暁の大地


第十八章




パンゲア大陸
某所

ランディ卿の下で暮らし始めて数日がすぎ、アルベルトはすでにその生活に慣れてきていた。
ここは通常の場所とは違う異空間のようで、上空は絶えず厚い黒雲に覆われ日の光が射すことはないにもかかわらず、辺りはうっすらと明るく照らされていて行動に困るようなことはない。
その仕組みがどうなっているのかアルベルトにはよく分からなかった。

夜は雲が薄まるのか、時には月や星が輝きを見せることもある。
その位置関係からここがグリスデルガルドの島内に当たることは見当がついた。

ランディ卿は妖魔族でも地位の高い貴族の出であるようで、広大な居城を所有しているが、普段は裏庭に建てられた実験棟と呼ばれる別棟で居住している。
一見平屋建ての小振りの建物だが、地下はすべて実験室となっていて、殺風景な廊下に面して鉄扉がズラリと並ぶ様はある意味で壮観である。
そこには研究室がいくつも設けられていて、種々雑多な実験が絶えず同時進行で続けられているのだった。

一階部分は居住空間だが、豪華絢爛な装飾も調度もほとんどない、まさに実用優先のつくりとなっていて、とても貴族の住まいとは思えないが、ランディ卿はそれを苦とすることもなく一日中研究に没頭し、疲れれば粗末なベッドにゴロンと横になる、という生活を送っていた。

アルベルトはランディ卿の助手という待遇で一部屋を与えられ、母屋と一部の実験室への出入り以外はほとんど行動の制約を受けることはなく自由に周辺を見て回れた。
監視の目が常に身辺に付きまとっていることは感じられるが、実際に監視役の存在を目にすることはない。

実験棟のすぐ脇には温室があり、さまざまな種類の薬草が栽培されている。
見たこともない夜行性の植物がほとんどだが、区切られた一角では強い光が当てられ、アルベルトにも見慣れた草木が栽培されていた。

また、すぐ裏手には掘立小屋のような見ずぼらしい宿舎が何棟か連なって建てられていて、驚いたことにそこにランディ卿の助手として働いている人間たちが何人も住んでいたのだった。

人間たちは男女別に東西に分かれて住んでいて、ランディ卿の実験の手伝いをしたり、身の周りの世話を焼いたりしている。
アルベルトの食事の手配なども彼らがしてくれていた。
みな感情を表すことは全くなく、アルベルトが話しかけてもろくに返事をすることもなく黙々と言いつけられた作業をこなして去っていく。

アルベルトはランディ卿に、この人たちは明らかに人間と思えるが一体どういう人たちなのか聞いてみた。
「あれは死人 しびとじゃよ」
ランディ卿の一言にアルベルトは言葉を失う。

「お前さんたち人間は心臓が止まって間もないうちに手を施せば再び息を吹き返させることができる。こたびの戦で命を失った人間は山ほどいるからの。軍人連中はその死人たちを蘇生させて手足として使えるようにとわしのところに毎日毎日新しい死体を送り込んでくる。とてもじゃないがその全部を蘇生させることは困難じゃ。何せわし一人でやっておるのじゃからな」

「死人を蘇生させるなんてことができるのですか!」
「まあ、心臓の動きが止まって一両日以内、身体の損壊が酷くない、等々の条件があるがな。あと病気で死んだ者、これはわしの力ではどうすることもできんが」

あの実験棟内にズラリと並んだ実験室の鉄の扉、その中でも自分に立ち入りの許されない部屋のどれかで死体の蘇生が行われていたのか。
アルベルトは思わず吐き気を覚えた。

「身体の機能を蘇生させるのは簡単じゃが、記憶まで完全に元通りにするのは難しい。脳髄の破損は思ったよりも急速に進んでしまうものでな」
「記憶・・・ですか」

「特別にわしの力で記憶を蘇らせたものも数人おるが、全ての者に行うのは困難じゃ。わしも近頃は歳をとって体力の消耗が激しいのでな。だが、わしらに手足として使われるなら人間としての記憶は持ってない方が幸せなのかも知れんな」
「そんな・・・」

アルベルトはふと湧きあがった疑問をランディ卿に投げつける。
「もしかして僕も死人なのですか・・・」
ランディ卿は一瞬ポカンとしてすぐに大きく笑いだした。

「何じゃ、そりゃ。そんなことあるわけなかろう。お前さんの貴重な頭脳に刻み込まれたすべての知識の記憶を再現するには、わしはもう力が足りんよ。お前さんはフィリップ卿に気絶させられ記憶をブロックされて連れてこられただけじゃ。大丈夫、わしはお前さんにとって憎い敵かもしれんが、こんなことで嘘は吐かんよ」






パンゲア大陸
某所

ランディ卿はアルベルトの知識の深さと責任感の強さ、そしてなによりも新たに出会う物事に対するアプローチの姿勢に好感を抱いたようで、かなり高度な実験を任せてくれた。

アルベルトにとってもランディ卿の実験室で目にする様々な器具や装置、古語で記された資料などは貴重な研究材料であり、積極的に取り組んでいった。
ランディ卿の他の妖魔族とは違う学究一筋の面に師オルランドの面影を見たからかもしれない。

ただ、死人を蘇生させる件については、その後話題に上ることはなかった。
アルベルトの食事や衣服の世話をしてくれる者がいつの間にか変わっていて、宿舎で見かける顔ぶれも時々入れ替わっているのを見るたびに、新たな死人が運び込まれ蘇生されたのを知ることはできたが。

また、実験に取りかかっていないときは裏庭を散策することも許されていた。
ある日、アルベルトは散歩中に思索にふけるあまりいつもより遠くまで来てしまったことに気が付いた。
城を巡る胸壁が間近に見えている。

監視役の者に逃亡を疑われてもまずいと思い急いで引き返そうとして、こんな場所にまで掘立小屋が建てられているのに気がついた。
それだけでは、アルベルトも収容人数が増えすぎて宿舎を増設したのだろう、くらいにしか思わなかったが、そのうちの一つから出てきた人物の顔をみて驚いた。

あれは―――
見覚えある女の顔、そうグリスデルガルドの戴冠式で見た巫女ヴェロニカのものだった。
ここにいるということは、彼女も蘇生された死人なのだろうか・・・

アルベルトに気づき、怪訝そうに見つめる相手に、思いきって話しかけてみることにした。
「こんにちは、あなたはヴェロニカさんですよね、神殿の巫女の」

相手は一瞬ひるんだが、アルベルトに悪意がないのを見てとったのか、おずおずと答えた。
「申し訳ありません、私、自分のことはよく分からないのですが、私のことをそう呼ぶ方が他にもいらっしゃるので、それが私の名前なのだと思います。巫女をしていたと言われるとそうだったような気もするのですが」

アルベルトは彼女が気の毒で何と言っていいか分からなくなる。
「私のことをご存知の貴方はどなたですか?やはりグリスデルガルドの方なのかしら」
「私はアルベルト。聖ロドニウス教会の僧侶です。今はそう見えないかもしれませんが」

「僧侶・・・ですか。そう言われればそういう雰囲気ですね」
「はい、貴方とはグリスデルガルドの戴冠式でお会いしました」
「まあ! では、フランツ様をご存知かしら!」

「フランツ様・・・ってフランツ王子のことでしょうか!?」
「ええ、ええ、そうだと思います。あの方はご自分のことは何も仰らないから、でもとても気品のある方―――身分の高い方なのだとは思っていました」

「フランツ王子もここにいらっしゃるのですか?」
「はい、もしよかったらこちらへいらして」

ヴェロニカは自分が出てきた宿舎と隣接の同じような掘っ立て小屋へとアルベルトの手を引いていく。
巫女であった頃は僧侶とはいえ男性の手に触れることなど許されなかっただろうに、そう思うとまた胸が痛んだ。

「こちらです」
ヴェロニカに案内されて踏み込んだ部屋には粗末な造りのベッドが置かれ、その上に半身を起して若い男が座っていた。

「フランツ王子!」
着ている服は粗末だが、その風貌は戴冠式の時の見たフランツ王子のものだった。あのときよりはかなり窶れ、血色も悪くなってはいるが。

フランツは眼を細めるようにしてしばらくアルベルトをじっと見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「貴方は、聖ロドニウス教会の方でしたね。戴冠式に来て下さった・・・」

「私のことを覚えていてくださいましたか!」
「はい、どうにも記憶があいまいで、お名前を思い出せませんが」

フランツ王子は自分たちの目の前でルガニスに一刀両断にされた。
息が絶えているのをルドルフが確認しているはずだ。
だが今目の前にいるのは確かにそのフランツ王子だ。

失礼とは思ったがアルベルトはフランツの手を取り、脈を確かめた。
弱々しくはあるが、確かな脈動が感じられる。
ランディ卿の蘇生術は大したものだと舌を巻かずにいられない。

フランツ王子は戴冠式の日確かに剣で斬られ意識を失い、気がついたら不思議な部屋に寝ていたという。
自分は透明な膜のようなものに包まれ、その膜ごしに見たこともない様々な器械類がいくつも並んでいるのが見えたそうだ。
液体が沸き立って湯気を吹いていたり、チンチンと絶えず音を出す器具、嫌な音を立てて回る巨大な歯車のようなものが乱立していたらしい。

あの時確かに命を落としたと思ったが、こうして生きているとは、妖魔族の蘇生術は奇跡の業だ。
ただ、自分は一人の人間として暮らせる今の境遇に満足していて、王子に戻りたいとは思わないとも言った。

アルベルトはフランツが疲れた様子を隠しているのに気づき、今はあまり時間がないので、また訪ねてくると約束しとりあえず戻ることにしたのだが、去り際フランツは驚くことを告げる。
ルドルフが前にこの宿舎までフランツを訪ねてきた、というのだ。

「ルドルフは国を取り戻し私を王位に、というのだが、私はこれ以上血を流してまで王位に就きたいとは思えなくてね。その心境を隠さず伝えたのだが、それでルドルフはひどく傷ついてしまったようなんだ。せっかく大変な思いをしてこんなところまで来てくれたと言うのに、すまないことをしてしまって・・・」

「ルドルフ王子がここへ・・・ 一体どうやってここまで来られたのでしょう?」
「さあ、何か伝手を使ってとか言っていたようだが」

時期的にみるとアルベルトがルドルフと別れ大陸目指して出発してから程ない頃のことらしいが、彼女にそんな伝手があるとは思えない。

「もしかしてそれは幻かもしれません」
アルベルトは思ったままをフランツに告げた。
「幻?」

「はい、妖魔族の技術力は我らをはるかに凌ぐものがあります。その技術を使って王子に幻を見せたのかもしれません。ルドルフ様が単身ここまで来られるとは到底思えないのです」

「そうか、そうなのかも知れないね。でもその後ルドルフが現れることはなかったんだけど」

「恐らく何かの実験だったのでしょう。身内でも区別がつくかどうか、とか。実験がひとまず成功したのでそれ以後は行う必要がなかったのだと思われますが」

「ああ、貴方の言うとおりだろう。でも、おかげでほっとしたよ。あんなにルドルフを傷つけてしまうなら、嘘でも国を取り戻したいと言うべきだったとずっと悔やんでいたんだ」
フランツは初めて微かな笑顔を見せる。

「フランツ様、とにかく少しでも早く回復なさってください。すべてのことはそれからです」
「ああ」
フランツは頷くとやや力なく笑った。






パンゲア大陸
某所

アルベルトがフランツ王子と会ったことは監視役を通してランディ卿に伝わっていると思われたが、その件に関してランディ卿は何も言わなかった。
その後もアルベルトは折を見てはフランツ王子を訪ね様々なことを語り合ったが、特に注意を受けることも無かった。

ランディ卿は自分や他の虜囚に対し、さほど興味がないのかもしれない、とも思う。
実際ランディ卿の実験への入れ込みようは尋常ではなく、文字通りのマッドサイエンティストだった。

一日中実験室に籠っては食事も取らない日が何日も続くことも稀ではなかった。
まともに睡眠も取っているかどうか。
固く閉ざされた鉄扉の奥から大きな罵り声が聞こえてくることもしょっちゅうだった。

自分には立ち入りを禁じられた実験室でどのような実験が行われているのか―――世話してくれる人が入れ替わるたび、前の人はどこへ行ったのだろうと、嫌な想像が頭をかすめるが、アルベルトは努めて考えないようにした。

今の自分にできることはランディ卿の研究を手伝いながら妖魔族とその技術についての知識を蓄えること、フランツともどもをここから脱出する機会を伺うこと、の二つに思われた。

技術の習得という点に関してはアルベルトにとってはまたとない環境だった。
ランディ卿は自他ともに認める変わり者だけあって、アルベルトが自分のもつ技術、知識について研究することを厭うどころか、返って喜んでいるところがあった。

ある日、新しい麻酔薬の試作実験中に突然手を止めたランディ卿は、何かを思い出したように不意に笑いだした。

「こうしていると昔を思い出すの。親族の者にわしの跡を継がせようと思っていろいろと仕込んだのじゃが、これがまたとんでもない悪ガキでの。とてもじゃないがこの仕事には向かんかった。わしの知識、技術も一代限りと思って諦めておったが、思いがけないところでいい弟子に恵まれたようだわい」

敵である妖魔族にそう見こまれても、とアルベルトとしては何とも面映ゆい心地である。
それをはぐらかすため、
「親族の方、ですか? どんな方なのでしょう」
と聞いてみた。
そう言えばここへ来て以来ランディ卿の家族という人にあったことがない。

「姉の姻戚になるのじゃが、両親を早く亡くしたのでな、姉と一緒にこの家で育てたのじゃ。不憫に思って甘やかしたのがいけなかった。わしの実験道具をことごとく玩具にしおって。今となっては貴重な器具を壊したり隠したり、勝手に結合させてとんでもない物を作りだしたり。調合の難しい薬剤を黙って持ち出して食事に混ぜたりと、それはもうひどいもんじゃった。そいつは今でもこの実験棟には立ち入り禁止じゃ」

「はあ」
大切な実験道具をことごとく壊して回る子供を怒りながら追いかけ回るランディ卿の姿は想像すると多少滑稽で微笑ましい。
そんなところは人間も妖魔族もあまり変わらないらしい、アルベルトはそんな風に感じ、ふいに気がついた。
妖魔族と言っても我々と似かよった部分があるのだ、と。

「ランディ卿、お聞きしてもよいでしょうか」
「何じゃ?」
「なぜ、あなた方は今回の戦を始められたのですか」
ランディ卿はしばしアルベルトを見つめるとふいと視線を反らした。

「今回の戦―――その端緒はお前達が英雄と呼んでいる男、フィルドクリフト家のルドルフが起こした戦乱への報復と言える。だが、その本当の発端は遥か昔、エリオルが我らを裏切り人間に力を貸したことにまで遡るのじゃろうな」
「そんなに昔―――」

「それでもわしらは均衡を保ちながら生きてきた。互いに多少の小競り合いはあっても、どちらかが他方を完膚なきまでに叩きのめす、などということは考えなかったはずじゃ。少なくとも我らはの」
「その均衡を崩したのがルドルフ一世・・・ですか」

「ああ、あやつは白の帝国に踊らされて一番汚い役回りを引き受けさせられた愚か者じゃ。冷静に考えれば犠牲者と言えなくもない。だが、我が一族にそのように冷静な見方のできる者はまずおらぬからな」
「ルドルフ一世が愚か者で犠牲者、ですか」

「他にどう言えばいいかの。フィルドクリフト家は王位継承でもめていた。時の国王は白の帝国の王女である王妃が生んだ二王子より、愛妾の生んだ子に跡を継がせたいと画策していた。それをよしとしない帝国が、兄王子の継承承認を条件にある難題をルドルフにもちかけたのじゃ」

「それが妖魔族の掃討―――ですか」
ランディ卿はふっと笑うと軽く目を閉じる。
「掃討、というは易いが実行するのはまず不可能。そんなことは帝国も承知の上。戦の真の目的を隠すための大義名分に過ぎんよ。ルドルフに与えられた課題はもっと別のことじゃよ」

「それは一体・・・」
「ふむ、お前さんが知るべき運命ならいずれ知ることになろう。そうでないなら、何も聞かぬ方がお前さんのためじゃと思うぞ」

ランディ卿はそう言うと傍らに置かれたソファにどっかと腰を降ろすとそのままごろりと横になってしまった。
タヌキ寝入りだろうとは思ったが、これ以上この話はしないという意思表示と思ったアルベルトはそっと部屋を出て自室に戻ることにした。



10


パンゲア大陸
某所

暗く閉ざされた空間に鬼火が二つ寄り集まる。
「このような所まで呼び立ててすまなかったな、フィリップ卿」
「もったいないお言葉です、ユージン卿。して御用の向きは?」

「ふむ、この間の話、わしも少し調べてみた。皇帝陛下が聖石の行方について興味を持たれているのは確からしい。そのためマティアス卿は最近よく皇宮を留守にしているそうだ」
「はい・・・」

「以前貴殿は忘却の地でマティアス卿と会ったと言っていたな」
「はい、聖地に侵入者が入ったという情報があって、出向いたところマティアス卿がいました。その日は姉レティシア姫の命日だと言って」
「ふむ、だがマティアス卿が入ったのなら侵入者とはみなされまいが」

「はい、マティアス卿には連れがいまして、年若い女でした。後で気付いたのですがその女は逃亡中のルドルフ王子によく似ていましたな。まあ、レティシア姫にも面立ちが似ていたようですが。マティアス卿はランディ卿のところから連れて来たのだと言っていました」

「ふうむ・・・。そしてまた別の聖地で貴殿と会った。そこにはルドルフとシェリー卿の元部下がいて、ラインハルトが闖入し、マティアス卿はそのラインハルトを追っていた、というのも聖石を持っていたから、ということであったな」
「その通りです」

「シェリー卿から聞いたのだが、捕虜のことでランディ卿の城を訪れた時、ランディ卿は留守だったが、その留守宅でマティアス卿にあったと。マティアス卿は人間と妖魔族の混血の従者を連れていて、その者の顔立ちはどこかレティシア姫に似ていた、というのだ」
「はあ、それは一体」

「シェリー卿が言うにはそれほどじっくり見たわけではないが、男にしては小柄でなよなよしていて、どこか女のような従者だったと」
「女のような、ですか」

「いくらなんでもあの姫に似た者がそう何人もいるだろうかな」
「では、もしかして」
「その従者というのが貴殿が忘却の地で見た娘の変装で、その娘がルドルフに似ていたというのなら・・・」

「あっ、そう言うことですか、言われてみればグリスデルガルドで対峙した時ルドルフは女の格好をしていました!」
「そんな重要なことをなぜ今まで黙っていた!」

「申し訳ありません、あのときは目くらましの変装とばかり思っていまして」
「いくら探しても捜査網に引っかからないはずだ、ルドルフは女だ、まず間違いなかろう」
「はい、恐らく」

「そうなると、マティアス卿のことだが、あの御仁はどこまでルドルフに絡んでくるのか」
「マティアス卿がルドルフを密かに助けている、ということですか」
「そうとしか考えられぬだろうな」

「ルドルフは不思議な白い石を持っていました。あれは恐らく我らが連絡用に使う神の遺産。その石をかの神殿でマティアス卿は砕きました。場の空気を変えてシェリー卿の部下ルガニスを救うためには他に方法がなかったと言っていましたが」

「怪しいな」
「はい、確かに。あの時は全てが皇帝陛下のご命令ということで、それ以上の追及はできませんでしたが」
「ふむ。実際皇帝陛下がどのようなご命令を下しているのか分からぬが、マティアス卿の動きはどう考えても不自然だ」

「もともとマティアス卿は皇帝陛下から英雄の剣を取り戻すよう命令を受けたはずですよね」
「ああ、わしがそのように進言したからな。どのみちあの剣に触れるのは竜の一族だけだし」

「その件でマティアス卿はルドルフと何らかの接触があったのでしょう。相手が女と分かれば、あの方のことですから」
「ふむ、だが、相手は仇敵。いくらマティアス卿でもな・・・」

ユージン卿はかつてのルドルフ一世との戦のことを思い出していた。
―――「どういうことだ、ユージン卿!なぜ姉上を戦の道具にする!!」
そう叫んで飛び込んできた少年。
まだ幼いが将来のセレスティン公爵の気概はすでに十分持っていた―――

「あの時のことは今でも・・・」
「ユージン卿?いかがなさいました?」
じっと考え込んでしまった相手を前にフィリップ卿は所在なさげに問いかけた。

「いや、グリスデルガルド王家に一番恨みが深いのはマティアス卿だろうと思っていたのだが」
「レティシア姫の一件ですか」

「ああ。あの作戦は姫の影武者を使うはずだった。直前の打ち合わせの時までは影武者だったのをわしもこの目で確認している。事実、マティアス卿が、ああ、当時はまだランディ卿の客分だったが、血相変えて飛び込んでくるまでは、わしとて少しも気がつかなかったのだ、一体いつどうやって本物の姫が影武者と入れ替わっていたものか」

あの作戦の失敗でユージン卿は長らく皇帝陛下から冷や飯を食わされる羽目になったのだったな―――フィリップ卿はそう心の中で呟いた。

「いや、過去のことはいい、問題は今後だ。そのシェリー卿の元部下と連絡を取ることは可能だろうか」
ユージン卿は宙を彷徨わせていた視線をフィリップ卿に戻し、冷徹な口調で訊ねる。

「あれは我らと人間との混血族。その筋の者に探らせれば消息は掴めるかと思われますが」
「ふむ、当たって見るだけの価値はありそうだな。フィリップ卿、ご苦労であった。任地に戻って作戦の遂行に当たってくれ」
「御意」
瞬時に鬼火は消え去り、あとにはまた元の暗闇と静寂が戻った。





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ゾーネンニーデルン
ロディウムの隠れ里

不思議な隠れ里に身をよせて数日、ロナウドの怪我がすっかり回復し自由に走り回れるようになっていた。
ラインハルトもその間、ゆっくりと考えをまとめることができた。

リヒャルトは聖ロドニウス教会にいる間遮断されていた外界の情報を一気にもたらしてくれた。
想像通りフィルデンラント以外の八聖国内部でも様々な不穏な動きが散見されているようだ。

妖魔族に協力する人間が多数いることは間違いない。そう言った連中は各国の中枢深く潜入し国政に関与しているのだろう。
この戦乱が想像以上に大規模なものになりそうな予感にラインハルトは言い知れぬ不安を感じた。

白の帝国の皇帝サムエル四世は歌舞音曲に興じ、政治を顧みようとしないという悪評が高い。
まあ側近連中にしてみれば皇帝がよけいな手出し口出しをしない方がやりやすい、ということかもしれない。

前皇帝はサムエルの伯父に当たるが、思いきった政策を断行しすぎてこれまた評判は悪かった。
現皇帝が即位した途端、その政策のほとんどが施行を停止されてしまったくらいだ。
平和ボケした皇帝とその側近たちにこの未曾有の危機が乗り切れるのか。

聖ロドニウス教会の動きも気になる。オルランドを捕らえ監禁するなど、ナタニエルは何を考えているのだろう。
妖魔族との混血種が多数教会にも入り込んでいるとして、その連中とナタニエルが通じていないとも限らない。

あれ以降サンドラと顔を合わせる機会はなかったが、彼女の言っていたヘンドリック王子の変貌ぶりも気になっていた。
妖魔族は人間の不安や疑念、憎悪といった負の感情を増幅させる力があるようだ。
王子が取り巻き連中の虚言を真に受けて疑心暗鬼に陥っているとしたら。
サンドラもまたこの里に留まった方が安全なのだろうが、モレナやジネヴラはそれを許さないだろうと思われた。

ルドルフともあれ以降顔を合わすことはできなかった。
疲れが酷いということで部屋に閉じこもったままだ。
いずれにしろルドルフとは今後のことをきちんと話し合いたいと思う。
本人にどこまで話せばよいかの考えは纏まっていなかったが。

ダルシアの怪我はなかなか快方に向かわないようで、ラインハルトは思いのほか長い時間を待つことに費やさねばならなかった。
こうしている間にも陰謀の魔の手は進んでいるだろうと思うと焦りは感じるが、さりとて自分一人でどうすることができるというのか。
とにかく、ルドルフが落ち着いて暮らせるように手だてを施すのが第一だと自分で自分に言い聞かせ時を過ごしていた。

だた、リヒャルトと過ごす時間はラインハルトにとっても貴重なものとなった。
リヒャルトが長年見聞きしてきた各国の事情を詳しく聞けるのは得がたい経験だ。
また時間を見つけてはロナウドとともに剣術の稽古をつけてもらった。

ロナウドは僧侶のくせに、僕はラインハルト様の騎士になるのだといって、一緒に剣術の指南を受けたいと申し出たのだった。
リヒャルトは二人に初歩から剣術を叩きこんでくれた。
おかげでラインハルトの剣さばきもどうにか見られるものになってきたし、ロナウドはリヒャルトも舌を巻くくらい覚えが早く筋が良かった。

「これは本当に騎士の方が向いているかもしれないね。王子様も弟弟子に追い越されてしまわないように頑張ってください」
などと言われてしまうと、ラインハルトとしては言葉もない。
練習用の剣で互いに組みあいながらラインハルトとロナウドは腕を磨いていった。

数日の稽古の後リヒャルトはいつになく真剣な面持ちで二人に告げた。
剣を抜いたら真剣勝負、無駄な情けは後悔の元、その覚悟だけは忘れないでもらいたい、と。

「分かっています。僕も剣を抜くのは真に守りたいもののためだけ、そう肝に銘じるつもりです」
ラインハルトの言葉に満足げに大きく頷くと、リヒャルトはこれからダルシアに会いに行く旨告げたのだった。

「前にお約束した通り、話し合いにはラインハルト様も同席していただきます。そして話し合いが満足いく形で決着したならば、私はまた旅に出るつもりでおります」

「ダルシアとやらの怪我は良くなったのでしょうか」
「私の剣でつけた傷ですのでね、完治はまず難しいでしょうが話ができる程度には回復した模様です」