暁の大地


第十章




パンゲア大陸 某所

マティアスはしばらく戻ってこなかった。
彼の帰りを待つ間ルドルフは一通り部屋の中を見て回った。
洗練された家具や調度に囲まれた居心地良い部屋である。
寝室の先には、居間と来客を迎えるための部屋が設えられていた。
ルドルフは少しばかり好奇心に駆られ、重厚な木製のドアをそっと開けてみようとしたが、ドアには外側から鍵が掛けられているらしく、いくら押してもビクとも動かなかった。

マティアス、早く戻ってきて・・・
彼の戻るのを心待ちにしている自分にルドルフははっとする。
彼の姿が見えないだけでなぜこんなに心細くなるのだろう。
図らずもただ一人で敵地に飛ばされてしまったからだろうか、いや、自分はもっと強い心を持っていたはず。
王子として、剣士として、いつでも栄光ある死を迎えられるように・・・

なのに―――
自分はまるで別人になってしまったようだ。
なぜマティアスといるとまるっきりただの女の子のようになってしまうのか。
自分の事を“私”と呼び、甘えた声で相手の名を囁き、震える心と身体で優しい口付けを待つ、そんなのは本当の自分ではない、と思う。

王子ルドルフは剣の名手であり、誰よりも勇猛果敢であったはずなのに―――
このままマティアスといるともう男には戻れないような気がしてルドルフは強い戸惑いを感じていた。
誰に何と言われようと女の格好などするべきではなかった、自分はとうに女であることをやめていたはずだ。
男として生きる―――それが父が自分に定めた運命だったのだから・・・

マティアスはフランツに会わせてくれると言った。
彼はきっとその約束を守ってくれるだろう。
フランツに会えても今の自分には兄を救出する事は無理かもしれない、だがもう一度フランツに会って再会の喜びを分かち合うためにも、自分は男に戻って二度と女の姿になどなるまい、とルドルフは考えていた。
自分は兄に一生仕える、そうずっと昔に立てた誓いどおりに・・・

そしていつか必ず兄を救い出し、王位に就ける。
王冠を頂き王杖を手にした壮麗な国王フランツ、その第一の家臣として側近く仕えられるならこんなに光栄な事はないはずだ―――
部屋の隅に置かれた姿見に映る自分の姿を眺めやりながらルドルフは思った・・・はずなのだが―――

鏡の中に立つ自分のすぐ後ろに黒い影が映った瞬間、ルドルフは思わず息を呑んだ。
「どうした、自分の姿に見蕩れてでもいたのか?」
軽い揶揄を含んだ言葉にルドルフは慌てて振り向き身を引いた。
相手の吐息が耳にかかるのを感じたためである。

頬が染まるのを感じながらルドルフは精一杯平静を装って尋ねた。
「用事はもう済んだの?」
揺れる胸中を映し出すかのように上擦り震えているその声に軽い笑みを見せたマティアスの顔を正視できず、ルドルフは不意と横を向いた。
鼓動の高鳴りが止まらない。
駄目だ、こんな事でフランツが救えるか・・・!

「まあ、用事など済まそうと思えば際限なくあるからな、適当なところで切り上げてきた。お前をあまり一人で置いておくのも心配だったしな」
そう言ってマティアスは一歩近付く。
つられるように後退りながらルドルフは
「君の服を貸してくれないか」
とマティアスに頼んだ。

「どうして?」
「女の格好はどうも動きにくくて、慣れてないせいだと思うけど・・・」
マティアスは無言でルドルフをじっと見る。
その視線が面映くてルドルフは
「僕が王子だとバレるとまずいかな・・・」
とかなり慌て気味に続けた。

「そうだな・・・、だが、まあいいか。少し待ってろ」
マティアスはそう言うと壁面へ向う。
ルドルフは気付かなかったが壁の一面がワードローブになっていた。
マティアスは沢山掛かった服の中から一着選んでルドルフに渡すと、自分は隣室にいるからと部屋を出て行った。

マティアスの服はルドルフには少しばかり大きかったが、フリルをふんだんにあしらったドレスシャツに黒の礼装はルドルフによく似合った。
髪を後ろで束ねれば立派な貴公子だ。
だが―――

男の姿になれば元通りの自分を取り戻せると思っていたが、服にかすかに残るマティアスの残り香は彼の人の腕のぬくもりを思い起こさせルドルフは返って落ち着かなくなった。
でも今更また服を取り替えるわけにもいかない・・・

「どうだ、そっちのほうが落ち着くか?」
そう言ってマティアスは静かにドアを開いた。
「うん・・・」
自分を引き寄せようとする相手の腕から逃れようと後ずさったルドルフだが難なく抱き寄せられてしまう。

「女の服の方が似合ってると思うけどな」
「でもフランツに会うなら・・・、フランツに会わせてくれるって言ったよね・・・?」
そんなに強く抱きしめられているわけでもないのに、ルドルフは胸が苦しくてならなかった。

マティアスはルドルフを腕に抱いたままベッドに腰掛けた。
「王子ルドルフ、お前は我等が憎いのだろうな」
マティアスは優しくルドルフの髪を撫でながら尋ねる。
「それは・・・」

「我等を根絶やしにしたいと思うか?」
「そんな事は思わないけど・・・、けどアイツは、アイツだけは・・・」
「アイツ?」
「あのルガニスと言う奴、兄と祖父を手にかけたあの男だけは許せない・・・」
ルドルフは思わずシーツを握り締めていた。

「俺はよく知らぬが、その男は上から命じられたことを忠実に果たしたに過ぎぬと思うぜ」
「ならば、その命令を出した上のものを」
「すぐ上の上官はシェリー卿だが、その上にはユージン卿がいる。そしてユージン卿と言えどもそのようなこと勝手にできるわけではないからな。
グリスデルガルド奪還は皇帝陛下の命による我等一族の悲願だ」

「マティアス・・・」
その真摯な眼差しにルドルフは返す言葉を見つけられなかった。
「グリスデルガルドは我等に残された最後の牙城だった。それを奪い取ったのは聖ロドニウス教会の手先と堕したフィルデンラントの王子ルドルフだ。先に戦を仕掛けてきたのはお前達の方なんだぜ」

ルドルフは揺れる瞳でマティアスを見詰める。
「なぜ・・・?マティアス、だったらなぜ君は僕を助けてくれたの?君こそ僕の事憎んでいるんだろう?」
マティアスはほんの少しだけ口元を緩めた。
「お前は・・・お前の身体には・・・」

「何・・・?」
「いや、お前は知らなくていいことだ」
マティアスはそういうとゆっくりと立ち上がる。
「そんな、言いかけてやめるなんて・・・」
慌てて後を追うルドルフにマティアスはくるりと振り向くと、いつもの少し人を食ったような笑みを浮かべて
「そんなことより、そろそろ出かけてみるか?」
と尋ねた。

「もう夜になるの?時間の感覚が全くないんだけど」
「ああ、まだ完全に日が落ちたわけではないがランディ卿のところは我等が結界のうちだからな」
そう言って差し出された手におずおずと手を重ねながらルドルフはずっと疑問に思っていた事を口にしてみた。

「君達はどういう種族なの?どうして一瞬で遠くへ移動したりできるの?それに・・・」
「お前たちと同じ血が流れているか、ということか?」
ルドルフは躊躇いながらも頷く。
「同じかどうかは分からんが俺たちにも血は流れている、ただ・・・」
「ただ?」

「俺たちはお前たち人間から見ると信じられないほど長い時を生きる。死ねばこの身体は霧となって宙に舞い消えうせるんだ」
「でも、それじゃ君のお姉さんはどうして・・・?」
ルドルフはガラスの棺に眠る美しい少女を思い出す。
マティアスの言葉が本当ならあの少女も霧となって消えうせているはず、なのに・・・

「あれは・・・」
マティアスの顔に一瞬悲しげな表情が浮かんで消える。
「マティアス・・・?」
怪訝そうに見上げるルドルフをマティアスは軽く抱きしめた。
身体の周りを柔らかな風が吹きぬけたように感じた瞬間、ルドルフは周囲の風景が一変しているのに気付く。
宵闇の薄明かりの中立っていたのは夕べ訪れた草原だった。

まだ完全に日は落ちてないとマティアスは言ったが、それが本当ならこの薄暗さはどうした事だろう。
ルドルフは船上から見た島の北半分を黒い雲に覆われた光景を思い浮かべた。
広々とした草原に今日はあの大量の月光草の花は開いていない。

「あの花、もう咲かないの?それともこれから・・・?」
ルドルフの問いにマティアスは
「ああ、次に咲くのは来月だな。残念ながら」
と羽織ったマントを翻しながら歩を運んだ。

「花の時期と姉の命日が重なるのはなかなかないんだ、今年は丁度上手い具合にあの花を手向けられる、そう思ったらなんとスゴイおまけが付いてきたというわけだな」
「でも、僕は・・・」
君達にとっては憎い敵の子孫なんじゃないの―――
ルドルフは慌てて後を追いかけながらそう言いかけた。

「そんな格好をしているとお前はあのルドルフによく似てるな。ドレスを着ていたときはレティに似てると思ったけど」
マティアスはルドルフが追いつくのを待ちながら言う。
「え・・・?僕が君のお姉さんに?」
「レティも綺麗な黒髪だったから・・・」
「うん、それは・・・」
あの棺に眠る姿をみればよく分かるけど―――

草原の只中でマティアスは立ち止まる。
「さあ、着いたぞ。いいか、その格好だからな、お前は俺の従者だということにしておくから言葉遣いには充分注意しろよ」
そういわれても辺りは何もない草原である。
ルドルフが躊躇っているとマティアスはつと手を軽く振り上げた。
瞬時に目の前に高い塀と城門が現れ、ルドルフは文字通り度肝を抜かれた。






マティアスが重厚な門扉に軽く手を触れると
「これはこれはマティアス卿、何時もながら突然のお越しで・・・」
と何処からともなく低い声が響いてくる。

「ランディ卿はおいでかな?」
マティアスの穏やかな声に
「相変わらずお人が悪い。主人が皇帝陛下のお召しで登城して留守なことは閣下が一番良くご存知のはずでしょうに」
と姿なき声の主は答える。

「ははは、主の留守にこの私を迎え入れる事はできぬかな?」
「まあ、閣下には“前科”が御座いますからね。でも今や皇帝陛下の第一の寵臣と誉れも高い閣下に門前払いを食わせたとあっては主人も少しばかり決まりが悪いでしょうから・・・」

その声と共に城門は音もなく開きマティアスとルドルフを迎え入れた。
「これはまた珍しい者をお連れですな、マティアス卿」
「ああ、私は珍しいものが好きなものでね、人でも物でも」

城門から続く少しばかり上り坂になっている石畳をマティアスはゆったりと登って行く。
ルドルフは従者らしく見えるよう気を配りながらその後を追った。
やがて壮麗な屋敷の全貌が目に飛び込んでくる。
国王の離宮ででもあるかのような意匠を凝らした壮麗な建物だった。

「あの・・・マティアス・・・様」
ルドルフはおずおずと声をかける。
「何だ?」
マティアスは振り向きもせずに答えた。

「グリスデルガルドにこんな場所があるなんて知らなかった、いや知りませんでした・・・」
「だろうな」
「ここはグリスデルガルドのどの辺りなのですか?」
「さあな、お前は知る必要のないことだ」
「でも・・・」

「兄貴に会いたいのならいらぬ詮索はせぬ事だ。俺は気紛れだからな、今すぐにでも考えを変えるかもしれないぜ」
そう言われてしまうとルドルフは黙って従うしかない。
マティアスは石畳の坂道を登りきると屋敷には入らず、道なりに屋敷をぐるりと巡り裏庭へと出た。

「ここの主はこの俺以上の変わり者だからな、あの屋敷はただの飾り、いつもこの別棟の小館に籠もりきりで研究に没頭してる。
俺たちにとっては好都合にも、今日は珍しく皇帝陛下のお召しでしぶしぶながら外出したというわけだ」
マティアスはそういいながら裏庭に建てられた瀟洒な建物を迂回しながら更に奥へと進んで行く。

「研究に没頭・・・?」
「ああ、ランディ卿は不可能を可能とするために日夜研究と実験を繰り返している。ひとえに皇帝陛下の願いを適えるために」
「皇帝陛下の願いって・・・?」
「お前には言いたくない」

素っ気ないマティアスの答えに少しばかり憮然とするルドルフだが、こうしてこんな場所まで連れて来てもらえただけでも本当は感謝しなければならないのかもしれない。
そう気を取り直しつつマティアスの少し後ろから付いて歩くルドルフの目に表の屋敷や小館とは明らかに造りの違いが見て取れる急ごしらえの小作りの建物群が見えてきた。

貧農の掘っ立て小屋とでも言った風情だろうか。
微かだが屋外にまで血の匂いが漂っている。
どうやらここに連れてきた人間を住まわせているらしい。
不意にマティアスが立ち止まったのでルドルフは危うくその背にぶつかりそうになった。

マティアスが先程同様に片手を上げると粗末なドアがゆっくりと開く。
「ランディ卿が戻るにはまだ間があるはずだからな、ゆっくりするといい。俺は外で待っているから」
そう言ってマティアスはルドルフの背を押すようにして小屋へ入るよう促した。

こんな所にフランツがいるのだろうか―――
戸惑いを見せながらもルドルフはそっと小屋の中へ足を踏み入れる。
中は思ったよりも明るく、狭いがきちんと片付けられた部屋の奥に設えられた粗末なベッドには一人の青年が半身を起こしてぼんやりとこちらを眺めていた。

「フランツ!」
懐かしい兄の姿にルドルフは何もかも忘れてただ夢中で駆け寄った。
フランツはしばし呆然とルドルフを見詰めていたがやがて徐に口を開いた。
「ルドルフ・・・、お前はルドルフか・・・」
その言葉にルドルフは最愛の兄を固く抱き締める。

「会いたかった、フランツ。僕はフランツは死んでしまったものだとばかり思って・・・、でもこうして無事でいてくれてよかった・・・」
とめどなくあふれ出る涙に視界が曇る。
そんなルドルフの頬をフランツは優しく撫でてくれた。

「ああ、私も一度は死んだものと思ったが、どうやら妖魔族が蘇生術を使って生き返らせてくれたらしい。この私にはまだ使い道があると踏んだのかもしれないな。まあ、すっかり元通りとは行かなかったが・・・」
ルドルフはフランツの目がよく見えていない事に気が付いた。
顔色もあまりよくないし、薄暗いせいかフランツの髪や目の色は以前よりも濃くなっているようにも見える。

「フランツ、本当にフランツなんだよね、何だか信じられなくて・・・」
「ああ、そうだ、お前の兄のフランツだ、お転婆な王女様。お前が小さい頃無理矢理剣の稽古に付き合わされて付けられた傷もちゃんとあるよ」
フランツはそう言って袖をまくって見せた。

遠い日にルドルフが誤ってつけてしまった傷跡は随分薄れてはいるがまだ二の腕にしっかり残っている。
ルドルフは言葉もなくフランツを抱き締めるとただただ泣き続けた。
「ルドルフ、お前はどうにか逃げ出せたらしいと噂に聞いたが、どうしてここに?お前も捕まってしまったのか?」
やっと涙も収まってルドルフの様子が落ち着いたのを見計らってフランツが尋ねた。

「ううん、そうじゃないよ、ちょっとしたツテを見つけて・・・」
マティアスとのことを手短に説明するのは難しいと思い、ルドルフはそう言った。
「そうか、よかった。私もお前の無事が確認できてこんなに嬉しい事はない。でもお前は捕まったらただでは済まないだろう、早く逃げるんだ」

思いがけない兄の言葉にルドルフは強く首を振る。
「いやだ、もうフランツと離れたくない、僕もずっとここにいる。フランツと別れ別れになるくらいなら殺された方がマシだ・・・」
「馬鹿なことを言うな、お前にもしもの事があったら私も今度こそ生きてはいない」
「フランツ・・・」
「お前が無事で、そして幸せになってくれさえすれば私はそれでいいと思っている」

その言葉にルドルフは兄の手をきつく握り締めると
「フランツ、フィルデンラントのラインハルト王子が協力を約束してくれた。僕は必ず妖魔族を倒してこの国を取り戻してみせる。そしてフランツがこの国の王となるんだ。
だからそれまでもう少し待っていて、必ず迎えに来るから」
と言った。

フランツは目を細めてじっとルドルフを見詰めていたがゆっくりと首を振る。
「ルドルフ、私の事はいい、もう死んだものと思ってお前は自分の事だけを考えろ」
思いもよらないその言葉にルドルフは目を見張りながら答える。
「何言ってるの?僕はフランツのためならどんな事でもする。この命に代えてもフランツを助け出して、そして王位に就けてみせる、だから・・・」

妹の必死の言葉にフランツは穏やかな微笑を浮かべ、
「私はもうグリスデルガルドの王位に就くつもりはないよ。この地はもともと妖魔族のもの。だったら元の通り彼らに返そうと思う」
と言った。

「フランツ!」
「これは私一人の考えだ。お前がどうしても承服出来ぬというならお前が女王となってこの地を奪還する戦を起こすがいい。
私としてはこれ以上の無駄な流血は避けたいと思っているが」

「そんな、僕だって戦争を起こしたいわけじゃない、けどフランツは国王になるために生まれてきたんじゃないか!
フランツが立派な王様になるのが小さな頃からの僕の夢だった、なのに、そのフランツがこんな粗末な小屋で・・・」

「ルドルフ、私は本当は王になどなりたいと思った事は一度もなかったんだよ・・・」
困ったように微笑む兄にルドルフはなおも言い募る。
「そんなこと・・・!それに今はこうして無事でいられても、いつ妖魔族の気が変わって処刑されてしまうかも分からないし第一、わざわざ蘇生術を使ってまでフランツを生き返らせたのだって何か裏があるからじゃないか!」

「それはそうかもしれない、だがどうせ一度は失った命、ならば出来る事ならこのままただの人間として静かに生きて行きたいと思う」
「どうして、どうしてそんなこと言うの?僕は・・・」
フランツは涙を浮かべ無心に自分を見詰める妹の顔をじっと見詰めながら答える。
「私は自分の事以上にお前に幸せになってもらいたい、この世でたった一人の大切な妹だから」

「フランツが幸せでないのに僕が幸せになれるわけないじゃないか・・・!」
ルドルフは半ばヤケになりながら泣きじゃくった。
「私は幸せだ、少なくとも城で偽りの人生を生きていた時よりは」
「偽りの人生・・・?」

「ああ、こうしていると城で王子として生きていた日々がいかに自分の心を偽って生きていたかよく分かる。私はもう昔の暮らしに戻りたいとは思えないんだ」
「そんなの無責任だ、僕たちは王族だろう、だったら・・・」
「ルドルフ・・・」

「今は身体が本調子じゃないから弱気になってるんだよ。もっと元気になれば・・・」
「そうかも・・・しれないが」
フランツはそう言ってそっと微笑んだ。
「きっと迎えに来る、だからそんなこと言わないでくれ。でないと僕は・・・」
何の為に戦うのか分からない―――
フランツの静かな微笑にルドルフはその言葉を呑みこんだ。

「ルドルフ、お前の気持ちは嬉しいよ。でも私はどの道そう長くないだろうと思う。受けた傷が深すぎたからな」
「フランツ!」
「ルドルフ、ヴェロニカという巫女を覚えているか?戴冠式の為に神殿から来た・・・」
普段から物静かだった兄は今も穏やかな微笑を浮かべたまま淡々と話しだした。

「え、うん・・・」
突然何を言い出すのかと訝しく思いながら、ルドルフは薄物のヴェールを被った清楚で高貴なイメージの巫女を思い起こした。
「怪我のため苦しんでいた私を看護してどうにかここまで回復させてくれたのはあのヴェロニカなんだ。助けるなら彼女を助けてやってくれ」
「え・・・」

あの白い石が見せた映像にフランツと共に映っていたのは彼女だったのか、とルドルフは不意に気がついた。
「あの日王城に居合わせたもので一命を取り留めたのは私と彼女だけだ、だから・・・」
巫女ヴェロニカにも使い道がある、妖魔族はそう踏んだのだろう。
けれど、ならばなおさら使い道がなくなれば用済みのものとして消されるのは目に見えている。
そしてそれはフランツも同様―――

「ああ、きっと彼女も一緒に助け出すよ、だから気弱な事を言わないで、この国を治めるのはフランツしかいないんだから・・・」
ルドルフの必死の懇願に、フランツも分かった、と頷いてくれたがそれが本心からの言葉とは思えなかった。

「さあ、もう行ったほうがいい。誰かに見付かるとまずいのだろう?」
自分の身を心配して言ってくれているのだと分かっても、フランツは少しでも自分と一緒にいたいと思ってくれないのだろうかと思うと悲しくなってくる。
「まだ大丈夫だと思うよ、多分・・・」
マティアスは外にいると言っていたが多分見張ってくれているのだと思う。
フランツには言えないが・・・

「ルドルフ、お前は女だ、私の事を思ってくれるのは嬉しいが、あまり思いつめて無理するのはよくない。それに少しは自分の事も考えないと・・・」
「うん、そうだね・・・」
ルドルフはもう一度固くフランツを抱き締めると静かに部屋を出た。






フランツはヴェロニカに好意を抱いているのだろう、とルドルフは思った。
にしても・・・
フランツの無事を確められてルドルフは本当に嬉しかった、だが今のフランツにはもはや王位に就く気持ちはないようだ。
それはルドルフにとってはかなりショックな事だった。
フランツにその気がないのなら自分は何の為に戦うのか。
悪戯に戦を起こしてこれ以上の犠牲を出すよりはいっそこの地を妖魔族に明け渡した方が・・・

そんなことを考えながら歩いていると遠くにマティアスの後姿が見えた。
思わず駆け寄ろうとしたルドルフは母屋の方からこちらへ向って来る人影を認めて慌てて手近な小屋の影に身を潜めた。
その人物が人間ではないらしい事が遠目にも分かったからだった。

相手は女性だったらしくマティアスは片膝を付いて相手の手を取り口付けた。
やがて二人は腕を組み楽しげに話しながらルドルフのほうへと進んでくる。
どうしよう、見付かったらまずいだろうが、下手に逃げ隠れするのも変だし・・・

「こんな所で閣下とお会いできるなんて願ってもない幸運でしたわ」
「それは光栄なことですね。私のほうは貴女には嫌われているものとばかり思っておりましたが」
「そんなこと、上辺だけあの無骨者の男共に合わせているだけですのに。閣下のその瞳に見詰められて心惹かれぬ女などおりますまいに・・・」
女性はそう言って蕩かすような笑みを浮かべマティアスに流し目を送った。

「おやおや、それはまた・・・」
二人はそんな会話を交わしながらルドルフの立つ小屋の前へと差し掛かる。
マティアスは気付かない風を装ってそのまま通り過ぎようとしたが、相手の女性は進退窮まり困っていたルドルフを目ざとく見つけて
「あの服には見覚えがありましてよ、マティアス卿。以前陛下の開かれたパーティーにあなた、着ていらしたわね」
と言った。

長い黒髪を優雅に結い上げ銀の髪飾りで纏めた美しい女性で、切れ長の目に藍色の瞳が妖艶な印象を与えている。
年齢はマティアスよりはずっと上らしく、洗練された身のこなしは大人の魅力に溢れていた。

「ええ、あれは最近召抱えた者ですが、碌な衣装を持っていないものですから、もう着ないものを下げてやったのですよ」
マティアスはそう言うと側へ来るようにと合図する。
ルドルフは躊躇いながらも静かに二人の側へ近寄り、軽く頭を下げた。

「まあ、マティアス卿のお目に留まっただけの事はあるわ、確かに可愛い少年ね。お前、名は何というの?」
女性はそう言ってルドルフに近寄ると顎に手を当てて上向かせ、じっとその顔を見詰めた。
「そのような事お聞きになってどうなさろうと言うのかな、シェリー卿?」

マティアスに尋ねられシェリー卿はほほ、と笑いながら
「まあ、そんなにご心配にならなくても閣下から取り上げようなんて思っておりませんからご安心を」
と言ってルドルフの顎から手を離した。

「でも、閣下がこの者をこの先もずっと側近くに置いておきたいとお思いなら・・・皇帝陛下には内緒にしておいたほうがよろしいでしょうね」
「どうしてそう思われるのです、シェリー卿」

「そんなこと閣下が一番よく分かっていらっしゃるくせに・・・。この者は何処となくレティシア様に似ている。だから閣下も人間の血を引いているにも拘らず側近くに置いておられるのでしょう。それに・・・」
シェリー卿は何事かマティアスの耳元で囁いた。

その様子があまりにも親密そうに見え、ルドルフはなぜか頬が朱く染まるのを感じ慌てて目を伏せたが、シェリー卿はその様子を愉しむように横目で眺めている。
「それは困るな・・・。陛下には何分ご内密に・・・」
「そうね・・・」
シェリー卿は手にした扇を広げ口元を隠しながら言葉を続けた。
「ルドルフ王子が捕まらない事で私、最近少々旗色が悪いんですの。ですから閣下から皇帝陛下に一言お口添えいただけるとありがたいのですけど」

そうか、シェリー卿とはどこかで聞いた名前だと思ったが、あのルガニスの上官の名前だった、と思い至りルドルフは身体が震えそうになった。
まさかそのシェリー卿が女性だとは夢にも思ってなかったが、向こうも今目の前に立っているのが話題のルドルフ王子だとはそれこそ夢にも思っていないようだ。

シェリー卿は上目遣いにマティアスを見上げ華やかな笑みを作る。
「ふっ、私が下手なことを言うとまたフィリップ卿あたりから軍事に口出し無用と茶々が入りそうなのでね・・・」
その言葉にシェリー卿は
「あの成り上がり者は閣下のことをやっかんでいるのですわ。何をさせても閣下の足元にも及ばないものだから」
と言ってマティアスの頬をなで上げた。

「どうあがいたとて閣下を出し抜くことなどあの無粋者に出来るわけ無いのに」
シェリー卿はそういうとくるりと踵を返す。
「私は母屋でランディ卿を待たせていただきますわ。閣下はいかがなさいますの?」

「私はもう退散しますよ。これでもそうそう暇な身でもないのでね」
「では、先程の件、良しなにお取り計らい願いますわ」
「折りを見て陛下にはお口添えいたしておきますよ、シェリー卿」
「きっとですわよ、では・・・」

シェリー卿の姿が建物の影に消えた途端マティアスは女狐が、と小さく呟くと
「用事はもう済んだのか?」
とルドルフに尋ねた。
「うん・・・」

「どうした、あんなに会いたがってた割には嬉しそうじゃないな・・・」
ルドルフは気持ちの整理がつかなくてただ俯いた。
なんとしてもフランツを助け出しこの国の王となってもらいたい、そんなルドルフの望みはどうやら一人相撲だったらしい。
いくら怪我のせいで気弱になっているとはいえ、フランツがあんなことを言うなんて―――

ルドルフははっとしてマティアスを見詰める。
「まさか、君たちはフランツに・・・」
「え?」
「あれは本当にフランツなのか?身体はフランツのものだけど中身は別人のようだった。フランツは聡明で思慮深く責任感の強い性格だった、王族としての使命を簡単に投げ出すような人じゃなかったんだ、なのに・・・」

ルドルフはマティアスの胸倉を掴んで詰めよった。
「フランツを洗脳でもしたのか?自分達に都合のいい話をでっち上げて・・・」
マティアスはそのルドルフの両腕を掴んで宥めるように言う。
「落ち着けよ、そんなことするわけないだろう・・・!」
「けど、ランディ卿と言うのは何だか知らないけど一日中何かの研究をしているんだろう。だったら・・・」

マティアスはルドルフの腕を握っていた手に力を込めその身体をグイと引き離した。
「いい加減にしろよ、お前の兄貴一人にそんな手間隙かかる事をするほどランディ卿も暇じゃないはずだ。相手が思い通りの反応を示さなかったからって八つ当たりするな」
「だって・・・!」

ルドルフの目から大粒の涙が零れ落ちるのを見てマティアスは溜め息をついて優しく抱き締めた。
「悪かった、泣くなよ、王女様」
「フランツが、フランツが・・・」
「仕方ないな」
マティアスがそう言った途端、ルドルフは再び何もない草原に立っていた。

ひとしきり泣いて気分も落ち着くと、相手に強くしがみついている自分にハっと気付きルドルフは今更になって赤くなった。
「どうも王女様は情緒不安定なお年頃らしいな。まあ無理も無いが」
「悪かったよ、取り乱して・・・」

こんなに気分が沈むのはフランツの所為だけではないことにルドルフも気付いている。
あのシェリー卿と言う女性がマティアスと随分親しげだったことが心に引っ掛かってマティアスに突っかかってしまった。
これでは本当に八つ当たりだ。
本当に自分は一体どうしてしまったのだろう・・・

「僕はこれからどうしたらいいんだろう・・・」
ポツリと呟くルドルフにマティアスは
「それを俺に訊くのか」
と軽い揶揄を含んだ口調で逆に尋ねた。
「だって・・・」

「お前はフィルデンラントに渡りその協力を取り付け、軍を率いてこの地を取り戻し復讐を果たす。
そして奇跡的に一命を取り留めていた兄を王位に就け自分は摂政となる、或いは自らが王位に就く―――そんなとこだろ」
「・・・」
ルドルフは無言で俯く。
確かにマティアスの言う通りなのだが、自分が望んだ事は本当にそんなことだったのだろうか―――

「人の心は変わる。今思っているのと同じことを明日も思うとは限らない。神ならぬ身に明日を知る事はできぬなら、お前は今自分の信じた通りに生きればいい」
マティアスは草原に腰をおろしすっかり暗くなった夕空を見渡した。

「そう言うのは簡単だけど・・・、今信じられるものがないから、どうしたらいいか分からないんじゃないか・・・」
ルドルフもまたマティアスのすぐ隣に座り込みながらそう言った。

「じゃ、俺にどう言えと言うんだ。俺はお前の相談役でも世話係でもないぜ」
「そんなこと分かってる、けど・・・」
こんなことならフランツに会うのではなかったと思う。
フランツもどこかで生きていて自分の助けを待っていてくれる、そう思っていられたほうがどれだけ幸せだったか―――

「なぜ、僕をフランツに会わせてくれたの?いや、初めから、君は何で僕に中途半端に優しくしてくれたの?
それともこれも君達の作戦の内なのか、フランツを懐柔し僕の戦意を喪失させるための・・・」
自分でも理不尽な言いがかりを付けているだけだと分かっていてもルドルフは言葉をとめることが出来なかった。
マティアスの耳元に唇を寄せ思わせぶりな視線を送ってきたあのシェリー卿の姿が目の前にちらついて離れない。

マティアスは軽く溜め息を付く。
「そう思いたければそう思えばいいさ。で、王女様としてはその作戦にうまうまと乗ってグリスデルガルドを我等に返してくださるのかな?」
ルドルフは暗い瞳でマティアスを睨みつけたが相手もまた冷たい瞳でじっと見返してきた。

「・・・」
相手は敵だ、本当の事など話すはずがない、なのに自分は彼を敵だとは・・・戦って倒す相手だとは思えなくなっている。
そう思わせることが初めからの計画だったのだとしたらこれほどの策士はいないだろう。
でも・・・






「そろそろ戻らないとな、あまり城を空けるとうるさく言うものがいるし・・・」
マティアスはそう言って立ち上がる。
「あの部屋へ戻るの?」
ルドルフの問いにマティアスはただ黙って手を差し出した。

「僕は・・・あの剣を持っていない」
ルドルフはその手に捕まって立ち上がりながら呟いた。
「え?、ああ、そのようだな」
「僕には見返りに君に渡せるものは何もないのに、どうしてフランツに会わせてくれたんだ?」

「・・・お前の戦意を喪失させるためだと、そう答えれば王女様はお気に召すのかな?」
「ちゃんと答えてよ!」
マティアスのはぐらかすような言い方が癇に障り、ルドルフはきっとなって顔を上げた。

「お前は姉の死を悼んでくれただろう?レティにとっては何よりの供養だ、だからそれに見合うだけの事はしてやろう、そう思ったのさ。
でもどうやら裏目に出てしまったようだが」
なぜ敵である自分が彼女の死を悼むことが供養になるのかルドルフにはよく分からない、それを質そうとした時には辺りの景色はまた一変していた。

ルドルフは先程までいたマティアスの部屋に戻るものとばかり思っていたが、着いた場所は海に向って開けた小さな港を見下ろす丘の上だった。
一瞬ディーターホルクスの港かと思ったがそれよりはずっと小さいし、フィルデンラントの軍船も泊まってはいなかった。

「ここは・・・」
ルドルフの問いにマティアスは
「南部の小港、ガイストヴェーレンだ」
と言って遠く海上を行きかう船を眺めた。

「どうしてこんなところに・・・」
ルドルフがそう言いかけた時マティアスのマントはもう一度翻り、次の瞬間ルドルフは狭く粗末な造りの部屋にマティアスと共に立っていて呆然と室内を見回していた。
窓もなく光源は小さな燭台に点された蝋燭だけの室内の半分はベッドに占領されている。
そしてそのベッドには一人の男が腰掛けもう一人はその脇に立ったままこの突然の珍客を呆然と眺めていた。

ここはどこ?そして何故この人たちがここにいるの・・・?
パニック状態のルドルフを尻目にマティアスはつかつかとベッドに腰掛けた男に近寄ると
「久しぶりだな、ハルレンディアの騎士リヒャルトよ」
と声をかけた。

「お久しぶりでございます、マティアス卿・・・」
急いでベッドから下り床に跪いた相手を立たせるとマティアスは
「急なことで申し訳ないが、そなたこの娘を知っておるな」
と尋ねた。

「はい、それは・・・。グリスデルガルドの王子ルドルフ様」
「リヒャルト・・・」
ルドルフとリヒャルトは続く言葉もなく互いに呆然と見詰めあった。

リヒャルトとしてはラインハルトと共にフィルデンラントへ渡ったはずのルドルフがなぜ今ここに、それもこの妖魔族の貴族と共に姿を現したのか全く理解できずにいたし、ルドルフとしてもここがどこなのか、いやそれ以上にマティアスとリヒャルトが旧知の仲らしいということがあまりにも意外で訳が分からなかった。
傍らでこれまた呆然と成り行きをみまもるテオドールは口をパクパクと動かしてはいるが声にはならない。

そんな周りの状況にはお構いなしにマティアスは
「そなたを見込んでこの娘の身柄を任せたい。無事に暮らせる地まで連れて行ってやってくれ。この借りは必ず返すつもりだ」
とリヒャルトに言った。

ルドルフがその言葉の意味を理解するには時間が必要だった。
その間にマティアスはどうだ、とリヒャルトに詰め寄った。
「それは、ほかならぬマティアス卿のお言葉ならば喜んで従う所存ではありますが、しかし・・・」
リヒャルトはまだ呆然としてマティアスと自分を見比べているルドルフの様子をちらりと見ながら言葉を濁した。
この二人がどういういきさつで関わりを持つようになったのか分からないが、どうやら王女様は・・・

「では、頼んだぞ」
間髪をいれず姿を消そうとするマティアスにやっとその真意を悟ったルドルフは
「待って、マティアス・・・!」
と叫んでしがみついた。

「どうして、僕はずっと君と・・・」
君と一緒にいられるものとばかり―――
そう思ってルドルフははっとする。
そうだ、マティアスは敵、図らずも自分を助けフランツに会わせてくれたけど、その後もずっと自分と一緒にいてくれるなどと言ってくれたわけではないのだ。

けど、自分は・・・
何故だろう、このままずっと彼と一緒に過ごして行くものと思っていた。
勝手にそう思い込んでいたのだ。
マティアスがあんまり優しくしてくれたから・・・

「お願い、置いていかないで。僕を一人にしないで・・・」
男として、一人で生きて行くと決意したのはそう前のことでは無いはずだったが、ルドルフの念頭からはそんな事は綺麗さっぱり消えてしまっている。

その手を優しく離しながらマティアスは
「王女様、お前も王族の端くれなら自分の使命を果たせ。
次に合う時は今度こそ敵同士、俺は容赦などしない、お前も迷う事無くあの剣で俺を切り裂け、いいな」
と言うとふっと掻き消えた。

支えを失ってルドルフは前のめりに倒れこむ。
慌ててその身体を抱きとめたリヒャルトの腕の中でルドルフは堰を切ったように号泣した。
フランツの変貌と、現在、そして将来への不安、そしてそれらを合わせたよりもルドルフをこたえさせたのはマティアスの言葉だった。

―――次に会うときは今度こそ敵同士
マティアスはもう二度と自分に優しく触れてはくれない、抱き締めて口付けてはくれないのだと、ルドルフはそうはっきり言い渡されたのだ。
それは何よりも酷くルドルフの心を引き裂いた。
何故こんなに悲しいのか自分でも分からないがどうしても涙が止まらない。
リヒャルトやテオドールが呆れているのが分かっても泣き止むことができなかった。

マティアスは危険を冒して自分を庇いフランツに会わせてくれたのに、自分はどうにもならないことを彼にぶつけて当たっていただけだ。
彼に甘えて勝手な事を言って・・・
呆れられて嫌われてしまっても仕方ない、なのにマティアスはこれからもずっと自分の側にいてくれると、何の根拠も無いのに思い込んでいたなんて
でも嫌だったんだ、彼のあの瞳が他の女の人を映すのが、嫌で仕方なかったから―――
次第に混濁して行く意識の中でルドルフにはマティアスのことしか考えられなかった。