暁の大地


第十八章




パンゲア大陸
某所

鈍器で殴られたような酷い頭痛を感じ、ゆっくりと目を開く。
いつの間にか知らない場所に来ているようだ。
薄暗い室内には実験器具と思われる様々な器材が所狭しと並べられていた。
中には濛々と煙の立ち昇っているガラス瓶もある。
一体どういう場所だろう、ここは。何かの実験室だろうか。
起き上がろうとして、激しい頭痛に思わず頭を抱え込んだ。

「おやおや、意識が戻ったようじゃの」
霞む視界のなかに初老の男の影が浮かぶ。
どうやら人間ではなさそうだ。妖魔族の男だろうか。
「こんな器具が珍しいかの。聖ロドニウス教会でも似たようなものを使っておっただろうに」

「・・・ここはどこなのですか?」
とりあえず、自分に危害を加える気はなさそうだ、未だ覚醒しきれていない意識の中でそう感じ、男に訊ねた。
「そして貴方はどなたですか?」

「人に名前を訊ねるときは先に自分が名乗るべきだと思うがの。フィリップ卿に記憶を消されたからしかたないか」
「記憶を消された?」
そう言われて自分の名前を名乗ろうとして、どうしても思い出せないことに愕然とする。

「え、あ・・・僕は・・・」
「ふうむ、どうもあの御仁は余計なおせっかいが過ぎるな。せっかくの貴重な頭脳に傷でもついたらどうしてくれるのか」

額に手を置かれ少し驚いたが、すぐに奇妙な感覚にとらわれた。
様々な風景が雪崩を打って押し寄せ、眼前を通り過ぎていくような―――

「どうじゃ、これで思い出せたかな。フィリップ卿がお前さんの記憶の回路においたブロックを取り除いてみたのだが」
記憶の波に押し流されそうな危機感をどうにか脱し冷静さをとりもどすと、今度は自分の名をスラスラ言うことができた。

「僕の名はアルベルト・ホルスト。師オルランドの命を受けグリスデルガルドの戴冠式に出席、変事に巻き込まれ、いまだ教会への帰還叶わずにおります」
このようなことまで見ず知らずの他人に明かしてはならないはずだが、どうにも止められなかった。

「ふむ、脳髄のコントロールはまこと微妙で難しいものよ。まあ、わしにとっては好都合ともいえるが。申し遅れた、わしはランディ・ダルモント、普段はランディ卿と呼ばれとる」
「ランディ卿・・・、貴方は妖魔族ですね」

「お前さんらがわしらを呼ぶ、その呼称は気に入らんが、そのとおりじゃよ。お前さんたち人間はわしらを神の敵としてそう呼んでいるが、お前さんたちの言う神はエリオル、すなわち我らの同族じゃ。我らの信奉する神はそんなものではない」

エリオルが妖魔族と同族―――初めて聞く驚愕の事実であるはずだが、自分はとうの昔から知っていたような気がする。
おぼろげに浮かび上がる記憶のなかで、アルベルトはオルランド師から秘跡を受けた時のことを思い出していた。
香油がきつく立ち込める暗い部屋で、師はいく日にも渡り様々な事柄を教えこんだのだった。
なぜ、自分はそのことを忘れていたのだろう。

「貴方方の神」
「わしも神とはどんなものか具体的には知らんが、この大陸のあちこちに残されている古い建造物はみな、神が残したものだと伝えられている。この大地は神が我らの住処として与えてくれたものであるとも言われておる」

アルベルトは先を促すように黙って相手の顔を見詰めた。
「何事が起ったのかわからないが、突然神は姿を消してしまった。最後の神ギルデモンは我らをこの地に集め、旅立ったたそうじゃ」
「旅立った?」

「そう、この地は大宇宙を旅する小舟。そして今では太陽と呼ばれる恒星の周囲を巡る軌道に乗って定速度運動を繰り返しておる。ギルデモンが息絶えて操る者がいなくなった小舟は巨大な恒星の引力に囚われてしまったということじゃな」

「そんな・・・」
ふいにアルベルトの脳裏を『聖少女』という言葉が過った。
「聖少女―――」

「ふむ、聖少女のことも聞いておるか」
「聖少女のみが神の力を借りて聖石の力を引き出すことができる、とか」
ランディ卿は顔を天井に向けると大きく溜息を吐いた。

「ランディ卿、僕はどうしてここに連れてこられたのです?ぼくはフィルデンラントのどこかの貴族の館で貴方と同族の・・・」
「ふむ、あれがフィリップ卿という奴じゃ。フィリップ・デ・ランドン。フィルデンラント方面の指揮官を任されている。直接の軍事行動はまだ起こしていないようじゃが」

「軍事行動?フィルデンラントで?」
「おうよ、フィルデンラントだけではない、大陸中で戦の火の手があがるそうじゃわい。わしの天敵の話が大ボラでなければの」
「そんな!」

ランディ卿はアルベルトの額に手を当て、その眼をじっと見つめた。
その表情にはルガニスやフィリップ卿のような強烈な敵意は感じられない。

「お前さんはノルドファフスベルクの生まれか。わずかじゃがエリオルの血を引いとるの」
「え?」
「気付かなんだか?お前さんは聖石の力を少しだが使えたのだろう?それが証拠じゃ」
「聖石・・・オーブのことですか」
ランディ卿は黙って頷く。

「それなら僕よりもオルランド師のほうが」
「その者が聖石の力を引き出せたのならそれもまたエリオルの血統なのじゃろう。お前には妹がおるの。眼が不自由なのは幸いじゃった。聖ロドニウス教会のろくでもない試験に引っかからずにすむ」

「妹?ルクレシアが?どういうことです」
「目が不自由な分他の感覚は研ぎ澄まされる。妹はお前さんよりもさらに力が強いかも知れん」
「!」
「さきほどの質問に答えるとすると―――お前さんがここへ連れてこられたのはその頭脳と知識をわしの研究に役立てるためじゃ」






ゾーネンニーデルン
ロディウムの近郊の森

「旦那、まだ着かないんですかね」
鬱蒼とした森の中を歩き続けて数刻、テオドールはいつにも増して泣きごとを繰り返すが、リヒャルトは一向に構おうとはせず、ただ進み続ける。
どうやら結界が張り直されたらしい、しかも前よりもずっと強力に。

モレナ様はこれ以上外界の者が里を訪れることをお慶びにならないか。
リヒャルトは前に里を訪れた時のことを昨日のように覚えていた。
実際にはあれからもう二十年近くが過ぎ去ってしまったのだが。

偶然立ち寄ったフィルデンラントの王宮で出会ったグリスデルガルドの王子ステファン。
その誠実で飾らない人柄にひかれ、また時のフィルデンラント国王マクシミリアン七世の頼みもあって暫く王子の外遊に随行することとなった。

途中随員の一人が足を痛め、治療にとロディウムの温泉を訊ねた時だった。
温泉宿で不思議な里の噂を聞いた。
裏山の森の奥深くに常人には持ち得ない不思議な力を持った者たちが集う隠れ里があると。
ステファン王子はその噂に興味を惹かれ、そのような里があるのなら是非訪れてみたいものだと言いだした。

もしかしてかつて祖母から聞いたことのある隠れ里のことだろうか。
少しばかり嫌な予感がしたリヒャルトは、王子にはそのような胡散臭い場所には関わらない方がいいと進言したが王子の関心は強く、とにかく探してみよう、どのみち随員の足が治癒するまでは動こうにも動けないのだから、ということになり、翌日さっそく山中へと足を踏み入れることになってしまった。

もし自分が思っている里であれば厳重な結界に阻まれ、王子が里を見つけ出すことはないだろう。
また、そうではなく、普通の集落であれば、発見したことで王子も満足がいくはずだ。
あまり反対すれば、かえって王子は里への興味を深めるかもしれない、そう思い、いざというときのため自分も同行することを条件に王子に従ったのだった。

それは不思議な光景だった。
森の中を彷徨うこと数刻、他の供のものとはいつの間にか逸れてしまい、これは道に迷ったかと思い始めたころ、突然に樹海が途切れ、鄙びた集落が目の前に現れた。

リヒャルト達の姿を見て、集落の入口を警備していたと思われる黒いフードの男たちも少なからず驚いた様子だ。
その者たちにとにかく身分を告げ、時刻も夕刻に差しかかっていることもあり、さしあたり一晩の宿を願い出た。

すぐさま里長の元へと案内され、明朝早くに出立するという条件で宿泊を許可してもらった。
この世のものとも思われぬ清浄な雰囲気と人々の独特の雰囲気に、ここが噂の里であることは感じられた。
ステファン王子も同様だったようで、かような場所に俗人が立ち入っでしまい申し訳ない、と里長であるモレナという女性に詫びていた。

宿泊所として与えられた部屋から決して出ないようにときつく言い渡され、リヒャルトと王子は隣り合った部屋で休むこととなった。
人間にはそれと感じられないだろうが、部屋の扉には厳重に鍵がかけられていて、出たくても出られないようになっている。
ここまでせずとも、と苦笑を覚えたが、あえて咎めることもせずその晩は眠りについた。

そして―――夜半過ぎ、何とはなしに異変に気付き部屋を出たリヒャルトは、いつの間にか隣室が空になっていることに驚きを覚えた。
ステファン王子にあの鍵を破る力はないはず、となれば外側から鍵を開けた者がいるということだ。
里長の誠実そうな人柄にすっかり気を許していたが、もし王子の身に何かあれば大変なことになる。
リヒャルトは急ぎ王子の気配を追いかけた。

長い回廊に周りを囲まれた裏庭に王子の姿はあった。そしてもう一人、若い娘が王子のすぐそばに寄り添っている。
二人は噴水の縁石に腰掛け、仲睦まじい恋人同士のように互いに手を取り合い何事かを語り合っていた。
二人の周りを取り囲むように覆っている七色のオーラを常人ならぬリヒャルトの眼はしっかりととらえていた。

この場の雰囲気を壊すことは憚られ、回廊の端からそっと見守るリヒャルトの背後にいつの間にかモレナが立っていた。
「夢をみました。恐れていたことが現実になってしまったようです」
若い二人にはお互いの姿しか見えていない、だが、このとき運命の輪がゆっくりと動き出したことをリヒャルトは心の片隅で感じていた。
それはモレナも同じことだったろう―――

リヒャルトはテオドールに
「ここまで付き合わせてすまないが、お前と一緒では森は道を開けてはくれないようだ」
と告げた。

「へ?どういうことです?」
「これから行く場所は相手を選ぶということだ」
「はあ、ずいぶんと失礼な場所ですな。私は選ばれないってことですかい」

「そういうな、お前はロディウムの街で待っていてくれ、少し時間がかかりそうだ」
「そんな、こんなところで放り出されても」
「大丈夫だ、ほら」
リヒャルトはそう言って片手を上げて方角を指し示す。

「この方角にまっすぐ進めばすぐに森のはずれに出る。そこからロディウムの町が見下ろせるはずだ。路銀も少しは渡してあるはずだろう」
「へい、それはそうですが・・・」
不意にテオドールの声が消え、姿が見えなくなった。

あの時と同じだ、とリヒャルトは感じた。
里は訪れる者を選ぶ。確かにテオドールの騒々しさはあの里にはそぐわない、気の毒だが少し待っていてもらおう、リヒャルトはそう思った。
森は好ましくない来訪者には道をあけ街へと導くはずだ。
彼一人なら森から出るのはそう難しくはないだろう。
すでに里の入口は視界に入っていた。






ゾーネンニーデルン
ロディウムの隠れ里

出迎えの男たちに軽く会釈をすると、相手も心得ていると言わんばかりに無言で頷き、先に立って歩き出した。
前に訪れた時と少しも変わっていない、ここではまるで時が止まっているようだ、リヒャルトは声のみ聞こえる様々な鳥の鳴き声に耳を傾けながら案内に従って歩いていく。

思ったとおり、あの胡散臭い連中もここへ逃げ込んでいるようだ。
一度にこれほどの客人を迎えるのはこの里始まって以来だろう。
モレナ様も頭の痛いことだろう、とリヒャルトは心苦しさを覚えた。

モレナは体調が悪いので、という理由で孫娘のジネヴラという少女がリヒャルトの対応に当たった。
「ようこそおいで下さいました、ハルレンディアの騎士リヒャルト様。本来ならば祖母がお相手するべきところですが、本日は体調を崩していまして」

「分かっております、このところこの里では立て続けに来訪者を迎えて対応されるのも大変なのでしょう」
「・・・貴方に下手なごまかしは利かないでしょうね。本当に、何と言っていいのやら。正直いってこれほどの動きが一気に起こるとこの里の存在が外部に公になってしまわないか、心配になってしまいます。他のお客人には口が裂けても言えぬことですが」

「はい、このような里があることはすでに以前からこの近辺では人々の口に登っておりましたからね。まだ妖魔族にまでは知られていないようですが」
「・・・。リヒャルト様、貴方が今回いらしたのは」

「私はある方からグリスデルガルドの王子ルドルフ様の身柄を託されました。ルドルフ様が安全に暮らせる場所へ連れて行ってやるようにと。ルドルフ様の落ち着き先を見届けるまで責任があります。だからこうして後を追ってきました」

「リヒャルト様、私どもはルドルフ様にこの里に留まっていただきたいと考えております。貴方様にはその理由はおわかりのはず」
「はい、貴女やモレナ様はそのようにお考えになるでしょうね。私も現在のところはルドルフ様はここに留まるのが一番安全だと考えていました。ただ、ご本人が何と言うか」

「ルドルフ様ご本人はおそらく承知されないでしょうね、でも真にあの方のことを考えるならば、外界に出てその力を悪用されるよりはご本人の意思に反してもここにいていただくのがよいと思っています」
「はい、それはそうなのですが・・・」

「リヒャルト様はやはりご賛同しかねると?」
「ルドルフ様のお気持ちを考えると、ね。あの方はご自身の手で兄君を救出し、王位につけたいと熱望しておられるので」
「だが、このままいけばこの世界は・・・。そうなればグリスデルガルドの王位なと吹っ飛んでしまいますよ」
「仰る通りです、としか言いようがありませんが」
ふいに風が起こり気配が変わった。

「ジネヴラ様、そしてリヒャルト殿、貴方方もルドルフはここに留まるべきとお考えなのですね」
戸口を覆う帳を押し分けるようにして声の主が姿を現す。
「ラインハルト様、ルドルフ様はやはり貴方とご一緒でしたか」

「お話を聞いてしまったのは失礼しました、リヒャルト殿の声が聞こえたもので」
「ルドルフ様の安全を見届けねば私は次の旅へと出られませんので、厚かましいとは思いましたが後を追わせていただきました」

「貴女にルドルフの身柄を託したというのは、どなたなのですか?」
ラインハルトは先ほどリヒャルトが口にした言葉に疑問を感じ、ストレートのぶつけてみた。
「ある身分の高い方、としか答えられませんが、おそらく王子はご存じない相手だと思います」

それは―――はたして誰のことだろう、と思ったがリヒャルトは自分にその相手のことを話はしないだろう、そう感じたラインハルトは話題を変えることにした。

「ルドルフのためにはここに留まった方がいい、僕もモレナ様にそう言われました。客観的にみればその通りなのかも知れません。だが、ルドルフ本人の意思を無視して僕らが決めてしまっていいことなのでしょうか」
ラインハルトの問いにジネヴラは無言だった。

「ジネヴラ様、少しラインハルト様と二人だけでお話させていただいてよいでしょうか。一別以来互いに話し合いたいことも多々ありますし」

「もちろんですよ。リヒャルト様の旅の疲れたとれた頃合を見計らってお二人を引き合わせるつもりでした。ゆっくりお話されるならちょうどいい部屋がありますので、そちらを使ってください。私はこれで失礼させていただきますので」
ジネヴラは側仕えの侍女に二人を案内するよう合図を送るとおもむろに立ち上がり謁見の間を出て行った。






ゾーネンニーデルン
ロディウムの隠れ里

大きく窓をとった部屋でゆったりと座り心地の良い椅子にラインハルトとリヒャルトは向い合せに座った。
夕闇の風が吹き抜けて心地よいが、今この里には外部の者が多々入り込んでいることを考え、窓は閉めることにした。

「ラインハルト様、お久しぶりです。フィルデンラントへ向かわれたと思っていましたが、兄上の消息はつかめましたか」
ラインハルトの様子を見やりながら、ほんの少し見ぬ間にずいぶん顔つきがしっかりしてきたものだ、とリヒャルトは思う。

「はい、そのこともいろいろお話せねばならないのですが、僕は姦計に嵌って兄を救出するどころか暗殺者に仕立て上げられてしまいました。僕自身はグリスデルガルドで死亡したことになっていますし。その後しばらくは不思議な縁で聖ロドニウス教会の世話になっていましたが、逆に外界の情報は全く入ってこなくて。ルドルフと再会できたのもつい昨日、いやもう一昨日になるのかな、のことです」

「そうですか。兄上は公式には逝去されたことになっていますが」
「それも真実ではありません。兄が亡くなれば僕にはすぐに分かる。兄はどこかで生きている、それは確実なのです」
兄のことになると殊更力が入るのは相変わらずだ。

「ええ、そうでしょうね。ただ私にも兄上の気配は掴めません。兄上はよほど遠くへ連れていかれたものと思われますね」
「遠くへ・・・。そうかもしれません」
「フィルデンラントの王位継承問題は白の帝国も絡んで少々揉めそうですね」
「はい、早く兄を見つけ出して首謀者を追放しなくては、と思っています」

「フィルデンラントの他でもあちこちで様々な異変が起こっているようです。軍備増強だの政変だのとキナ臭い話題にことかかない。こんなことが一斉に起きるとは通常考えにくい」
「大陸規模で水面下で何かが始まっている、そんな感じですか?」
「はい、私の思いすごしでなければ」

ラインハルトはしばし無言で俯いていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「リヒャルト様、ルドルフのことですが」
「はい」

「僕も本当はルドルフはこの里で暮らした方がいいのだろうと思います。いや、本音を言うと、僕は彼女と一緒に戦っていきたい、と思ってます。彼女の手が血で汚れるのは望まないから、側にいて相談に乗ってもらったり励ましてもらったりそんな風に過ごせればと。ああ、うまく言えないな、僕は友達として」

「ラインハルト様はルドルフ様がお好きなのですね」
「え、ああ、先ほどモレナ様からもそう言われたけど、僕は・・・」
リヒャルトは僅かに微笑みを浮かべ黙ってラインハルトを見つめている。

「僕はこんな気持ちになったこと今までになくて、よくわからないんです。祖父はいろいろなことを教えてくれたけど、魔法の他にも人心の掌握術とか領地を治める者の心得とか、でもこんなことは・・・。僕は彼女と一緒にいたいと思う、彼女が悲しんでいたら抱きしめて慰めたいと思う。彼女にも僕の事そう思ってもらいたいし、それからもっと・・・、僕はどうかしてしまったのかな」

ラインハルトは一人で喋りながら顔が赤くなってくるのを感じ俯いてしまった。
「それが人を好きになるということですよ。人として生まれたなら誰でも当たり前のことです」
リヒャルトは自分にもこんな時期があった、と懐かしく思いだした。
あれはもうずいぶん昔のことで、自分が初めて恋した少女はもうとっくの昔に鬼籍に入っているが。

「そうなのかな。でもこんなのは僕の我儘で、本当にルドルフのことを考えるなら、ここにいてもらった方がいいのでしょうね」
「少なくともここしばらくは。ルドルフ様には聖少女の資格がある。それを妖魔族に感づかれたら、いや、それ以上に白の帝国や聖ロドニウス教会に知られたら・・・」
「白の帝国や聖ロドニウス教会が?」

「はい、彼らはルドルフ様が男として育てられた本当の理由を知らずにいるのでしょう。でなければルドルフ様にはもっと厳重な監視がついたはずです。あるいは適当な理由をつけて帝国内に軟禁するとか。聖少女の存在は人間世界にとっても最重要事項の一つですからね。彼らが放っておくはずがありません。このまま彼女の周辺に妖魔族の影がちらつけば、彼らも疑いの目をむけるかもしれません。すでに聖ロドニウス教会の犬どもが動き始めています」

「聖ロドニウス教会の犬」
「はい、妖魔族と人間、両方の血を引き、そのためどちらの世界にも属せない者たち、その一部は帝国や聖ロドニウス教会に極秘で雇われ、表ざたにはできない任務をこなしているのです」

「聖ロドニウス教会にいるとき、特別な能力を持った者たちがルドルフの探索に当たるとオルランド師が言っていたが」
「おそらくその者たちでしょう。この里にもそう言った者たちが現在身を寄せているようです」
「何と!」

「貴方がオーブの力を使って私達の前からルドルフ様とともに姿を消した後、不思議なご縁で、大陸へ向かう船上で私はルドルフ様と再会することになりました。その後ひょんなことからルドルフ様と一緒にゾーネンニーデルンのサンドラ王女に暫く随行することになりました。その王女の警護にあたっていた者たちの内にも、妖魔族と人間の混血種族の者たちがいて、そのうちの一人がルドルフ様を己の野心のために利用しようとしていることに気づき、私はルドルフ様に一行から離れるよう進言したのですが、途中で追いつかれて戦闘になってしまいましてね、そこでルドルフ様とはぐれてしまいました」

「そんなことがあったのですか。僕は聖ロドニウス教会からオーブの力を借りて不思議な神殿まで飛びました。そこでルドルフと出会ったのですが、その後火山の噴火にあったりして」

「大体の見当はついていますよ、私は遠目遠耳が利くのでね」
「そうでしたね、貴方は不思議な力をお持ちだ、それに普通の人間よりも年を取るスピードがずっと遅い。貴方は・・・」

「はい、私にも妖魔族と人間、両方の血が流れています。私の種族は妖魔族の中では少数派、光の一族と呼ばれていますが」
「やはりそうでしたか。ではもしや貴方にルドルフの身柄を託したというのは妖魔族と関係のある者なのでしょうか」

あのオーブでフィルデンラントへ飛ぼうとして逸れた時から不思議な神殿で再開するまでルドルフがどこでどうしていたのか、詳しく聞く間がなかった。
実際彼女の身に何が起きたのか。

リヒャルトは躊躇いがちに答える。
本当のところマティアス卿とルドルフの関係については自分もほとんど知らないのだから。
「その件に関しては私の口から申し上げるのは差し控えたいと思います。必要ならばルドルフ様ご自身が貴方にお話しされるでしょうから」

ラインハルトは軽く溜息をつく。
「・・・わかりました、この件に関して貴方に聞くことは諦めましょう。ところでこの里に着いたとき、血の臭いのする男たちに会いました。その者たちはルドルフに何か含むものがあるようでしたが」

「それが、サンドラ王女の随員である混血族の者たちです。私が戦ったのは首領株のダルシアという男ですが」
「はい、確かにそんな名前を口にしていました。ダルシアは命を落とすやも知れぬ、とか」
リヒャルトはその言葉に軽い苦笑を洩らす。

「私の剣先も甘くなったものです。あの一撃でとどめを刺せなかったとは」
「リヒャルト様・・・」
「そんな顔をなさらないでください。敵を倒すときはあくまで非常に徹しなければ。無駄な情けは後悔の元です」

「ええ、祖父にもそう教わりました。ですが、貴方はそう言った命のやり取りとは無縁の方のような気がしていました」
「真に守るべき相手のためでなければ私は剣を抜いたりしません。私も剣士の端くれ、一旦剣を抜けば手加減はできないですからね」
「申し訳ない、僕は失礼なことを言ってしまったようだ」
「いえ、お気になさらず。日頃の言動から見れば腰の剣が伊達にみえても仕方ないでしょうから」

ラインハルトはやや気まずい思いをはぐらかそうと、先ほどから気になっていた件をリヒャルトにぶつけてみた。
「ところで、ルドルフに恨みを持つ者たちが現に滞在しているこの里に彼女を留め置いても大丈夫なものでしょうか。彼女が有象無象の卑しい野心のために利用されるような恐れがあるなら、僕としては彼女がここに留まることに賛成はしかねます」

「はい、私もその点は非常に気になるところですので、きっちり話をつけるつもりでいます。連中ともモレナ様とも」
「その連中と話す時僕も同席してもよいでしょうか。ルドルフに関しては確かに僕にも責任がある、つまり宗主国の王族として、ですが」

「わかりました、連中も今は殺気立っているでしょうから、落ち着いたころを見計らってモレナ様に仲介を頼むつもりでおりました。その時にはラインハルト様にも同席していただきましょう」
「ありがとう、リヒャルト殿」

「今日はもう遅い、王子様は特にお疲れのようだ。早めにお休みになった方がよいでしょう」
気がつけば窓の外はすっかり暗くなっている。
確かに今日はいろいろなことがありすぎた、ラインハルトは急に疲れが押し寄せてくるのを感じ、リヒャルトの言葉に素直に頷いた。








ゾーネンニーデルン
ロディウムの隠れ里

夜半過ぎルドルフはゆっくりと目を開いた。
随分長く眠ってたような気がする。
自分はラインハルトとともにこの不思議な里を訪れ、モレナという里長と話している最中にどうやら意識を失ってしまったらしい。

「お目覚めですか?」
部屋の隅の暗がりから声がして、ルドルフは心臓が飛び出るほど驚いた。
人の気配が全くなかったからだ。

「驚かせてしまい申し訳ありません、お邪魔になってはいけないと思い気配を消していました」
見るとまだ若い侍女が傍らに控えている。
「君は・・・」
「私の名はタニア、ここにおいでの間お世話をさせていただきます、我が姫君」

「え、僕は・・・」
戸惑うルドルフにタニアは満面の笑みを見せる。
「貴女は我らの大切な世継の姫君、何なりとお申し付けください」
「タニア、君は何か勘違いしているよ、僕は」

「どうされたのです、おかしな夢でも見ておられたのですか」
「夢?」
「まだ疲れが抜けきっておられないのでしょう、もう少しお眠りください」
そう言って差しだされた水差しから水を飲むと、また眠気が襲ってきて意識が朦朧としてくる。

「僕は・・・、そう言えばラインハルトはどこ?」
「お連れの方ももうお休みですよ、夜半過ぎですもの」
「そうか、ロナウドは無事だったのかな」
「何も心配いりません、安心なさって今はお休みくださいな」
「ああ、そうさせてもらうよ。眠くてたまらない」

そう答える間もなくルドルフの身体はくず折れるようにベッドに倒れ込んでいた。抗いようのない睡魔に引きずり込まれるようだ。
目を閉じるとこれまでのことが本当に夢の中での出来事だったように思われる。
戴冠式の日からこっちの激動の日々だけでなく、それ以前、女でありながら王子として暮らしていた日々までもが。

「何も考えずゆっくり眠るのがよろしいですよ」
タニアの声が遠くから頭の中に直接語りかけているように優しく響いてくる。
「そう、そうだね」そう言葉になったのかならなかったのか、自分でもよく分からぬまま、ルドルフは深い眠りに落ちていた。






パンゲア大陸
某所

暗闇に薄明かりが灯るようにぼんやりとした光が浮かび上がる。
その光は見る間に数を増やし、十を超える数となっていった。
「各方面の司令官並びに副官の面々が揃ったようでございます」
囁き声のような細い男の声が沈黙を破る。

「我らが一堂に会するのは作戦開始直前以来初めてのこと、ここで一度各方面の作戦の進行状況を確認しておきたいと思って、お集まり頂いた次第」
地の底から響くような低い男の声が閉ざされた空間にこだまする。
その声は持ち主の性格をそのまま表したように冷徹な響きを帯びていた。

「まず、グリスデルランド方面の報告から聞こうか、シェリー卿」
声に応え、落ち着いた女の声が答える。
「当方面の作戦はほぼ予定通り進行中です。各方面よりの支援を頂き、グリスデルガルドほぼ全域が我らの支配下に入りました。居住していた人間どもは、大陸へと渡ったごく少数を除いてすべて我らの虜囚として各地収容所へ移し終わりました」

「ふむ」
「クレモント達の力でグリスデルガルド上空に厚い雲を浮かべ太陽光線を遮ることに成功しましたので、我らも動きやすくなりました」
「ルドルフ王子の行方については?」

「それは未だつかめておりません。ただ、これほど手を尽くしても見つからぬ以上、すでにグリスデルガルドからは逃れてしまっているのではないかと思われます。ルドルフには魔道士の王子が同行していたはずですし」

「ルドルフを取り逃がしたのは貴殿の大失態。それを取り戻すようなお一層の奮闘を期待しておる」
「恐れ入ります、ユージン卿」
シェリー卿は少しばかり腰を屈めると、ユージン卿と呼んだ相手の顔を上目遣いに見つめ嫣然とした笑みを浮かべた。

これだから女は得だな、と内心思っているのは自分だけではないだろう、そう思いつつフィリップ卿は次に呼ばれるのは自分であろうと身構えたが、案に相違して総司令官は別の名を呼んだ。

「東部方面の首尾はどうか、ベネオス卿」
「は、アイゲンシュタインでは軍備増強が滞りなく進んでおります。国王および摂政の第一王子はゲルトマイシュタルフ併合に向けてのものと信じ込んで一抹の疑念も抱いておりません。帝国でも多少の懸念は抱いているようで先頃特使が派遣されましたが、そちらの方はすでに適切に対処いたしました。 逆にゲルトマイシュタルフがフィルデンラントの王位継承につけこみ、領土拡大の野心を抱いている旨吹き込んでおきましたから」

「上々と言うわけか」
「御意」

「畏れながらゲルトマイシュタルフでもアイゲンシュタインへの対抗策として水面下で軍備を拡充してります。その動きは帝国も教会もまだ掴んではいないはず。ゲルトマイシュタルフとしてはフィルデンラントのお家騒動を最大限に利用して帝国の中枢部への潜行を進める予定となっております」
「うむ、その方向で進めてくれ、モティマー卿。さて北部方面は」

「はい、北の大国ノルドファフスベルク、こちらは土地も痩せめぼしい産業も乏しく、国民も無学で貧しい農民が大半の国ですから、思想操作はしやすいと言えましょう。 すでに下流貴族を中心とした反政府組織が多数暗躍しております。これらの連携をはかり、大がかりなクーデターに持っていく準備を進めているところでございます。王族や上流貴族の腐敗ぶりを民衆に流布するなど、すでに下準備は整いつつあります。あとは適当なきっかけを待つのみ。恐らく時間の問題でしょう」

「貴殿は策士だからな、リネット卿。今しばらくはお手並み拝見といこう」
深くかぶったフードの影から若い女性の美しいが冷たい笑顔がほの見えた。

「後は南部方面だな。ゲイル卿!」
「御前に控えております」

ゲイル卿はユージン卿の一人息子だ。その容貌も性格も父親譲り、いや、狡猾さにおいては父を凌駕するとも言われている。見ようによっては慎重であるともいえるが。
ユージン卿は武人としても優れているこの息子が何よりの自慢で、公式非公式を問わず常に同行させ、事あるごとに自分の後継者であることを強調していた。
「そなたにはローゼンシュタット、グローセンシュタイナー二国の担当を命じていたな。そのため他の諸卿より部下も多めに配属したはずだが」

「はい、ユージン卿の多大なるご期待大変光栄に存じ、身も引き締まる思いで任務に取り組んでおります。両国はともに大国、実りも豊かで国民の満足度も高く、王侯貴族にも内紛に結び付けうるような要因は見当たりません。両国の友好度も高く歴史的に見ても結びつきは深い。 逆に帝国や教会からの独立度も他の諸国に比べ進んでおります。両国の狭間にある新興自治領ウインチェットでは、聖ロドニウス教会の力はほとんど及ばず、新興宗教が起こりつつありました。それは民間療法の延長にあるような小規模のものでしたが、我らがここ数年多額の資金援助を行い、思想的にも相当のテコ入れを行ってきた効果が出始め、無視できない存在に拡大しつつあります。最近では両国の王族や貴族の一部にも信奉する者が現れるようになってきました。両国の国民の多くがこの新興宗教に傾き、国を二分するなどということにでもなれば」

「帝国や教会としては黙って放ってはおけまいな」
「御意。ゾーネンニーデルンでも摂政ヘンドリック王子の抱き込み作戦は順調に進んでいるようですし、ゾーネンニーデルンまでが国を挙げて新興宗教に改宗するなどということにでもなれば、これは見ものですな」

「うむ、その点で言えばゾーネンニーデルンの作戦が一番進行していると言えるかな、トーレス卿?」
「はい、現国王メリマン二世は国民の人気が低く、大半が摂政ヘンドリック王子への早期の禅譲を希望しております。王子は私どもに絶大な信頼を寄せておりますので」

「ふむ、すでに準備が整っているようならば代替わりを行うもよいかもしれぬな。時間の空費に繋がるのは得策ではあるまい」
「はっ、多方面の動きを見ながらと思っておりましたが、閣下のお言葉を頂き、早速に作戦を早めることといたします」
白面の優男風のトーレス卿はそう言って跪いた。

各方面担当の諸卿や副官、従者たちの視線が自ずと自分に集まるのを感じながらフィリップ卿はユージン卿からの言葉を待っている。
今回の大規模な作戦で一番の根幹をなすのはフィルデンラント攻略のはずだ。
ユージン卿が愛息子のゲイル卿を差し置いてこの自分に西部方面を担当させてくれたことは、自分が卿のもっとも信頼された部下であることの証、少なくともフィリップ卿はそう思っていた。
なのに何故自分の名は呼ばれないのか。

「さて、フィルデンラントでも作戦はほぼ予定通り進行しているようだ。表向きは国王も世継の王子も逝去している。本来なら新国王の親政が始まってもよさそうなものであるが、その点はどうなっておるのか」
ユージン卿はフィリップ卿ではなく、傍らに控えたシェリー卿に訊ねている。

「はい、フィルデンラント方面の兵士たちから洩れ聞いた話ではありますが」
と前置きしておいて、シェリー卿はわざともったいをつけるように間を置いて続けた。

「国王、王子とも亡くなったと発表はされてもその身柄は依然行方知れず。新国王も帝国の横やりで未だ確定できぬまま、宰相フェルクトマイヤーの代行が続いております。フィルデンラント第一の猛将ケンペスはグリスデルガルドでの大敗の責任を取るという名目で故郷に引きこもってしまい、王宮に出仕しようとはしません。配下の武将たちもそれぞれ郷里に戻り農作業などに従事している様子で、フェルクトマイヤーとしても手を出しかねている様子。まあ、肝心のフィルデンラント担当官が主要の任務は部下任せで、余計なことにばかり手を出しているという話も聞きましたが、一族のために戦う同輩としてそのようなことがあろうとは私は思っておりませんので」

「シェリー卿、私は!」
憤慨して反論しようと身構えた矢先、ユージン卿の冷たい声が飛ぶ。
「貴殿についての話は私もいろいろ聞いておる。任地外のあちらこちらに出没しては騒動を起こしているとか」

「それは!ラインハルトの身柄を確保するのも私の重要な任務と心得たからで」
「ですが、ことごとく失敗続きのようですわね。魔法を使うとはいえ、子供一人にそこまで手こずるものでしょうか」
涼やかな声はリネット卿だ。まだ若いがシェリー卿と並ぶ古狸だ。

あちこちから噛み殺した失笑が漏れるのをフィリップ卿は歯噛みしながら受け止めた。
どうやらこの場は自分を笑いものにしようという悪意で満ちているようだ。
その首謀者はシェリー卿か。
元はと言えば最初の最初でお前の部下がしくじったせいだろうが―――

「いろいろと邪魔が入ったからです、特にシェリー卿の部下が」
「シェリー卿の?」
ユージン卿は興味を惹かれたらしく、その爬虫類のような感情を映さない細い瞳をまっすぐに自分に向けている。

「嘘ですわ、私の部下は皆グリスデルガルドで任に当たっております!」
ユージン卿はおもむろにシェリー卿を振り向くとまたフィリップに照準を向けた。
「シェリー卿はこのように言っておるが」

フィリップは自分の失態は上手く避けて都合のいい部分だけを語る。
「そもそも私の一族の役目は聖地の警備。ゾーネンニーデルンの聖地で異変があったとの一報を受け、たまたま大陸に滞在していた私が見に行くよう族長より言いつかったのが発端。そこでシェリー卿、貴女の部下のルガニスという男がルドルフを殺害せんと企てた場面に遭遇しただけのこと。シェリー卿が部下の行動をきちんと掌握していたなら起こらなかった事件だ」

「ルガニスという男は失態続きのため懲戒処分としました。その後行方をくらませたもの。すでに私の部下とは言えません。そのような者の行動まで把握することなど不可能です」
シェリー卿はしらっとして言う。

「そう仰るが、貴女こそグリスデルガルドの急襲をそんな当てにならない部下に任せきりにし、ルドルフやラインハルトを取り逃がした元凶ではないか!」
「まあ、何てことを!」

黙ってやり取りを見つめていたゲイル卿が声を上げる。
「フィリップ卿の言うことにも一理はある。フィルデンラント王位継承が傍系の王族にスムーズに行われなかったのは帝国の横やりが原因だが、その陰には恐らくラインハルトの暗躍が考えられようからな」

ゲイル卿に痛いところを突かれシェリー卿は憮然とした表情で押し黙った。
逆にフィリップ卿は我が意を得たりと勢い込んで話を続ける。
「さよう、先ほどの話の続きですが、もう少しでルドルフにとどめをというところでラインハルトが闖入してきたのです、我らの聖石を手にして」

「ふむ、やつらがグリスデルガルドの王宮から姿を消した時点で聖石の存在は考えられたことではあったが。今聖石は聖ロドニウス教会を離れ外界に出ているということか」
「御意、しかもその聖地にはある御仁もお出ででして」

「ある御仁?」
顎に手を当てながらユージン卿は考え事をしているような仕草でフィリップに先を促した。
「はい、その方は皇帝陛下の直接の命令を受け、聖石を追って、つまりラインハルトを追ってここへ来たのだと」

その場に集う一同に衝撃が走った。
皆一様に不安そうな表情を浮かべ互いに顔色を伺いあっている。
「皇帝陛下の直接の命令を受けて・・・、その者は確かにそう言ったのか」
「御意」

皇帝陛下から直接にお言葉を頂ける者は限られている。
しかもそのような重要な任務を託されるとなれば、それが誰であるか言葉に出して確認するまでもなかった。

「皇帝陛下がそのような命令を下された理由は私ごときが知るべきことではない、とも言われました。 それでも私は我が軍のためにラインハルト、ルドルフどちらかの身柄だけでも確保するべくなおも追撃したのですが、聖石をもつラインハルトの力は強く逆に深手を負う結果となった次第です」

フィリップは我が軍のために、というくだりに特別に力を込めて言った。
自分が任地を離れていたのは、軍全体の利益を慮ってのことであり、他指令官の不始末の尻拭いのためでもあったことをユージン卿にはしっかり分かってもらわねばならない。

「なるほど、貴殿のもたらした情報は作戦の遅れを差し引いても余りあるもののようだ。今後とも我が軍のために力を尽くしてもらいたい」
「はっ、畏まりましてございます」

ユージン卿はフィリップの声などすでに耳に入っていないようにじっと考え込んでいる。
暫しの黙考のあと、思いだしたようにフィリップ卿に訊ねた。
「先ほどのシェリー卿の報告だと、ラインハルトの兄国王の行方も分からなくなっているそうだが、それはどういうことか」

「はい、その点に関しては私も部下任せにしたきらいはあり、責任は感じております。当初国王は王宮に監禁しておりましたが、フェルクトマイヤーの判断で別の場所に移すことになりました。王宮にラインハルトの侵入の形跡があったからということでございます。国王の搬送は白昼行われ、我々としても警戒は怠らなかったのですがそこは限界がございまして、搬送部隊の休憩時間を狙った族に国王の身柄を奪われてしまった次第です」

「いくら白昼とはいえそのように簡単に襲撃を許してしまうなど前代未聞ではないですか」
やや勢いを取り戻したシェリー卿が茶々を入れる。

「いや、それが、突然風のように現れた連中が国王を拉致しまた風のように消えてしまった、とフェルクトマイヤーは言うのです。なので連中は我らの仕業だろうとばかり思っていたとか。フィルデンラントのみならず大陸中の捜査網を駆使してみましたが、その行方は杳として知れませんでした。恐らくは何らかの結界の内にいるのだろうとは思いますが」

「なるほどな・・・。その件に関しては別の者に探索を命じておこう。王位継承に関しては帝国内からも働きかけが必要だな。こちらも手だてを打つとしよう。 エインジャー卿!」
「はっ、ご前に」

「すでに何人かの者が帝国と教会の内部に潜入しているはずだが」
「はい、貴重な情報が定期的に送られてきております」
「フィルデンラントの王位継承について早期に結論を出すよう手を回すことは可能か?」
「若干の時間と資金をいただければ可能と思われます」

「よかろう、後ほど必要な金額を主計隊まで申告するように。次回再び我ら全員が一堂に会す時はすべての準備が整い鬨の声を上げる時、そう思ってよろしいな、おのおの方」
「御意」
「心得ましてございます」
ユージン卿の力強い呼びかけに四方から呼応の声が上がり、同時に薄明かりは四散しあたりは元の漆黒の闇に戻った。