変わりありませんよ。この日差しには少々まいりますが、大分慣れてきました」
リヒャルトが陽気な声で返した。

「北国の方は暑さに慣れていらっしゃらないので、とくに注意が必要です。喉が渇いたり気分が悪くなったりしたら、すぐに仰ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
女性は二人の顔色を窺い、問題ないと判断したようで、そのまま後ろの二人へと向かって行った。

「本当にこの日差しときたらたまりませんね」
ラインハルトが小声で呟く。
「確かに。特にこの辺りは日差しが強すぎて草木もあまり茂らない。暑さに強い低木ばかりで碌に日陰もないですからね。グルゴバルドへ出てしまえば、西街道は山の中も多いですから、暑さはぐっと和らぐと思いますが」

「リヒャルト殿はこの国のこともよくご存知なのですね。僕は外国のことはほとんど知りません。不勉強で恥ずかしい」
暑さに僅かに息を乱しながらラインハルトが尋ねる。
「私は気楽な根無し草。しなければならないことが無いくせに時間だけはたっぷりある。随分色々なところに旅しましたからね。無駄な知識だけは多いのですよ。もう少し行けば湧水池があるはず。池の周囲には小さいが町が開けています。おそらくその町で休憩となりましょう」
「そのようですね。まだ遠いが緑の茂みが見えてきたようだ」
ラインハルトは遠目に見えてきた緑地に目をやりながら答えた。

ほどなく先ほどの女性が戻ってきて皆に声をかけていく。
「みなさん、前方のオアシスで小休止します。小さいですが町があって屋台なども出ていますから、もうひと踏ん張りですよ」
早朝宿を経ってから休みなく歩きとおしてきたので休憩はありがたい。おそらくここで昼食も済ませるのだろう、ラインハルトはほっとして一息ついた。






ゾーネンニーデルン
エルデバルト東街道沿いのオアシス

「あんたたち巡礼さんかね。ウインチェットへ向かう」
屋台の親父が声をかけてくる。
「まあね。分かるかい?」
「そりゃあね。揃いのフードに星十字の紋章入りのローブときたら一目で分かるよ。最近あんたたちみたいなのが増えたし。ついこの間も一団が通って行ったよ。そいつらはドレッシェングラートのほうから来たって言ってたが。何の会だか知らないがあまり派手にやると聖教会が黙ってないんじゃないのかい」

聖教会、つまり聖ロドニウス教会は大陸中に監視網を広げ、少しでも宗教まがいの行為を行ったものは厳罰に処している。
はっきり宗教がらみと言えなくとも、無許可で集会や催しを開くことは禁止され、秘密裏に行っていることが発覚した場合は理由の如何を問わず徹底的に糾弾された。
屋台の親父の口調には物好きな連中だなあ、という揶揄と面倒には関わりたくないという危惧が交錯している。

「我らの活動は聖ロドニウス教会の認可を受けたものです。エリオル様の教えを更に深く知るため勉強会を開いているのです。この巡礼もその一環。教会から推奨されこそすれお咎めを受けるようなことは一切ありません」
いつの間にか背後に立っていた世話役の一人が咎めるような口調で言葉を挟む。
その口調に気圧され、
「はいはい、そうでした。ご立派な勉強会で」
と親父はそそくさと他の客の方へと行ってしまった。

「私たち星十字集会は聖ロドニウス教会の認可を得た正当な組織。ゾーネンニーデルン分教会の下部組織として組み込まれている立派な教会の一員です。それをさも非合法の活動のように誤解している者が多くて困ります」
その世話役はそう言うと、ラインハルトとリヒャルトを他の仲間が集まっている場所へと促した。
集落の一角を借りて全員で昼食を取るのだ。
昼食といっても堅焼のパンと薄粥、少量の煮野菜程度の質素なものだ。

これらの食事は全て星十字会が用意し、ラインハルトたち一行が金銭を払う必要はないが、支給される食事だけで足りない者は自腹を切って食物を買うことは自由とされていた。
そういう点ではこの会の規律はかなりゆるやかなものだった。
ただし、揃いのフードとローブは必ず身に着けていなければならない。
フードにもローブにも会の紋章である星形に十字をあしらった縫いとりが施されていた。

出立までの数刻、ラインハルトはふうっと溜息を吐きながらこれまでの経緯を思い出していた。
モレナの里を出てロディウムに向かったラインハルトとリヒャルトはとりあえず当座の宿を見つけると、テオドールと合流すべく探索を始めた。
ロディウムの街は国内有数の温泉町らしく、かなりの活況を呈していた。
長逗留する湯治客相手の宿屋や飲み屋、土産物屋などが軒を並べる繁華街は夜半過ぎでも人通りが全く絶えるということはないようだ。

それでも町全体としてみればそう大きな方ではない。
テオドールは数日もすれば見つかるだろうと踏んでいた。
なにしろラインハルトは魔導士だし、リヒャルトは遠目遠耳がきくのだ。
二人で手分けすれば見つけ出すのも造作はないはずだった。
だがあては外れ、テオドールの消息はなかなかつかめなかった。

「あ奴め、金まわりのいいどこぞの大旦那にでも取りいって召し抱えられたのかも。そういう点では要領のいい奴だ。すくなくともこの街にはもういないようです」
リヒャルトがそう言いだしたのはロディウム滞在が一月を越えたあたりか。
「そのようですね。これだけ探しても手がかり一つ見つからないとなると」
ラインハルトはそう言うとでは、これからどうしましょう、と言葉を継いだ。

「テオドールのことはひとまず置くとして、あいつを探すのに少々怪しげな場所にも足を踏み入れた時のことですが」
リヒャルトはやや躊躇いながら切り出した。
「前に私がお話しした新興宗教のことで、小耳に挟んだことがあります」
ラインハルトもずっと気になっていたこととて思わず身を乗り出す。

「聖ロドニウス教会の分教会の下部組織に星十字会というのがあります。その会はそもそもエリオルが星の運行を見て未来に起こる出来事を予言したという事績の研究のために、聖ロドニウス教会の下級僧侶たちの勉強会として始まったものらしいのですが」
「それで?」

「どうやらその組織は形骸化し、中身はすっかり別組織とすり替わっているようです。もちろん表向きはエリオルの信奉者を装っていますが、その実態は・・・」
「例の新しい時代には新しい神が云々、という輩か」
「と思われます。あのときはきちんと確かめる余裕がありませんでしたが」

「聖ロドニウス教会でエリオル以外の神への信仰を唱えるはずはないと思うが」
「今のところは酒場での噂話を小耳にはさんだ程度に過ぎません。もっとよく調べてみないと。いずれにしろ聖ロドニウス教会の思想統制は強力だ、その網の目を掻い潜るためにはかなりの工夫が必要でしょうからね」
「仰る通りですね。まともに布教したのではすぐに引っ張られてしまう。密告も怖いし、やたらな相手に話せるようなことでもない。聖ロドニウス教会の下部組織とはうまい隠れ蓑かもしれないが、それにしても大胆なことだ」

その日から二人はその勉強会なる集会について情報を集めることにした。
数日を経ずしてリヒャルトはかなりの情報を集めてきた。
「どうも勉強会と称して定期的に集会を開いているようです。そこで集まった連中に徐々にマインドコントロールをかけて誘導している可能性が強い。熱心な信者には聖地への巡礼も勧められているとか」

「聖地?」
「はい、星十字会の現在の首座は新興国ウインチェットの出身のようで、その本拠地を聖地と称している模様」
「まさか!八聖国出身でない者が聖ロドニウス教会に入れるわけがない。まして、分教会の下部組織とはいえ首座に治まるなど、ありえないことだ」

「表向きはそうでしょうが、たとえば誰ぞ有力者の養子になるとか手はあるようです。聖職者の地位も金で買えるという噂も絶えず聞こえてきますしね。聖ロドニウス教会の正式な僧侶ではなくとも、在家の修道士くらいなら」
「そんな・・・!」
憤然とするラインハルトだが、貴族や有力な商人たちの中には子息が聖ロドニウス教会の試験に受かって僧侶とならねばならなくなると、金で免除してもらう者も少なからずいると以前聞いたことがあった。ならば逆もあり、ということか。

「私はその巡礼の一行に紛れ込んでウインチェットに行ってみようかと思っています。時代が大きく動こうとしている今、何が起ころうとしているのかかなり気になります。ラインハルト様はどうされますか・・・」
どうもこもない、それを聞いた以上自分も後には引けないと思う。
ラインハルトは自分も同行する旨迷わずリヒャルトに告げたのだった。

そうと決まればリヒャルトの行動は早い。
どういう手をつかったものか、二人は旅の騎士ラルフとリードという名で警護要員として町の有力な商家にもぐりこむこととなった。
ご主人の警護とは名ばかり、実際はごろつきまがいの用心棒家業、王子であるラインハルトが手を染めるような仕事ではないとリヒャルトは自分一人で潜り込むつもりだったが、ラインハルトが一人宿屋で無為に過ごすのも時間と費用の無駄遣いでしかないと強硬に言い張ったため、二人一緒に雇われることになったのだった。

通常の警護のかたわら、町の喧嘩出入りの加勢など多分にいかがわしい仕事をこなすこと数カ月、二人は古株の用心棒の一人から目的の勉強会について話を聞くことに成功した。
初めは用心深くなかなか口を割ろうとしなかった男も数カ月同じ釜の飯を食った気やすさで居酒屋で酒を数杯おごると、少しずつではあるが夜間に行われる集会について話し始めたのだった。
昼間仕事を持っているものが参加しやすいように夜間行われるという勉強会に二人が招待されたのはそれから数週間後、通常は勉強会の主催者の審査に数カ月かかることもあるが、こんなに早く呼んでもらえるのは自分の口利きのおかげだと、例の用心棒仲間には随分と恩を売られてのことだった。

集会は分教会の地下室で数日に一度開かれ、師と呼ばれる者が講師に立ちエリオルの事績を詳細に検討するという体裁を取っていた。
集会には商人や騎士、町民や農民、男女を問わずさまざまな年齢や階層の者たちが参加していて、みな入り口で渡される同じ仮面を被っているため、個人の特定は難しい。
そのおかげで誰もが身分や階層によって区別されることなく自由に発言や質問ができた。

粘り強く集会に参加し熱心すぎるくらい質問や発言を繰り返したおかげか、さらに数か月ほど経ったある日二人を含む数人に集会後居残るよう連絡があった。
それは勉強会に出席している者たちの中でも特に熱心で優秀なものだけに施される特別講義ということで、他の出席者たちにはこの講義のことは伏せておくよう厳重に注意された上で出席を許可された。
その内容は思った通り、これまでの集会で説かれていたエリオルの事績についてかなり強引な牽強付会を行い、新しい信仰へと誘導するものであった。

かなり巧妙にしかも回数を重ね時間をかけて行われる説教を通して出席者たちにはいつの間にか新しい宗教観が植え付けられていく。
すなわちエリオルには真の子孫がいて、その子孫は八大弟子の手を逃れローゼンシュタットの辺境へと落ち伸びて身を隠しながら細々と暮らしていたが、やがてその地方が新興国ウインチェットとして独立したのを機に名を変えて云々。
その説によるとエリオルの子孫にして真の教えを受け継いでいるのは現星十字会首座のモルドスという人物なのだそうだ。

どうにも胡散臭い話ではあるが、他の出席者は至極素直に信じてしまっているようだ。
特別講義の間中狭い地下室で炊かれている香油。
この香油の煙に中枢神経を鈍化させ判断力を鈍らせるものが紛れ込まされている。
ごく微量なため、普通の人間には全く感知することはできないだろう。
だがラインハルトとリヒャルトは瞬時に感じ取っていた。

特別講義に出席すること数回にして、二人は揃って講師より巡礼へ参加の打診を受けた。
一人ずつ個別に小さな部屋へと連れて行かれ、巡礼に当たっての注意事項を聞かされ、最後に誓約書にサインさせられた。
巡礼に参加することを家族といえども特別集会に参加していない者に話してはならないこと。
同様に巡礼の途上で見聞きしたことも一切他言しないこと。
が誓約書の主眼だった。
本当に聖ロドニウス教会の管理している巡礼行為なら、他言無用の必要はないはずだが、香油で判断能力を鈍化させられている他の参加者たちは何の疑問も感じていないようだった。

出立の日は一週間後。それまでに身辺の整理を終えて出立の日の早朝、日の出前に城門に集合と相成った。
そのような時間に城門を開けるにはやはりそれなりのつてがなければ叶うまい。
集会や巡礼の費用も、聖ロドニウス教会の運営費というよりはどこからかの寄付で賄われているらしいことも、有力なパトロンの存在を臭わせていた。

出立の朝集まったのは総勢10人ほど。
それこそ様々な階層の出身と思われる男女が揃っていた。
そして世話役として男女一名ずつが一行に加わった。
世話役の二人も参加者もこれから数日行動を共にすることとて仮面はしていない。
が、互いに相手の身元を探ることは禁止とされた。

日の出前に城門を出て街道に出、しばらく進んだところで他の街道からやってきた一団と合流する。
それを数度繰り返したため、いまでは一行は総勢40人近くとなっていた。
これだけの団体が移動しても特に問題とされないのは男の世話役が聖ロドニウス教会発行の通行証を持っているからのようだ。
聖ロドニウス教会を名乗りつつ、実態は全く別の宗教の布教活動が大手を振って行われている。
こんな欺瞞がまかり通っていていいのだろうか、ラインハルトは釈然としない思いをどうにも整理しきれないでいた。






パンゲア大陸
ローゼンシュタット、ウインチェット国境

数日を経て一行は国境を越え隣国ローゼンシュタットへ入国した。
そこからまた強行軍でローゼンシュタットを縦断し一路グローセンシュタイナーとの国境目指して進む。
せっかくはるばる隣国まで来たのだから、名だたる名所旧跡くらいは見学しても、と思うが、それは求道の精神に反するのだそうだ。
ローゼンシュタットにもエリオル縁の場所は幾多もあるのであるから、この巡礼が真に聖ロドニウス教会主催のものであるとすれば、そういった場所への多少の寄り道もさほど問題になるものとも思えないが、その辺を疑問視するものは一人もいないようだった。
よほどマインドコントロールが徹底しているのだろう、リヒャルトとラインハルトは暗澹たる気持ちで顔を見合わせ頷き合った。

小国ウインチェットへ向かう街道は国境の手前から賑わっていた。
「以前ここを通った時はほとんど人通りもなかったのですが・・・」
リヒャルトが苦笑気味に囁く。
「道もこんなに整備されていなくて」

ウインチェットの歴史は苦難の歴史でもある。
ローゼンシュタット辺境の銀鉱山の労働者たちが、そのあまりに劣悪な労働環境に反抗し暴動を起こしたのがそもそもの建国の始まりだった。
労働者たちは現場の指揮官でもあったホフマン=ウインチの指揮のもと鉱山の責任者だった貴族を追放し、その屋敷を王城として労働者の国を建国、ローゼンシュタットと白の帝国に独立の承認を求め、長年にわたり闘った。
独立を認めようとしないローゼンシュタットは単なる暴動として帝国の加勢を頼み力づくで抑え込もうとしたが、ウインチェット側の抵抗は激しく、帝国や八聖国の統治に不満を持つ者たちが続々と彼らに共鳴して闘いに参加するようになり、中流や上流階級からも彼らを支援するものが現れ、闘いは泥沼化していった。

膠着状態が何年も続き、ホフマン=ウインチの死後はその側近たちが跡を継ぎ抵抗は続けられた。
そうこうするうちにローゼンシュタットで王位継承をめぐる内紛が勃発、建前はローゼンシュタット内の自治領的扱いということで休戦協定が結ばれたが、実際には新興国家として周囲に認められることとなった。
形の上ではローゼンシュタットの一自治領であるため、ウインチの側近の一人であったレグノスという男の子孫が代々領主として治める形を取っているが、ローゼンシュタットの統治は一切及ばない。
国名は建国の祖の名を取ってウインチェット、すなわちウインチの国、と名付けられた。

ウインチェットは山また山の鉱山国で、切り立った山がそのまま海に落ち込む急峻な地形の国であり、農耕には適さないが、豊富な鉱物資源を武器に他国との交易で栄え、近年力を付けてきたと評判である。
また意外にも漁業も盛んなのであった。
ウインチェットの事実上の独立後、後を追うように似たような新興国がいくつか誕生したが、帝国にも八聖国にもその流れを止められるだけの力はもはや無かった。
新興国ウインチェット―――今初めて訪れる八聖国の統治が及ばない国を目前に、ラインハルトは不思議な感覚を覚えた。
なにか大きな動きが自分を待ちうけているような、子どもの頃新しい魔法を習う前に感じた胸が沸き立つような感覚―――それは国境検問所の向こうに聳える山々を覆う黒い雲を目にした瞬間に確信に変わった。
この国で何が待ち受けているにしろ、自分は全て受けて立とう。
グリスデルガルドで命からがら逃げ出すしかなかった、あの時と同じ自分ではないのだ、とラインハルトは強く拳を握りしめた。