暁の大地


第十九章




パンゲア大陸
ロディウムの隠れ里

ダルシアはラインハルトたちが宿泊している本殿からはかなり離れた村はずれにある小さな建物に居住していた。
宿所の傍らには畑や井戸もあり、数人の者が耕作に当たっている。
ジネヴラの案内で宿舎へ歩を運ぶラインハルトとリヒャルトの姿を彼らは冷ややかな目で見やっていた。

ラインハルトたちの来訪を受け、ダルシアはベッドに半身を起し憮然とした表情でこちらを見つめている。
リヒャルトとラインハルトは用意された粗末な椅子に腰掛け、ダルシアと対峙しその間に入る形でジネヴラが腰を下ろした。

ジネヴラの同席は万一もめ事が起こった時の用心のためもあるようだ。
話の口火を切ったのはジネヴラだった。

「さて、ハルレンディアの騎士リヒャルトと我が同族のダルシアとの和睦交渉をここに執り行います。証人としてこの私ジネヴラとフィルデンラント王子ラインハルト様が立ち会います。両名ともよろしいですね」

部屋の外から中の様子をうかがっている者が複数いる気配がする。
ダルシアの仲間たちだろう。万一の時には部屋へ雪崩こんでくるつもりか。
ジネヴラがいきなり立ち上がると扉をあけ大声で誰にともなく告げる。

「これから我らは重要な話し合いを行う。本来であればダルシアが本殿に出頭すべきところ負傷の度合いを慮ってこちらから出向いたものである。立ち聞きとは無礼であろう。しばらくこの周辺に近づくでない!」

その言葉が終らぬうちに当たりの気配は一斉に消えていた。
「これで安心してお話を進められましょうか、ラインハルト様」
「ああ」
ジネヴラの心遣いに感謝してラインハルトは軽く会釈を返した。

「ダルシア、お前は己の野心を満たすためグリスデルガルドのルドルフ王子を利用しようとし、それを危惧したリヒャルト殿と諍いが生じ、その結果負傷してここへかつぎ込まれてきました。ここまではよろしいですね」

「言ってしまえばその通りではありますが、我ら一行が警護していたサンドラ王女が襲撃を受けました。私の怪我もあり、また文字通り突然の奇襲であったため王女の安全の確保が難しいと判断した仲間の者がこの里へ王女をお連れした。私のことはそのついでに過ぎません。モレナ様、ジネヴラ様にご迷惑をかけるつもりは毛頭ありませんでした」
言葉づかいは丁寧だがダルシアの口調にはかなり皮肉なものが籠っている。

「ルドルフ様はお前達ごときのちっぽけな野心で動かされるような方ではない、そのことを肝に銘じて怪我が治り次第即刻この里を立ち去りなさい、よろしいですね」

「里を出ていくのは吝かではありませんが、ジネヴラ様、私はちっぽけな野心でルドルフ様を利用しようとなどはしておりません。確かにあの方に我らの長になっていただけたらと思ったりもしましたが」

「それがそもそも問題だというのです」
「はい、ですが・・・」
ダルシアはリヒャルトを見、その視線をラインハルトに移して語を継いだ。

「貴方方のような人には分かってはもらえないでしょう、我々は人間と妖魔族両方の血を引いている、そしてそのためどちらの世界にも属せない。ただ利用され使い捨てられるのみ。そのような生き方を変えたかった。ルドルフ様を王に頂き我らの国を作る、そんなことを考えていました。どこの国にも属さず、支配されず、自由と自治を謳歌できる新しい国を―――」

「妖魔族と人間両方の血を受け継いでいるのはお前達だけではない、この私もそうだし」
リヒャルトはそう言ってラインハルトの方をちらりと見やる。

「ああ、僕にもまた妖魔族の血が流れているらしいな・・・」
その視線を受けてラインハルトはやや投げやりに続けた。
その言葉にダルシアの視線がまっすぐにラインハルトを捕らえた。

「そう、八聖国の王族、紛うことなき神エリオルの末裔。失礼ながら貴方も私も血筋で言えば同じようなもの、だが貴方は生まれた時から当然のごとくに日の光の下を歩む。何ものにその権利を脅かされることなく。貴方と私の違いは何なのでしょうか」

「僕は・・・」
「お答にはなれないでしょうね。そんなことは考えたこともなかったのでしょう」

「ああ、そうだ。考えたこともないよ。僕は王子でゆくゆくは祖父の跡を継ぎメルバント公爵として兄の親政を助ける、そのことしか頭になかった。君達のような者がいることはつい最近まで知らなかったし」

「貴方は知らなくても兄国王は知っていたはずです。国政を執り行うには汚い部分を処理する者も必要ですからね」
「汚い部分・・・」

ダルシアはふっと笑うと視線をラインハルトから逸らした。
「まあ、貴方にこんなことを言っても仕方ない、ただ私の気持ちも少しは分かって欲しいということですよ。貴方は今回の件では単なるオブザーバーなのだし」

「失礼なことをいうものではありませんよ、ダルシア。ラインハルト様にはルドルフ様の保護責任者ということで同席願っているのです」

ジネヴラの剣幕にダルシアは一瞬たじろいだが苦笑交じりに詫びごとを言った。
「これは大変な失礼を。貴方はルドルフ様と年齢がさほど変わらないようにお見受けしたものですから」

「年齢の問題ではありません。グリスデルガルドの王族がほぼ死に絶えた今、ルドルフ様の親族と言えるのは宗主国フィルデンラントの王族であるラインハルト様のみ。そう言うことです」

「ジネヴラ様、僕に彼女の保護者の資格があるかは分かりませんが、僕は友人としてルドルフが他者の思惑で振り回されるような立場になることは容認できません。この者には野心を捨ててもらわなければ、僕は安心して旅立つことはできません」

ラインハルトの言葉にリヒャルトも同意する。
「私も同感です。ルドルフ様が平和で安全に暮らせるのを見届けられなければともにこの里を辞するのみです」

「一体何の話だ?」
隠していてもこの連中ならいずれは嗅ぎつけてしまうだろう、そう思ったラインハルトは小さく溜息をついてから話しだした。

「僕もリヒャルト殿もルドルフにはしばらくこの里に留まってほしいと思っている。少なくともこの騒乱が鎮まるまでは」
「それは・・・」

「ルドルフには賞金が掛かっている。このまま外界を放浪していくのはあまりにも危険だ。この騒乱が静まり、グリスデルガルドが王族を迎えられるようになったらルドルフには故国へ戻ってもらおうと思っている」
さすがに聖少女の話はできず、ラインハルトはそう説明した。
「ルドルフ様がしばらくこの里に」

「私は他にやるべきことがあるので、いつまでもこの里に留まるわけにはいかない。ラインハルト様も同様だろう。だがルドルフ様がここで過ごすというのなら、たとえ怪我が治るまでの間とはいえ君のような存在が傍にいることは不安の種となる。また怪我が治って出て行った後もいつルドルフ様を担ぎ出そうとするか分からないのでは安心してあの方をおいて旅立つことはできないのだ」

リヒャルトの言葉にラインハルトも相槌を打つ。
「それくらいならまだ、我々が護衛して行動を共にした方がましだ、ということだ」

「ルドルフ様を担ぎ出すなんて・・・。私はやっと生涯をかけてお仕えできる方に巡り合えたと思っただけなのに」
「仕える?ルドルフに」

「そうです。あの方のためにならこの命を投げ出しても惜しくはない、生まて初めてそう思える方に出会えました。嘘ではありません」
ダルシアはいかにも口惜しそうに無言で俯いている。
そんな相手にラインハルトは危惧していた疑問をぶつけてみることにした。

「もしこの先、妖魔族との戦いが本格化したならば、お前達はどちらに着くつもりか」
ダルシアは眼を細めてラインハルトを見つめる。
「ほう、王子様も少しは世の中をきちんと見ているのですね」

「茶化していないで質問に答えろ」
「それは・・・どちらにせよ様子を見て優勢な方に着く、というのが世の習い。だが」
「だが?」

「もしもルドルフ様に仕えることを許されるなら、全てはあの方の御心のままに」
「ルドルフに仕えたことで命を落とすことになったとしても悔いはないと言えるのか」

「そうです。私はあの方に我々の王になってもらいたいと確かに思った。でもそれがあの方の意に反することであれば無理強いをするつもりもありませんでした。これは私の本当の気持ちです」

「・・・お前はそうでもお前の仲間たちは別な思惑をもつやも知れぬ」
「その時は私がルドルフ様の盾になってあの方を守り抜くつもりでおりました」

「その言葉に嘘はないと誓いを立てることはできるか。お前の仲間たちにもその誓いを守らせることは可能であるか」
ラインハルトはわざと尊大な口調でダルシアに質した。

「何にかけて誓いますか。貴方方の神エリオルの名にかけて誓いましょうか?」
「それには及ばない」
リヒャルトはすっくと立ち上がるとするりと腰の剣を抜いた。
その突然の動きにラインハルトもジネヴラも思わず息を呑む。

「この剣はお前の身体を切り裂いた剣だ。この剣で受けた傷は完治することはない。一生お前の身体に傷痕を残すことだろう。お前の今の言葉に違う行為があった場合、その傷痕はたちまち血を噴き出しお前を苛むこととなろう。その傷痕にかけて誓いをたててもらう」

「分かりました。私は一生ルドルフ様に仕え、その御心に忠実に従うことを誓います」

「私は傷が癒えたらこの者たちには里から退去してもらうつもりでおりましたが」
ジネヴラが心配そうに口をはさむ。

「その辺はジネヴラ様のお考えに従うしかありませんが、ルドルフには護衛が必要とは思っています」
「そうですね、その点に関しては祖母と相談して善処します。とにかくダルシア、お前は」
「分かっております、どこで誰に仕えようとも私の真の主はルドルフ様のみ。それを忘れることはありません」

これでひとまず心配の種の一つは取り除くことができた、そう思うことにして宿舎を辞去しようとしたラインハルトにダルシアが声をかけてきた。

「ラインハルト王子、妖魔族との戦いが本格化したとして、貴方に勝算はあるのか」
虚を突かれてラインハルトはダルシアをただ見つめることしかできなかった。
「それは・・・、今考えているところだ」

「人間に勝算はない、少なくとも今のままでは」
「そんなことはない、きっと方策はある。かつてルドルフ一世も妖魔族を破ることができたのだし」
「それは妖魔族の側に特別な事情があったから。今回は違うぞ」
「・・・」

「確かに貴方は優れた魔道士だが戦力をもっていない。ケンペス将軍は在野で雌伏し貴方の帰りを待っている、だが人間の軍隊だけで妖魔族を打ち破るのは至難の業だ」

「そんなことは言われなくても分かっている。だがだからと言って諦めるわけにはいかない」
「そうか、ならば俺と契約を交わさないか」
「何?」

「貴方は我が主ルドルフ様の友人、ルドルフ様の信頼も厚いようだ。だからいざというときには俺たちは貴方の戦力として力を尽くそう。その代り戦役が終了した暁には俺たちは独立国が欲しい。最低でもフィルデンラント国内に自治領を認めてもらいたいと思っている、どうだ」

「先ほどは人間に勝算はないと言っていなかったか?」
「ああ言った。だが俺たちの力が加われば戦局は変わる」
この男の真意はどこにあるのだろう、ラインハルトはそう訝り、時間稼ぎをすることにした。

「・・・少し考えさせてくれ、僕はフィルデンラントの王子ではあるが、そのような重大事を決める権限はないんだ」
「なぜだ?国王が謀殺されたのは公然の事実なのだろう?だったら貴方が名乗り出てさっさと王位につけば良いではないか」

その言葉はラインハルトには禁句だった。
「兄上は死んでいない!兄上が生きているかぎり、フィルデンラント国王は兄ヴィンフリート三世なのだ!」

そのあまりの剣幕にダルシアはラインハルトをまじまじと見つめて言った。
「・・・確かに今は死んでいないと言えるかもしれない。だが生きているとも言い難いのではないか」
「貴様、何か知っているのか!」

「ラインハルト様、この者の言うことをあまり真に受けない方がいい」
リヒャルトが嗜めるように口を挟んだ。
「お前もあまりいい加減なことを言うと・・・」

「分かってる、この傷が悪化するのだろう。だがいい加減な情報じゃないぜ。フィルデンラントで裏の仕事をしている同胞から聞いた話だ」
その言葉にラインハルトは腰の剣に当てていた手を離した。

「本当にガゼネタじゃないんだな」
「ああ、国王を郊外の離宮に運ぶ途中で一芝居打った、ってな」
「何だって!」

「表向きは何者かに拉致されたようにひと騒ぎ起こして目くらましをかけ、実際はある空間へと運びこんだと」
「どういうことだ」

「恐らくは宰相の姦計だろうがな、その空間は特別な結界で守られた摩訶不思議な場所。時の流れが一定ではなく一方向でもない。その結界の内では死すべきものも死ぬことはなくただそのままの姿を保ち続けると言われているそうだ」

「そんな場所が・・・」
「どうだ、先ほどの条件を呑んでくれるならその同胞の居所を教えてやってもいいぜ」
そう言ってダルシアは人を食ったような笑いを見せた。






パンゲア大陸
ロディウムの隠れ里

里の本殿に戻ってひと段落してからラインハルトは部屋にリヒャルトの訪問を受けた。
後ろにジネヴラも控えている。
二人ともダルシアの話はかなり気になっている様子だ。

「先ほどの話、どう思われます?」
椅子に落ち着くなりさっそくリヒャルトが切り出した。

「はい、不思議な空間の件ですよね。そのことで思い出したことがありました。僕はフィルデンラントの王城で刺客として囚われそうになってオーブの力を使って窮地を脱したことがあります」
その時拾ったクリストフのブレスレットは今でもラインハルトの腕に嵌っている。

「僕はその時兄の元へ行きたいと思いました。すると兄の声がどこからともなく聞こえてきたのです。お前はここへ来てはいけない、と。その後僕は思いがけない場所に飛んでしまい、とんでもない人物と遭遇してしまいました」

「とんでもない人物?」
「妖魔族の男、セドリックとマティアスという二人です。どうやらセドリックというのは皇帝らしいのですが」
リヒャルトは眼を瞠ってラインハルトを見つめた。

「リヒャルト殿はその連中をご存知ですか?」
「いや・・・妖魔族の現在の皇帝の名がセドリックというのは聞いたことがありますが、会ったことはありませんね」
「私も話には聞いていますが」
ジネヴラも相槌を打つ。

「そうですか。それはともかく、もう一度オーブの力を使って飛べば・・・。兄のことを強く思って飛べば、そして兄が僕を呼んでくれれば兄の元へ行けるかもしれません」
「ラインハルト様はダルシアと取引するつもりはないということですね」

「その件に関してはもう少し考えないと。正直戦力は喉から手が出るほど欲しいです。でもいつ後ろから刺されるか分からないというのではね。僕らと結託しておいて妖魔族とも裏取引をしないとも限らない、その辺をきちんと見極めた上でなくては」

「それを聞いて安心しました。私もそれがよろしいかと思います。ラインハルト様もすっかり王族らしくなられましたね。頼もしい限りです」
「僕は・・・兄の役に立ちたいだけです」

「ラインハルト様は兄上思いなのですね。私もそんなラインハルト様のお役に立ちたいと思います。オーブの力で飛ぶのなら私も道を作るお手伝いをしましょう。王子様が兄上の元に辿りつける確率を少しでも上げるため、そしてまた兄上を救い出して戻られるとき道しるべとなるよう」

「ありがとうジネヴラ様。そうしていただけると助かります」
「今夜真夜中になったら謁見の間までおいで下さい。準備を整えておきますので」
「分かりました」

ラインハルトはジネヴラの好意に素直に感謝した。
正直自分一人の力で辿りつけるか不安だったので、援軍はありがたかった。

「私も立ち会わせていただいてもよろしいでしょうか。何かの役に立てるかもしれません」
リヒャルトの言葉にジネヴラが無言で頷くのを見てラインハルトも
「お願いします」
と答えた。

思いがけず兄の居場所の手がかりが手に入り、今度こそ懐かしい兄と再会できるかもしれない。
そう思うとラインハルトの胸は弾んだ。
前に聞いた言葉―――お前はここへ来てはいけない、お前も殺されてしまう―――それを思い出すと多少の胸騒ぎはあったが。






パンゲア大陸
某所
ランディ卿居城

その日ランディ卿のもとに珍しく来客があった。
普段人気のない母屋がにわかに活気づいたのが雰囲気で感じられた。
アルベルトは来客時には実験棟の外へ出ないように言われたが、言いつけられていた実験を行うのに薬草が不足しているのに気づき、補充のため温室までこっそり取りに行くことにした。

温室まではわずかな距離だし、来客は会食中のようで、問題なく薬草を採取して戻ってこられるだろうと踏んだのだが、温室で目指す薬草がなかなか見つからず、手間取ってしまったのが悪かった。

実験棟に戻ろうとして、人声に驚き、また温室へと取って返す。
ガラス越しに声の方を見やるとランディ卿を挟んで数人の人垣が居城の裏門から出てくるところだった。

見るともなしに見ていたが、そのうちの一人に不意に目が止まる。
あれは・・・

背の高い若い男だった。人垣のなかでもひときわ美貌が際立っている。
あの男、どこかで会ったことがある。どこだったか・・・

僧侶である自分が外界の人間と接することはそう多くはない。
あれだけの目立つ容貌なら覚えていてもおかしくはないのだが・・・
あっと思い手にした薬草を取り落としそうになった。

あの男、クラウディアを叔母の家に送っていく途中で止まった宿でルドルフと一緒にいた男だ。
そうだ、間違いない。あのときは暗かったし、まさか妖魔族だとは思わなかった。
ルドルフと大層親しそうだったし。

フランツ王子の言葉が思い出される。
ルドルフは伝手を使ってここまで来たのだと言っていたと―――
ルドルフ王子は本当にこの城まで来てフランツ王子に会って行ったのだろうか。
アルベルトは姿を隠すのも忘れて男を凝視し続けた。






パンゲア大陸
某所
ランディ卿居城

来客が引き揚げた後、アルベルトは叱責されるのも覚悟でランディ卿に今日の来客のことを訊ねてみた。

「あれは、わしの親族じゃよ。今日はルルシアのお祭りの日だというのでな、年に一度集まるのじゃ。ルルシアというのは我らの守護神の名前で可愛らしい金亀の神様じゃ」

「金亀?」
「ああ、わしらは一族ごとに守護神が決まっていて、それぞれの神の持っている力が違うようにわしらの使える力も少しずつ違っている」

「僕は、言いつけを破って温室まで薬草を採りに行きました。その時何人かの方を見かけましたが」

「そうか、気付かなんだな。まあ、ここには人間が大勢いるから他の連中に見られても大して気にする必要もないのじゃが、お前さんは今ではわしの大切な弟子じゃからの。余計な手出しはされたくなかったので外には出るなと言っただけじゃから」

「そうでしたか。その中に一人背が高くて若い男性がいましたね」
「ああ、あ奴か。やはりあの男は目立つようじゃの、世捨て人のような僧侶から見ても」
「すみません、その方の雰囲気というか、目を引くものがありましたので」

ひょっとしてランディ卿は自分があの男を前に見たことがあることに気付いているのだろうか、そう思いながらアルベルトは答えた。
「あれが、前に話したわしが弟子にしようとした奴じゃよ」
「え・・・」

「わしの姉は竜の一族と呼ばれる高貴な一族の長に嫁いだのじゃが、あれはその忘れ形見。竜の一族の直系はもうあの男一人じゃな」
「はあ、ではとても身分の高い方なのですね」

「ふむ、竜の一族はちょっと別格での、まあ、いろんな意味でな。家柄としては皇帝と同格、ということかの。あ奴も今では出世頭なんぞと言われておる」
そんなに身分の高い者がルドルフの周りをうろつくようなことがあるだろうか。
自分の見間違いだったのか・・・?

「たしか、以前のお話ではあの方にはお姉様がいらしたと思うのですが」
「ほう、よく覚えているの。そうあ奴の姉がまた・・・、いや、この話はやめておこう。わしにとっても思い出したくない話じゃ」
「あの方のお姉様もとんでもない、『悪ガキ』だったので?」

ランディ卿はまじまじとアルベルトを見つめると、「これはまた」と言いながら文字通り腹を抱えて笑い出した。
笑いはしばらく続き、アルベルトはどうしたものか途方に暮れてしまった。

「ああ、やっぱり人間というのは面白いことを考えるものじゃのう。これは面白い」
「すみません、僕はそんなにおかしなことを言ってしまいましたか?」
「いや、お前さんはあ奴の姉、レティシアを知らぬのだから、しょうがないのだが」

「レティシア・・・」
「そう、竜の守護神ミュゼルーシアの巫女となった娘じゃ。あ奴と同じ親から生まれたとは思えんような典雅な娘じゃったよ」
「はあ・・・」

ランディ卿はゆっくりと立ち上がるとアルベルトについてくるようにと合図をし、部屋を出た。








パンゲア大陸
某所
ランディ卿居城

ランディ卿は実験棟を出てそのまま裏門から本城へと入っていく。
アルベルトは戸惑いながらもその後に従った。
ランディ卿に仕える者たちだろう、姿は見せないがたくさんの視線を体中に感じながらホールへ出て大階段を上り2階へと向かう。

どれほどの扉を通り過ぎただろうか、ランディ卿はとある一室のまえで歩を止めると、重厚な木製の扉に手を触れた。
重そうな扉は音もなくゆっくりと開かれ、その先に膨大な蔵書量を誇る書斎が現れた。
いくつも並んだ天上まである書棚にはぎっしりと本が詰まっている。

「これはすごい・・・」
本の山に目を輝かせるアルベルトにランディ卿は
「神の時代の言葉を書き留めたものじゃ。まあ、短い人間の一生ではとても読み切れまいが」
とつれなく言うと書棚の間の細い通路を抜けて奥へと進んで行き、部屋の最奥、一面を塞いでいる大きな書棚の前で立ち止まった。

「この話が出たのはちょうど頃合いなんじゃろうな」
ランディ卿が軽く書棚に手を触れると書棚はゆっくりと後ろへと後退し、さらに横へとスライドして、別の空間が現れた。
「あ奴が、マティアスというのだがな、姉を実験棟なんぞに押し込めるのは忍びないと言うのでな」

その空間はこれまでいた世界とは全くの別世界だった。
満月に照らされた夜の世界。無数の花々が宙に浮かび、妖精たちが乱舞している。その中心には蒼白い光を身にまとい一人の少女が立っている。
黒髪の美しい少女だった。
見る角度により色を変える不思議な瞳がまっすぐにこちらを見つめている。
「これは・・・」
少女の髪も衣服も、宙に踊る花びらも妖精の羽根も微動だにすることのない完全に静止した世界だった。

「これがレティシア。もっともこれはホログラムじゃ。昔の技術を駆使してわしが再現した。同じ物がもう一つ皇帝の元にもあるはずじゃ」
「ホログラム―――でも本当に生きているようだ」
そのあまりの美しさにアルベルトは呆然となって呟いた。

「ああ、忘れとった。忘却の地にも一体―――そちらは寝姿じゃがな」
「この方は亡くなっているのですね・・・」
「そう、愚か者のルドルフとの戦で犠牲になった。わしらは人間とは異質の生命体。蘇生させるのは至難の業じゃ。だが皇帝陛下はその至難をわしにお命じになる。やっかいなことじゃ」

「では貴方が研究されているのは」
「ああ、この娘の復活じゃよ。わしも力を尽くしてはおるが、どう頑張ってみてもどだい無理な話なのじゃが、皇帝陛下は納得してくれんのじゃ」

「私はグリスデルガルドの宮廷で英雄の剣で斬られた妖魔族、失礼、の女が砂になって消えていくのを見ました。貴方方は死ねば砂状化してしまうのでは」

「ああ、そうじゃ。わしらは人間に比べれば途方もなく長い時間を生きる。わしらは人間のような食事を必要とせん。生きている間はわしらの持つ力のおかげでこの身体を保てるのじゃろうが、死んだ瞬間にこれまでの時間の蓄積が一気に身体に襲いかかるのじゃろうな、わしらの身体は砂になって消えうせてしまうのじゃ。わしらの身体にもごくわずかじゃが血液が流れている。人間の心臓に当たる臓器も持っているしな。その血流が止まった時わしらは死を迎えるのじゃよ」

「・・・あなた方は普通の剣で斬られても死なないのでしょう」
「まあ、人間の作った武器ではわしらの命脈を絶つことはできぬだろうな」
「・・・」

「わしらを倒せるのは、神の遺産であるルドルフの持っていた剣、神の与えた魔法、そして強烈な太陽の光、といったところかな」
「貴方は敵である私になぜそんなことを教えてくれるのですか」

「なぜ、と正面切って聞かれると困るのじゃが・・・、わしらは滅びゆく種族なのじゃろう。わしらが滅びれば神から受け継いだ偉大な文化や優れた技術も忘れ去られ滅びてゆく。わしはそれが惜しい。できれば後世に伝えたいと思う。伝える者が敵しかいないというなら、それでも構わないと思っておる。まあ、こんなことをフィリップ卿などに聞かれたらすぐさま裏切り者扱いじゃろうがな」

「ランディ卿、私は・・・」
「今のはわしの勝手な考え、希望じゃ。お前さんはお前さんのなすべきことを果たせ。そのために全力を尽くせば良いのじゃ」

アルベルトはランディ卿を見つめ、その視線をホログラムに移す。
なぜ、このような相手に戦いを挑まねばならなかったのか。歴史をやり直すことはできないのか。
少なくとも今の自分にはランディ卿を戦うべき敵と考えることはできそうにない、アルベルトは深いため息をついた。

「さて、これを見せたからには、お前さんにも今後はわしの研究を本格的に手伝ってもらおう。わしのこれまでの研究の足りないところを、お前さんの知識で補ってもらいたいのだ。 死者の復活が叶わぬまでも、わしとしてもできるだけの努力はせんといかんと思っておる。それが思いがけない方面で福音を齎すこともありうるからの」

ランディ卿は部屋の奥の金庫内に厳重に保管されていた瓶をいくつか見せてくれた。
透明な液体に眼球や爪、毛髪と思われるものが浮いている。
眼球に精彩はなく、その瞳は灰色に淀んで見えた。
「これは?」

絶句するアルベルトにランディ卿は告げる。
「マティアスが瀕死のレティシアを抱えて飛び込んできたときにはもう砂状化が始まっていてな、これだけしか残すことができなかった。これだけのものから人一人を復活させねばならぬ。しかも外気に触れればこれらは一瞬で砂と化してしまうじゃろう」

あの美しい少女が残したものがたったこれだけとは―――アルベルトには言葉もない。
「これだけしか残されていなくて、しかも実際に検査することは不可能なのでは、研究のしようがありませんね・・・」

「実際に手を触れずとも調べる方法はいくつかある。今その装置を研究開発中じゃ。そのための人手はいくらでも欲しいが、誰でも構わぬというわけにもいかんので、なかなか進まんのじゃ。お前さんにはそちらの方を研究してもらいたいと思っとる」

「はい、分りました。私もできるだけのことはしてみましょう」
ランディ卿がもういいじゃろう、と退去を促す。
アルベルトは後ろ髪を引かれる思いでホログラムの部屋を離れたのだった。