5. すぐ戻ると言ったくせに朋之はなかなか戻ってこない。 時間的にはそう経過していないのだろうが今の絵美奈には一秒が一時間にも感じらる。 絵美奈はたまらず暗闇の中をもと来た方へと転げるように駆け出した。 何時の間にか懐中電灯は取り落としてしまい、無我夢中で手探りで出口目指してそれこそ転がるように走って行った。 いくらも進まないうちに絵美奈はいきなり障害物に突き当たり悲鳴を上げて倒れそうになった。 「おい、どこへ行くつもりだ」 そんな声とともに強く温かい腕が絵美奈の体を抱き取った。 「あ、とも・・・」 張り詰めきっていた緊張感が一気に緩み絵美奈は朋之の腕の中で脱力する。 「アイツら仲間をおいて車で逃げ出すところだった。間に合ってよかったが。あんな女を残していかれたら後が面倒だからな」 人の気も知らずそんなことを話し続ける朋之に絵美奈は 「もうやだ、こんなトコ。私を家に帰してよ・・・」 と涙を零して訴えた。 「全く気が強いくせに泣き虫なんだな。しっかりしろよ、こんな奴ら、お前には何もできやしないと言ったろう」 「信じられないわよ、そんなの・・・」 「じゃ、信じなくてもいいから、早く封印してくれ」 「私が・・・?」 「他に誰か頼める奴がいるのか?」 「・・・もう絶対に離れないでよ」 と何度も念を押してから絵美奈は朋之とともにあの部屋に戻り、なおも膨張し続けようとする黒い塊へと鏡を向け封印の呪文を唱えた。 拍子抜けするほど簡単に鏡に吸い込まれていく黒い塊――― それが完全に消えうせる前に夥しい数の妬み、嫉み、恨み、憎しみ、悲しみと言った暗い情念が絵美奈の心に押し寄せ突き抜けて行ったような気がした。 黒い塊が消えてしまうと浮遊していたものも細かい霧となり霧散していった。 塊のあった場所にはなにか小さなものが落ちている。 「あれ・・・」 朋之は絵美奈の目を塞ぐように抱きしめながら 「どうやら猫の死骸のようだな。それにさまざまな怨念が取り付きどんどん膨れ上がったようだが・・・」 と朋之が呟く。 「猫の死骸・・・?」 恐る恐る尋ねる絵美奈に 「ああ。たまたまここに迷い込んで死んだのだろうが・・・」 と朋之は言ったが内心では ―――偶然にしては出来すぎな気もするが・・・、いずれにせよ、この怨念の塊が呼び水となって封印の力が弱まったのは間違いない・・・ と考えていた。 「いやっ!」 絵美奈は激しい嫌悪感に込み上げてくるものを感じ口を押さえてうずくまってしまう。 その様子を見て朋之は慌ててその身体を抱き寄せた。 ―――封印が破れてしまう前に浄化して結界を張ってしまうのが上策だ だが、その途端大量の黒い霧が吹き上げ、屋根を突き破って大気中ヘ広がった。 「いかん、封印が破れた。あの猫の怨霊を封じたら封印が破れるよう術がかけられていたのかもしれない。巫女姫・・・」 朋之はそう言って絵美奈を振り返ったが、絵美奈はぐったりして 「もういや、家に帰りたい・・・」 と泣くばかりだ。 咄嗟に時を止めようと呪文を唱え始めた朋之の前に、黒い影が浮かび上がる。 「情けないものですね。月読命ともあろう者がそんな小娘の力を借りなければ人の世の平穏も保てぬとは・・・」 その影は低い男の声でそんな言葉を投げつけてきた。 「・・・言ってくれるな・・・」 朋之はその相手に対峙しながら絵美奈の心に呼びかける。 ―――巫女姫、しっかりしろ!早くあの黒い霧を封印するんだ ―――いや、だって・・・ ―――頼む、お前しか出来ないんだ。被害が広がらないうちに封じ込めなければ ―――でも・・・ ―――いいから早く!後で何でも言うことを聞いてやるから・・・ 「どうなさったのです、月読様。僕を誘い出したかったんでしょう。こうしてお会いできたのですからゆっくりお話でも致しますか?」 「お前は誰だ、なぜこんなことをする・・・?」 「月読様・・・、僕のことなどもうお忘れですか・・・?」 えっ、と朋之が目を見開いた時、 「月読様!」 伊織がそのすぐ傍らに姿を現した。 ―――建御雷、コイツは・・・ ―――この野郎は僕に任せて月読様は巫女姫様の手助けを ―――ああ 朋之は絵美奈を助け起こしその心に強く呼びかける。 ―――ほんの一時でもお前を一人にして悪かった。もう二度と心細い思いはさせないから、頼むから封印の儀を・・・、あの霧は細かい虫の集団だ。人間に取り付き脳細胞を食い荒らして成長する。あれに取り付かれた人間はいずれ破滅してしまうしかない ―――朋之・・・ ―――俺が力を貸すから、気をしっかり持って その言葉とともに流れ込む力の奔流に絵美奈は何とか心を奮い立たせてコンパクトを手に取った。 そんな二人を背に庇うように伊織が身構えるのを見て相手は 「残念ながら君と話す事は何も無いんですけどね。まあ、月読様もお取り込み中のようだから、今日のところは退散する事にいたしましょうか。 月読様、貴方にはいずれまたゆっくりとご挨拶にあがりましょう。では」 と言う言葉とともにゆっくりと姿を消していった。 同時に絵美奈の手にした鏡から発した強い光が建物を覆っていた黒い霧を包み込み絡めとっていく。 その光がすっかり鏡に吸い込まれたのを確認し、絵美奈はその場にへたり込んだ。 「全く、貴方がついていてどうしてこんなことに・・・」 伊織に痛いところを突かれ朋之は軽く舌打ちして 「馬鹿な先客が厄介な忘れ物をしていったんだ」 と言う。 「はあ、何ですか、それ?」 「腰を抜かして動けなくなった邪魔な女を仲間のところに届けて大急ぎで戻ったんだが・・・」 「女?また女がらみで・・・・」 「また、って何だよ。いくら後から記憶を消せるといっても、封印するところをあまり普通の人間に見られたくなかったからな、厄介払いをしときたかったんだ。 力のある術者なら消した記憶を蘇らせる事も可能だろうから」 朋之はそう言うと絵美奈の身体を支えて立ち上がらせた。 絵美奈は朋之の胸に顔を埋めて声を上げて泣きじゃくる。 朋之は途方にくれたような顔で伊織を見遣るが、伊織は 「僕はさっきの野郎の後を辿ってみます。少し気になることもあるんで」 と言って姿を消す。 ―――待てよ、さっきの奴は・・・ と朋之は呼びかけたが答えは無かった。 届いたとしても引き返してくるような奴でない事は朋之が一番承知していた。 また深追いし過ぎないといいが・・・ 何だかんだ言っても伊織はまだ子供だ。 腕を振るいたくて仕方ないのだろう。 朋之は軽く溜め息を吐く。 伊織の事も気になるが取り敢えずは目の前の泣き虫のお姫様を何とか宥めなくては・・・ それこそ他に頼める相手はいなかった。 「もう、泣くなよ。俺も配慮が足りなかったな、その点は謝るから・・・」 「こわっ、恐かったんだから、あんなトコに一人きりで・・・」 「ああ、俺が悪かった・・・」 こういうときは何でも逆らわない方が賢明だ、朋之は絵美奈の髪をこの上なく優しい手つきで撫でてやりながら相手の気持ちが落ち着くのを待った。 「それに、あんな女の人を抱き上げたりして・・・」 何だ、そんなことを怒ってたのか・・・? 朋之は少しばかり呆れたが、ただ黙って背に回した腕にほんの少し力を込めた。 「私、私はいつだって何も教えてもらえなくて、振り回されてばかりで・・・ その上こんな気持ち悪いものばかり見せられて・・・」 「もういや・・・」 絵美奈が言うだけ言って泣き止むと朋之は 「俺も少し軽率だったな。お前は強い力を持っている。だからつい大丈夫だと思ってしまったんだ。これからはもっと気をつけるから・・・」 と言ってその頬に伝う涙をそっと拭ってやった。 「うん・・・」 朋之はやっとはにかんだような絵美奈の笑顔を見てほっとしたのか 「では、ここを浄化してしまおう。もう変なものが集まらないように・・・」 と言って絵美奈を抱き上げ建物の外へと向かう。 ちょうど破れたドアから外界へと出たところで強いライトが辺りに差し込み、急ブレーキの音とともに一台の車が乱暴に突っ込んできた。 |
6. 先程の男女が戻ってきたのかと思ったがまた別の連中のようだ。 「よう、お二人さん。ラブラブで羨ましいねぇ」 そんな声とともに数人の男が車から降りてくる。 ドアを開けたとたんに漂った強い酒臭に、すでに相当飲んでいる事は一目瞭然だった。 朋之は絵美奈を傍らに下ろすと侮蔑の笑みを浮かべて悠然と構える。 男たちは朋之と絵美奈を取り囲み、酒臭い息を吐きかけてきた。 「おやまあ、可愛い彼女。どう、俺たちとも付き合わない?」 そう言って伸ばしてきた手を朋之は音を立てて払いのけた。 「お前たち、ここがどういうところか知っているのか?」 絵美奈を庇うようにして立ちながら平然と問う朋之を見て 「ここか?ここは有名な心霊スポットだろ?幽霊がわんさと出るとか言う。だから俺たち幽霊退治にきてみたのさ。ちょっと時期はずれだけどな」 とそのうちの一人が野卑な笑いを浮かべながら言うと、別の一人が 「随分偉そうな彼氏だが、よくみりゃまだガキじゃねえか。女を置いてさっさとお家へ帰んな。彼女は俺たちが代わりに可愛がっといてやるからさ」 と朋之の肩に手をかけようとする。 すると朋之は指一本動かさなかったのにその男は足をもつれさせ一人で勝手に地面に転がった。 「なんだ、どうしたんだよ」 「お前が何かしたのか?」 別の一人が朋之に詰め寄るが、その男もふいに身体を宙に浮かせると、何かに弾き飛ばされたかのように数メートル後ろに吹っ飛んで地面に倒れてしまった。 「な、何だお前、一体何をした・・・」 「見ての通り、俺は何もしてやしないぜ」 朋之はそう言って両手を広げて見せたが、次の瞬間その男は仲間の上に倒れこんでいた。 「お前は・・・」 男たちが呆然と見つめる中、朋之は不敵な笑みを浮かべながら軽く手を振って見せた。 その途端男達の身体は宙に浮き、そのまま自分たちの乗ってきた車へと叩きつけられていた。 その男達の方へゆっくりと歩を運びながら 「だが、確かにここには幽霊がいっぱい居るようだな。どうした、退治しに来たんじゃなかったのか?」 と朋之は目を怪しく輝かせながら軽く笑う。 男たちは言葉もなく朋之を見上げた。 「ここはお前たちのようなものが来るところじゃない。さっさと帰るんだな。ああ、そうか・・・」 朋之がそういうと車のボンネットがひとりでに跳ね上がり中から黒い煙が上がる。 「飲酒運転は世の迷惑だ」 男たちは先程の者たちと同様、意味不明の叫び声を上げ、ほとんど腰を抜かしながら這うようにしてその場を逃げ出していった。 「全く変な噂に踊らされてあんなのが集まってくるから、ますます悪気が溜まってしまうんだな・・・」 朋之は絵美奈の傍へ戻ると建物の方を向き、指を絡めて印を作るような格好をしながら何事かを口の中で呟いた。 その身体が青白い光に包まれるとともにあたりの地面からも同じ光が立ち上る。 禍々しいものは全てその光に洗われ清められて消えていく。 それは壮絶なくらい美しい光景だった。 そしてそれをじっと見詰める絵美奈もまた心の中が清浄な気で満たされていくのを感じていた。 光が消えた後の建物は相変わらず真暗な中に屹立していたが、もう先程のような不気味な感じはしなかった。 「すごい・・・これが浄化って言うの?」 呆然と訊ねる絵美奈に朋之は笑いながら 「まあ、俺の力ではこの程度だが。ここは封印の裂け目もあるから念のため結界も張っておいた」 と言って手を差し出した。 「でも不思議ね。こんなにすごい事ができるのにどうして封印はできないの?」 「さあ、なんでかな・・・」 朋之はフイと視線をそられ、 「ここはもう大丈夫だろうから俺たちも戻ろう。伊織に迎えに来させるから」 と言う。 「今日は鳥に乗って帰らないの?」 「そうだな・・・」 ―――さっきの野郎がどこかに潜んでいて、つけてくる可能性もあるが・・・、まあ、相手がその気ならどの道時間の問題か 「巫女姫が俺と同乗でよければ」 優雅に空を舞う彼の鳥に乗って絵美奈は朋之とともに洋館へと戻る。 朋之の腕に背を凭せながら絵美奈はずっとこうしていたい、と思った。 「こんな騒動はなるべく早く終わらせてしまおう。お前が泣いたり傷付いたりするのを見るのは俺も嫌だ」 「うん・・・」 後どれほど同じ事を繰り返せば絵美奈の役目は終わるのか分からないが、ただ一つだけ確かなのは、封印が終わってしまったらきっともう朋之とは会えないだろうということだった。 多分朋之は絵美奈の記憶を消してしまうだろう。 絵美奈は朋之や伊織の事を忘れて、また今までどおりの平凡な高校生として生きていく。 朋之はそのことに何の感情も持たないだろうか。 絵美奈のことなどすぐに忘れてしまうのだろうか。 そう思うと絵美奈は朋之の言葉に素直に頷けなかった。 私は、この人の事を忘れてしまいたくない。 ずっと一緒に居たい。このままずっと・・・ 自分に封印の力がなければ出会うことも無かっただろう相手、朋之は自分に特別な感情があってこうして一緒にいてくれるわけではない、そうはっきり分かっていても絵美奈は朋之に傍にいて欲しいと思った。 私はこの人が好き・・・なんだ・・・ 軽く目を細めて真っ直ぐ前を見詰めている朋之の横顔をじっと見上げながら、絵美奈は切なさで胸が痛むのを感じる。 その視線に気付いたのか朋之は 「どうした、俺の顔に何かついてるか?」 と顔を向ける。 「ううん、ただ、今日はもう大丈夫なのかな、と思って」 と絵美奈は慌てて言った。 「お前はどうだ?何か感じるか?」 「ううん・・・何も」 「では、大丈夫だろう。だが念のため一応今日は俺たちの家に泊まったほうがいい。今もつけられているかもしれないからな。泊まる支度はしてきたんだろう」 「え、うん」 絵美奈がおずおずと答えると 「この間も言ったけど空いてる客間はいくらもあるから、そんなに心配するなよ。獲って食いやしないだろ」 とからかい気味に笑う。 「別に心配なんて・・・」 そういいながらも顔は朱に染まっているのを自分でも感じる。 「そうか?」 絵美奈はその笑顔を見上げながらあの時のことをはっきりと訊いてみようかと思ったが、返ってくる答えは一つしかないような気がして、やはり口にする事は出来なかった。 絵美奈の為に随分ゆっくり飛んでくれたのだろう、二人が洋館に戻ったのは大分時間がたってからだった。 「待ちかねましたよ」 とソファでうたた寝していた伊織に朋之は 「あの後、また変なのが現れて、少し手間取ったんだ」 と言った。 「例の奴が舞い戻ってきたので?」 と伊織に勢い込んで聞かれ、 「いや、別口だが・・・そっちはどうだったんだ?」 と朋之は逆に聞き返す。 「あの野郎、やっぱり食えないヤツですね。あちこちにダミーを残してたので、結局追撃は諦めました。こないだみたいになっても業腹だし」 「賢明だな。ところで俺たちがあの廃屋で封印している時、お前はなかなか戻ってこなかったが一体何をしてたんだ?」 「向こうの狙いは僕を貴方から引き離す事だったらしいですね。次から次と新手が現れて随分と引きずり回されました。まさか貴方があんなに手こずってるとは思わなかったので、僕の方も少し遊ばせて貰ったけど。 あの野郎はそいつ等とは別に、あの辺に隠れていて貴方の出方を伺っていたようですね」 「そのようだな」 「一体どういうお知り合いなんで?まさか貴方の昔の恋人・・・なんて言うんじゃないでしょうね」 伊織の言葉に朋之が 「どうしてお前はいつもそう禄でもない発想しか出来ないんだ!」 と言って睨みつけると、伊織はソファごと後ろにひっくり返った。 絵美奈がただ呆然と見守る中、伊織はやれやれと立ち上がってソファを直すと 「そんなにムキにならなくても・・・、いや、だって、僕のことなどお忘れですか、なんて言わないでしょー、普通。あれはどう聞いても昔貴方と関係があったとしか・・・」 と座りなおしながら言う。 「もう一度転がりたいか、建御雷」 「いや、結構で。でも貴方の知っている相手であることは間違いないんでしょうに」 ―――大体あの野郎は・・・天つ神じゃないですか、僕らと同じ・・・ ―――ああ、そうだな・・・。里を出てこちらの世界で暮らしている者は何人かいるはずだが 「心当たりが無いんですか」 「・・・」 朋之はしばらく黙っていた後でソファに深く沈みこみながら呟いた。 「それにしても一体どういうつもりなんだろうな。封印を破ってこちらの世界を混乱させるのが目的か」 「さあ、真意は分かりかねますね」 「どの道あの連中は封印を解かれて世にあふれ出したとしても、大方のものが昼の世界では生きていけないだろうに・・・」 「そうなんだ・・・」 今まで黙って話を聞いていた絵美奈がはじめて口を開いた。 「ああ、アイツらはもとはヒルコ神が生み出した、この世にはあらぬべき異類異形のものども・・・」 「ヒルコ神?」 「一応我らの同族ということになっているがな。我等の先祖はかつて同族であるヒルコ神たちを地の底深く封じ込めた。力の有る巫女に封じさせ、さらにその地に結界を張り二重の防衛ラインを引いたんだ」 「何だかよく分からないけど・・・」 「昔我らの先祖は同族のヒルコ神たちと相争って勝った、と言うことだろう。 だが地中深く封じられたヒルコ神は死んだわけではない。 世が乱れ封印の力が弱まるとヤツラは地下より抜け出してその姿を人中に現す。 昔から悪鬼だの魑魅魍魎だのと呼ばれている輩さ。 それでもさっきも言ったように奴等は太陽の光の下では長く生き続けられないから、この世にはびこる事はできず何時の間にかまた姿を消している、そんな存在だったんだ」 「それが本当なら、何も無理に封印しなくても・・・」 「妄蛾の被害を目の前で見てもそう言えるか・・・?」 「・・・」 「昔は人は夜には滅多に出歩かなかったから異類異形のものが出没してもさほどの混乱はなかった。でも今の世は違うだろう・・・? 街は人工の光で溢れ、まるで一日中日が沈まぬようだ。 夜の静寂と安息は破られ人の子は鬼神の世界にまで足を踏み入れてくる。 この世を安寧に保つためにはヒルコ神には地下で眠っていてもらわなくては。 それが今代の天照―――俺の姉上の考えだ」 絵美奈はあの廃屋の中で感じた激しい憎悪を思い出す。 彼等は憎んでいる、太陽の下この地上に生きているあらゆる生き物を・・・ 「本当なら封印の破れ目からあふれ出る異類異形を新しい鏡に押し込め、新たにこの地を浄化すれば俺たちの役目は終わるはずだったんだがな・・・」 朋之は小さく呟くとそのまま黙り込んだ。 だが、おかしな術者が現れたために事はそれだけでは済まなくなりそうだ。 その正体も目的も分からないことに朋之は一抹の不安を感じる。 ただ先ほどの男にはそこまでの力の波動をなかった。 わざと力を隠しているのでなければ、あの男も誰かに操られているだけなのかもしれない・・・ 朋之はそう思いつつそっと絵美奈の様子を伺う。 朋之としては絵美奈だけは危険な目に合わせたくないと思っていた。 あの術者が同族である自分たち天つ神へ何らかの意趣を持っているとしても絵美奈には関係のないことなのだ。 絵美奈が疲れ気味なのを見て朋之は 「とにかく今日のところはもう休むか・・・」 と言って伊織に絵美奈を開いている客間へ案内するよう命じた。 |
7. 絵美奈は出来ればずっと朋之と一緒にいたかったが、伊織の居る前ではどうにも言い辛く、素直に伊織とともに二階へ向った。 階段を上りきったところで伊織は 「あっち側の一番奥の部屋がともりんの部屋でその隣が僕、巫女姫様には反対側のこっちの部屋を使ってもらうからね」 と言って階段からすぐの部屋へと案内した。 「この家はもともと外人向け迎賓館として作られているから各部屋にトイレとシャワーがついているんだ。結構便利でしょ」 と自慢げに話す伊織に絵美奈は、 「ここ朋之さんの家なの?」 と聞いてみる。 「う〜ん、正確には僕らの一族と関わりの深いこちらの世界の協力者が所有している家、とでも言うのかな。広告代理店や電鉄会社を傘下においているグループ企業で北条興業って知ってる?」 「うん、名前は聞いた事があるけど・・・」 「ともりんはその会長の孫って事になってるから、こちらの世界では」 「はあ・・・」 「この家はその会長さんの持ち家の一つ。とりあえず今は僕らが自由に使えてるけどね。 じゃ、鍵はこれ。中からも掛かるから安心していいよ」 そう言って立ち去ろうとする伊織に絵美奈が 「あの・・・」 と追いすがると 「休める時はゆっくり休んどいた方がいいよ。何かあったら起こしに来るし。 ホントは巫女姫にはしばらくここで暮らしてもらった方が何かと都合がいいんだけど、ともりんは巫女姫を家族から引き離さないほうがいいと思っているらしいからね」 と言われ、絵美奈は言葉に詰まる。 「全く僕の事なんか道端の雑草ほどにも気にかけてくれないっていうのにさ」 「そんな・・・」 「そうさ、巫女姫様は特別。そのブローチにしたって・・・」 「え・・・?」 思わず胸元に刺したピンブローチに目をやる絵美奈に、伊織は 「まあ、さっきは結構見物ではあったよね。あの気取り屋があんなに慌ててるとこは僕も初めて見たよ。で、アイツあの後何て言って宥めてくれたの?」 と、さも面白そうに訊いて来たので 「早く寝たほうがいいんでしょ、お休み!」 と言ってさっと中へ入りドアを閉じてしまった。 天蓋つきの優雅なベッドに腰掛けると自然に溜め息が出た。 この先一体どうなってしまうのだろう。 とりあえず今晩はここに泊まるにしてもこのままずっとここに居るわけにはいかないだろうし。 一人になるとやっぱり心細い。同じ家に朋之も伊織も一緒に居るのだが。 絵美奈は再びブローチに目を遣る。 朋之がこのブローチに何か術をかけたのは分かっているが、その効果を絵美奈は今ひとつ実感できないでいる。 俺がいない時はこれがお前を守るから―――朋之は確かにそう言ってくれたのだが・・・ また出かけることになるかもしれないと思い、絵美奈は服のままベッドに身を横たえてみたが眠る事など出来そうにない。 朋之はあの廃屋で、何でも言う事を聞いてやる、と言った。 絵美奈を宥め賺して封印させるための苦し紛れだろうが、それでも確かにそう言ってくれた。 何でも・・・ それなら絵美奈の望む事は一つだけ。 自分の役目が終わっても記憶を消さないで欲しい。 いや本当は・・・ ずっと傍に居て欲しい―――そう言ったら朋之はどうするだろう。 困ってしまうだろうか・・・ 絵美奈はふとポケットに朋之が髪に挿してくれた花を押し込んだのを思い出し、取り出してみた。 花はすっかりしおれて汚くなってしまっている。 絵美奈はとても哀しくなって、そっと呟いた。 「朋之・・・今すぐ会いに来て・・・」 その直後窓ガラスが軽く叩かれる音がして、絵美奈は驚いて飛び起きた。 慌ててカーテンを開けると窓の外に朋之が浮かんでいる。 驚きながらも窓の鍵を開け、 「驚いた、ここ、二階なのに」 と言うと、 「重力を操るくらいは簡単だからな」 朋之はそう答えながらふわりと室内に着地した。 「あの・・・どうしたの・・・」 とりあえず招じ入れてしまったが、考えてみればこの部屋に二人きり、しかもドアの鍵は閉まったままだ、微かな惧れを感じながら絵美奈は少し距離を置いて朋之に尋ねた。 「どうしたって、今すぐ会いたいと言ったろう?何か急用かと思って急いで来てやったんじゃないか。何だ、伊織には言えないことか?」 と言う答えに、絵美奈は何といっていいか分からなかった。 「そっちこそ、一体どうしたんだ。何も用がないなら・・・」 そう言って出て行こうとする朋之を絵美奈は思わず腕を掴んで引き止めていた。 「待って、まだ行かないで。私・・・」 「どうした?」 「私の言う事何でも聞いてくれるっていったでしょう」 絵美奈は朋之の顔を見上げながら呟くように言う。 「え・・・、ああ、そんなこと言ったな・・・」 朋之は少し拍子抜けしたように答えた。 「ホントに何でも聞いてくれる?」 「仕方ない、俺に出来る事ならな。で、何をさせたいんだ?」 「私、朋之の事忘れたくない・・・。だから私の記憶を消さないで、お願い。貴方たちの事誰にも言わないから」 「いきなり、何を言い出すんだ。何で俺が・・・」 「封印が終わったら私の記憶、消すつもりなんでしょう」 「いや・・・それは・・・」 「いや!」 絵美奈はそう言って朋之に抱きついた。 「封印が終わってしまったら朋之はもう私と会ってはくれない・・・、その上記憶までなくしてしまったら私・・・」 「馬鹿なこと言うなよ、俺は・・・」 「私ずっと朋之の事覚えていたい、忘れたくなんかないよ。だって私は・・・私は・・・」 ―――貴方が好き・・・ 言葉にしなくても自分の声は朋之には届いているだろう、絵美奈はそう思ったが朋之は 「分かった、お前の記憶は消さないよ、約束する。それでいいな」 とだけ言って、再び窓へと足を向ける。 「お願い、行ってしまわないで・・・」 相手に縋り付いた手の力を強めて絵美奈は朋之を引き止めた。 「私、自分にそんな力があるとは思えない。何だか恐くて仕方ない。朋之を信じてないわけじゃないけど・・・」 どんなことでもいい、相手を引き止める理由を絵美奈は必死になって述べ立てた。 「そうだな・・・そんなに不安なら・・・」 朋之はしばらくじっと考え込んでいたが、 「俺たちと一緒に暮らすか、しばらくの間ここで」 と言った。 「え・・・」 「お前が話しているのを聞いたという男たちの会話だが、そのうちの一人が、結界破りの秘術がどうとか言っていたんだろう?」 「うん・・・」 そう言えばそんなことを言っていた、いろいろあって忘れていたけど・・・ 「今のところお前の家までは知られてないと思うが、もしそんな術を施されたら、俺にはお前の家族まで守りきれる自信はないからな・・・」 「朋之・・・」 「お前はあの家にしばらく戻らないほうがいいかもしれない」 「うん・・・」 「明日、封印の鏡と当座の荷物を持ってこっちに移って来いよ。 伊織にも手伝わせる。お前の家族には少し暗示をかけさせてもらうことになるが。」 「分かった・・・」 朋之は自分を家族から引き離したくないのだと言っていた、伊織の言葉が思い出された。 それでもこんなことを言い出したという事は、それだけ術者の存在を朋之も気にかけているという事だろう。 不安げに見上げる絵美奈に朋之はそっとその頬に手を当てると 「俺も明日は少し出かけてくる。いろいろと調べる事ができたしな。なるべく早く戻るから、お前の方もこの家で暮らせるようにしておいてくれ」 と言ってやさしく撫でてくれた。 「伊織にも昼間はずっと一緒に居るようにさせるし、夜は何かあれば、俺も伊織もすぐに駆けつけられるから」 「分かった・・・」 朋之はそう言って部屋を出て行こうとしたが、ふとサイドテーブルの上の花に目を留めて、 「随分悲しくなってしまったな」 と言って掌に載せもう片方の手をその上に乗せた。 その手がどけられた時には、花は朋之が摘んだ時のままに瑞々しさを取り戻していた。 「花は散るから美しいんだろうけど」 そう言って朋之は驚いて目を見張っている絵美奈の手にその花を乗せた。 「余り長くはもたないんだけどな」 月読とは時を統べる神様―――これもその力のうちなのだろうか・・・ 「じゃ、おやすみ」 絵美奈が花を手に呆然としているうちに朋之は窓から出て行ってしまった。 もう少しだけでも一緒に居て欲しかったのに、そう思うのは自分だけなのか・・・ そう考えるととても悲しくなってしまう。 それでも何かあればすぐに駆けつけてくれる、その言葉を頼りに絵美奈はベッドに身を沈めた。 |