暁の大地


第十一章




フィルデンラント
アディエール
フォン・カステル離宮 ラインハルト私室

グリスデルガルドから齎された急報はラインハルトやケンペスに衝撃を与えた。
王城に向って進軍中だったフィルデンラントの部隊がほぼ全滅したというのである。
それだけではない、ディーターホルクスの均衡に宿営していた居残り部隊の方は全くの壊滅状態だという。
無傷で残っているのは港に停泊中の軍船に残っていたわずかばかりの兵士だけだった。

そのほとんどが船舶操縦に従事する者たちとなれば、下手をすればグリスデルガルド軍に船を奪われて全員が皆殺しの目に合ってしまうかもしれない。
国王ヴィンフリート奪還に向けての作戦が動き出したばかりであるだけにショックは大きく、特に一部とはいえ子飼いの手勢を送り込んでいたケンペスは進攻軍全滅の報に文字通り言葉を失ってしまった。

王城へ進撃していたのは送り込まれた軍勢のほぼ七割、残りはディーターホルクスの港や郊外の宿営所の警備等に当たっていたが、それらも急に勢いを増したグリスデルガルド軍に押されほぼ全軍は港に停泊中の船に撤退中だということだった。

ケンペスは最も信頼できる副官をグリスデルガルド侵攻軍の司令官として送り出していた。
その副官も生死不明、恐らくは部下達と明暗をともにしたものと思われた。
急使に立った兵士の話では侵攻軍は夜半数箇所に分かれて宿営中だったが、突然広がった黒い霧にまかれ次々と苦しみながら絶命していったという。

それでも何名かはその霧からどうにか逃れることが出来、命からがらディーターホルクス郊外の駐屯地まで逃げ延びたが、そこも同様に襲われた後らしく、キャンプのあった場所には深い穴がえぐられ、宿営の為に使われた木材や天幕などの残骸が無残に転がっているだけで、人の姿は生死を問わず一切無かった。

兵士たちは仕方なく疲れきった身体で敵地の中をディーターホルクスの港までどうにか落ち延び、九死に一生を得たのだという話だった。
現在進攻軍は残った兵力で港を占拠して相手の出方を伺っているらしい。
報告の内容から全軍意気消沈していることは容易に察することが出来た。

ケンペスとしても都の国王へ今後の展開についての指示を仰がねばならない。
その国王が真っ赤な偽物と分かっていても、本物の国王の身柄を無事確保するまでは迂闊な行動には出られないのだった。

ラインハルト、アルベルトと示し合わせた作戦では、グリスデルガルドへ向け第二陣の一部を先遣隊として派遣する。
同時にケンペスが演習と称して主力軍を北上させヴィクトールの注意を分散させる。
ラインハルトは精鋭部隊を率いてグリスデルガルドへ向う船団に紛れてアディエールを発ち、海路北上し北側から王都に向かい極秘裏に国王及び影武者を王城から脱出させるという手はずになっていた。

ラインハルトは魔法とオーブの力を使って単独で王城内に忍び込むことを考えたのだが、アルベルトは万一ラインハルトが城内に姿を現した事をヴィクトールが感づいていたとしたら一人で行動するのは危険だと止めた。

それでもあの地下牢に忍び込みヴィンフリートを連れ出すのはラインハルト一人でやり遂げなければならないだろうが、その間相手の注意を分散し攻撃を少しでも逸らすことが必要だとアルベルトは考えたのだった。

様々な場面を想定して、万一に備えての対策も万全を期して開始した作戦だった。
この作戦の大まかな筋立てを考えたアルベルトは既に帝国へ向けて旅立っている。
一刻も早く聖ロドニウス教会に戻り、妖魔族について調べる事が必要だと思われたからだった。

ケンペスが一報を受けたときにはラインハルトも船に乗り込む為離宮を後にしようとしていた時だったが、あまりにも衝撃的な急報に出発を遅らせたのだった。
いよいよ妖魔族がフィルデンラントに対しても牙を剥いてきたのだ。
しかも軍隊が全滅させられたのはラインハルトが王城に忍び込んだまさにその夜のことだったらしい。
あの夜王城に妖魔族の気配はなかった。
その事にもっと疑問を持つべきだったか・・・

妖魔族がその気になればフィルデンラントもまたあっという間に制圧されてしまうかもしれない。
ラインハルトは強い不安感に襲われた。
自分には魔法がある。妖魔族に襲われても自分一人なら逃げ延びられる自信があった。
やはり当初考えたとおり単独で行動したほうがいいだろうか・・・

ケンペスは早馬を飛ばしてアルベルトを呼び戻すことを提案したがラインハルトは首を横に振った。
アルベルトには妖魔族に対する有効な手立てを調べてもらわなければならない。
一番参考になるのはかつてルドルフ一世が妖魔族をねじ伏せた、その戦いぶりを知る事である。

自分の先祖でもあるルドルフ一世は剣士としては右に出るものがいなかったかもしれないが、魔法を使えたわけでもなく、特別な能力があったとも伝え聞いていない。
そのルドルフ一世はいかにして妖魔族を打ち破ることができたのか、聖ロドニウス教会にはそのヒントになる事だけでも伝わっているはずだ、というアルベルトの確信にラインハルトも同意した。

フィルデンラントが妖魔族の手に落ちれば帝国は敵と国境を接する事になる。
帝国も聖ロドニウス教会も安穏とはしていられないはずだった。
アルベルトが情報を持って戻るまでに兄を救い出しヴィクトールの手から国政を取り戻したい、そう強く願うラインハルトはやはり単独でもう一度王城内に忍び込む方法を選んだのだった。

ケンペスが国王に宛て仕立てた急使の早馬の一団に紛れてラインハルトは王都に向う。
今回は妖魔族が王城内で待機してるかもしれない、そう思うと魔法やオーブを使うのは躊躇われた。






ヴェルシェスト南部
ゾーネンニーデルン
国境の町 リエナシュタット

グリスデルガルド遠征軍壊滅の報にケンペスが取った処置は素早かった。
あれよあれよと言う間に南部一体は戒厳令が布かれ、特別な許可証の無いものは往来の通行を制限される事になった。

アディエールへ向うはずだったルドルフとリヒャルト主従もまともに北へ向う事は無理だと考えて、一端南国のゾーネンニーデルンに出て、山越えで国境を越えフィルデンラントに戻るルートをとることにした。
内陸に入ってしまえば警戒も薄くなる、リヒャルトはそう踏んだのだった。

ヴェルシェストから南西に向うとすぐに国境の町リエナシュタットに出る。
国境の検問で引っ掛かるのでは、とルドルフは心配したがテオドールは平然と主人と警備兵とのやり取りを笑いながら眺めていた。

リヒャルトが胸ポケットからメダルのようなものを取り出して警備兵に見せると、相手はすぐに畏まって通行の許可を与えてくれた。
彼の従者という事になっているテオドールとルドルフも質問すらされることなくフリーパス状態だった。
他の者たちは色々尋問されたり荷物の検査をされたりしているのに・・・

じっくりと見たわけではないがリヒャルトの持っているメダルに掘り込まれていたのは紋章のようだった。
ルドルフはよく似た紋章を知っている。それは白の帝国の騎士団のものだった。
リヒャルトは帝国の軍人なのだろうか、旅の騎士と本人は名乗っているが本当の正体は何者なのだろう、と思う。
きっといくら聞いてもまともに答えてはくれないだろうが・・・

ゾーネンニーデルンでは折りしも年に一度の祝祭週に当たっていてリエナシュタットも街を上げてのお祭り騒ぎの真っ最中だった。
あでやかに飾り立てられた街中のいたるところで笑いや歓声が巻き起こり大変な賑わいで、とてもまっすぐになど歩けない。
その様子は戴冠式前の故郷の街の喧騒を思い出させ、ルドルフはそっと目を伏せた。

全身原色で飾り立てた派手な衣装の道化師が身軽に飛び跳ねながら紙吹雪を撒き散らしている。
広場ではエキゾティックな音楽に合わせて体をくねらせる様にして異国風のダンスを踊る踊り子のショーや、ナイフ投げ、動物を使った火の輪潜りなどの大道芸が繰り広げられていた。

賑やかなことが大好きなテオドールがはしゃぎたくてウズウズしているのを察したリヒャルトは
「ルドルフ様、心は急くでしょうが少しだけ休んでいってもいいでしょうか」
とルドルフに声をかけた。

「そんなに僕に気を使わないで下さい。ただでさえご迷惑になっているのでしょうに・・・」
「そんなことはありませんよ。ルドルフ様がいてくださると私たちも楽しいし・・・」
リヒャルトの言葉にルドルフはほんの少し笑顔を見せた。

テオドールはリヒャルトのお許しを得るとすぐに芸人たちの輪に入り込み、一緒に町を練り歩き始めた。
リヒャルトは雑踏から少し離れてその様子を見守っている。
ルドルフもその側に立って見るともなしに街の様子を眺めた。

華やかで楽しげで誰も彼もが浮き立つようなその有様を見ていると、遠い故郷の地での出来事が夢だったような気さえしてくる。
突然視界がとりどりの色で埋め尽くされルドルフはたじろいだ。
にっこりと満面に笑みを浮かべた少女が目の前に立って花束を差し出している。
「花はいかが?男前のお坊ちゃん。恋人へのプレゼントにもってこいですよ」

「え、僕のこと・・・?」
勢いに押されて差し出された花束を受け取りながらルドルフは尋ねた。
「はい、よかったらそちらのお兄さんも」
リヒャルトは苦笑を浮かべながら私はいいよ、と言って少女にコインを渡す。
「こんなに沢山、ありがとうございます」
と、零れるような笑顔と共に少女はまた別の客に花を売る為に離れて行った。

「どうしよう、これ・・・」
ルドルフは戸惑いながらリヒャルトに尋ねる。
「持っていらしたらいいですよ。美しい花を見ているだけで心が華やぐでしょう」
「うん、確かに」
ルドルフはそっと花束に顔を近づけた。

強い花粉の香りが月光草を思い起こさせる。
だめだな、何を見ても彼のことを考えてしまう・・・
マティアスは昼日中街中を歩く事は出来ないだろうけど、でも、ほんの少しでもこの楽しい祝祭を共に楽しむ事が出来たら、とつい思ってしまった。

「御主人様、お坊ちゃん〜」
すっかり上機嫌のテオドールが足をもつれさせながら近寄ってくる。
「なんだアイツ、酔っ払ってるのか?」
「さあ、でもすごく楽しそう・・・」
「ああ、アイツは極楽トンボだからな」

「どうしたんです、お二人とも。せっかくのお祭りなんだからパーっと行きましょうや。向こうで面白い芸をいろいろやってますよ。ご覧にならないので?」
テオドールに腕を引っ張られるようにしてルドルフは街を見て回る。
リヒャルトもそのすぐ後からついて歩いた。

無事ラインハルト王子の元へ送り届けるまではルドルフから目を離すわけにはいかない。
王女様に何かあったらマティアス卿に顔向けが出来ない、とリヒャルトは思っていた。
綺麗な花束を手にしたルドルフに道行く少女達が何人も振り返って通り過ぎるのをリヒャルトは複雑な表情で眺めた。
確かにこんな格好をしていると男前のお坊ちゃんには違いないだろうが・・・

街の一角で寸劇を上演している一座があり、三人も群集に紛れて見物した。
劇も半ばに差し掛かった時、すぐ隣に立っていた少女がルドルフに話しかけてきた。
綺麗な栗色の髪に茶色がかった緑色の瞳の人懐こそうな小柄な少女だ。

「あなた、この国の人?」
「え、いや、僕は・・・」
「違うの?じゃ、フィルデンラントから来たの?」
「うん、まあ・・・」
少女はじっとルドルフを見詰めるとふとその手にした花に目を留め、
「綺麗ね、それ・・・」
と言った。

「ああ、これ・・・」
ルドルフも手にした花に目を遣ってから少女の視線に気がつき、
「よかったらどうぞ。君が持ってたほうが似合いそうだ」
と取ってつけたように言うと花束を手渡した。
少女はありがとう、と言って受け取るとなおもルドルフに色々と質問してくる。
閉口したルドルフが適当に誤魔化して少女から離れようとした時、少し離れたところで小さないさかいが起こった。

初めは酔っ払同士の小競り合いだったが次第にエスカレートして、見物人や芸人たちをも巻き込んでの乱闘となってしまった。
とばっちりを食って屋台や商品を壊された露天商も加わって大変な騒ぎである。
ルドルフと少女が立っていたあたりにも投げ飛ばされた男が転がってきて、ルドルフはとっさに少女を背に庇いつつ身をかわした。

逃げ遅れたテオドールは続いて起こった喧嘩騒ぎに巻き込まれもみくちゃにされている。
リヒャルトもあおりを食って酔っ払いにからまれてしまったようだ。
リヒャルトやテオドールと離れてしまったルドルフは何とか彼らの傍に戻ろうとしたが、ますます広がる騒ぎに出動した警備兵に動きを抑えられてしまい、合流は諦めざるを得なかった。

しばらくは騒動が静まるのを待つしかない、兵士が暴れている連中を取り押さえるのを眉を顰めて眺めるルドルフに少女は
「あらあら大変、巻き込まれたら困るわ」
と言って腕を組んできた。
「私、もう帰るわ。送って頂戴」

「え、でも僕は・・・」
ルドルフが驚いて見詰めるのに少女は
「あなた、女の子を一人で帰らせるつもり?ちゃんと宿まで送り届けるのが男の役目でしょう?」
とこともなげに言う。

まいったな、リヒャルトたちとあまり離れたくないんだけど・・・
リヒャルトは遠目遠耳が利くといっていたから自分の事を探し出してくれるだろうか―――

少女に引き摺られるようにしてルドルフは人気の少ない裏道を辿る。
「ねえ君、君の名前は何というの?どこまで送ればいいのかな?」
相手のマイペースぶりに翻弄され、少しばかり狼狽しながらルドルフは尋ねる。

「そうね、あなたになら教えてあげてもいいわ。私の名前はサンドラ。送るのは街の城門まででいいわ」
そう言ってサンドラは悪戯っぽい笑顔でルドルフを見上げる。
「街の城門って、どういうこと?」

少女はそれには答えず、
「それよりあなたの名前は?私に聞いておいて自分は教えてくれないつもり?」
と言った。

「僕は・・・ルドルフだよ」
別な名を名乗ろうかとも思ったが咄嗟に思いつかずルドルフは正直に告げる事にした。
どの道もう会う事は無い相手だろうし・・・

「ルドルフ?素敵な名前ね、あなたによく似合ってるわ」
「そうかな・・・」
サンドラは急に立ち止まるとじっとルドルフを見上げる。
「ルドルフ、あなたハンサムね。菫色の瞳がとっても素敵だわ」

えっ、と驚いて少女を見詰めたとき脇道から数人の男がバラバラと駆け出してきた。





男達は物も言わずいきなり剣を抜いてサンドラに切りかかってくる。
ルドルフは咄嗟にサンドラを背後に押しやると「逃げろ!」と叫んだ。
サンドラは少しはなれたところでルドルフのほうを不安げに見守る。

襲い掛かる相手の前に立ちふさがったルドルフは寸前でひらりと身をかわすと思い切り相手の足を払った。
男がバランスを崩し倒れ掛かるところを首筋に肘鉄を食らわせ、その手にした剣を奪い取った。
もう一人の男がその横をすり抜けサンドラに近付こうとするのを体当たりで阻止したルドルフは素早く少女の前に立ち剣を構える。

「逃げろと言ったじゃないか・・・」
ルドルフにそう言われ少女は
「だって・・・」
とその背にしがみつく。
「危ないから離れててくれ!」
ルドルフはそう言って少女を軽く突き飛ばすと斬りかかる相手の剣を受け止め、跳ね返した。

随分細く軽めの剣だが、久々に手にする剣の感触にルドルフの心は高揚する。
体勢を立て直し向ってきた敵の剣を弾き、相手が再び剣を振り下ろす前にルドルフは身をかがめて相手の腹に切りつけた。
男は腹を抑えながら後退する。
入れ替わりに別な相手が切りかかってきた。

サンドラの口から高い悲鳴が上がる。
力任せに打ち込んでくる相手の剣に怯んだ振りをして相手がかさにかかって切りかかってくるのを受け流しながらルドルフは相手の力が余って体勢を崩した瞬間に下方から剣を振り上げた。

表通りの騒ぎがひと段落したところに響いてきた悲鳴を聞きつけたのだろう、数人分の人声と足音が聞こえてくる。
襲ってきた男達は何事か捨て台詞を投げつけながら逃げ出して行った。
ルドルフは深追いはせず、サンドラの元に駆け寄ると怪我は無いか尋ねた。

「やっぱり思った通りね。あなた、とても強いのね」
サンドラは怖がる様子も無くそう言ってルドルフに抱きついてくる。
「・・・さっきの連中の目的は君なんだろう。殺気が感じられなかったところを見ると君の命を奪うつもりは無かったようだけど・・・。君は一体何者なんだ・・・?」

「それを言うならあなただって・・・。見た感じはどこかの商家のお坊ちゃんの様に見えるけど、さっきの剣の腕前を見れば平民ではないわね。あなたこそ誰なの?」
「僕は・・・」
ルドルフは答えようが無く、そう言ったきり黙りこんだ。

やはり服装を変えただけでは身分は隠しきれないものだろうか。
長年剣士として鍛え続けてきた身体は剣を手にした途端ひとりでに動いてしまった。

「言いたくないなら答えなくてもいいわ。そのかわり・・・」
サンドラは上目遣いにルドルフを見上げながら
「私の護衛をしてくれないかしら?城門までではなくてもう少し遠くまで」
と言ってルドルフの髪にそっと触れてきた。

「悪いけど、僕には連れがいるから、勝手に動き回るわけにはいかないんだ」
「連れ?女の人?」
「いや、二人とも男だけど」
サンドラは少し考えた後、
「ふうん、まあいいわ、その人達も一緒に雇ってあげる」
と笑って言った。

「まいったな、僕はフィルデンラントに戻らなくてはならないんです」
「でも、そんなに急いでいるわけじゃないんでしょう」
「いえ、友人が僕を待っているので」
本当の事を言うわけにはいかずルドルフはそんな風に誤魔化した。

「そんな友達、少し待たしておいてもいいじゃない」
「そういうわけには・・・、とにかく城門まで送るよ」
ルドルフはそう言ってサンドラを促して歩き始めた。
サンドラはルドルフの腕に手を回してべったりと寄り添ってくる。
「冷たいのね。私はもっとあなたと一緒にいたいのに」

その甘えた様子に少しばかり閉口しながらもルドルフは警戒を怠らなかった。
またさっきのような連中が襲ってこないとも限らない。
目的はサンドラを誘拐することにあったようだが、あんな者達に狙われるところを見るとこの少女、ただ者ではないようだ。
いずれどこぞの貴族の娘といったところか・・・

サンドラが言うには東の城門で連れが待っているのだそうだ。
「連れがいるならどうして一緒に行動しないの?さっきの男達のような連中に狙われてるんなら余計、一人で行動するのは危ない・・・」
ルドルフが呆れ気味に言う。

「冗談じゃないわ、せっかくのお祭りなのにあんな無粋な者どもを連れて歩けるものですか!それに今はあなたがいるし。一人でなかったらあなたと親しくなれなかったわ、そうじゃなくて?」
「それはそうかもしれないけど」

「だから、一人で行動してよかったのよ。それに私のお供なんて束になってもあなた一人に敵わないわよ、きっと」
「そんな・・・」
やっと目指す東の城門が見えてきた。

門の左右にたむろしていた一群の人影がルドルフとサンドラを認めていっせいに駆け寄ってきた。
「サンドラ様、どちらにいらしたのです。随分心配しましたよ」
幾分年配の男達がサンドラとルドルフの周りを取り囲んだ。

「サンドラ様、こちらは?」
そう言って男達の一人がルドルフをサンドラから引き離そうとする。
「私を助けてくれた恩人よ。とっても強いの。私、この方にドレシェットグラートまで送ってもらうことにしたから」
サンドラは男の手を振り払ってルドルフに抱きついた。

男達も驚いたがルドルフも吃驚してサンドラを見詰めた。
「何言ってるの、君。僕はそんなこと承知した覚えは無いよ」
ルドルフはそう言ってサンドラの手を振り払うとそのまま元来た道を戻り始めた。

ドレシェットグラートはゾーネンニーデルンの王都、リエナシュタットの街からは早馬で飛ばしても三日から四日はかかるだろう。
冗談ではない、そんなこと勝手に決められても困る。
とてもこれ以上は付き合えない、そう思って足早に立ち去ろうとした。

「待って、ルドルフ、待ってよ・・・!」
サンドラはルドルフに追いすがって引きとめようとする。
「ねえお願い、私を送ってくれるって言ったじゃない・・・」
「それはこの城門までだろう。悪いけど僕はそんなに暇じゃないんだ」
腕に絡みついてくる相手をわざと手荒く振り払い、ルドルフは歩き続けようとした。

「まて、貴様この方をどなただと・・・」
男達がルドルフの行く手を遮ろうとする。
「どこのどなたか知らないが僕に命令する権利など無いはずだ」
少しばかりムッとしてルドルフはそう言い放った。

「小僧、無礼だぞ」
男達に取り囲まれ、ルドルフは無礼なのはどちらだ、と憮然とする。
「おやめ、この方に失礼な振る舞いは許しません」
サンドラは男たちにそう言うと
「改めてお願いするわ。私の護衛を引き受けてくれないかしら。お礼はきちんとさせていただくから」
とルドルフには甘えるような笑顔を向けた。

「でも・・・」
「サンドラ様、どこの誰とも知れないものをお供に加えるのは危険です。サンドラ様を助けたのだって罠かもしれないのですよ」
先ほどの年配の男が諭すように言うが素直に聞くような少女でないことは言っている本人もわかっているようだ。

「この方の言うとおりだと僕も思いますよ。それに僕は南に行く予定はありません。本当にこれで失礼します」
ルドルフはそう言ってサンドラの腕をつかみ傍らに立っていた供の男に押し付けると、すばやく踵を返し駆け出した。
これ以上下手な関わりを持つと厄介だ。
それより早くリヒャルトたちと合流して、アディエールに向かおう。
少しだけならと寄り道したのが間違いの元、僕にそんな余裕はないんだから―――

フィルデンラント一の猛将と言われるケンペス将軍、ラインハルトはきっと彼と何らかの接触を持つはずだ。
アディエールに行けばラインハルトにつながる手がかりが得られるだろう。
ルドルフは細い街路を一気に駆け抜け、先ほどリヒャルトたちとはぐれた広場まで戻った。






喧嘩の跡はすっかり片付けられて大勢いた見物人もすっかりまばらになっている。
キョロキョロと見回すと、広場の反対側に額に布を当て俯いて腰を落としているテオドールとその傍らで呆れたように見下ろしているリヒャルトの姿が目に入った。

「リヒャルト殿」
「ああ、ルドルフ様、ご無事でよかった。お姿が見えなくなってしまったのでコイツが落ち着いたら探しにいこうと思っていたところです」
リヒャルトはそう言って足で軽くテオドールを突付いて見せた。

「面目ない、お坊ちゃん。あんな酔っ払いにいいようにやられるなんて、一世一代の恥というもので・・・」
血のにじんだ布切れを頭に当てたままテオドールは情けない声を出す。

「そんなこと・・・。怪我、酷いの?」
「いや、大したことはないですけど・・・」
そう言って立ち上がろうとしたテオドールだが一瞬顔を歪めるとすぐにしゃがみこんでしまった。
「リヒャルト殿、医者に見せた方がいいのでは?」
ルドルフが心配そうに尋ねる。

「まあそうですが・・・」
「とにかく今日はどこかに宿を取って医者を呼んでもらいましょう」
ルドルフがテオドールに手を差し伸べた時、
「今日はお祭りで宿はどこも一杯のはず、空いてる宿なんてございませんよ」
と背後で低い男の声が響いた。

見ると若く俊敏そうな男がすぐ後ろに立っていた。
栗色に近い金髪に濃紺の瞳が精悍そうな印象を与えている。
「君は・・・」
ルドルフが戸惑っていると、男は
「足が早いんですね。お嬢様の命令とはいえ、見失わないように追うのが大変でした」
と言って笑顔を見せた。

男はルドルフの傍らに立つリヒャルトに軽く会釈をするとルドルフに
「どうか考え直していただけませんか。私どもと一緒に来て下さればお連れ様にもゆっくり休んでいただけますよ。もちろん、医者にもお診せいたします」
と声をかける。

あのサンドラの連れの一人か、とルドルフは不機嫌さを露にして横を向いた。
「僕の後をつけてきたのか」
それにしてもさっきの連中の中にこんな奴いただろうか・・・?

「お嬢様は大層あなたのことを気に入ったご様子で、ぜひとも連れ戻してくるようきつく言いつけられました」
男の言葉にリヒャルトは
「ルドルフ様、どうなさったのですか、この者は一体・・・」
と心配そうに声をかけた。

「これは申し遅れました、私はダルシアと申します。この方は私どものお嬢様の恩人なのだそうです」
と男は穏やかな微笑を浮かべて答える。
「そんな大袈裟な・・・。僕はただ・・・」

ダルシアはルドルフに近寄り小声で囁く。
「平民の姿をしているのは目晦ましで、あなたは貴族か・・・、いや本当は王族の出でいらっしゃる、そうでしょう・・・?」

その言葉に思わず目を見張るルドルフの腕を取ってリヒャルトから少し離れたところに連れて行ったダルシアは、
「フィルデンラントに黒髪の王族はいない。ならばあなたは・・・」
と探るような声音で続ける。
「剣の名手と噂に高いグリスデルガルドの王子ルドルフ様―――違いますか?」

ルドルフは男の言葉を思い切り大声で笑い飛ばした。
「あはは、僕が何だって?馬鹿馬鹿しい。僕は・・・」
ダルシアはルドルフの腕を強く掴んで
「では、この街の衛兵詰め所に一緒に参りますか?あなたの身柄には懸賞金が付いているはず。グリスデルガルドとフィルデンラントの両方でね・・・」
とこれまでとは打って変わって凄みの利いた声で言った。

無言で睨みつけるルドルフに男は元のような穏やかな口調に戻って続ける。
「私はずっと密かにお嬢様の警護に当たっていました。お言葉どおりお一人にするわけにはいかないですからね。
あなたの戦いぶりも見せていただきました。はじめは助太刀するつもりでしたがそんな必要はないことがすぐに分かった。噂に違わぬ見事な剣捌き、大層感服させられました」

そのときリヒャルトが鞘に収めたままの剣をその男の腕に突きたてた。
「何者か知らぬがこの方に用があるのなら、まずこの私に言ってもらおう」
リヒャルトはそう言ってルドルフとダルシアの間に割って入る。

「いや、私どものお嬢様がルドルフ様を非常に気に入って、ぜひ王都ドレシェットグラートまでの道中をご一緒していただきたいと言ってきかないのですよ。
王都までとは言わずとも少しだけでもお付き合いいただけませんか、ルドルフ様」
最後の言葉はルドルフに向けて放たれた。

「だから僕は先を急いでいるのだと言ったでしょう・・・」
ルドルフは心の動揺を押し隠しながら呟くように言った。
この男、一体何者だろう。僕の正体を見抜くなんて・・・
まさか、コイツも妖魔族の手下か・・・

「どうしてあなたがこんな所にいらっしゃるのか分からないが、あなたには味方が必要だ。私どものお嬢様はあなたにとってこれ以上ないくらい心強い後ろ盾となるはずです」
「どういう意味です?あのサンドラは一体・・・」

ダルシアはリヒャルトを軽く押しのけるとルドルフについと近付き耳元に唇を当てるようにして囁いた。
「あの方はゾーネンニーデルンの庶出の王女アレクサンドラ様です」
ルドルフは驚いて相手を見上げる。
ダルシアは更にルドルフを抱き寄せるようにして耳元で囁いた。
「大丈夫、サンドラ様はあなたが女性だとは気付いていない。どうやらあなたに一目惚れしたようですから・・・」

ルドルフはかっと朱くなって男を突き放した。
「よせ!僕を謀るつもりか・・・!」
「まさか、ただ今は我等と行動を共にされるほうが得策だと進言申し上げているのですよ。
フィルデンラントでは戒厳令が敷かれた。アディエールには民間人は近づけません。山越えで国境を越えられても結局は時間を無駄にするだけに終わると思いますよ」

ルドルフは判断に困ってリヒャルトを見詰める。
リヒャルトもあまりにも突然のこの申し出に戸惑っていた。
この娘が無事に暮らせる場所へ連れて行ってやってくれ―――
マティアス卿はそう言った。
無事に暮らせる場所・・・、ラインハルト王子の元でこの王女様が無事に暮らせるだろうか?

ラインハルトと共にいればルドルフも否応なしに妖魔族との戦いに臨まねばならぬだろう。
それが今のルドルフにとっては本心からの望みで無い事をリヒャルトは知っている。ならば―――
「分かりました、ルドルフ様、今フィルデンラントに向ってもラインハルト様に会えるとは限らない。ここは一旦南に向うのも手かもしれませんね」

ルドルフとしてはリヒャルトのこの答えはかなり意外なものだったが、確かにどうにかフィルデンラントに入りケンペスと渡りを付けられたとしてもラインハルトに会えるとは限らない。
下手に検問に引っ掛かって身元が知れたら厄介かもしれない。

それに―――
リヒャルトはマティアスが信頼した相手だ。
今度もまたそう思う根拠は無いのだが、ルドルフはこの不思議な騎士が自分の為にならない判断を下す事は無い、なぜかそう信じていた。
リヒャルトはマティアスの信頼を裏切る事はしないだろう、と・・・。

「分かった。リヒャルト殿がそう言われるなら・・・」
ルドルフがそう呟いたとたんダルシアは一瞬含み笑いを漏らした。
それを見てルドルフは一抹の不安を覚えたがとにかく今はテオドールの怪我の手当てもしてやらなければならない、そう思ってダルシアに
「仕方ありません、しばらくの間同行させていただきましょう。そのかわり連れの怪我を・・・」
と言った。

テオドールは道端に腰を落とし壁に寄り掛かるようにしてぐったりしている。
頭に当てた布には新しい血が滲み出ていた。
ラインハルトなら魔法で回復させてやれるんだろうに―――
もうしばらくは会うこと叶わぬだろう友のことを思い、ルドルフは彼と兄国王の無事を強く願ってダルシアの後について行った。



10


リエナシュタット郊外
ルミナス公爵家の別邸

ゾーネンニーデルンの王女だというサンドラはリエナシュタットの祝祭の間、親戚でもあるルミナス公爵家の別邸に身を寄せていた。
別邸と言っても王宮を少しばかり小ぶりにしたような豪奢なものである。
立派な部屋をあてがわれ、若く美しいメイドに傅かれ怪我の手当てをしてもらってテオドールはすっかりご機嫌だった。

ダルシアの言葉に嘘は無く、サンドラはテオドールのために医者を呼んでくれた。
サンドラ―――本当の名はアレクサンドラというらしいが―――は現国王の側室の生んだ王女で、本来の奔放な性格から王宮暮らしは肌に合わず、しょっちゅう視察と称して色々な地方へ出かけて自由気侭な生活を送っているらしい。
歳はルドルフより一つ下で、栗色の髪に緑かがった茶色の目をしていた。

現国王の正妃には王女しかいないため、いずれは彼女の実の兄に当たるヘンドリック王子が時期国王になる予定だ。
ためにサンドラは正室の王女と同等、あるいはそれ以上の待遇を受けているらしかった。
当然の事ながら義姉の王女達とは大変に仲が悪いらしい。
そんなことも王宮にいたがらない理由の一つかもしれない、道々ダルシアからそんな話を聞きながらルドルフは思った。

「君はずっとサンドラのことを密かに警護していたと言ったけど・・・」
ルドルフはこの男の気配をサンドラの周りに感じなかったことを訝しく思いながら尋ねた。

「私は特別な訓練を受けた者ですから、極秘の警護の場合は気配を消しています。実を言えばあなたとサンドラ様が街の路地を行く間もずっと、少しはなれて付いて歩いていたのですけどね」
「特別な・・・?」

「ええ、私は生まれてすぐにある小村に預けられ、訓練を受けて育ちました。気配を消す以外にも色々なことが出来ます。いろいろとあなたのお役にも立てると思いますよ」
ダルシアはそう言ってルドルフに思わせぶりな視線を投げてきた。

「私はずっとあなたにお会いしたいと思っていた。英雄ルドルフに生き写しといわれる若き剣士ルドルフ王子に。
まさか、そのあなたがこんなに可憐な女性だとは思いもよりませんでしたが」

「僕は・・・」
ルドルフは軽く頬を染めたまま
「やっぱり分かってしまうのかな、僕が女だということ・・・」
と俯きがちに尋ねた。

「まあ、大抵のものはすぐには気付かないでしょう。ただ、身体つきにしろ声にしろ年齢が上がるにつれ男と女とでは大きく違ってくるものですから。
あなたは華奢だし声も女性としては低い方かもしれないけど男としてはね・・・」
「そう・・・だよね」

「私としてはそのほうが何倍も嬉しいですよ。だって私は・・・」
ダルシアがそう言いかけたとき、城門の側で待っていたサンドラが目ざとくルドルフを見つけ駆け寄ってきたので、彼との会話は途中で打ち切られてしまった。

ルドルフはリヒャルト、テオドールと共にサンドラの馬車に乗せられてしまったため、その後ダルシアを話をする機会はなく与えられた部屋で身体を休めていた。
しばらくこの別邸で過ごし、テオドールの傷が塞がるのを待って王都へ向う、そういう段取りになり、ルドルフとしても久々にゆっくり休息できそうだ。

柔らかいベッドに身を沈めるとマティアスの部屋で過ごした一日が思い起こされる。
彼の面影を追いながら目を閉じていると不意に部屋の中に人の気配を感じ、ルドルフは飛び起きた。
すぐ目の前にあのダルシアが立っている。

「驚いたな、君は魔法も使えるのか?」
ルドルフの問いにダルシアは微笑を漏らしながら
「いいえ、魔法ではありません。私は気配を消して高速で移動したり高い塀を飛び越えたり出来るだけですよ。この部屋には窓が開いていたのでバルコニーから入らせていただきました。お休みのお邪魔をしてしまいましたようで申し訳ございません」
と言った。

「いや、そんな事はいいんだけど」
バルコニーからってここは三階のはずだけど、よじ登りでもしたのだろうか・・・
「失礼とは思いましたが、先程の話の続きをどうしても聞いていただきたかったのです」

「ああ、いいよ。何の話だっけ」
ルドルフはそう言って立ち上がると、続きになっている居間へと一歩踏み出しながらダルシアを促した。
だが相手はその場に立ったままじっとルドルフを見詰めると
「グリスデルガルドの王子ルドルフ様。私はずっとお仕えするならあなたに、と思っておりました。こんなところであなたにお会いできるとは望外の幸せ。これもエリオルの神のお導きと感謝しております」
と言った。

「そんな、僕は・・・。僕が本当は女でがっかりしたろう・・・?」
戸惑うルドルフにすっと近付いたダルシアはその手を取って跪くと
「男だろうが女だろうが関係ない。あなたは超一級の剣士だ。どうか私をお召し抱え下さい」
と言い募る。

「ダルシア、そう思ってくれるのは嬉しいけど君はサンドラの臣下だろう。僕より彼女の事を護ってやってくれ・・・」
「ルドルフ様、私が好き好んであの我儘者のお姫様にお仕えしているとお思いなのですか」
ルドルフは返す言葉に詰まる。
確かにあのお姫様に仕えるのは大変そうだが・・・

「命をかけて戦うならあなたのような方のために―――。私はアレクサンドラ姫の家来としてではなく、あなたの臣下として死にたい、そう思っています。どうかお心にお留め置きください」
ダルシアはルドルフの手に軽く唇を触れるとあっと言う間に窓から飛び出して行った。

驚いて窓に駆け寄り張り出したバルコニーから見下ろすと、はるか下方の中庭を駆け抜ける小さな影がほんの一瞬視界を過ぎって別棟の建物の影に消える。
ルドルフはしばし呆気に取られてバルコニーに立ち尽くしていた。