暁の大地


第十章




グリスデルガルド南東海上
貨物船エメロット号船上

「いや、全く驚いたの何の、あれが妖魔族ってヤツなんですかね、御主人様・・・」
「ああ、そうだ」
「ドアも開けずにいきなり部屋の中に現れたと思ったら、いなくなるのも突然で」
「あれが彼らの流儀なのだろうな」

「にしても、御主人様が妖魔族ともお知りあいだったとは意外でしたな」
「まあ、昔はいろんなところを回って歩いたものだからな。
だがあの方は昔と少しも変わらぬ。こちらはすっかり歳を取ってしまったというのに」

「何を仰る、御主人様だってまだまだお若いのに・・・」
「そうさな、見てくれだけはな・・・」
泣き疲れ眠ってしまったルドルフをベッドに寝かせてやってからリヒャルトとテオドールは狭い床に座り込みながら小声で話し合っていた。

「見てくれといえばあの男、すこぶるつきのいい男でしたな。しかもあの目・・・」
「前に言ったっけな、光の当たり具合で様々な色に変化する不思議な瞳、竜眼とも呼ばれるあの瞳を受け継いだ者は今ではあのお方ただ一人だ」
リヒャルトはマティアスの瞳を思い浮かべながら答えた。

「俺っちなんぞにはどうでもいいことですが、どうやらお姫様はぞっこんのようで・・・」
「のようだな・・・」
以前竜眼の話をした時ルドルフは夢見るように「スゴく綺麗だよ、きっと・・・」と言ったが、あれはマティアスのことを思っての言葉だったのだろうとリヒャルトは今になって合点がいった。

先程までの様子を見ればルドルフがマティアスにそれこそ“ぞっこん”惚れ込んでいる事は疑いようもない。
彼が去った後ルドルフはずっと泣き続け、手がつけられなかったのだから。
「で、どうするんです、あのお姫様・・・。この際だからどこぞに叩き売っちまって・・・」
「馬鹿なことを言うな。逃亡中の身とはいえ一国の王女、しかもマティアス卿からの預かり人だぞ、粗略な扱いができるものか」
「へえ、さいざんすか・・・」

だが確かに今この状況ではリヒャルトとしても大変なお荷物を押し付けられてしまった、と言うのが偽らざる心境ではあった。
何と言っても現在リヒャルト達はフィルデンラントへ向って航海中の貨物船の一室にいるのだから。

破格の金を払って乗組員の仕事もこなす、と言う条件でどうにか潜り込めた貨物船は当然客室などあるわけもなく、リヒャルトとテオドールは一人分の乗員室で寝起きしなくてはならない状況にあった。
その上ルドルフまで加わるとあっては・・・

王女様を床にゴロ寝させるわけには行かず、ベッドを奪われた主従は仕方なく足を伸ばすスペースも碌にないような狭い船室でささやかな酒盛りをして憂さを晴らしているところだった。

「しかたない、フィルデンラントでラインハルト王子を探すしかないだろう。にしても確かにあの時ルドルフ様はラインハルト王子と一緒に姿を消したはずなのだが・・・」
「ってことは、ラインハルト様ももしかして妖魔族に捕まってしまったのかも・・・」
「ああ、その可能性は高いかもしれないな」

「じゃ、どうするんです?このままずっとお姫様をいっしょに連れ歩くんですか」
「まあ、あまり先の事はわからんが、しばらくはそういうことになるだろうな。かまわんだろう、別に。お前は女好きだし」
「そりゃ、王女様は美人ですからね。でも残念ながら売約済みのようですが・・・」

リヒャルトはルドルフの身柄をわざわざ自分に預けに来たマティアスの真意に思いを巡らした。
ルドルフ王子の身柄の確保を妖魔族は諦めてはいないはず、その王子を捕らえたとなれば大変な手柄だろうに・・・
そんな理由は一つしかないだろう、リヒャルトは苦笑を漏らす。

マティアス卿のほうも王女様に“ぞっこん”というわけか―――
自分の側に置いていてはいずれ彼女の身に危険が及ぶ、それを恐れて遠ざけることにしたのだろう。
王女様はその真意をイマイチ分かっていないようだが。
それにしてもこの自分を随分と信頼してくれたものだな・・・

「でも、可愛そうにラインハルト王子様は失恋、という事になりますかね」
「お前、やけに嬉しそうだな」
「へへ、そりゃあこういう話は興味がつきませんですからね・・・」

ルドルフが何か呟いたのを聞き取り、リヒャルトはベッドへと目を向けた。
閉じられたままの瞼の縁には薄っすらと涙が滲んでいる。
夢の中でも王女様は愛しい相手を追っているらしい。
マティアス―――ルドルフの呟きはリヒャルトの耳にはっきりとそう聞こえたのだった。





フィルデンラント
アディエールの港町

穏やかな陽光が年間を通じて降り注ぐ広大な太洋を前に開かれたアディエールの港は商業港であると同時に巨大な軍港でもあり、一大要塞でもあった。
港町としての賑わいも対岸のディーターホルクスとは比較にならない。
魔法で一気にアディエールの郊外まで飛んだラインハルトはアンナが用立ててくれた路銀で道服を手に入れ、旅の魔導士を装ってアディエールの街へと入り込んだ。

黒いマントの下にはルドルフの剣をこっそり忍ばせている。
ケンペス将軍と落ち合ってヴィンフリートを助け出しヴィクトール一派を掃討したらすぐにでもルドルフの行方を捜すつもりだった。
彼女がどこへ行ってしまったのか、無事でいるのか気がかりではあったが、今は兄を助けることが急務だとラインハルトは自分に言い聞かせていた。

少しでも早くあんなところから救い出してやらなければ本当に命に関わる。
それでもヴィクトールが兄の身柄を妖魔族に引き渡さないでいてくれた事はありがたい。
彼の気が変わらぬうちに手を打たなくては、とラインハルトははやる心を抑え歩を進めた。

目指すケンペス将軍と主だった部下達はアディエールの貴族フォン・カステル子爵の夏の離宮に滞在し、配下の軍勢はその近辺に駐屯しているとの情報をラインハルトは街の露天商から仕入れた。
噂話によるとケンペス将軍は本気でグリスデルガルドに渡るつもりはないらしく、軍の士気もイマイチ盛り上がらない様子らしい。

将軍とすればいまさらテレシウスの首などとっても王子が生き返るわけもないし、また国の威信に掛けて見過ごせないというのは分かるが、それにしてもこれほどの大軍を送り込む必要があるのか、しかもこの自分が直々に指揮を取るまでもないだろうに、という事らしかった。

ケンペスはこのところのヴィクトールの専横ぶりにどうやら不信感を抱いているようだが、 それでも申し訳程度の船団を定期的にグリスデルガルドに送り込んではいるようだった。
そういえばグリスデルガルドの戦況は一体どうなっているのだろうか?

フィルデンラントの大軍が王都に向けて進軍しているとのことだったが・・・
ケンペスは自分の顔を知っている、出来れば将軍一人のときに直に会って二人きりで話したい、ラインハルトはそう思った。
考えたくは無いが、表向き反目し会っているケンペスとヴィクトールが裏でこっそり手を結んでいる可能性も完全に否定しさる事はできなかった。
いずれにしろケンペスの回りには複数の見張りが張り付いているはず、その目を掻い潜って接触せねばならない、ラインハルトはアディエールの街に宿を取り機会を窺うことにした。
毎日することも無く退屈しているケンペスはいずれ何らかの動きを見せるだろう。
焦らずそのチャンスを待つしかなかった。

アディエールに着いて数日後、港をぶらぶらと歩き回って情報を集めていたラインハルトは先程入港したばかりだという船でちょっとした揉め事が起きたのを耳にした。
港湾警備の兵が数人船に駆け上がり何事か喚いている。
やがて警備兵に周りを取り囲まれるようにして農民姿の男が紐で縛られた状態で船から下りてきた。

身なりもボロボロで、やつれて血色の悪い顔は無精ひげだらけのその男はふらつく足取りで港湾詰め所へと引き立てられて行く。
ラインハルトも大勢の野次馬に混じってその様子を見るともなしに眺めていたが、その男が眼前を通って行くのを見て、おや、と思った。
あれはまさか・・・

ラインハルトは人込みを掻き分けながら男の後を追った。
行く手に立ちふさがる相手をほとんどぶつかるようにして避けながらラインハルトは先を急ぐ。
男が尋問を受けるために詰め所の奥へと連れて行かれるのを確め、ラインハルトは裏手へと回った。

表通りに面した正面口とは違って裏手はほとんど人通りが無い。
ラインハルトは魔法で壁を抜け、詰め所の建物の中へと潜入した。
建物の中は思ったよりも広くしかもあちこちに兵士がうろうろしている。

ラインハルトはそのうちの一人を捕まえると
「私はケンペス将軍付きの魔導士だ。将軍の命により抜き打ちで詰め所の警備状況の検閲に参った。お前、建物の中を案内しろ」
と言った。
兵士は一瞬きょとんとしていたがラインハルトが軽い暗示を掛けるとすぐに
「はい、分かりました」
と素直に従った。

ラインハルトは
「ついさっき港で不審な男が捕まったはずだ、そいつが尋問されている部屋に僕を連れて行くんだ」
と命じる。
兵士は
「そんな男いたかな・・・。受付で聞いてきます」
と言って姿を消した。

かなり時間が経って戻ってきた兵士は
「確かに不審な男が見付かりましたが、その男ならもう別な場所に移されたそうです」
と言った。

「何だって?別な場所とはどこだ」
「よく分かりませんが、恐らくはケンペス将軍の下ではないかと・・・」
「ケンペスの、いや将軍の・・・?」
「はい、なんでも男の供述の内容がかなり微妙なものだったらしく、この詰め所では手に負えないと所長が判断したそうで」

「それは何時?」
「つい先ごろです。もしかしたらまだ護送の途中でしょう。囚人用の馬車で送られたはずですから」
「分かった、ご苦労だった」
と言うとラインハルトは適当な理由を付けて兵士を解放してやり、自分はおもむろに詰め所を出た。

離宮まではさほどの距離では無いし、万一を考え魔法は使わず早足で追うことにした。
上手い具合に途中で離宮に野菜を納入する荷車の列と行き会ったラインハルトは運び手の農夫に軽く暗示を掛けて荷車運びを手伝うことにした。

ここでも港湾詰め所同様裏の通用門は表門ほど警備が厳しくない。
ラインハルトは警備兵に多少怪しまれながらも難なく離宮に潜り込むことが出来た。
さてここからが問題である。
昼日中のこと妖魔族の気配は感じられないが、あのルガニスのようなものがどこに潜んでいるとも限らない以上うかつに魔法は使えない。

ラインハルトは貯蔵庫の周りをひとりでうろついていた非番らしい軽装の兵士を隠し持っていた薬で眠らせその服を奪った。
急いで軍服に着替え兵士に成りすますとこっそりと裏庭から城の中へと入る。
さすがに貴族の離宮だけあって内装の壮麗さも部屋数の多さも詰め所の比ではなかったが、
士気が落ちているというのは嘘ではなかったらしく、警備も穴だらけでラインハルトは思ったよりもずっと簡単に城内を歩き回れた。

ケンペスの居室は主人の居間だろうとあたりをつけ階段を上っていくと、案の定二階の奥まった辺りにひときわ厳重な警備が敷かれている一角があり、そこが将軍の起居している場所であることはすぐに見当がついた。
そっと近付くにつれケンペスのだみ声が漏れ聞こえてくる。
ケンペスは矢継ぎ早に部下に何事か命令を下していた。

さて目当ての男はどうなっただろうか、とそっと部屋に近寄ろうとした時、どやどやと城内が急に騒がしくなりすぐに数人の男がこちらへと近づいてくるのが見えた。
両手を縛られ、三、四人の兵士に取り囲まれるようにして男が引き立てられてくる。
何の事は無い、荷物の検査や尋問に手間取っている間にラインハルトの方が先を越してしまったのだった。

一団をやり過ごしてからラインハルトもいかにも護送の兵の一員と言った顔をして最後からケンペスの執務室へと滑り込む。
護送兵はラインハルトのことを城内警備の者と思い、逆にケンペスの身辺警護の兵は護送兵の一員と思ったらしく、だれも見咎めるものはいなかった。







フィルデンラント
アディエール
フォン・カステルの離宮、ケンペス将軍執務室

「将軍閣下、お忙しいところ失礼致します」
どやどやと入り込んできた兵達に不審そうな視線を向けケンペスは椅子にふんぞり返る。
「何だ、どうしたというんだ。流れ者の詮議などで閣下を煩わす事はあるまい」
傍らにつき従う副官が代わって声をかけた。

「はい、ですがこの者は・・・」
一番階級の高そうな兵士がおずおずと答える。
「何だというのだ」
腹の底に響き渡るような低い声が轟く。
懐かしいケンペスの声を間近に聞いてラインハルトは人知れず口元に笑みを浮かべた。

躊躇いながらも説明しようと護送兵が口を開きかけた時、件の男が徐に声を発した。
「恐れながら、ケンペス将軍とお見受けし申し上げる。
私は聖ロドニウス教会の学僧でアルベルトと言うもの、このような詮議を受ける覚えはない、即刻通行を許可願いたい」

こちらも久しぶりに聞くアルベルトの声だった。
相変わらず落ち着いていて淀みが無い。
長らくディーターホルクスに足止めを食った挙句、やっとフィルデンラントに渡った途端検問に引っ掛かってしまったものだろう。

「学僧だと?それにしては農民のような格好だが」
ケンペスの呟きに先程の兵士が勢い込んで言い募る。
「はい、それにこやつ、教会員の身分証も何も持っておりません。しかも、聖ロドニウス教会のアルベルト、といえばグリスデルガルドの反乱の首謀者ルドルフ王子の逃亡を助けたものとして名があがっていたはずです!」

「私は戴冠式に立ち会うためグリスデルガルドを訪れ混乱に巻き込まれただけ。命からがら身一つで王城から逃げ出したため、教会員証はじめその他の僧侶としての持ち物は全て残して来ざるを得なかっただけだ。
私は教会の重要な使命を帯びて行動しているのだ。至急拘束を解いてもらいたい」

「そんな話が信用できるか!
しかもこいつは当初別の名を名乗り身分も偽っておったのです。それが我らの厳しい詮議に誤魔化しきれないと判断したのか急に供述を変え始めて・・・」
「こんな連中といくら議論しても始まらないと思ったのです。ですから本当の身分を明かして司令官の方と直接お話しようと思いました。
道中身分を隠すよう私にご助言くださったのは他ならぬフィルデンラントの賢者ゲラルド様です」

アルベルトの口から祖父の名が出て、ラインハルトは大層驚いた。
では、アルベルトはグリスデルガルドに渡る前に祖父と会っていたのか・・・
ケンペス初め、その場に居合わせたものも皆賢者ゲラルドの名が出たことに一様に驚きを見せた。

「貴様、ゲラルド様を知っているのか」
「師匠からグリスデルガルドに渡る前にお会いして置くように言われておりましたから」
「貴様の師匠とは?名は何という」
「老師オルランドです」

「!、そなたはオルランドの直弟子だというのか、偉大なヘルマン聖人からもっとも優秀な弟子だと常々褒め称えられていたあのオルランド師の・・・」
「左様でございます」
アルベルトの師がそんな大物だとは露知らなかったラインハルトは驚いて目を見張った。

「成る程、度胸は据わっているな、だがわが国も臨戦状態、貴殿の話を聞いただけではいそうですか、と通行を許可するわけにはいかん」
「そんな!事は急を要するのです・・・」
「聖ロドニウス教会に早馬を飛ばし至急照会しよう、早ければ七日のうちには返事が着くだろうから・・・」

「それまで待てと仰るので?その間にもグリスデルガルドでは妖魔族の勢力が着々と広がって行くというのに・・・」
「貴殿を信用しないわけではないが身分を示す証拠が何も無いのではな・・・」
ケンペスは早馬の返事が来るまでは城内の一室に軟禁するよう部下に言いつけると話は終わりといわんばかりに手を振った。

「待って下さい、将軍!」
食い下がろうとするアルベルトを兵士達が部屋から引きずり出そうとする。
「待て、ケンペス!」
ラインハルトはもみ合う一群を避けるようにしてケンペスのすぐ前に立った。

「貴様、何者だ!」と言う声がして数人の兵がラインハルトを取り囲む。
驚いて振り向いたアルベルトが
「何と、貴方はラインハルト様!」
と叫ぶのと、ケンペスが
「待て!その方に手を触れるな!」
と兵に命令を下したのが同時だった。

「お久しぶりです、アルベルト殿、ご無事でなによりでした」
ラインハルトはアルベルトにそう声をかけるとケンペスのほうに向き直り
「ケンペス将軍、お役目ご苦労である」
と笑顔で言った。

「ラインハルト様!やはり生きていらしたのですね。
ゲラルド卿からラインハルト様がお亡くなりになるはずがないと聞いておりましたが、遺骸まで発見されたという報が届いたとのことで半ば諦めかけておりました。
今こうしてご無事な姿を拝見できて嬉しゅうございます」

ケンペスがラインハルトの前に跪くのを見て他の兵士達は驚いて互いに顔を見合わせた。
ラインハルトはケンペスに立つように命じるとアルベルトを手で示して
「この方は間違いなく聖ロドニウス教会の学僧アルベルト殿だ。
僕とこの方とグリスデルガルドの王子ルドルフは三人で妖魔族の手を逃れ途中まで一緒に逃げてきたのだ」
と言った。

ケンペスはアルベルトに一礼して
「知らぬこととはいえこれまでの無礼の数々、なにとぞご容赦いただきたい」
と詫びると、
「しかし、グリスデルガルドのルドルフ王子はこの度の反乱の首謀者なのでは?」
とラインハルトに怪訝そうな顔を向けた。

ラインハルトはケンペスに人払いを命じると、
「今回の政変は前王の弟テレシウスが妖魔族と結んで起こしたもの、ルドルフ王子は罠に嵌り汚名を着せられただけだ。
しかも妖魔族の手はわがフィルデンラントにまで及んでいる。そなたも気付いておろうが・・・」
と小声で言った。

城内に妖魔族の気配は無かったが用心に越した事は無い。
ケンペスが返事をする前にアルベルトが
「そのルドルフ様のことですが、あの方は貴方を探すのだと言っておられました。ラインハルト様はルドルフ様とお会いにはならなかったのですか?」
と尋ねた。

「いや、一応会えた事は会えたのだが・・・」
ルドルフは一体どこへ行ってしまったのか、剣もオーブも持たず女の子の姿のままで―――
そう思うとルドルフの身もまた大層危険なものに思えてきてラインハルトは落ち着かなくなった。

不審そうなアルベルトにラインハルトは
「詳しい事は後でゆっくり話すよ、それより今は」
と言ってケンペスにヴィクトールの陰謀とヴィンフリートの置かれた状態を詳しく語って聞かせた。

ケンペスはラインハルトの話を聞いてもさほど驚かず
「やはりそんなことが企まれていたのですか・・・」
と一言ポツリと言った。
「ケンペス将軍・・・」

「前々から懸念してはいたのです、ヴィクトール殿のこの数年の執政は国のため、と言うよりは私利私欲のためと思われるものが多かった。
ただ国王陛下はヴィクトール殿の意見を鵜呑みにされるところがおありだったので・・・」

「ヴィクトールは古くから王家に仕えてきた貴族の出、自身も王室とは縁戚関係にある。
長年兄の補佐として政務を取っているうちに自身で国政を動かしたいと思うようになったとしてもおかしくない。
ただ、彼は兄の幼馴染で親友だ。その兄の信頼をよいことに自らの欲望の為に国を売るようなことをするとは正直言って僕も信じられない思いだ。
今でも何かの間違いであって欲しいと願っているくらいだ、だが・・・」

「お話を聞く限りでは一日も早く国王様をお救いしたほうがよいようですね。
王子様がフィルデンラントにいる事はいずれ妖魔族に知れるでしょうから、ヴィクトール殿も何らかの手を打つはず。
国王様の身柄を妖魔族に引き渡すような事があれば今の我等には手出しが出来なくなってしまうでしょう」

アルベルトの言葉に大きく頷きながらラインハルトは
「ああ、できれば今すぐにでも兄をあの地下牢から連れ出したいと思っている。だがそのためには・・・」
とケンペス将軍を見詰めた。
「心得ております。このケンペス、国王陛下とラインハルト様のため力を尽くす所存です。
何なりとお命じください」

その言葉に意を強くしたラインハルトは
「アルベルト殿、貴方がルドルフに託したオーブは今僕の手元にあります。ヴィンフリートを救い出すためにはこのオーブの力がどうしても必要だ。今しばらくこのオーブを僕に貸してはいただけないか」
とアルベルトに頼んだ。

「王子様とルドルフ様の間でどのような事があったのか分かりませんが、私も兄上は一刻も早くお救いしたほうがよいと思います。フィルデンラントのみならず、この世界全体のためにも・・・
そのために役立つというのならこのオーブを使うことに師匠も異を唱えはしないでしょう。どうか存分にお使い下さい」

ラインハルトはアルベルトの手を取って感謝の意を表すと、早速ケンペスとヴィンフリート救出や今後の行動について打ち合わせる事にした。
アルベルトにはケンペスに一室を与えてもらいゆっくり休養をとってもらうことにして、ラインハルトはとりあえず城と軍の駐屯地一体に妖魔族用の結界を張った。
グリスデルガルドではこの結界は結局ルガニスには利かず、内部から破られてしまったのだが何もしないよりはマシだろうと思われた。

この風光明媚な地にヴィンフリートを迎えゆっくりと養生させよう。
ケンペスが立ち上がれば東方に派遣されている他の将軍達もきっと味方に付くはず、そうなれば空っぽの王都は簡単に制圧できるだろう。
ヴィクトールの野望はあえなく費えるということになる。
そうそうこちらの計算どおり上手くいくとも思えないが、最悪でもヴィンフリートの身柄だけは確保して安全な場所に移したい、ラインハルトは切にそう願った。






フィルデンラント西方の海上

貨物船エメロット号は満帆に風を受け一路東へと向っている。
入港するのはアディエールではなく南国ゾーネンニーデルンとの国境に近い港町ヴェルシェストである。
ルドルフは甲板に立って軽く目を閉じ、温かい陽光と心地よい西風を体中で感じ取っていた。

「気分悪くならねえですか、王女・・・いや、お坊ちゃん」
船酔いで死にそうな顔色のテオドールが傍らにへたり込みながら尋ねるのに
「いや、全然。スゴク気持ちいいよ」
とルドルフは笑って答える。

すっかり元気を取り戻したその様子にテオドールは内心、現金なもんだ、と思いながらも
「それはよかったですね、俺っちはどうも船と言う奴は苦手で・・・」
と言って船べりから身を乗り出す。

「ルドルフ様、そんなヤツの側に居ると何でもなくても気分が悪くなる、さあ、こちらへどうぞ」
リヒャルトに声をかけられてルドルフは悲惨な状態のテオドールを気にかけながらも呼ばれたほうへと移動した。
「よかった、すっかり元気を取り戻されたようで」

リヒャルトの言葉にルドルフは恥ずかしそうに頬を染めながら
「お二人にはみっともないところをお見せしてしまって」
と俯いた。
「そんなこと、気になさらずに。お辛いことがあったのでしょうし」
「ええ、まあ・・・」

マティアスにこの船につれて来られたあの日から三日、ルドルフは元通りの明るく元気な王子に戻っていた。
不思議なことに泣くだけ泣いてしまうと少し元気が出てきて、色々なことが少しずつではあるが前向きに考えられるようになった。
フランツのこともマティアスのことも・・・

フランツが王としてこの国に君臨する姿を見るのは小さな頃からのルドルフの夢だった。
でもそれは、自分が果たすことの出来ぬ夢をフランツに押し付けていただけだったのかもしれない。
フランツはあの時自分に語ったように本当は国王になどなりたくなかったのかも・・・

ルドルフは久々にアルベルトのことを思い出していた。
学問好きのフランツは王位に就くよりもアルベルトの様に学究三昧の生活を送りたかったのかもしれない、或いはもっと他にやりたいことがあったのかも・・・
王族に生まれた以上それは我儘でしかない、じっと心の奥底に隠し押さえつけておかねばならないことなのだが・・・
人生を選ぶ自由を得たフランツが自分の望みとは違う道を選んだとしてもそれを阻む権利は自分にはないのだ、ルドルフはやっと少しだけそう思えるようになった。

そしてマティアスに対しては・・・
今は心から詫びたいと思う。
敵である自分に対して彼が示してくれたのは心からの好意だと、本心ではそう分かっていたのに、フランツの言葉をそのままに受け止めることが出来なかったルドルフは彼に随分酷い事を言ってしまった。
フランツを洗脳したのだとか、初めから全てが策略だったのだとか、頬を叩かれても文句を言えないような失礼なことばかりを・・・

結局自分は彼に甘えきっていたのだ、何を言っても聞き流し許してもらえるのだと。
自分の事にばかり気を取られてマティアスもまた危険な立場にいることなど考えも及ばなかった。
自分がルドルフ王子だとあのシェリー卿が知ったらマティアスといえどもただではすまないだろう。

マティアスがリヒャルトに自分の事を託したのはシェリー卿の口から自分の事が早晩皇帝や他の幹部達の耳に入ると踏んだからだと今なら冷静に考えることが出来た。
そう、マティアスは敵―――英雄の剣を奪うために自分の前に現れた戦士
自分達は初めから敵同士なのだから、彼が自分の身を皇帝の前に引きださなかったことを感謝しなければならないのだろうが・・・

マティアス、僕には多分君を倒す事はできないよ。だって僕は・・・
「ルドルフ様?どうかされましたか?」
リヒャルトの声に我に返ったルドルフはいや、と言って笑顔を見せる。

「船長の話では明日の朝くらいには陸が見えてくるらしいですよ。この船は客船ほどスピードが出ないので大分余分に日数を食ってしまいましたけど」
「本当?」
「ええ、ルドルフ様は初めてでしょう、パンゲア大陸の土を踏むのは」
「うん・・・」

まだ見ぬ大陸パンゲア―――そこにはマティアスもフランツもいない。
この先自分の運命は一体どうなって行ってしまうのかルドルフには予測もつかない。
神ならぬ身に明日を知る事はできぬなら、お前は今自分の信じた通りに生きればいい、そう言ったマティアスの言葉が彼の面影と共に脳裏に浮かぶ。
マティアス、何時かきっとまた君に会えるよね、そしたら、そしたらきっと・・・
ルドルフは陽光を反射して煌いている波濤を眩しげに眺めながら後にしてきた故郷グリスデルガルドの方角を振り向いた。