パンゲア大陸 ホーファーベルゲン 聖ロドニウス教会 朝まだき鬱蒼と生い茂る深い森の奥に位置する聖ロドニウス教会の裏手に位置する付属の僧院の回廊を二人の修道層が歩いていた。 二人とも同院の制服である灰色の重たげな僧服に身を包んでいるが、所作その他から、先に立つ僧はかなりの老齢であるのに対し、後ろから従う僧はまだ歳若いように感じられる。 長い回廊の突き当たり、小堂の入り口の前で立ち止まった老齢の僧は腰に下げた鍵束の中から一際大きな金色の鍵を徐に取り上げると、その鍵には似合わぬ粗末な木製の扉の鍵穴に差込み、ゆっくりと回した。 「やれやれ、ここに入るのは暫くぶりじゃ。 さて、うまく開いてくれるとよいが・・・」 僧はブツブツ呟きながら、鍵穴の内部がさび付いているせいか、なかなかまわらない鍵と格闘している。 「老師は以前ここに来られたことがおありなので?」 後ろに控えた若い僧が辛抱強く待ちながら訪ねた。 「ふむ、そなたよりはもう少し歳がいっていたがな、僧アルベルトよ、やはり師に連れられて来たのよ。 その後は折に触れて訪れたものじゃが、わしの時代はとにもかくにも平和の時代であったからのう。最後に訪れたのはもう六、七年前になろうかのう。さて開いた」 その言葉とともにピン、という音がして、扉が耳障りな軋み音を上げて徐に開いた。 長年人の出入りがなかったにもかかわらず内部の空気は外部と変わらず凛と澄んでいて、一抹の黴臭さもない。 これもまたこの聖地に宿る不思議な力のなせる技か、とアルベルトと呼ばれた若き僧は驚きを隠さずに周囲を見回した。 内部は教会の礼拝堂を小ぶりにしたような造りだが、祭壇も礼拝用の椅子も告悔室もなく、また、窓も明かり取り用の小窓一つなかった。 外部の光が一切無い筈なのに堂内は薄っすらと明るく、ごく周囲のものはかなり明瞭に見て取れる。 「老師オルランド、ここは何とも不思議な場所ですね。この灯りは一体どこから来ているのでしょう・・・」 「ふふ、わしも昔は大層不思議に思ったものじゃ。 わが師へルマン大聖は、ここはこの世界と異界との接点であり、この光はこの世ならぬもの―――と言われたが、さて、異界とはどういった場所のことを差すものやら、凡庸なわしにはとうとう判らななんだ。 聡明なそなたならいずれその異界とやらを垣間見ることもできるかも知れんが」 「そんな、老師にわからぬものが私如きに判ろう筈が・・・」 「そう謙遜することもあるまい。そなたはなかなか見所があると見た。だからこの任に選んだのじゃから」 老師オルランドはそう言って懐から緑色の小さな球体を取り出し、小堂の中心部に立った。 よく見ると床には何本も直線や曲線が引かれており、そのうちの行く本かがその中心部で交わっているのだった。 「さて・・・」 老師はすぐ傍に立つアルベルトにも聞き取れないほどの小声で何やら呟いていたが、次第に手にしたその球体から光が迸り、やがて一際強く光が輝いた後その光が弱まると堂内は一転して漆黒の闇に包まれた。 ふと気がついて足元を見ると床が無くなっている。 落ちる! 揺らぎ無いはずの大地の突然の喪失感に、とっさに「うわっ」と声を上げアルベルトは老師にしがみ付いた。 老師オルランドは平然と笑みを浮かべ 「落ち着け、我らは元の場所に、聖ロドニウス教会の小堂の中におって、異界の力を借りてこの世のあり様を垣間見ているだけじゃ。 これは我らの住む宇宙と呼ばれる空間。この広大な空間の片隅の極ちっぽけな天体に我ら生命体はしがみ付くようにして生きておる」 そう言われてみれば漆黒と思えた闇の所々に微かな光が点となって明滅していた。 その点のうちの一つが次第に大きくなっていく。 いや自分たちが近づいているのか、アルベルトはそんな錯覚に捕らわれ軽い眩暈を感じた。 「はじめは戸惑うじゃろうが、すぐにこの感覚に慣れる。おそなたは若いからなお大丈夫じゃ」 やがて光は堂内全体を覆い尽くすまでに巨大化し、アルベルトはその焼けつくような熱気をすぐ傍に感じるような気がした。 「これが我らが太陽と呼んでいる天体じゃな。その周りをいくつかの天体が自らも回転しながら回っておる。 そして、我らの今いるこの大地もその天体の一つじゃ」 「そんな!我らの大地を巡っているのは太陽のほうなのではないのですか?」 アルベルトは驚きの声を上げるとともに、いまだ自分が老師の腕にしがみ付いていたことに気付き少々恥らいながらその手を放した。 老師の言葉どおり、すでに平衡感覚は平常に戻っている。 アルベルトの足の下には緑なす大地がいつの間にか広がっていた。 「アルベルトよ、そなたはこの大地がどのような形状をしていると思うか?」 「どのような形状って・・・大地はやがて海となり地の果てでその海は無限の彼方へと落下している―――そんな風に習いましたが・・・」 「無限の彼方、か。ではアルベルトよ、その無限の彼方の更にその先はどうなっていると思うか」 「・・・さあ、私には判りません・・・」 「アルベルトよ、太陽は丸い、月も丸い、これは子供でも知っていることだ。では我らの住むこの大地も同様に丸い・・・そうは思わんか?」 「老師!それは・・・」 「この大地も宇宙に浮かぶ天体の一つ、この大地だけが例外のはずは無かろう。 この地は丸く海の彼方には地の果てなど無く、進み続ければいずれは元の場所に還る。 人はそれを知らぬだけ。あまねく人の子がこの智恵を得るのはいずれ何千年も先の、我らとは別の文明においての事でとなろうよ。 ヘルマン大聖は言われた。このことは知識の殿堂と謳われるこの聖ロドニウス教会付属修道院の学僧ですらほとんどのものは知らぬ、太古の失われた知識であり、大衆が知る必要のないこと。我らごく一部の者のみが知っておれば良いのだと」 「・・・そう、かも知れませんね。そのようなことが大衆に広まればこの大地の成り立ちより我々の常識は覆ることになる。しかし・・・」 「アルベルトよ、そなたに今この大地の秘密を教えたのは、わしの後任としてこの小堂の真の機能を伝えること、そしてもう一つ・・・」 老師は球体を真横へとめぐらした。 「西の地、日を迎え入れる大地の国フィルデンラント―――」 足下の大地が大きく動き高い山をいくつも越え、やがて海沿いの平野が真下に広がった。 「青の聖者フランツ=フィルドクリフトが開いた西の要衝の国ですね」 「然り。その西の国の更に西。フィルデンラントの属国にあたる、大洋に浮かぶ島国グリスデルガルトで不穏な動きが見られる」 足下の景色は更に海上へと移りやがて大小幾つかの島々からなる群島が見えてきた。 「フィルデンラントの分協会にいる同志からこの西海の島国あたりを中心に妙な動きがあると知らせてきた」 「妙な動き・・・?」 「どうやら妖魔族がからんでいる節があるらしい」 「妖魔族・・・!それはまた久々に聞きましたな。 妖魔族はそれこそ壊滅に近い打撃を受けたはず、フィルデンラントの王子ルドルフによって・・・」 「まあな、だがそれは四百年も昔の話・・・ そろそろ勢いを盛り返してきてもおかしくは無い時期だとは思わんか、僧アルベルトよ」 「それはそうですが・・・」 「グリスデルガルトでは折りしも新王の戴冠式が執り行われると聞く。 現王が病気がちのため、孫にあたる王子に王位を譲るそうじゃ、本来後を継ぐべき息子がことごとく早逝したため、王はずっと位を明渡すことが出来なかったらしいの」 「はあ・・・」 「新王となるフランツ王子は若いが聡明で公平な王子だそうじゃ。人心も刷新し世の中も少しは良くなるかも知れん」 「そう言った情報も分協会から入ってくるのですか?」 「まあな、各国の情報を収集し分析しこの世をよき方向に導くのも我らロドニウス協会員の使命の一つ。知識を集めることと同様、いやそれ以上に大切な任務じゃ」 「お待ちください老師、ではロドニウス教会とは・・・」 「ふふ、今ここでそなたとその件について論議しようとは思わぬ。そなたにこれを見せたのは・・・、確かめて欲しいのじゃ。西国で何が起ころうとしているのか、その秀でたその目でしっかりと見極めわしに伝えて欲しいのじゃよ」 「では、この私に西国へ向かえと?」 「しかり。そなたにはこれと対になるオーブを与える。それがあればいつでもわしと連絡をつけられる」 老師は懐からもう一つ今度は少し小降りの赤い球体を取り出し、アルベルトに差し出した。 「できれば支度が済み次第なるべく早く出発して欲しい。 妖魔族というのがどうにも気にかかる。総院長にはわしから顛末を伝えておくのでな。 後、腕の立つ供の者を幾人か連れて行ったが良い。では、そなたの目を信頼しておるぞ」 師の言葉とともに足下の風景は消え辺りは一気にただの小堂の内部にもどった。 「老師、このからくりは一体・・・」 「先ほども申したろう、ヘルマン師ほどの力をついに持つこと叶わなかったわしには、この原理はわからぬ、と。さあ行け、事はわしが思っている以上に急を告げているかもしれぬ。 まずはフィルデンラントの分協会に行き情報を得てから、賢者ゲラルドに会うがいいだろう。フィルデンラントではグリスデルガルトの戴冠式に列席する第二王子いや、今では王弟か、がそろそろ国を離れている頃じゃろうが」 「判りました、馬を飛ばしてなるべく早くフィルデンラントへ入りましょう」 そうと決まれば若者の行動は早い。 アルベルトは老師オルランドをその場に残して出立の準備のため、自分の僧坊へと急いだ。 |
フィルデンラント 王宮 謁見の間 壮麗な垂れ幕で壁面を飾られた謁見の間には、両の壁際に武官文官そして女官たちが居並び、国王の入場を待っている。 入り口から玉座へと一直線に敷かれた緋毛氈の上にはその国王に出立の挨拶を述べるべく、王子、いや正確には王弟ラインハルトが従者であるセルダン老とともに立っていた。 フィルデンラント王族に共通した特徴ともいえる水色の瞳に金色の髪、その長い金髪を後ろで無造作に束ね、旅装束に身を包んだラインハルトは年のころは十五、六といったところか、まだ幼さは残るが非常に整った顔立ちの少年である。 少し吊り上り気味の眉ときりりと引き締まった口元に生来の不敵さが伺われた。 やがて先触れの声が響き渡り、それが完全に掻き消える前に厳かな衣擦れの音と共に国王ヴィンフリート三世が姿を現した。 国王の後ろには黒衣の壮年の男と、数名の武官が従っている。 国王の入場に居並ぶ臣下は皆首を垂れ、ラインハルトはセルダンと共に緋毛氈の上に跪いた。 ゆったりと優雅な身のこなしでヴィンフリートは玉座に腰を落とす。 玉座のすぐ脇に黒装束の男が控え、他の武官たちは玉座の後方に控えた。 「ラインハルト、いよいよ出発するのだな」 国王は澄んだよく通るアルトで面前に控えた弟に声をかけた。 それを受けてラインハルトは下げていた面を上げてまっすぐに兄国王を見上げ、出立の言上を述べ始める。 「偉大なる国王ヴィンフリート三世陛下の忠実なる僕にして黄昏の谷の地の領主である、私ラインハルト=マクシミリアン=フォン=フィルドクリフトはこの度陛下のご名代として属国グリスデルガルトの地に赴き、新王戴冠の儀に立ち会うべく陛下より拝命仕り・・・」 こちらもまた綺麗なアルトの声でとうとうと述べてゆく。 玉座に悠然と構え弟の様子を愉しげに見下ろしているまだ二十歳そこそこと見受けられる端正な美貌の国王は、弟と同じ長い金色の髪を優雅に両肩から垂らし、その瞳と同色の薄水色のローブをゆったりと身に纏っており、その姿は国王と言うよりは神官のようにも見えた。 国王はすぐ傍に立つ黒装束の男をチラと見上げた。 慇懃に控えていたその黒装束の男はその視線に答えてほんの少しだけ口元を綻ばせた。 銀色の髪に翡翠のような緑色の瞳のニ十代半ばと思われるなかなかの美丈夫である。 「・・・此度の名誉あるご下命にあたり私は身命を投げ打って・・・」 と長々と続く弟の言上を途中で遮り、国王は 「もうよい、ラインハルトよ。それより近くに参って顔をよく見せてくれ」 と優しい声音で言った。 「最後まで言わせてくださいよ、兄上。せっかく練習したのに」 弟王子は不服そうに口を尖らしたが、すぐに立ち上がり玉座のすぐ前へと歩を進めた。 手を伸ばしその頬に軽く触れながら、 「できればそなたをあのような辺境の地へ遣わしたくはないのだが・・・」 と国王は言って、王子の背後に畏まっている臣下に声をかけた。 「セルダンよ、ラインハルトのことは頼んだぞ。なんと言ってもまだ聞かん坊の子供なのだからな」 セルダンと呼ばれた壮年の臣下は 「はっ、わが命に代えましても王子様をお守り申し上げます」と畏まって答える。 「兄上!僕は子供ではありません。来年十六の誕生日を迎えたら僕は・・・」 「判った、判った。だが、道中くれぐれも気をつけるのだぞ。なにやら不穏な動きもちらほらと報告されているようゆえ」 「不穏な動き?グリスデルガルドにですか?」 ラインハルトが気色ばむのを手を上げて押えながら、 「まだはっきりそうと決まったわけではない。軽挙盲動は厳禁だぞ。グリスデルガルドは友好国にして西の防波堤、なのだからな。 だが、用心に越したことはないと言っているのだ。お前は唯一の直系の王位継承者なのだからな・・・」 いつになく真剣な兄の表情に身を堅くして、ラインハルトは 「判っております」 と答えた。 「これから直ちに出立し、一旦領地に戻って所用を済ませた後グリスデルガルドに向かう所存です。 宰相ヴィクトール」 ラインハルトは兄の横に控えた彼の黒装束の美丈夫に呼びかける。 はっ、と畏まったその男にラインハルトは 「留守中、兄上のことは頼んだぞ。何分新米の国王様だからな」 と兄の口調を真似て少し茶化して言った。 「畏まりましてございます」 とのヴィクトールの答えに満足げに微笑むと、ラインハルトは、こいつめ、という顔で軽く睨んでいる兄国王のほうへ向き直り、真顔になって 「では、我が祖国フィルデンラントと国王ヴィンフリート三世陛下に栄光あれ!」 と高らかに叫んだ。 「無事の帰還を待っているぞ」 との国王の声に送られてラインハルトは謁見の間を退出した。 セルダンが国王に一礼した後その後を追う。 ヴィンフリート国王はその後姿が見えなくなってから、僅かに眉を顰め小さく溜息を吐いた。 「本当に無事に戻ってくれることを祈っているぞ・・・」 その呟きが聞こえたのかどうか、ヴィクトールは国王の手を取り玉座から立ち上がらせた。 ヴィンフリートは見張り用の城壁へ出て、弟が率いる数十人の隊列が城を出て西に向かうのを見送る。 「大丈夫でございますよ、ラインハルト様は強運をお持ちだ。必ず無事にお戻りになられます」 「ヴィクトール、しかし例のグリスデルガルドでの妖魔族の動向は・・・」 「密偵の報告によれば戴冠式に併せて何やら画策する向きもあるようですが、妖魔族については噂の域を出ませんし・・・ それ以上に気になるのは聖ロドニウス教会の動き、学僧が一名西に向かったとか・・・」 「聖ロドニウス教会・・・か。」 隊列が遥か遠く豆粒のようになるまで見送ってから、国王は腹心の臣下と共に城内へと戻って行った。 |
グリスデルガルト 王宮 図書室 「いよいよ戴冠式も目前に迫って来ましたね、ルドルフ様」 小姓のヨアヒムに声をかけられ、ルドルフ王子は 「ん〜」と気のなさそうに返事をした。 「いよいよフランツ国王陛下の時代到来ですね。ああ、戴冠式に臨まれるフランツ様はカッコいいだろうな〜」 「ん〜」 何を言っても同じ返事しか返さない主に業を煮やして、ヨアヒムは 「しっかりしてくださいよ、ルドルフ様。そんな気のない様子を他のものが見たら、フランツ様のご即位に不満でもあるのかと、痛くもない腹を探られてしまいますよ」 と少し厳しい口調で言った。 「さよう、ルドルフ様ももっとご自分の感情を押えて振舞われなければ、これからは今までのように気楽に過ごしてばかりもいられなくなるのですから」 と教育係の老フォルマンも口を添える。 「これからはどうなるって言うのさ。フランツが国王になろうと僕は僕のままだ」 ルドルフは投げやりな口調でそう言うとあーあ、と両腕を振り上げて椅子に座ったまま伸びをした。 「そうは参りません。フランツ様が即位なされればルドルフ様は第一王位継承者となられるわけですし、かねてからの懸案である兄君のご成婚が決まれば、次はルドルフ様の番となるわけで・・・」 「バカバカしい、僕は結婚なんてしない。一生フランツの傍にいる」 ルドルフはわざとテーブルの上に脚を投げ出した。 「お行儀が悪すぎますぞ、フドルフ様。王族の結婚は国の大事。このグリスデルガルトが列強の間で生き残っていく為にもルドルフ様は強力な国の王族と・・・」 フォルマンの苦言に 「それはわかるけどさ・・・」といってルドルフは呟く。 「僕が結婚なんてできるわけないだろう。名目は王子、ということになっていても本当は女なんだから・・・」 「しっ!ルドルフ様お声が大きいですぞ。何処で誰が聞いているやも知れないと言うのに・・・」 「ああ、悪い・・・気をつけるよ」 ルドルフはふんぞり返った格好のまま素直にフォルマンに詫びた。 「このことはごく一部の者にしか明かされていない秘密ごと・・・滅多なことでお口になさいますな。 ですがルドルフ様もそんな小姓みたいな格好をやめて着飾って大人しくしておられれば大層お美しい姫君なのに、お父君は何を思われて男として育てるよ、などというご遺言をのこされたものやら・・・」 「ま、僕としてはこの方が性に合っていていいけどね。 女じゃ剣の稽古も思う存分出来ないだろうし、窮屈だったらありゃしない・・・ ヨアヒム、早速剣の稽古をつけよう。ここしばらく剣を握ってないから腕がなまってるといけない」 と言ってやおら立ち上がるのを、 「ですから、今はお勉強の時間なのですから、剣戟のお稽古はそれが終わってからになさって下さいまし」 とフォルマンが慌てて引き止める。 老人の言葉どおり、ルドルフはヨアヒムと変わらないような男ものの服を身につけてはいるが、後ろで束ねた長く艶やかな黒髪とすんだ菫色の瞳が色白の肌によく映えるなかなかの美少年、いや美少女だった。 しかも、幼少の頃から小姓のような格好でだれかれとなく武官を捕まえては剣の相手を挑んできた甲斐あってか、最近では剣の名手との評判も高かった。 物静かで大人しい兄フランツよりもずっと男らしい王子様ぶりである。 ルドルフは図書室の壁にかかっている自分と同じ名の伝説の勇者ルドルフ一世の肖像画の前に立ち、うっとりとその姿を眺めた。 名前ばかりでなく、同じ色の髪と瞳のをもつ壮麗な美丈夫はルドルフの幼き頃からの憧れの的だった。 フィルデンラントの第二王子ルドルフは父フェルディナントニ世の命により妖魔族と戦いこれを撃ち滅ぼしてこのグリスデルガルトの地を奪い取った。 だがそのあまりにも長い征服の旅から戻ったとき、すでに父王はなく王位は兄フランツが継いでいた。 妖魔族の呪いによりルドルフ王子の金色の髪は漆黒に、水色の瞳は菫色にと変えられていて、兄フランツ五世は弟の変わり果てた姿に涙し、自らが勝ち取った領土を独立国として治める権利をルドルフ王子に与えたのだった。 だがあくまで兄王に忠誠を誓うルドルフ王子は終生自分はフランツ五世の臣下であると公言し、この地を治めることを良しとしなかった。 結局ルドルフ王子の死後、その子エミリオが初代国王として即位し、グリスデルガルトはフィルデンラントの属国として、妖魔族に対する防衛の前線基地としての役目を担うこととなり、勇者ルドルフも創始王ルドルフ一世と諡り名されたったのだった。 フィルデンラントの王族は金の髪に水色の瞳――― だが、ルドルフ一世の血を引くグリスデルガルトの王族はみな黒に近い髪と瞳を持って生まれてくる。 代を重ねるごとに色は薄まってはいたが。 事実ルドルフの兄のフランツは栗色の髪に鳶色の瞳をしている。 ルドルフが生まれる前に亡くなった二人の父ステファン王子も兄と同じ栗色の髪に茶色の瞳だったと聞いている。 だがルドルフは久々に漆黒の髪を持って生まれた王族だった。 剣の名手と謳われた勇者ルドルフ一世の再来――― そう呼ばれるのを夢見て剣術の稽古に明け暮れてきたのだ。 ルドルフは自分が本当に自分が男だったなら、とずっと思いつづけできたため、自分でも気付かぬうちにどこかで女であることを拒否しているようなことろがあった。 ただ、長じるにつれいつまでも男の振りをしているわけにもいかなくなるだろう。 事実、一番の理解者である兄フランツでさえ、 「そろそろ年頃なのだから、本当は王女であることを公表してはどうか」 などと言い出す始末である。 「僕はまだ十五なのですから今のままでいいんです」 ルドルフはそう言うとわざと遠乗りだの剣術だのに打ち込んで見せる。 大人しく優しい兄はそれ以上は言わず、困ったように苦笑するばかりだった。 「ま、剣術のお稽古も結構ですが、間もなくお越しになるフィルデンラントの王子、ラインハルト様にくれぐれもご無礼な態度を取られないよう、お気をつけ下さいませ。 悲しいかなグリスデルガルトは宗主国フィルデンラントの援助無しには立ち行かぬのですから・・・ 王子のご機嫌を損ねるようなことがあってはと、我ら臣下一同は気が気ではございませんので・・・」 フォルマンの言葉にフン、と鼻をならしながら、 「フィルデンラントか。古の隆盛はとうにないというのに・・・ ま、腐っても八聖国ってことか・・・」 とルドルフはぞんざいな口調で言う。 「ですから、そのようなことはラインハルト王子の前では口が裂けても仰らないで下さいませよ! フィルデンラントにすれば、唯一人の直系の王位継承者である王子を遣わされるという事は大変なことなのですから・・・」 「ご大層なことだ・・・」 「フィルデンラントでもそれだけグリスデルガルドとの友好関係を重視しているということなのですよ。 建国以来ずっとグリスデルガルドの戴冠式には必ずフィルデンラントの王族が立ち会うのがしきたりになっているとはいえ、此度の戴冠式はかれこれ五十年ぶりのこととなりますし・・・」 「分かった分かった。せいぜい王子様のご機嫌を損ねないように努力いたしましょう」 ルドルフは大げさに肩をすくめて見せると、 「ヨアヒム、剣の稽古に行こう!」 とフォアマンに口を挟む隙を与えず、図書館から走り出していた。 |
ホーファーベルゲン、フィルデンラント国境の町 ゲーベルズハウゼン路上 三人の騎馬武者が早駆けで町を駆け抜けていくのを道端に避けて見送ると、騎士リヒャルトは 「何ともせっかちな連中だな、あんなに急いで何処へ行くのやら」 と、傍らに控えた従者テオドールを振り返って呟いた。 「まったくですな。人生は長いと言うのにこんな素晴らしい風景に目もくれず一目散とは勿体無いことで・・・」 とテオドールはのんびりと答える。 「お前は呑気すぎるがな」 リヒャルトは横目で従者を一睨みすると、すでに豆粒ほどの大きさになっている騎馬の一行を見やった。 詳しく見る暇はなかったが、先頭を走っていたのは僧服姿だったような。 しかも、胸に光っていたのはあれは聖ロドニウス教会の紋章のように見えたが・・・ 白の大聖者ケイロン=ロドニウス=ホーファーベルクトの名を冠して創設された聖ロドニウス教会はこの世のあらゆる知識の集積地、いわゆる知の殿堂として名高く、そこに集う学僧もまた各国の優秀な人材ばかりである。 男の子はあまねく十歳になると各国の聖ロドニウス分協会の僧侶による審査を受け、その審査により優秀と認められた者は特別の配慮が加えられないかぎり、学僧としてその優秀な頭脳を教会、ひいてはこの世のために役立てねばならない。 実際は金や権力に物を言わせて免除してもらう輩も数多いようだが、貧乏人の子沢山の家庭などは食い扶持が減る上に支度金がもらえ、僅かばかりだが手当ても定期的にもらえるとあって、我が子が学僧に選ばれることは大変な名誉、とされている。 知識はすべて教会の中だけに蓄積され、外部へその恩恵が齎されることはほとんどない、少なくともリヒャルトにはそう思える。 それがよいことなのかどうか、早計に判じることは出来ないが・・・ にしても、なぜロドニウス教会の学僧があれほど急いでいたのか・・・ 気になったリヒャルトは通りかかった旅人に、騎馬の群れが向かった西の方角を指差し、 「あっちは、フィルデンラントだな。近々フィルデンラントでなにかあるのかな?」 と訊ねてみた。 やはりフィルデンラントへ向うと思われる旅人は、 「フィルデンラントというよりは、属国のグリスデルガルトだな、新しい王様が即位するんで来月早々戴冠式が行われるんだよ。 それでその戴冠式に出席するんで、第二王子、いや今は王弟殿下と言わなきゃいかんのかな、がグリスデルガルトに向かって昨日出発したんだ。 何と言ったってグリスデルガルトでは約五十年ぶりの戴冠式になるわけだし、そのため七日間に渡ってお祝いのためのお祭りが開かれるんだ。 芸人だの露天商だのがこぞってグリスデルガルトに集まって、普段閑散とした島国が大変な賑わいらしいよ」 自分もこれから行ってみようと思っているんだ、とその旅人はさも楽しそうに語った。 考え事に夢中になっている様子で旅人を見送ったリヒャルトをテオドールはそっと横目で見やった。 よく言えば好奇心が強く悪く言えば野次馬根性旺盛な主人がこんな面白そうな話に飛びつかないはずが無い。 テオドールの不安は的中し、主人は自分たちも早速グリスデルガルトに向おうと言い出した。 テオドールとしてはそんな田舎の小国のお祭りよりフィルデンラントの王都でゆったりしたいどころだが、リヒャルトは一旦こうと決めたらテオドールが何を言おうが利いてくれるようなタマではない。 主人に聞こえぬようそっと溜め息をつきながら、黙々とつき従うテオドールであった。 |
パンゲア大陸某所 深い深い地の底にぽっかりと空間が開いている。 漆黒の闇の中で何処から染み出てくるのか地下水が細く流れる音だけがわずかに聞こえてくる虚無の空間――― そこに一つ二つ狐火のようなか細い光がぼうっと灯り始める。 その灯りは次第に数を増していき、空間のあちこちに浮かび、そのお蔭であたりは薄暗いものの、どうにか物の形は見て取れるくらいの明るさになった。 空間の中央には透明な材質で作られた棺が置かれ、その中には黒く長い髪をし、白銀に輝く薄絹の衣を着た少女が横たわっていた。 胸の上で軽く組まれた手には一輪の真っ白い花が握られている。 その棺のすぐ傍らに薄い靄が掛かった。と見る間にそれはだんだんと色を濃くし丸い形を取りだし、すぐに真っ黒な人の影のような形となった。 気がつくとそのような影はあちこちにいくつも形作られている。 その影の一つが音を発した。 獣のうなり声のような音はだが明確な意志を持って発せられたその影の言葉のようである。 すぐにその声に他の影たちが反応し似たような音を返す。 その音も影の形が次第にはっきりと人型に近付くにつれ、やはり人の言葉のように明瞭になっていった。 「我らの宿願のかなう時が近付いたようだな」 「ああ、待ちに待ったグリスデルガルドの戴冠式だ。こんどこそ、機会を逃すわけにはいかぬ」 「戴冠式のためグリスデルガルドの秘宝が結界の奥から持ち出される、そのときが我らに与えられた唯一のチャンス」 「前回の轍を踏むわけには行かぬ」 「手はずは全て整っているのか?」 「抜かりは無いか?」 「大丈夫だ。今回はこの任にうってつけのものを既に遣わしてある。 五十年前のような失態は犯さぬ。 それに他の手も抜かりなく打っておいた。 ルドルフの子孫どもに復讐を果たす時は着実に近付いている」 「ルドルフ・・・か。憎い敵ではあるが我らの目的はそのような小事ではないぞ」 「分かっている。だが大事を果たすついでに奴らに一泡吹かせてやるのもまた一興・・・ ではないか?」 「小事にこだわり大事をしくじる事のないよう気を引き締めねば・・・」 「ふん、われらが直に手を下せれば造作もないことだが・・・」 「ともかく今はそのもののお手並み拝見、と言うところだな」 「ふふ、いまや時流は我らに味方している。どう転んでもそう悪いことにはなるまいよ・・・」 「だといいがな・・・」 「だといいがな・・・」 「いいがな・・・」 「・・・」 ひとしきりこだまが響き渡った後空間は下の漆黒の闇に閉ざされた。 |