暁の大地


第十四章




ホーファーベルゲン
聖ロドニウス教会

朝食を終え、いつもどおりオルランドと書庫で書籍調べを始めたラインハルトはオルランドがいつになく身が入らない様子なのを見て何かあったのかと訊ねてみた。
「いや、特に何があったというわけではないのですがね」
オルランドはそういうと急に真顔になった。

「そういえば王子様は神格文字の入った剣を持っていらっしゃいましたね」
「え、はい・・・」
「あれは西の守りフィルデンラント鎮護の為エリオル神よりフィルドクリフトに特別に下賜されたものだったとか」
「え、そうなのですか!。そんな話は今初めて聞きました!」

「違うかもしれません。ただフィルドクリフトがエリオルから剣を貰った事は伝説として残っています」
「そんな、第一僕はあんな剣があることも知らなかった」
「何らかの理由であの剣の事はフィルデンラントの国史から消されたのでしょうな。もちろん国王には口伝で伝えられていたかもしれません」
「・・・」

ラインハルトは兄の言葉を思い出した。
兄は父から伝えられたことをヴィクトールに話してしまった。
そしてその内容はヴィクトールに親友への反乱を決意させるほどのものだった―――

「では、あのオーブもエリオルから賜ったものだと?」
「グリスデルガルドのオーブ、ですな」
「はい、今は妖魔族の手に渡っている・・・」
あの黒いオーブが自分の血を受けて七色に光り輝く様がラインハルトの脳裏に鮮やかに浮かび上がった。

「そう、あのオーブに関しては何と言うべきか・・・」
「え?」
怪訝そうなラインハルトにオルランドは言葉を選ぶようにゆっくりと語り始めた。
「あのオーブはそもそも妖魔族のものだったようです。ルドルフ王子が遠征の途上で手に入れたものと報告されておりますな。具体的にどのような手段を用いたのか詳細は不明ですが・・・」

「そうだったのですか。僕はてっきりあのオーブも・・・」
ラインハルトは言葉を失いただそう呟いた。
あのオーブも教会から下賜されたエリオルの遺物かと思った、だってあのオーブは今オルランドが持っているものと形状がよく似ているが―――

「わしが使っているオーブもまたエリオルの遺産。それとよく似たものを妖魔族が持っていたという事は、エリオルと妖魔族にはやはり強いつながりがあるとしか思えなせんな・・・」
「そうだね・・・」

ラインハルトは溜め息を吐くと話題を変えようとルドルフとアルベルトの行方について努めて明るい口調で聞いてみた。
「それが・・・、前に申し上げた、特別な者達を探索に遣わしましたが、アルベルトはおろかルドルフ王子の行方も杳として知れない状況です。彼らをもってしても居場所を割り出せないところを見ると、二人とも・・・」
「オルランド殿!まさか、二人とも妖魔族の手に・・・?」
ラインハルトは最悪の展開にショックを隠しきれない。

「そうと決まったわけでなありませんが、常人には手出しのできない場所にいるのかもしれません。この世には人智が及ばぬものがまだまだたくさんあるようですからな・・・」
オルランドはそう言って視線を宙に浮かした。

昼食後、ラインハルトは再び書庫へと籠もるため、オルランドが迎えに来るのを待っていたが、いつになっても訪れがないため自分からオルランドの部屋へと向ってみた。
いくら調べても時間の無駄という気もするが、それでも何もせずにただ無為の時間を過ごすのは耐えられない。

あんな話を聞いた後ではなおさらだ。
客分というのは建前で本当は自分は聖ロドニウス教会の囚われ人なのだということに自分でもうすうす気付いてはいるが、他に何をしようにも許してもらえるはずがないだろう。
フィルデンラントやグリスデルガルドで起こっていることを考えると歯噛みしたいほどの焦燥感にかられる。

不機嫌さを隠しもせずにやや乱暴にオルランドの部屋の扉を叩いてみたが返事はない。
ノブに手を当ててみると扉はしっかりと施錠されていた。
留守なのだろうか、午前中は出かけることなど一言も言っていなかったが・・・

ラインハルトは不思議に思いながらもオルランドの所在を確めるためロナウドの部屋へと向った。
オルランドは所用があって急に出かけることになったのだとロナウドはラインハルトに伝えた。

「ラインハルト様はオルランド様からお聞きになっておられませんでしたか?」
「うん」
「では、急だったのでお伝えする間がなかったのでしょう、申し訳ありません」
「君が詫びる必要はないよ」

では、今日は一人で書籍漁りをするか、と思いながらふとロナウドの部屋を眺めたラインハルトの眼に、床の上に大きく広げられた紙が見えた。
「あれ、地理の勉強してたのかい?」
「ああ、あれは・・・」

ロナウドはむさくるしい部屋で申し訳ないですが、と言いながらラインハルトを部屋に招じ入れると床の上に広げた紙を指し示して言った。
「この教会の見取り図です。オルランド様が測量班に頼んで起こしてもらったものだそうです。そしてこちらは設計図」
ロナウドはそう言って下にしかれていたもう一枚の大きな紙を見取り図の上に重ねてみせた。

よく見ると幾枚かの紙が繋ぎ合わされたものであることが分かる。
「この修道院は二百年ほど前に立て直されております。その際の設計図の原本は当の昔に失われてしまったそうです。今の技術では百年を越えて形状を保ちえる紙を漉くことはできないらしいです。これは原本の何回目かの写しだとオルランド様は仰っておられました」

「ふうん・・・」
ラインハルトは大して興味も無さそうにちらと二枚の図面を眺めた。
「自分の留守中に少し建築の事を学んでおくようにと仰って」
ロナウドはラインハルトに椅子に座るようすすめ、自らは広げた紙を片付けようとした。

「君は建築に興味があるの?」
「いいえ、僕は建築のことなどさっぱりわかりません」
ラインハルトはふいにその見取り図をもっとよく見てみたくなってロナウドにもう一度広げて見せてくれるよう頼んだ。
もしかして第一書庫の奥にさらに秘密の部屋でもあるかも知れないと思ったのだった。

その思惑は見事にはずれ、ラインハルトは大きく溜め息を吐いた。
そんな部屋があったとして、その部屋に辿り着く手がかりになるようなものをロナウドに見せたりする筈がないか・・・
思わず苦笑するラインハルトを見てロナウドは不思議そうに首を傾げた。

「どうかなさいましたか、王子様」
「いや、ちょっとね」
そう言ってラインハルトはあまり目にした事のない建物の平面図と設計図を今度は本当の好奇心から眺めてみた。
その様子を見てか、ロナウドはお茶を入れてくるのですこし待っていてほしいと言い残し、部屋を出て行った。

そんなに気を使う必要はないと言ったがロナウドの耳には入らなかったらしい。
ラインハルトはまた小さく溜め息を吐いて今度はもっとじっくり見取り図を眺めてみた。
どうせ書庫に籠もってみたところで得るものはないだろう、そんな気がした。

思いのほか手間取っているらしくロナウドはなかなか戻ってこない。
待っている間見取り図と設計図を見比べるうち、ラインハルトは両方の図面に少し誤差があるように感じられた。

修道院の礼拝堂を挟んで東側の翼はたしか兵僧たちの宿舎となっているはずだが、見取り図と設計図では部屋数が違っている。
設計図では三階の中央部分に他の部屋の半分ほどの広さの小部屋が確かに描かれているが、見取り図にはそのような部屋は見当たらなかった。

これはどういうことだろう・・・
ラインハルトが考え込んでいるとロナウドが湯気の立ち上るティーカップを二つ載せた盆を捧げ持って戻って来た。
「すみません、お待たせして・・・」

ラインハルトは勧められたお茶を飲みながらなおも考えてみた。
オルランドが自分の留守中にわざわざロナウドにこの建物の設計図だの見取り図だのを見るよう言いつけたのはなぜだろう・・・
答えは一つしか考えられなかった。

「ロナウド、ナタニエル総院長様はどちらに?」
「えっ、はい、オルランド様とご同行されていますが・・・」
「そうか、分かった。ところで兵僧たちは今時は鍛錬の時間だったよね」
「はい、そうですね、先ほどから午後の鍛錬が始まっているはずですので・・・」

「では、兵僧の宿舎は今は空っぽだということになるね」
ロナウドはやや躊躇いがちに頷いた。
「ロナウド、僕は急用を思い出したので、ちょっと失礼するよ」
ラインハルトは一口飲んだだけのお茶をテーブルに置くと、素早くロナウドの部屋を後にし、一旦自室に戻り頃合を計って目指す東棟に向った。

学僧は礼拝堂の西棟にあたる学問所から裏手に張り出した一棟に宿舎を与えられている。
ラインハルトが与えられた部屋もその棟の中央より西側にあり、誰にも見られずに東棟に向うのは難しい。
ラインハルトは西の外れに設けられた出口から出て、散策を装い、かなり遠回りしてこっそりと反対側の東の棟の出口へと回り込んだ。

途中、裏庭の畑や練兵場で見回りや鍛錬中の兵僧たちが眺められたが、学僧が周辺を散策するのを見咎めるものはいない。
ラインハルトは首尾よく東棟の出口に辿り着きこっそりと中に忍び込んだ。

規則正しい足音が微かに響いてくるのは見回り中の兵僧のものだろう。
足音が遠さかっていくのを確認してラインハルトは階段を音を立てないよう気をつけながら昇っていった。

祖父の領地で魔法の修行中こっそり屋敷を抜け出して息抜きした頃が懐かしく思い出される。
あの頃自分はまだ本当に子供で、早く修行を終えて王宮へ、兄の下へ戻りたいとそればかり考えていた。
こんなことになるのなら少しでも多く祖父から学んでおくのだった、と思う。

父王が亡くなり王宮に戻ることになった時、祖父は何か言いたそうだったがラインハルトを引き止める事はしなかった。
あの時自分は祖父から見放されていたのか・・・






三階まで辿り着き、例の小部屋がある辺りへとゆっくりと進んで行く。
まったく同じ質素な木製の扉が等間隔に規則的に並んでいるがラインハルトは一目で違和感を感じた。
どうやら眼晦ましの魔法がかけられているらしい。

かなり古い魔法だ。
おそらくこの建物が建てられた時かけられたのだろう。
とすればその魔導士はもう亡くなっているはず、それでもなおその魔法が生き続けているのだとすれば―――

近くに魔具があるはずだ、そう思って辺りを見回すと扉と反対側の、壁と床が接する辺りに一箇所、石組みが不ぞろいな場所があることに気がついた。
じっと観察しなければ見過ごしてしまうくらいの小さな石が床と壁の境目からほんの少し飛び出している。
かがみこんでその石の頭に静かに触れると石はするりと床から抜けてラインハルトの手に飛び込んできた。
「これは!」

頭の先だけが見えていたときには分からなかったが石はほぼ正四面体の形をしており、底面にはエリオルのシンボルである円とそれを取り囲む六つの三角形、太陽の光を表した紋様が彫り込まれていた。
石が抜けたあとの床面には石の形に小さな穴が口を開けている。

振り返ると辺りの空間がぐにゃりと歪むような気がして、いつの間にか他の扉とは明らかに大きさも質感も違う小さな扉が現れた。
その扉を挿んで、もともと見えていた扉が全く等間隔に並んでいて、ちょうどこの扉の分だけ横にずれたように感じられた。
ラインハルトは石を手にしたままそっと新たに現れた扉に近付き手を触れようとした。

「いけません、ラインハルト様!」
突然声をかけられて驚いたラインハルトの眼に、ロナウドが慌てて駆け寄ってくるのが見えた。
充分気をつけていたはずなのに後をつけられていたのか?
いや、そんなはずはない、それに足音も聞こえなかったはずだ―――

秘密の扉を見つけたことで興奮して、つい周囲への警戒を怠ったことをラインハルトは後悔した。
それにこの少年のことも少し見縊っていたかもしれない。
幼くても聖ロドニウス教会に選ばれた学僧なら常人にはない力を持っていても不思議はなかったのに・・・

「ロナウド、僕をつけてきたのか」
「・・・」
少年は気まずそうにやや俯いた。

「僕を見張るようオルランド殿に言いつけられたのか?」
黙って俯くだけの相手にラインハルトは語調を弱めてさらに尋ねた。
「では、ナタニエル総院長様に?」
ロナウドは小さく頷く。

「・・・王子様がこの僧院内であまり活発に動き回られるのを総院長は・・・」
「分かってる。僕が自由に歩き回るのをお喜びにはならないのだろう?」
ロナウドはきっと顔を上げてラインハルトを真っ直ぐに見つめ、早口で話し出した。

「この聖ロドニウス教会にはオルランド様のような高位の僧にも明かすことができない秘密があって、総院長様はその秘密を守りぬかねばならないのだと仰いました。
王子様は聡明な方だから、いずれきっとその秘密に気付いていろいろ探ろうとなさるだろうと。だから・・・」

「ロナウド、僕は教会の秘密には何の興味もない、ただ国と兄、そして大切な友人を助けるためにどんな小さな手がかりでも欲しいだけだよ」
「それはそうなんでしょうけど・・・」

「僕が地図を見た事も話したの?」
ロナウドは激しく頭を振った。
「いいえ、僕は話していません。でも貸し出しの記録から僕が地図を借りた事は分かってしまうから、総院長様は気付かれたかもしれません」

ラインハルトはロナウドを見遣りながらも扉に手を伸ばした。
「ラインハルト様!総院長様は自らの死期を悟ったとき、後継者と決めたただ一人の人物にだけその秘密を授け渡すのだと仰いました。だから・・・」

「それでも僕は自分のすべきと思うことをしなければならないんだ」
ラインハルトは扉に手を触れた。
魔法で鍵がかけられている上結界が張ってある。

ラインハルトは少し考えた後、手にした魔法石の底面を扉に押し付けた。
扉上にも太陽の紋様が浮き出て、ラインハルトの身体は吸い込まれるように部屋の中へと消えて行った。

「ラインハルト様!お戻り下さい!」
ロナウドの声が小さく響いている。
随分遠く離れているように感じられた。

石壁で囲まれた小さな部屋は薄暗かったがどこかに空気孔はあると見えて空気はそれほど澱んでいない。
ラインハルトは魔法で小さな光の球を現出させ部屋の中を照らし出した。
小さな小部屋のほぼ中央に丸テーブルが置かれその上にりっぱな箱が置いてある。
扉と対面の壁には書棚が置かれ、書物や巻物がまばらに並べられていた。

ラインハルトは箱の中身に興味を引かれたがそれ以上に惹きつけられるものを感じ、真っ直ぐに書棚に向った。
それは書棚の最下段に置くに押し込められるようにおかれている薄い書物で、表紙も装丁もかなり痛んでいた。

これは日記だ、ページを捲ってすぐにラインハルトは気がついた。
最初のページに記されたサインを見てラインハルトは高揚感で手が震えだすのを抑え切れなかった。

ルドルフ・オレステス・フォン・フィルドクリフト!

何としても手に入れたいと思っていたものがこんなに簡単に手に入るとは、何だか信じられなかった。
震える指でページを繰ってみる。
日記は以下の様な文で始まっていた。

―――私、ルドルフはベルデュロイ公爵の労により皇帝マルセス陛下に拝謁を果たし、いまや仇敵妖魔族の拠点地となった島国グリスデルガルドを制圧すべく拝命を賜った。
西征見事なった折には次期国王として兄フランツを建てる内諾を得たものである。

皇帝陛下の決定は即座に公布され、父の庶子擁立の野望は頓挫した形になった。
だがまだ油断は出来ない。
私の西征の首尾如何では、父はまた悪辣な手段を講じて兄を廃嫡すべく何らの企てを起こす可能性がある。

他にも少しでも兄の王位継承を妨げる可能性のある者は徹底して廃除せねばならない。
私はまたベルデュロイ公爵の仲介でフェルクトマイヤーという男に会いリストを渡した。
男は私の望みを忠実にかなえると誓った。

そしてその第一歩は上々の首尾だったようだ。
少しでも早く、もはやだれもフランツに取って代わろうなどという馬鹿げたことを考えないようになればいいと思う。

かほどに聡明で慈悲深く公正な方はいない。
目が不自由だろうがそんなことは何の瑕疵にもならぬはずだ。
フランツこそ国王になる為に生まれてきたただ一人の方なのだから―――

次のページからは故国を離れ、西へと遠征に赴く様子が折々に記述されているようだ。
一日に数ページを費やしているものもあれば、数行で終わってしまう日もあった。

その辺りを軽く読み飛ばしてラインハルトは肝心の妖魔族との戦いのくだりが書かれていないか、思うように動かない指先にもどかしさを覚えながらページを捲り続けたが、日記は半分ほど書かれたところで唐突に終わり、あとはただ白紙のページが続いているだけのようだった。

この続きはないのか、そう思って書棚を目を皿の様にして探していると、ロナウドの切迫した声が聞こえてきた。
「ラインハルト様!急いで下さい、早く!!」

なんだ、何かあったのか・・・?
「馬の嘶きが聞こえました。総院長様とオルランド様がお戻りです。
ラインハルトは慌てて日記をたっぷりした僧服の袂に隠すと部屋の外へと飛び出した。

手にした魔法石をもとどおり壁の隙間に戻すと今出て来た扉は跡形もなく消え、元通り質素な扉があまりにも規則的に並んでいる光景が目に映る。
同時に階段を上りきったナタニエル総院長がゆったりとした歩調で近付いてくるのが見えた。
その後ろには屈強な兵僧たちがずらりと控えていた。

「総院長様、お戻りになられたのですか」
「見ての通りだ」
総院長は穏やかな微笑を浮かべてロナウドに答えたが、その瞳は決して笑ってはいなかった。

「ラインハルト様、私はこのそう院内において貴方にはできうる限りの便宜を図ってきたつもりです。その見返りがこれですか」
この相手に下手な誤魔化しは通用しまい、ラインハルトは意を決した。

「総院長様、僕はいつまでもここで時間を空費するわけにはいかない、こうしている間にも事態はますます悪くなっているはずです。僕はここを出て行きます」
ラインハルトは決死の眼差しでナタニエルを睨むと拳をぎゅっと握り締めた。

「ほう、出て行かれるのはご自由だが・・・先ほど持ち出されたものは置いていっていただきたい」
ナタニエルの冷たい言葉とともに居並んだ兵僧たちが気色ばんだ。

「僕は僕の先祖の持ち物を取り返しただけだ」
「既にわが教会の宝となったものに関して貴方の権利は認められませんな。たとえ貴方が・・・」
ナタニエルがそこまで言いかけたときロナウドが叫んだ。
「総院長様、オルランド様はどうなさったのです?ご一緒にお戻りではなかったのですか?」

「オルランドは我らの絶対の秘密を外部のものに漏らそうとした。ヘルマン大聖の直弟子とはいえ、もはや我らの同胞とは認められない」
「そんな!」
ロナウドの顔色からラインハルトはオルランドの身の上によくないことが起こったのを察した。

「オルランドはオーブを持っていなかった。お前が預かっているのか」
ナタニエルに見据えられロナウドは微かに震えながら首を横に振った。
「では、それも王子様、貴方がお持ちなのかな・・・?」

「僕は知らない。僕が持っていたオーブはオルランド殿にお返しした。オルランド殿は部屋に置いているのでは・・・」
ナタニエルが軽く顎をしゃくるのを見て一人の兵僧が駆け出していく。

ラインハルトは部屋においてきたルドルフ一世の剣を思った。
ここでおめおめ虜囚になるわけにはいかない、だが逃げ出すならあの剣を持っていかねば・・・
あれは何としてもルドルフ王子に返さなくてはならないのだ―――



10


兵僧に腕を掴まれそうになったラインハルトはそれを振り払い踵を返して駆け出した。
「追え!我等の秘密を探るものは敵!王族とはいえ容赦はいらぬ・・・」
ナタニエルが叫ぶ。
ラインハルトは身をかがめながら廊下を全速力で中央棟目指した。

廊下の突き当たり、礼拝堂になっている中央棟に続く扉を潜るとほそい回廊に出る。
回廊は四階吹き抜けの礼拝堂の天井近くをドームに沿って半円形に巡っていた。

扉の手前にある階段から回りこんだ数名の兵僧がこちらに向かってくるのが目に入る。
まずい、先回りされたか―――

あまり魔法は使いたくないが、仕方ない。
背後で剣が振り下ろされる気配に軽く身をかがめたラインハルトはそのまま移動の呪文を唱えた。
魔法の発動がわずかに遅れ肩先に焼け付くような痛みが走った瞬間、ラインハルトは自らに与えられた部屋へと飛んでいた。

「しまった、魔法を使われたか!」
慌てて辺りを見回す兵僧達にナタニエルはよく通る声で新たな命令を発した。
「おそらくオルランドの部屋へ向ったのだ、オーブを手に入れるために。お前たちは西棟へ急げ、残りの者は小堂の警備だ」

「小堂・・・ですか」
すぐ傍に控えた兵僧の長にナタニエルは皮肉そうな笑みを見せた。
「オーブはあの小堂でしか本来の力を発揮しない、オルランドはそう言っていた。ラインハルトは必ず小堂に向かう筈だ」

ナタニエルは自らも西棟に向うべく一歩を踏み出して、不意に思いだしたように左右の者に訊ねた。
「そういえば、ロナウドはどこへ行ったかな」
「さあ、つい今し方まではここにおったと思いますが」
「他の兵僧たちとともにオルランドの部屋に向ったのでは」

ナタニエルはほんの一瞬考え込んだがすぐに首を振って、
「そうか・・・」
と呟くように言うと今度は迷いなく西棟へと歩き始めた。
―――ロナウドはオルランドの直弟子。何か特別な指示を受けているかもしれないが・・・。まあ、あいつはまだ子供、どうせたいした事も出来まい・・・

部屋に戻ったラインハルトは急いでクロゼットを開けると一番奥の隅に隠していた包みを取り出した。
肩から流れ出た血が一筋腕をつたって掌へと流れ出てきたが今は治癒の魔法を使う時間も惜しかった。
すでにオルランドの部屋には兵僧が駆けつけ、鍵のかかった扉と格闘している物音が聞こえてきていた。

早く、早く・・・
気ばかり焦って指が上手く動かないが、どうにか包みが解くことができた。
よしっ!
ラインハルトは腰に差すべく剣を持ち上げようと手を触れる。
その瞬間ビリリと電流の様なものが手を震わせた。

「っ・・・!」
思わず取り落としそうになるのを必死で堪え、とにかく剣を掴んだまま、再び移動の魔法を使った。
すでにラインハルトの部屋の扉も蹴破られようとしていた。
オルランドの部屋に見るべき物がなかったのだろう。
木製の扉がいやな音を立てて歪み、数人の男達がなだれ込んできた時、ラインハルトは森の中の少し樹の疎らな場所に移動していた。

木立の上に聖ロドニウス教会の尖塔が見えている。
思い通り、教会からさほど遠くない森の中に移動できたようで、ラインハルトはほっと胸を撫で下ろした。
肩の傷からはなおも血が流れ出し右袖は染み込んだ血でずっしり重さを増している。
流れ出した血が剣に伝うたび剣はビリビリと奮え、ラインハルトを苛んだ。

「とにかくこの怪我を何とかしなくっちゃな・・・」
そう一人ごちながらラインハルトは肩に手を回し、回復の魔法をかけた。

オルランドとナタニエルが出かけたのは昼食後、とすればそんなに遠くには行っていない。
オルランドはどこかこの近くに拘束されている筈だ。
それにオルランドは捕まった時オーブを持っていなかった、とナタニエルは言っていた。
あんな大切なものを部屋においたまま出かけるとは考え難いが、どこかへ隠したかそれとも誰かに託して行ったのだろうか・・・

やっと血が止まり、剣の震えも収まってきた。
不思議な剣だな。人間の血に反応するのか―――
ラインハルトはグリスデルガルドの王宮でルドルフとともにこの剣に触れたときの事を思い出し、静かに剣を柄から引き出した。

神格文字の銘が刻まれた刀身は鋭く冴えて日光に煌いている。
「清らかなる者には恩寵を、邪悪な者には鉄槌を―――か」
本当に早くこの剣を真の持ち主に返さなくては・・・

今も彼女の行方が知れないことに一抹の不安を覚えながらラインハルトは剣を鞘に戻そうとした。
「あれ?」
引き出すときには感じなかった僅かな抵抗を感じラインハルトは剣を戻す手を止めた。
剣は最後まで納まりきらず、鞘から僅かはみだしたままの状態で止まっている。

「へんだな、なにか詰まっているのか?」
ラインハルトはもう一度剣を引き出し、鞘の中を覗いてみた。
この前使ったときにはこんなことはなかったのに・・・

よくみると底のほうに何か固まっている。
ラインハルトは鞘を逆さにして強く振り、中に詰まったものを取り出した。
「これは・・・」
ラインハルトの手に落ちたのは小さく畳まれた紙片だった。

その紙は簡単な地図と短い語句が走り書きされたメモだったが、驚いたことにその筆跡はオルランドのものだった。
―――アストラル宮殿 天空の間

「アストラル・・・宮殿?」
地図では教会の礼拝堂から真北に進むこと数パインの距離だった。
これなら魔法を使うまでもない。
森の中でもあちこちでラインハルトを探す兵僧たちの声が聞こえてくる。
それを上手く避けたりやり過ごしたりしながらラインハルトはアストラル宮殿とやらへ向った。

このメモ自体罠かもしれないが、出来ればオルランドと会ってルドルフ一世の日記を見つけたことを伝えたいと思った。
それに、旅立ちにあたりあの赤いオーブをもう一度借りられたらとも思った。
もちろんオルランドの身の安全が保障された上のことではあるが。

夕暮れが近付くにつれ強まった風が周辺の森をざわつかせる。
ここ、聖ロドニウス教会は白の帝国の中心でもあり、大陸の中心でもある。

この場所こそかつてエリオルが自らの住居として神殿を構えた場所、そしてエリオルの死後最高位の弟子であったロドニウス=ホーファーベルクトが中心となり神の終の棲家としての壮麗な教会堂と修道院を立てた場所でもあった。

そして他の弟子たちが起こした国々にも分教会が置かれ、本教会と各分教会は相互に密接な関係を保ちながら大陸の安寧を保ってきた。

僧院を取り囲んでいる深い森の高い木立を見上げながらラインハルトはふっと溜め息を吐いた。
聖ロドニウス教会は本来なら信仰の拠り所として人々の心の支えとなるべき場所のはず。
それがこれではまるで外界から隔離されているかのようだ・・・

そういえば、フィルデンラントでも、またグリスデルガルドでも分教会はあまり人の通わぬ場所に置かれていたような気がする。

一般の民衆は各町や村に置かれている地方教会に参拝する。
小規模ながら司祭も常駐しているから普通の人々が祈りをあげる場所としては充分だ。
分協会は地域のそういった小教会の束ねとなる存在でもあった。

―――なるほど、分協会の真の役目は各地の情報収集ということか・・・。それに場合によっては思想操作―――

夕闇が迫り森の中を歩き回る兵僧たちの声も聞かれなくなってきた。
おそらくアルトシュレーゼンと同じ様な魔導士対策の結界が張ってあるので、無理な深追いは必要ないと思っているのだろう。
にしてもナタニエルの態度のあまりの豹変ぶりにラインハルトは驚きを隠せなかった。

いくら秘密を守るのが責務とはいえ、このまま妖魔族との対決法が分からずに大陸全土が制圧されてしまうようなことになれば、そんな秘密を守りぬいたところで意味がないだろうに、と思う。
オルランドもそう思ったからこそ、自分にあの部屋への手がかりを示してくれたのだ。
ロナウドに建築の勉強をさせるという名目で。

ロナウドなら僕に設計図を見せるだろう事は計算済みだったのだろう。
オルランドには急ぐわけがあったのだ。

教会の秘密に関わることをオルランドがかぎまわっていることをナタニエルは勘付き、オルランドを教会から追おうとした。
オルランドはそれを察して急ぎ僕にあの秘密の部屋を探るよう、ロナウドを通して手がかりを示してくれたのだ。

身の危険を感じたオルランドはオーブもどこかへ隠して行ったに違いない。
おそらくこのアストラル宮殿というところに―――

辺りがすっかり暮れなずみ、木立が黒いシルエットにしか見えなくなってきた頃、前方に小さな灯りが見えてきた。
建物は宮殿と呼ばれるにはかなり小振りで質素な建物だった。
だが、メモに書かれた地図に照らせばここに間違いはない。
ラインハルトはそっと建物に近付いて行った。

大理石の階段を数段ほど上ったところエントランスが設えられ、重厚な扉の前には兵僧が二人立っていた。
ラインハルトは脇に立てられた松明の灯りに捕まらないように遠巻きに建物の周囲を巡って裏へと回りこむ。
裏口にも兵僧がこちらは一人だけ立っていた。

建物の裏側にもう一つのもっと小さな建物があり、そちらのほうには見張りは経っていなかった。
ラインハルトはどうしようかと迷った。
建物の中に入ろうとすれば必ず兵僧と揉み合いになってしまうだろう。
魔法を使って侵入を試みるか・・・

ラインハルトが逡巡していると、兵僧のほうが人影に気付いたのかこちらへと向ってきた。
どうする、一旦森の中へ逃げ込むべきか、それとも・・・
ラインハルトが躊躇いながらも剣の柄に手を掛けたとき、思いがけない声が聞こえてきた。

「ラインハルト様、お待ちしておりました。思ったより遅いので心配しました」
「ロナウド!君・・・」
確かに間近で見るとその兵僧はかなり背が低かった。 。