暁の大地


第五章




グリスデルガルド
東岸の漁村

その夜ルドルフ、ラインハルトにアルベルトの三人は村長宅に泊めてもらうことにした。

怪我の治りが完全でないという理由でルドルフだけは別に部屋を貸してもらい、ラインハルトとアルベルトは交代で睡眠をとることにしたが、何故とはなく寝付かれないラインハルトはベッドに横たわったまま、窓辺に腰掛けて外の様子を眺めるアルベルトにずっと気になっていた疑問をぶつけてみた。

「なあ、昼間も少し話したことだけど・・・、なぜあの妖魔族の男、ルガニスはああもあっさりとマリウス王とフランツ王子の命を奪ってしまったのかな。
僕の血に、フィルデンラントの王族の血にやけにこだわっていたようだったのに。
それがずっと気になっていたんだ」

「そうですね・・・、ルドルフ王子の前では言えませんでしたが、素直に考えれば結論は一つでしょうね・・・」
ラインハルトの言葉に静かに振り向きながらアルベルトは答える。

「それはつまり、あの二人にはフィルデンラントの王族の血は流れていない、ということか?」
「はい。もしあのお二方に貴方と同様の血が流れているのならルガニスという男は生かして連れ去る方法を考えたはず。
あの男はあの場で貴方の命を奪おうとはしませんでしたからね」

「・・・だが、そうなると一体どういうことになる?
グリスデルガルドの王族の祖はフィルデンラントの王子ルドルフ一世のはずなのに」

「私には確実な事は言えませんが、おそらく・・・グリスデルガルドの王家を開いたルドルフ一世は、フランツ五世の弟のルドルフ王子とは別人、ということになるのでしょうね」
「しかしそれは・・・」
たまらずラインハルトは勢いよく起き上がった。

「まあ、グリスデルガルドにとっては重大な問題になりますね。国の開祖の出自が根底から覆るわけですから」
「グリスデルガルドだけではない、フィルデンラントにとっても大問題だ。
これまでグリスデルガルドの王族は我らが血縁、ずっとそう信じられてきたというのに」

気色ばむラインハルトにアルベルトは宥めるような口調で言う。
「ただ、これはあの男の行動から導き出される結論の一つに過ぎません。
あの男が考え違いをしていることも充分ありえますし、グリスデルガルドの王族では血が薄いと思っているだけかもしれませんからね」
「それはそうだが・・・、でも・・・」

「フィルデンラントの王族は金髪に水色の瞳、だが長きに渡る遠征の旅から帰還したルドルフ王子の髪は黒く瞳は菫色だった。
ちょうど今我らと共にフィルデンラントへ向っているあの王女様と同じに・・・」

「それは妖魔族の呪いのせいだと言い伝えられているが・・・」
アルベルトはほんの少しだけ口元を緩ませた。

「私には妖魔族がどんな呪いをかけるのか良く分かりませんが、随分と変った呪いではありますよね。
憎い相手にかける呪いなら普通は苦しんで死に至らしめるものとか、精神的に追い詰め錯乱させるとか、もっといろいろありそうに思えますがね」

暖炉の炎の揺らめきが落とす影がその顔の上で妖しく踊る。
そのあまりに僧侶らしからぬ表情に、驚きのあまり相手の顔をまじまじと見つめていたラインハルトは一瞬、この男こそが妖魔族なのではないかと思ってしまった。

「いや、ほんの冗談ですよ。でも、この状況では少しばかりタチが悪かったですね、申し訳ない」
その言葉に魅入られたようにアルベルトを見つめていたラインハルトも我に返り
「いや、貴方の言うとおりだ。考えてみれば相手の髪や目の色を変えたところで何にもならない。そんな馬鹿馬鹿しい呪いがあるものか。だが・・・」
と言った。

「ルドルフ一世が遠征の間に別人に摩り替わっていたとして、実の兄であるフランツ五世がそれに気付かぬわけはない、ということですよね」
「ああ。フランツ五世とルドルフ一世は同母の兄弟だったはず。いくら十数年も離れていたといっても他人を弟と誤認するなどありえるだろうか・・・」

「そうですね、ただ・・・。史伝ではフランツ五世は幼い頃患った熱病がもとで視力の方はそうとう低かったとか」
「そうだね、昼間は薄ぼんやりとでもなんとか見えたらしいが、夜はほとんど失明状態だったらしい。そのせいでもう少しで廃嫡されるところだったとか」

「その間のお話は大変興味深いものがありますよね。
父王フェルディナント二世は本当は側室に出来たお子に王位を継がせたかったが紆余曲折を経て、結局は正妻の第一王子であられたフランツ五世に王位を譲る事になったと・・・」

「フランツ五世の母は白の帝国の皇女だった。廃嫡ともなれば帝国が黙っているはずがないからな」
「でしょうね」

「もしかしてアルベルト殿、貴方は・・・、フランツ五世とそのルドルフ一世を名乗る男との間に裏取引があったと言いたいのか・・・?」

「私には何もわかりません。だた、フランツ五世は弟に切り取った領土を独立国として支配する権限を与えた。ルドルフ一世自身はその権利を行使しなかったですけどね。
いくら同母の弟に、長年の艱難辛苦の労をねぎらうためとはいえ破格の恩賞だ。
あなたがフランツ五世なら同じように取り計らいますか?」

「さあ、どうだろうな・・・。ただ兄なら、ヴィンフリートならそれくらいするかも。
もし僕が十数年ぶりに苦難の遠征から戻ってすっかり変わり果てた姿となっていたなら」

躊躇いがちなラインハルトの言葉に
「なるほど、フィルデンラントの王族はお優しい方揃いなのかもしれませんね。
それだけルドルフ王子の遠征も苦難に満ちたものだったのでしょうが・・・」
とアルベルトは静かに言って視線を窓の外に向けた。

再びベッドに身体を沈めたラインハルトは考えに耽る。
グリスデルガルドの開祖と謳われる英雄ルドルフはフィルデンラントの王子ではないかもしれない。
もちろん父王の命を受けて旅立った時は本物の王子だったはずだ。
それが戻った時には・・・

おそらく王子は旅の途中で病気か事故、あるいは戦闘で亡くなったのだろう。
普通ならその時点で撤退するところだろうが、なんらかの事情でそれが許されず代役を立てることになった。
僕の身代わりにあのハルを立てたように・・・

王子の身代わりとなった男は軍事の才があったのか連戦連勝して故国に凱旋することになる。
すでに父王は亡く、迎えるのは目の不自由な同母の兄―――

いくら兄弟でも長年別れて暮らしていれば、しかも片方は王子とは名ばかりの軍人のような暮らしをしていたのだ、容姿も性格もすっかり変わっていたとしても目の悪い兄王には別人と見抜けなかったのだろう。
いや、もしかするとフランツ五世は凱旋した英雄が本当の弟ではないことに気付いていて、その上で見て見ぬ振りをしたとか・・・

ラインハルトは少し顔を横向けてアルベルトを見遣る。
フランツ五世は弟に切り取った領土を支配する権限を与えた。
いくら同母の弟に、長年の艱難辛苦の労をねぎらうためとはいえ破格の恩賞だ―――

確かにその通りだ。そしてルドルフ一世自身はその権利を行使しなかった・・・
グリスデルガルドの初代国王となったのはルドルフの息子エミリオだ。
それは何故だったのか・・・
フランツ五世が弟が別人と分かっていてそれだけの恩賞を与えたのだとしたら、その理由は?

アルベルトがわずかに身動ぎするのを見てラインハルトは急いで身を起こした。
「どうかしたのか?」
「今かすかにですが何かが動いたように見えたもので・・・」

片田舎の漁村のこと、各家の明かりが落ちた後は全くの暗闇だ。
しかも昼同様空は一面厚い雲に覆われて星一つ見えなかった。
ラインハルトは枕もとに置かれた燭台を手にとり、暖炉の明かりで蝋燭に火をつけた。

その小さな灯りをもって急いでアルベルトが外を覗いている窓から身をのりだしたラインハルトの目に、あたりを覆いかけている黒い霧が写った。
「これは」
「城の時と同じだ。妖魔族が・・・」

ラインハルトは急いで隣の部屋との境になっている壁を力いっぱい蹴り上げて
「ルドルフ王子!起きて!妖魔族だ!!」
と叫んだ。

アルベルトは急いで窓を閉めたが黒い霧はほんの少しの隙間から音もなく部屋の中に入り込んでくる。
すぐにルドルフがあの勇者の剣を手に駆けつけた。
「二人とも無事か?妖魔族って聞こえたが」

その後ろからクラウディアも目を擦りながら顔を覗かせる。
「どうしたの?一体何の騒ぎ・・・」
すぐに霧がクラウディアの首に巻きつく。
「いけない!」
ルドルフは霧を断ち切ろうと剣を振るうが切っても切っても霧はすぐに元に戻り効果はなかった。

「ラインハルト様、光の魔法を!」
アルベルトはラインハルトから燭台を受け取りながら叫ぶ。
「おう!」
ラインハルトは手のひらから強い閃光をクラウディアの首に巻きつく霧に向けて迸らせた。

強烈な光に霧は四散し、クラウディアは首を押えながらその場に膝を突いた。
「クラウディア!」
ラインハルトが慌てて駆け寄るがクラウディアは悲鳴をあげ
「お父様!」と叫んで逃げ出してしまった。

その間ルドルフは剣を、アルベルトは燭台を振り回して霧を払っていた。
「妖魔族の手がこんなところまで及んだとは・・・」
アルベルトが呟く。

「貴様等一体どこに飛んで行ったかと思えば、まだこんなところにいたとはな」
そんな声が聞こえ、霧が一つに集まって人型を取り始めた。
「親切にもお前等がここにいると教えてくれる者がいてな、まさかとは思ったがわざわざこんな片田舎まで見に来た甲斐があったというものだ」

やがて姿を現したのは全身黒衣を纏った男。
だがちらつく蝋燭の光に暗闇から浮かび出たその顔はあのルガニスのものとは違っていた。
フードから覗く黒髪は軽くウェーブし、その瞳は黒に近い紫色をしている。

「貴様、妖魔族か!」
「見てのとおりだ。そんなことより三人とも私と一緒に来てもらおうか」
「せっかくのお誘いだがごめんだな。貴様のほうこそ覚悟はいいか」
ルドルフが剣を構えて一歩進み出る。

「ふん、勇者の剣か。だが、王子よ、貴様等が素直に従わないとなれば、この村の者全員が命を落とすことになるがそれでもよいかな?」
「!」
「こんな寒村の貧乏な平民どもでもこの国の民・・・お前の臣民だろうに」
男は薄笑いを浮かべながら楽しそうにルドルフに話しかける。

「夜は我等の世界、村人全員を一瞬にして葬り去るなどいとも簡単なことだ」
「ルドルフ、こんな奴の言うことをまともに聞くな。どの道コイツは全員皆殺しにするつもりだ!」
ラインハルトが叫ぶ。

「そうかもしれぬな。だがここで私に歯向かえば村人はお前たちのせいで死んだことになるぞ」
その言葉にルドルフは剣の切っ先を少しだけ下げた。






その時けたたましい悲鳴が聞こえバタバタという足音が近づいてきた。
「ラインハルト!お父様が、お父様が・・・お母様や他のみんなも・・・」
血の気の引いた顔で戸口に立ったクラウディアは部屋の中に見知らぬ男が立っているのを見てあんぐりと口をあける。

「大丈夫ですか、クラウディアさん、皆さんがどうしました」
アルベルトがそう言ってクラウディアを庇うように立った。
「皆床の上に倒れてて、息を・・・していないの・・・」
そう言ってクラウディアは大きくしゃくりあげた。

その瞬間ルドルフの身体が宙を舞い妖魔族の男に切りかかった。
援護するようにラインハルトも強力な光を相手に浴びせ掛ける。
男はルドルフの剣を僅差で交わすと強い光に目を細めながら顔を隠すように黒衣の袖を翻し、元の霧に戻って窓の隙間から出て行った。

「待て!」
ルドルフは急ぎ窓を開けあたりを見回すが、その目に映ったのは星の瞬き一つない漆黒の闇だけだった。

しばらくして妖魔族の男が戻ってこないのを確かめてから、ラインハルトとアルベルトは泣きじゃくるクラウディアをルドルフに任せて家の中の様子を見て回った。
クラウディアの言葉どおり、村長と奥さん、それに使用人たちはみなベッドで眠ったまま息を引取っていた。
全員首筋に強く圧迫されたような痣が出来ている。

「王城での時と同じですね。頚部圧迫による窒息死・・・」
「ああ、そうだな」
「この分では、他の村人も恐らく・・・」
「出来れば村中を回ってみるといいんだが」

「この暗闇の中では危険でしょう。まだあの男の手の者がどこかに潜んでいるかもしれません」
「くそっ、いいようにやられて手も足も出ないなんて・・・」

口惜しそうに唇を噛むラインハルトにアルベルトは
「このグリスデルガルドはもともと妖魔族の住んでいた土地、私たちは未だ彼等の手の内、というところですか。
ただ、ここでは貴方の魔法が発動した、ということは妖魔族の力が完全にこの地を掌握したわけではないということです」
と慰めるように言った。

「それでも、時間の問題だろう。この地はすぐにやつらの手に落ちる。その前になんとかこの地を離れなくては・・・」
死者に祈りを捧げてやりながらアルベルトはふと思い出したようにラインハルトに言った。

「そういえば、先程の男は親切な者が我々がここにいることを教えてくれた、とか言っていましたがどういうことでしょう」
ラインハルトはハッとしてアルベルトを見つめる。

「そうだな、我々がここにいると知っている者なんて・・・」
「昼間のあの凶鳥、あれが偵察していたのでしょうかね、それが撃退されて戻って来たので・・・」

「そうかもしれないが、あの男の言い方はそういう感じではなかったような気がする」
「そうですね。とすると村人の中に妖魔族の手の者がいたのかも知れませんね」
「ああ、そうかもしれない。いずれにしても嫌な話だ・・・」

暗い気持ちで元の部屋に戻るとクラウディアはベッドの縁に腰掛けてまだ泣き続けていて、ルドルフが途方にくれたように隣に座っている。
二人が戻ってきてルドルフはホッとしたような顔を見せたが、ラインハルトが無言で首を横に振るのを見てすぐに沈痛な面持ちになり黙って俯いた。

ただ泣き続けるクラウディアにかける言葉もなくラインハルトもアルベルトも立ち尽くす。
しばらくそうやって泣きつづけていたクラウディアだが、いつの間にか泣きつかれてルドルフの肩に頭を預けて眠ってしまった。

それを確かめてからラインハルトがルドルフに
「家の様子を見てきたが彼女の言うとおり、他の人は皆亡くなっていた。
城の時と一緒だ。あの黒い霧に巻かれて首を締められたんだと思う。恐らく他の村人たちも・・・」
と告げた。

「僕等がここに来たから・・・、そのせいなのかな」
しばらく沈黙を続けてからルドルフは呟いた。
「それは・・・」

「多分違いますよ、この村は昼間凶鳥に襲われていた。
あの時は我々がいたから何とか撃退できたけど、もしそうでなかったらあの時点でこの村は全滅していたことでしょう。だから・・・」

というアルベルトの言葉にルドルフは
「それは貴方の言うとおりなんだろうけど、少しも慰めにはならないな・・・」
と苦い笑みを浮かべながら答えた。

「この国が今どういう状況になっているのか、私達には皆目分からない。
ただあの凶鳥はおそらく他の村も襲っていることでしょうね」
「妖魔族のやりたい放題というわけか・・・」

「早く夜が明けてくれないものかな。こうしている間にもヤツラの勢力範囲はどんどん広がっているんだろうに」
ラインハルトが少しイラついたように暖炉にくべられた木の燃えさしを軽く蹴った。

寝入ってしまったクラウディアをそっと寝かせてやったルドルフが燭台を手に
「僕が少し村を見回ってくるよ。この剣があればヤツラ襲ってこないだろう」
と言う。

「一人では危険だ、僕も・・・」
とラインハルトが続こうとするのを
「いや、君はここにいてくれ。もしあいつらがもう一度襲ってきたらアルベルトとクラウディアが危ない」
と言って留めるとルドルフは一人で外へ出て行った。

外へ出るとすぐに海からの塩分をたっぷり含んだ風の匂いが鼻をつく。
ルドルフはすぐ隣の家を訪ねてみた。
一応ドアをノックしたが返答はない。
鍵はかかっていなかったのでそっとドアを押し開け中へ入ってみた。

家の中は棚や椅子が倒れたり何かが暴れたような痕跡があったが、人の姿は全く見当たらなかった。
どういうことだ・・・
家屋に隣り合う納屋も調べてみたが生死を問わず人は誰もいなかった。

いくつかの家を調べてみたがやはり誰もいない。
妖魔族に襲われたにしても遺体くらい残っていそうなものだが・・・
それとも皆どこかに逃げのびられたのだろうか

ルドルフは昼間自分が滑り降りた崖を見上げる。
村の周囲は切り立った崖だ。道具もなしによじ登るのはかなり困難だろう。
一方は海だからこちらも船がないと逃げられないはずだが・・・

ルドルフは桟橋まで見に行ってみたが船は全て繋がれたままだ。
途中の家にも人気は全く無く、村長の家以外は全て無人と化しているように思われた。
妖魔族が村人を連れ去ったのか?

「お前、度胸あるな。一人でのこのこ出て来るとは」
突然頭上からそんな声が降ってきて、ルドルフは驚いて辺りを見回した。
「ここだよ、木の上さ」
燭台を持ち上げて周りの木を照らしてみると、すぐ傍の木の枝に一匹の梟が止まっていた。

「お前、妖魔族か?」
「まあな」
ルドルフは手に持った抜き身の剣を構えながら
「度胸があるのはお前の方だろう、この剣が恐くないのか」
と尋ねた。

「まあ、物騒ではあるな、勇者ルドルフの剣だろう。だが、恐るるに足らずさ、使い手が未熟すぎるからな」
「無礼だろう、僕は・・・」
「グリスデルガルドの第二王子ルドルフだろう。剣の名手と評判だが俺に言わせりゃまだまだヒヨッコだ」

「だから何だ、僕は・・・」
そう言ってルドルフは軽く剣を振るった。
梟は木の枝から離れ身軽に一回転すると地面の上に立つ。
その姿は人間の少年の姿に変わっていた。

「やれやれ何て乱暴な奴だろう。せっかくいいことを教えてやろうと思ったのに」
少年はじっとルドルフの顔を見ながら言う。

「何がいいことだ。妖魔族の言うことなど信用できるか」
「別に信じなくてもいいけどな。お前の兄貴は生きてるぜ」
少年はそう言って人を食ったような笑顔を見せた。

ルドルフより頭半分ほど背の高いその少年はルガニスや先程の男と同じような黒衣に身を包んでいたがフードは被っておらず、肩先まで伸びた黒髪が海からの風に靡いている。
ルドルフが手にした燭台の蝋燭に照らされたその瞳は蝋燭の炎がちらつくにつれ緑から紫までの様々な色に変化した。

「何だと!それは本当か!?」
気色ばむルドルフの様子をからかうように
「妖魔族の言う事は信用できないんだろう?」
と言って少年はひらりと宙に舞うと
「この村の人間はさっきの男の手下が全部連れて行ったぜ。お前達が巣食っていた家の奴は連れ出せなかったようだがな」
と言うと空気中に溶けるように姿を消した。

「待ってくれ、フランツは本当に生きているのか!?」
ルドルフの問いかけに答えはない。
ただどこからともなく高笑いが聞こえてきてそれがルドルフの耳に何度もこだまし続けた。

フランツが生きている・・・
そんなはずは無いと思う。
フランツは自分の目の前であのルガニスに一刀両断されたのだ、自分が腰に帯びていた剣で・・・

この腕で抱き上げた身体はまだ温かかったけど、心臓はもう鼓動していなかった。
そのフランツが生きているはずがない。
アイツが嘘を吐いただけだ。
自分を大人しく従わせるために・・・

でもそれならなぜ、アイツは自分を連れ去ろうとはせず、ただそう言っただけで姿を消したのか。
混乱する心を抱え、ルドルフはさらに何軒かの家を調べて回ったがやはり人の姿は見つけられなかった。

あの少年が言ったようにこの村の人間は皆妖魔族が連れ去ったのだろうか。
一体何のために・・・?
村を一回りしてルドルフはもう一度海を見に行った。

この海の向こうに巨大な大陸パンゲアがある。
その西の果てに位置するラインハルトの故郷フィルデンラントは小さな島国のグリスデルガルドとは比較にならないほど長い歴史と広い領土をもつ強大な国だ。

一体どんな国なのだろう。
そしてラインハルトの兄ヴィンフリート国王は本当に自分の願いを聞き入れて妖魔族討伐の軍を興してくれるだろうか。

まだ見ぬ広大な大陸に思いを馳せるルドルフの長い黒髪を、海からの突風が強く靡かせた。






「フランツ王子が生きている、本当にそう言ったんですか?」
村長の家に戻ったルドルフから妖魔族の少年の話を聞いたアルベルトとラインハルトは一様に驚きを露にした。

「しかし、フランツ王子は・・・。それは君が一番よく知っているはずだろう」
ラインハルトの言葉にルドルフは深く頷きながら答える。

「ああ、僕が抱き上げた時には息をしていなかった。だから生きているはずは無いんだ。でも・・・」

仲間の顔を見て心からほっとしたルドルフはどこかで緊張の糸がぷっつり切れてしまったような気がしながらも、先程会った梟に化けていた妖魔族の少年のことを二人に語った。

「それは罠だよ、君をおびき寄せるための。やつら君を今回の事件の張本人に仕立て上げるつもりなんだ。
多分君を公開の場で処刑して、王位を継ぐのはあのテレシウス卿という筋書きだ。そんな手に乗っちゃダメだ!」

「ああ、君の言う通りなんだろうと僕も思うよ・・・。
でも、やつらこの村の人間をどこかへ連れ去った。この家のものだけは僕らが居るから手を出せなかったらしいが。
なぜそんなことをするのかな。死んだ人間に何の用があるというんだろう」
ルドルフは幾分俯き加減にラインハルトの言葉に答える。

「用、と言うよりは使い道、ですかね、失礼、嫌な言い方ですが・・・。
私達は妖魔族の事を全くと言っていい程知らない、これでは対処の仕様がない。なぜこんなにも知られていないのか・・・」
アルベルトも深く考えに沈みこみながら呟くように言葉を紡いだ。

「そうだよな、妖魔族といえどもこの大地に住む生き物、それなのに僕らは彼らの事をまるで知らない、何だか変な話だ」
ラインハルトの言葉にアルベルトは弾かれたように顔を上げた。

「そうですよね、一般にはまるで知られていない、それはつまり一般の人々には知らせる必要がない、いや、知らせてはいけないことだから・・・」

―――そのような知識はごく一部のものが知っていればよい
―――この世をよりよく保つのもロドニウス教会の役目・・・
アルベルトの頭の中をあの小堂の中で聞いた老師オルランドの言葉が過ぎる。

ブツブツと何事か呟きながら落ち着きなく歩き回るアルベルトをルドルフとラインハルトは驚いて見つめた。
この冷静沈着な僧侶がこんなに狼狽している様子を見せるのは初めてだ。

一体どうしたことだろう、と顔を見合わせる二人にアルベルトは
「聖ロドニウス教会にはこの世のありとあらゆる書物を集めた大図書館があります。
人間の手によってあらわされた最古のものからごく最近発見された知識を発表したものまで数え切れないほどの書籍が集められている。
その量は余りにも膨大で専門の書士でさえ未だに全ての書籍を把握できては居ないほどです」
と言った。

「アルベルト?」
その話の真意が分からず、ルドルフとラインハルトは怪訝そうに僧侶の顔を見やる。

「その図書館には七つの書庫があり、我ら学僧は階級や修行年数に応じて閲覧できる書庫が限られる。
私はまだ若輩者ですから第三書庫までしか閲覧できませんが、教会僧院長はじめ数人の最高位の僧侶は七つの書庫に納められた全ての書物を読み解く事ができるのです」

何やら興奮してる様子のアルベルトに今ひとつその理由が理解できないルドルフは
「悪いが、アルベルト、何を言っているのか僕にはよく分からないんだが・・・」
と言った。
隣に立つラインハルトも同意見なのはその表情から容易に窺えた。

「つまり、聖ロドニウス教会にはこの世のあらゆる知識が集められている、そしてその知識の全てが広く一般に公開されるわけではないのです。
ここだけの話ですが、あまり一般人民に知られては問題になるような知識は意図的に隠蔽される・・・」

「つまり、妖魔族についての知識も意図的に隠されていると、そういうことか?」
ラインハルトが目を見張りながら尋ねる。

「多分・・・。勇者ルドルフの遠征記や、妖魔族の生態等についての書籍が全く残っていないなど余りにも不自然だ。
とすれば公にはできない何らかの理由で聖ロドニウス教会の恐らくは第七書庫の奥深くに隠されているのでしょう」

「何らかの理由?それは一体何?」
呆然と尋ねるルドルフにアルベルトは
「それは私にもわかりませんが・・・」
と答え、ちらりとラインハルトを見た。

その視線を受け、先程の話に出てきた勇者ルドルフは本当はフィルデンラントの王子ではなくその身代わりの男だったのではないかと言う疑問―――恐らくそれが関係しているのだろう、少なくともアルベルトはそう思っているのだと、ラインハルトは気がついた。

「アルベルトはその書庫に入れないの?」
と二人の様子に気付く事無くルドルフが尋ねる。

「私は残念ながら入れませんが、私の師オルランドなら全ての書庫を閲覧できるはずです」
「あの赤いオーブでアルベルトが通信しようとしている人だね」

「ええ、何とか師と連絡がつけばよいのですが。
私も出来るだけ早く教会に戻って師に頼んで妖魔族関連の書籍を閲覧させてもらいます。
このままではグリスデルガルドは完全に彼らの手中に納まってしまうし、下手をすればやつら、大陸にまで手を伸ばしてくるかもしれません。早急に手を打たなくては・・・」

アルベルトの言葉にルドルフの顔はますます曇る。
その冴えない顔色を盗み見ながらラインハルトは思う。
この王子にはフィルデンラントの王族の血は流れていないかもしれない、いや、きっとそうなのだろう。

すでにルドルフ一世身代わり説はラインハルトの中では真実として定着しつつある。
だが今のところ何の確証もない話だから、この件はルドルフには言わない方がいいだろう。
何と言ってもグリスデルガルドの王族は英雄ルドルフの血を引いているのだし、数百年に渡りこの地を治めてきたことは間違いないのだから・・・

沈鬱な雰囲気に包まれ一睡も出来ない夜が明け、家族を一度に失った悲しみにくれるクラウディアをラインハルトに任せ、ルドルフはアルベルトと共に村の中をもう一度見回った。

今度は二人で念入りに物置や納屋の中まで探してみたが、あちこちの家の庭先で家畜として飼っていたと思われる鳥の類が死んで横たわっているのが見られただけで、生きている人間はおろか人の死骸も全く見当たらなかった。

「人間は皆連れ去られたようですね。生死の程は分りませんが・・・。
その点については貴女が会ったという妖魔族の少年は嘘を付いていなかったという事になるでしょうか」
「そうだな・・・」

あの少年の言うとおりフランツが生きているのだとしたら、そして妖魔族に捕らわれているのだとしたら、僕が助けに行かなくては―――

「アルベルト、僕は・・・」
ルドルフの思いつめたような目を見てアルベルトは
「ルドルフ様、おかしなことを考えないで下さいよ。
ラインハルト王子が言ったように、これは貴女に素直にいう事を聞かせるための餌だと思った方がいい。
お兄さんの事が心配なのはよくわかりますが自分から敵の手に落ちようなどと思ってはいけません」
と戒めた。

「それは分ってるけど、もし本当にフランツが生きているなら、僕はフランツに会いたい。
僕の命と引き換えてでもフランツを助けたいんだ」

「ルドルフ様・・・」
アルベルトはしばらく無言でルドルフを見詰めていたが、
「とにかく、この村は私達以外のものは居ない事は明らかです。
村長宅に戻って亡くなった方たちを弔ってあげましょう。
クラウディアさん一人ではどうしようもないでしょうからね」
と気を取り成すように言った。

両親の遺体に縋って泣くクラウディアを宥めながらアルベルトは死者に最後の祝福を与える。
その後三人でクラウディアの両親と使用人二人の遺体を村の墓地へと埋葬した。
三人とも肉体労働は余り得意ではなかったが、そのままにしておくわけにはいかないと判断したのだった。

本当なら早朝に南へ向けて出帆するはずが、そんなこんなでその日も昼近くになってしまった。
農民姿のアルベルトが死者に祈りを捧げるのを見て疑問を持ったクラウディアに、ラインハルトは実は自分達はフランツ王子の戴冠式に出席する予定だったが、当日王城が妖魔族に襲われたため、命からがら魔法で逃げ出してきたのだという事を話して聞かせた。

行きがかり上アルベルトが僧侶である事は隠しようが無かったが、ルドルフと自分が王族である事はとりあえず伏せておく事にした。
クラウディアは王城が妖魔族に襲われ国王とフランツ王子が殺されたことに大層驚き怯えたが、同時にラインハルトやルドルフが戴冠式に出席するような身分であることにも随分驚かされた様子だった。

「貴方がたがそんなに高い身分の方たちとは知らず、随分失礼してしまいました・・・」
と臆したように呟いたクラウディアだったが、ラインハルトから
「いや、僕らはただの小姓と従者だから、身分はそんなに高いわけじゃなんだ。
ご主人様のお供でたまたまお城に居合わせただけなんだよ」
と言われてホッとしたように僅かに笑顔を見せた。

「ところで、君はこれからどうする?村の人は誰も居なくなってしまったわけだし・・・」
とルドルフに言われクラウディアは
「そうだけど、どこに行く当ても無いし」

と言って俯いたがすぐに顔を上げて
「とにかく貴方達をケッフェルの港まで送るわ、そういう約束だったでしょ。後の事はそれから考えることにする」
とにっこりと笑った。

随分無理してるな・・・と思いつつ、
「でも、貴女はご家族を亡くしたばかりだ、そんなことをお願いするのは・・・」
とアルベルトが躊躇いがちに言う。

「いいんです、何かしてないと私、本当におかしくなってしまいそうで・・・
だから約束どおりケッフェルの港まで送らせて下さい」
とのクラウディアの言葉にでは、と甘える事にして四人は急いで船を出した。

夜になってまた妖魔族が現れたら、と思うともう一晩同じ場所で休む気はしない。
そうと決まれば善は急げで少しでも日が高いうちにと四人は小舟に帆を張り出港したのだった。

クラウディアが上手に帆を操って風を捕まえるのをルドルフは感心して眺める。
「不思議ね、この時間にはいつもこんな良い風は吹かないんだけど・・・」
との言葉にルドルフはラインハルトが魔法で風を起こしているのに気が付いた。

アルベルトは海上に黒々と浮き出ているグリスデルガルドの島影を憂鬱な面持ちで眺めている。
島の北半分を覆うようにどんよりとした雲が垂れ込め、遠くの空にはあの凶鳥が群れをなして飛び交っているのが見えた。

嫌な鳥だ、今もまた何処かの村か町を襲っているのか・・・
それでも南半分は燦々と輝く太陽に照らされている。
その当たり前の風景が誰の目にもやけに明るく、そしてそれだけに悲しく感じられた。






グリスデルガルド
漁村ケッフェル

ケッフェルの港に着いた時にはもうすっかり薄暗くなっていたが、その異変は遠目にもすぐに感じられた。
港にもそれに続く村のどの家にも明かり一つついていない、それが何を意味するかは歴然だった。

「ここも妖魔族に襲われたんだ・・・」
ルドルフがポツリと呟く。
「酷いわ・・・。私たちは何もしていないのに・・・」
気丈なクラウディアも両親のことを思い出したのか一粒涙を零した。

「どうする?もう夜になるし、取りあえず上陸して様子をみるか?もしかして生き残った人がいるかもしれない」
その可能性は低いだろうが、と思いながらラインハルトは言った。

「そうですね・・・。もう一度やつらが襲ってくることも考えられますが、この小船で夜明かしするのも危険そうですし」
「そうね、大きな波が来て転覆したら命だって危ないわね・・・」
アルベルトの言を継いだクラウディアの言葉に一同は取りあえず桟橋に船を繋ぎ、上陸してみることとした。

木の枝を折り魔法で火をつけて明り代わりにし、あちこち見て回った。
やはり生き物の姿はない。家の中に人が倒れたような後は残っているが、肝心の人影は生死を問わず全くなかった。

「実際、殺した人間を連れ去ってどうするんだろうな」
ラインハルトが素朴な疑問を口にする。
「さあ・・・」
「人間に何かさせるのかもしれませんね。妖魔族は個体数がかなり減ってしまっているのでしょうから」
「何かって・・・?」
「私にもわかりませんが・・・」

その夜は村の中央に位置する一番大きな家に勝手に泊めてもらう事にして一同は休む事にした。
万一に備えクラウディアが休む部屋は三人が交代でドアの外で番をすることにする。
最初にルドルフが張り番に立ち、夜中にラインハルトと交代して、自分にと定められた部屋へ戻った。

使用人が使っていたらしい狭くて家具もほとんど無い部屋だが、一晩身体を休めるには今の自分には贅沢なくらいだ、そう思ってうとうとし始めた頃かすかな気配に神経が敏感に反応した。

枕元に置いた燭台の蝋燭の光が作る人の影が壁に大きく写っている。
どうやら自分の荷物を物色しているようだ。
ルドルフが寝たフリをしたまま寝返りを打つと人影は動きを止める。
しばらくじっとしていてルドルフが規則正しい寝息を立てているのを確認するとその影は再びゆっくりと動き始めた。

枕の下に置いた抜き身の剣の柄にそっと手をあてじっと様子を伺って居ると、相手はベッドの横へと回りこんできた。
今度はベッドの下を探すつもりらしい。
相手がベッドの端に手を置いて床に屈みこんだ瞬間、ルドルフは勢いよく起き上がって相手の手首を掴んだ。

「つっ・・・」
この声は昨日の・・・
思わず漏れたその声で相手があの梟に化けていた少年だと気付き、ルドルフは力いっぱい掴んだ手を引張り相手をベッドの上に引き倒した。

相手の上に馬乗りになり急いでその喉首を左手で押さえつけると、右手に剣を掴みなおして切っ先を左胸に押し当てる。
驚いて見上げる少年の瞳は蝋燭の暗い明りの下今は濃い紫色に見えた。

「寝込みを襲うとは卑怯な」
ルドルフがそう言うと相手は何か答えようとしたが、喉を押さえ込まれていて声を出せないようだった。
それを見てルドルフは少しだけ押さえつける力を緩めた。

「その剣をよこせと言ったって素直に差出しはしないだろう」
「当たり前だ」
ルドルフはそう言って剣を構えなおす。

「お前の目的はこの剣か?」
「まあな、それをお前から奪い取って来いというのが俺に下された使命だ」
「だったら、なぜ昨日は襲ってこなかった?フランツが生きているなどと嘘までついて・・・」

「嘘じゃないさ、お前の兄貴は生きている。だがお前が死んだと思うのならそうなるだろうがな」
その言葉にルドルフは瞳をほんの少し細めた。

その心の動揺を見透かしたように相手は喉を抑えたルドルフの手首を逆に握り返して払いのけようとする。
ルドルフがもう一度力を込めて喉を強く圧迫したので、相手は苦しそうにむせた。

「どういうことだ、はっきり言えよ」
少年が握った手を離したのでルドルフは再び腕の力を弱める。

相手はゴホゴホと咳き込みながら
「うだうだと喋ってないで早く止めをさせよ。勇者ルドルフの剣で息絶えるのなら本望だ」
と言って横を向いた。

「望むところだ」
と剣を握る腕に力を込めたルドルフだがその剣を相手の胸に突き刺す事は躊躇われた。

この剣を突き立てればコイツは死ぬ・・・
今はかすかだが規則正しく脈打っているこの脈動が止まって、あの女みたいに霧となって・・・?

「どうした?俺は憎い敵、妖魔族だろう。躊躇うことなど何もないはずだ」
剣を付きたてたままいつまでも止めをさそうとしないルドルフを怪訝に思ったのか、少年はもう一度こちらを向いてそう言った。

「フランツのことだ・・・。本当に生きているのか」
「まあな」
相手はずるそうな笑みを浮かべて流し目をくれる。

「生きているというのが本当なら今どこに居ると言うんだ!」
「そんなことを敵であるお前にぺらぺらと喋るわけがなかろう」
「やっぱり嘘なんだな!」
「だから、そう思いたければ思えばいいだろう。さあ早くしろよ、俺が大人しくしてやってるうちにさ」

コイツ、死にたいのか・・・?
ルドルフはしばらく相手を睨みつけていたがやがて剣を持つ手を引くと、喉を押さえていた左手を静かに放した。

相手は驚いたように目を見張る。
「確かにお前は妖魔族だが・・・お前は何もしていない。そのお前を妖魔族だというだけで殺せば僕もお前たちと同じになってしまう」
そう言ってルドルフは相手の身体の上から静かに離れるとベッドの傍に剣先を下に向けて立った。

自由を取り戻した少年はゆっくりと身を起こす。
その瞳は今は赤みがかった緑色に光っていた。
「何言ってるんだ、俺はお前の剣を盗みに来たんだぜ」
相手は喉を押さえながら呆れたように言う。
黒衣の襟元が少しはだけ、黒いリボンタイが覗いていた。

「行けよ、今回だけは見逃してやる。フランツの事を教えてくれた礼だ」
「冗談だろう、お前はそんなにお人好しじゃないはずだ。それに俺はお前ごときの情けを受けるほど落ちちゃいないぜ」
「うるさい、僕の気が変わらぬうちにさっさと消えろ!」
ルドルフは相手を睨みつけたまま威嚇するように剣を向けた。

「愚かな奴だな、俺はまたお前の剣を狙う。敵は叩ける時に叩いておくのが鉄則、俺の止めを刺さなかったこと、お前は必ず後悔するぜ」
「やかましい!」
ルドルフが大声で叫んで剣を振るうと、相手は身を翻してベッドから起き上がりふっと姿を消した。

「ルドルフ王子?どうかしたのか?」
ラインハルトの声と共にドアを激しく叩く音がする。
「ごめん、大きな声をだして。悪い夢を見たんだ・・・」
ルドルフはなぜかそう言って誤魔化した。

「大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫だ。僕のことよりクラウディアの方を気をつけてやってくれ」
ルドルフが務めて明るくそう言うとラインハルトはわかった、と言って戻って行った。

これ以上ラインハルトやアルベルトに余計な心配をかけたくなかったこともあったが、あの妖魔族の少年のことを話してフランツが生きているという可能性を再び二人に否定されるのも辛かった。

自分でもそんな事はありえない、と思っていても、この世のどこかでフランツが生きていてくれる、そう思うだけで生きる希望が湧いてくるような気がする。
それに・・・

あの妖魔族の少年は他の妖魔族の者達とはどこか少し違っているようにルドルフには思えた。
どこがどう違うのかうまく説明できないし、多分、ラインハルトやアルベルトに理解してもらうことも難しいだろう・・・
剣を再び枕の下に敷きルドルフはベッドに身を横たえ目を閉じたが、軽くうつらうつらしただけで眠る事はできなかった。

翌朝になってルドルフ、ラインハルト、アルベルトの三人は今後の事について話し合った。
このままこの村の船を拝借して四人の力でフィルデンラントに渡るか、ディーターホルクスの港へ出てみるかについてである。

クラウディアが居るとはいえ、四人だけで大海を渡るのは危険が大きい。
一方ディーターホルクスの港へ出れば情報を得る事もできるだろうが、妖魔族の手が回っていて三人とも捕まってしまう可能性が高い。
それにクラウディアのことも心配だった。
他に行く当ても無いと言うが、一人で無人の故郷に帰すのもどうかと思うし、かといってフィルデンラントまで連れて行ってよいものかどうか・・・

夕べ海から眺めたグリスデルガルドは南半分はまだ妖魔族の手は及んでいないように見えた。
ディーターホルクスもまだ完全に敵の手中に落ちてはいないかもしれない。
とりあえず、海から遠めに様子を伺ってみようという事になり、一行は再び海へと船を出した。






グリスデルガルド
ディーターホルクスの港

船を待つ人でごった返す港をルドルフ、ラインハルト、アルベルト、そしてクラウディアの四人は半ば呆れ顔で眺めた。

今のところこの港町はまだ妖魔族の勢力下には入っていない様子に気を強くして、一行は港の少し北側の入り江で船を下り、山を回りこむようにしてディーターホルクスの港に入った。

行きかう人々の話から既にテレシウス卿が発布したお触書がこの港を始め主要な都市に出回っていることも判ったので、人のよさそうな酒場のおかみさんにそれとなく王城や戴冠式のことを尋ねてみると、
「あんたたち知らなかったのかね」
と呆れたような答えが返ってくる。

「僕たちは田舎者だからそういった情報はなかなか入ってこないんだよ」
とラインハルトが苦笑しながら言う。
「あんたたち余程のんびりと暮らしてるんだねえ」
といいながらおかみさんは聞きもしない事を次々と教えてくれた。

それによると、
戴冠式の当日、第二王子のルドルフが突如乱心してマリウス王とフランツ王子を殺害、自らが王位に付く事を宣言したが、居合わせたテレシウス卿率いる軍隊に追い詰められ城に火を放って逃亡した。

王子の反乱、逃亡に当たってはそれを手助けしたものがいたらしい。
現在のところ分っているのはフィルデンラントの王子ラインハルトの従者の一人としてやってきたハラルドという魔導士と聖ロドニウス教会の学僧をかたるアルベルトという男の二人だが、他にも手を貸したものがいると思われ現在探索中である。

大体そんなところで、人相書きもあちこちに出回っていて賞金もかかっているらしかった。

「この町も城下町から難を逃れてきた人たちが自国へ戻る船を待って押し合いへし合いの大騒ぎだよ。
おかげでウチなんかは大繁盛だけどさ、あんたたちフィルデンラントに渡るなら大分待たなきゃならないだろうね。乗船を希望する人の割りに船の数が少なすぎるからね。」
とおかみさんはそんな風に話を締めくくって他の客の相手をしに行く。

その話を聞いたクラウディアは三人をかわるがわる見詰めて
「あなたたち・・・」
と呟いた。
もうこれ以上は誤魔化せない、そう思ったラインハルトはクラウディアを物陰へ引張っていって、そっと自分達の本当の身分を明かした。

驚くクラウディアにラインハルトは
「お触書に書かれている事は全部デタラメだ。ルドルフはそんなヤツじゃないんだ、それだけは信じてくれ」
と言った。

クラウディアは大きく頷くと
「分ってる。あの人いい人だもの。とても澄んだ綺麗な目をしている・・・。
あんな人が自分のお爺さんやお兄さんを殺したりするはずがないわ。あの人を一目見れば誰だってそれくらい分かるはずなのに・・・」
と呟くように言った。

「僕とアルベルトはルドルフを何とか守ってやりたいんだ。
テレシウスは妖魔族と結んで全ての罪をルドルフに着せて処刑し、自分がこの国の王となるつもりだ。
そんなことさせてなるものか・・・!」

「それで少しでも早くフィルデンラントに行きたいと言っていたのね」
「ああ、そうだ。フィルデンラントは僕の故郷だし、この国に居るよりはずっと安全だからね・・・」

「分った、貴方達の事は誰にも言わない、そのかわり私にも協力させて。
私も貴方達と一緒にフィルデンラントに行きたい。ルドルフ王子を守ってあげたいの」

「その気持ちはありがたいし君が居てくれると心強いが、これは危険な旅だ。
君は何も知らずに僕らと関わってしまっただけだ、その君を危ない目には合わせられないよ。
君、どこかに身よりは無いの?」
「叔母がここから少し南の村にお嫁に行ってるけど、でも・・・」

ラインハルトはルドルフ、アルベルトと相談し、クラウディアを叔母のもとへ避難させる事にした。
同時にもう一度魔法で兄ヴィンフリートに手紙を送りディーターホルクスの港まで迎えの船を遣してくれるよう頼む事にした。

船は何日も先まで予約で一杯で貨物船までも押さえられてしまっていた。
聖ロドニウス教会の名を出せば何とかなるかもしれないが今の状況では密告される危険性が高い。
アルベルトはオーブを使って師と連絡を取り指示を仰ぐべきか迷ったが、オーブを使えば自分達の居場所を妖魔族に教えてしまう事になると思い控えていた。

「このままではいつ船に乗れるか判らないからね」
といってラインハルトは手紙を鳩に変え再びフィルデンラントに向けて放つ。

その鳥の姿を見て
「クラウディアさんの故郷の村でもあんな鳥が飛んでいましたね」
とアルベルトが呟いたので、ルドルフはそういえば前にラインハルトが魔法の手紙を飛ばしたときアルベルトは外にいたんだっけ、と思い出し
「あれもラインハルトの魔法だよ。お兄さんに第一報を入れたんだ」
と教えてやった。

「そうだったんですか・・・」
見る間に小さくなりやがて青空に姿を消した白い鳩を見送りながらアルベルトは何か引っかかるものを感じたが、それが何なのか自分でもはっきりとは掴めなかった。

こうしてラインハルトは港でフィルデンラントからの連絡を待つ事になり、クラウディアはルドルフとアルベルトが送っていく事になった。
初めルドルフはすぐ近くの村だし自分ひとりで大丈夫だと言ったが、見かけはどうあれ女の子二人ではやはり心もとないので、武術的には余り役には立ちそうも無いがアルベルトが一緒に行く事になったのだった。

歩いても片道二日ばかりの行程だし、五日もあれば港まで戻ってこれる。
それまでにはラインハルトの兄ヴィンフリートから何らかの返答が戻ってくるだろうし、後は迎えの船を待ってフィルデンラントに渡って・・・

それからの事はルドルフには想像も付かない。
フィルデンラントのヴィンフリート国王の下に身を寄せて庇護を受けられたとしても、妖魔族を打ち倒しこの国を取り戻すことができるのか。
表向きは第二王子の反乱を抑えた王族テレシウス卿が治めているこの国を・・・

それに・・・

いまもこの空の下のどこかで生きているというフランツの事を考えると、ルドルフはこのままこの地を離れたくないと思った。
せめて遠くからでも、一目だけでも無事な姿を見られたら・・・
妖魔族の言う事は信用できないがあの少年の話が全くのデタラメだという証拠も無い以上、ルドルフとしては一縷の望みでも持ち続けていたかった。

宿屋はどこも一杯で一行はその夜は酒場のおかみさんを拝み倒して泊めてもらう事にした。
クラウディアだけは店を手伝う代わりに空き部屋に寝かせてもらい、後の三人は馬小屋の隅で雑魚寝だが、屋外で野宿するよりはマシだ。

アルベルトは清貧の生活に慣れていたが、二人の王子にとってはこんな場所で眠るのは生まれて初めてだ。
それでもラインハルトは疲れがたまっていたせいか、やっと故国に戻れる見通しができて安心したためか藁に包まって横になった途端、安らかな寝息を立てだした。

それを見てアルベルトが微笑を浮かべながら
「ルドルフ様もどうかお休み下さい。夜もこれだけにぎやかな港の事、妖魔族もそう簡単に動き回れないでしょうし、明日はなるべく早くここを発ちたいと思いますので」
と言った。

「ああ、そうだな」
と答えてルドルフも藁に潜り込む。
この二人が一緒の時はアイツは現れないだろうな、と思いながらも剣を頭の下に隠しルドルフは静かに目を閉じた。