神鏡封魔録


華燭

  4.

学校で絵美奈は伊織が席を離れた合間に千夏から声をかけられた。
「伊織君の居るトコじゃちょっと言いにくいんだけど・・・、実はさ、私と絵美奈とダブルデートしたいって言う男子がいるんだけど、どうかな?」
と千夏は軽い口調でそう言った。
「ダブルデート?」

「そ、取り合えず二対二で食事でもして、後はまあそれなりに・・・ってことになると思うんだけど・・・だめ?」
「え、だって私は・・・」
「やっぱ、駄目だよね。売約済みだもんね、絵美奈は」
「いや、そんなことは・・・」
千夏は伊織の事を言っているらしい。

「ま、絵美奈って結構男子に人気あるんだよ。狙ってたコも何人が知ってるし。でも、今の絵美奈は他の人なんか眼に入らないよね」
絵美奈は朋之のことを思い出しながら
「え・・・うん、そうだね・・・」
と呟く。

「きゃ〜、そんなにラブラブだなんて、羨ましいな〜。伊織君カッコいいもんね」
「だから、そんなことないって・・・」
伊織が戻ってきたのを機に千夏も自分の席へと戻って行った。
クラスメートは絵美奈が伊織と付き合っていると思っているらしい。
まあ、これだけいつも引っ付いていればそう見られても仕方ないか・・・

でも、そういえば今までも時折男子の視線を感じたことがあった。
自分では気のせいかと思っていたが・・・
お前は結構魅力的だと思うぜ―――
という朋之の言葉が思い出され、思わず頬が赤くなってしまう。
一人赤面する絵美奈を戻って来た伊織は呆れたように見つめている。
その視線を受けるのが何となく気恥ずかしくて、絵美奈はただひたすら顔を見られまいと俯いた。

俺はお前を妻に迎える―――
この世界の男の子ならまずこんな言い方はしないだろう。
でも、それが何となく嬉しい。
朋之が抱えているものの重さを思うと少し気が重くなる絵美奈だが、今は朋之に愛される悦びしか実感できなかった。

絵美奈は隣の席に着いた伊織の様子をそっと伺った。
伊織はほとんど一日中ぼんやりとして、絵美奈や他のクラスメートが話しかけてもおざなりな返事しか返さない。
意識を飛ばして朋之のことを見守っているのだろう。
そういえば前に自分の役目は朋之の虫除けでもある、と言っていたっけ・・・
朋之が絵美奈と一夜をともにしたことを伊織は怒っているのだ。
結局伊織はお役目をきちんと果たせなかったことになってしまうから・・・

絵美奈は伊織の意中の女性の事を思い出す。
伊織より少し年上と言う事は朋之とは同い年くらいか。
すごく綺麗な人だというし、もしかして朋之と恋仲でそのせいで伊織は・・・、などと思ったこともあったが・・・

朋之が女性の扱いには随分慣れていたことを思い出しては、すぐに頭を強く振ってそんな考えを追い出した。
つまらないことを考えるのは止めようと思うが、頭の中に朋之の姿が浮かんできてしまうのはどうしても止めることができなかった。

絵美奈が剣道の部活を追えるのを待って一緒に塾に向った伊織は、絵美奈が塾の建物に入っていくのを確めてから近所の喫茶店に入った。
この辺りに何かある事は間違いないがやはり不穏な気配は感じられない。
今日一日伊織は時折意識を飛ばして朋之の動静にも気を配ってみたが、こちらも普通に学校へ通っていて、特別な動きは見られなかった。

朋之が鏡にかけた時封じの術は切れた。
今後封印が解ける頻度はもっと上がるだろう。
絵美奈はそのことに強い不安を感じている。
いや伊織だって、現状を見れば不安だらけだ。
朋之はそれを一体どう思っているのか・・・

相手は絵美奈に攻撃の手を伸ばしてきた。
多分一番攻略しやすいと見ているからだ。
あの男が朋之のどういう知り合いであるのかは分からないが、そいつが絵美奈に危害を加えたとしたら朋之はどうするつもりなのか。
絵美奈を見つめる時の朋之の優しい眼差しを思うと伊織は心が波立つのを感じてしまう。

馬鹿野郎・・・
伊織は今朝方の朋之の軽く自分の頬に触れた労働を知らない白く細い指と、綺麗な笑顔を思い浮かべた。
これは罰なのかもしれない。
決して立ち入ってはいけないと硬く言われていた場所に興味本位で入り込んでしまった自分への・・・

月読様の話を祖父から聞いてすぐだったと思う、伊織はある夕暮れ、田んぼから戻る途中の坂道で不思議な服装をした人物と出会った。
夕日を背に坂の上からこちらを見下ろしているその人は里の者は誰も着たことがないような珍妙な服に身を包んでいた。

伊織としても、それが外の人間が着る洋服と言うものである事は知っていたが、実際それを着ている人間を見るのは初めてだった。
ズボンと言うものを穿いているところをみると男のようである。
その肩には美しく精悍そうな鳥が止まっていたが、それが式神である事は容易に感じられた。

体中から溢れ出てくるような強い力の波動を感じ、伊織は不思議に思う。
この里にこれほどの力を持つ者がいただろうか・・・
そう思いつつ坂を登っていくと、相手のほうも伊織を認めて驚いたような顔をした。

逆光でよく分からないが、微かな笑みを浮かべたその端正な顔は、男と言うよりはまだ少年と言ったほうが相応しい。
色白の肌に短髪の艶やかな黒髪、そして何より伊織を驚かせたのはその瞳の色―――
深緑色の瞳は薄闇のなかで鮮やかに輝いていた。
この人は宗主家の人・・・それが何でこんなところに立っているのか・・・?

「驚いたな、お前はいつかの・・・確か、伊織といったっけ・・・。久しぶりだな、すっかり見違えたぞ・・・」
その少年は低い穏やかな声でそう言った。
「え・・・?」
呆然と立ち尽くしたままの伊織に相手は更に続けて言う。
「どうした、俺が分からないのか?前に宮の内殿で会ったろう?」

宮の内殿に立ち入ったのはただ一度だけ。そしてそこで会ったのは・・・
目の前に立つ少年の顔立ちは確かにあの少女によく似ている。でも・・・
伊織は何と言っていいか分からない。

「・・・ああ、そうか、十五になったんで、成人の儀を受けに戻ったんだ。ついでに継承の儀も終わったから、やっとあの鬱陶しかった長い髪とおさらばできたってわけさ。どうだ、この髪型、結構似合ってるだろ?」
少年はそう言って軽く手で髪を梳くと、綺麗な笑顔を見せた。

「おい、口が利けなくなったわけではあるまい?何とか言ったらどうだ。もしかしてお前・・・」
少年がそう言った時、
「月読様、宮の外にお出になられてはなりません。しかも里人に直接お言葉をかけられるなど・・・」
何時の間にかやってきた若い男性がそう声を掛けた。

―――月読様?この人が・・・?
「全く、しきたりだ何だと煩わしいことだな・・・」
「月読様はずっと外の世界におられると聞いておりました・・・」
伊織はやっとそれだけ口にすることが出来た。上ずって自分の声ではないように聞こえる。

「ああ、まだしばらくはそうする事になりそうだ」
相手がそういった途端だった。
「朋之様、早く戻られないと姫神様にお叱りを受けられますよ」
男性の声はあくまでも穏やかだったが、どこか有無を言わさぬ響きがあって、朋之と呼ばれた少年は
「分かったよ、ではな・・・」
と伊織に声を掛けてくるりと振り向きその男性と連れ立って宮へと戻っていった。

その夜、月読様に出会ったことをこっそり告げた伊織のことを祖父は大層羨ましがった。
立派に成長して成人の儀を迎えられたお姿を一目だけでも見たかったのだろう。
お綺麗な方だったろう、と祖父は懐かしむように目を細めて伊織に言った。
自分が傍についていた頃の朋之様は、姫神様のご意向で髪を長く伸ばしていて、他のどんな女の子よりも可憐に見えたものだ、と。

確かに大層な男前だ。男だと分かっていても思わず見蕩れてしまうくらいに・・・
にしても、なぜもっと早く気付かなかったのか・・・
月読様はずっと外の世界で暮らしているとばかり思っていたから考えもつかなかったのだが、思えばあの時伊織は祖父とともに宮を訪れたのではなかったか。
祖父が里にいるということは月読様もあの時は里に戻っていたのだ。

見たところ子供のようだが、ここは男子禁制のはずであろう
と言う言葉に答えた伊織の、自分だって(子供のくせに)―――
それを朋之は、自分だって(男のくせに)と聞いて、だから
僕は特別だ、と言ったのだ。
僕はこの内殿の主、月読命なのだ、と。

ずっと追い求めていた少女は男の人だった。
どの道伊織などが近付く事も許されない雲の上の人である事は変わらないのだが・・・

やがて祖父から建御雷の位を継承した伊織に宮から呼び出しが掛かった。
姫神様から大切な“弟君”の傍仕えとして選ばれたときの栄えある気持ちと言うのはどう表現したらよいのだろう。
でも、その月読様は伊織の事を自分の護衛役としては力不足だから他のものと役目を変えて欲しいと言い出したのだ。

それはなぜか伊織の心をひどく傷つけた。
伊織にとっては姫神様にお仕えするのが第一の任務である。
その姫神様が守ってやってくれというから僕はこの任を受けたのだ。
それなのに月読様が姫神様の決められたことに何を口出しするのか・・・
しかも今代の月読様は半分は・・・
伊織にはそのときから朋之に対して奇妙な敵愾心が生まれた。

それでも初めて二人で外界へ向う日、伊織は朋之に
「俺は下僕はいらない。外の世界では身分などに囚われる事無く自由に振舞えばいい」と言われたが
「そう言われても僕は姫神様にお使えするのが任務。貴方はその姫神様の弟、対等な立場にはなれません」
と答えた。
朋之はしばらくじっと伊織を見ていたがやがてフイと顔を背けると
「それではお前は俺の下僕だ」
と言ったのだった。

それ以来朋之は伊織のことを徹底して下僕として扱ったが、伊織にとってはその方がむしろ有り難かった。
朋之のふいに見せる笑顔や思いがけない優しさはなぜか伊織を苦しくさせる。
いっそ嫌ってくれた方が気が楽だった。

自分だって半分ただ人の月読様など本心からは認めていない、こうして形だけでも立てているのはそうするように姫神様から頼まれたからに過ぎない。
それを月読様にもはっきり分かってもらわなければ・・・
初めはそう思っていた。
だからわざと嫌われるような態度をとって見せたりもしたのだ。

だが、こちらの世界に来てほとんど二人だけで暮らすようになってしばらくすると、伊織は自分の本当の気持ちを認めざるを得なくなった。
相手が同性だと分かった後も伊織の心は朋之に、いや、あのときの少女に惹かれていた。
朋之に反発を感じれば感じるほど惹かれる想いも強くなる。
それはどんなに打ち消そうとしても打ち消しきれなかった。

ふとした仕草や表情にあの娘の面影が重なると、伊織は胸が締め付けられるような感覚に陥り、大袈裟にふざけてみたり皮肉な軽口を叩いてみたりしてそれを誤魔化した。
事情を知らない朋之は伊織の事を変な奴だと思ったらしいが、元来男になど興味のない月読様はあまり伊織の事を詳しく知ろうという気もないらしく、元々少し変わっているのだろう、位にしか思っていないようだ。

それが幸いであると同時に寂しくもある、複雑な伊織である。
自分は今でもこの人に囚われている。
何だかんだと理由をつけて傍を離れないのは、どんな形でもいい、この人の傍にいたいと自分が願っているからなのだ。
だが、それを朋之に気取られるわけにはいかない・・・

もし少しでもそんな気配を感じたら、今度こそ朋之は自分を傍には置いてくれないだろう。
好き好んで朋之の傍仕えをしているのではない、そう公言しながらも伊織は他のものが自分に代わって常に朋之の傍近くに仕えるなど考えられなかった。
自分一人里に戻ればもっと栄えある役目につけるかもしれないかわりに、今度こそもう二度と朋之には会えないのだ。

どうかしている・・・自分でもそう思う。
何時か絵美奈に言った事は嘘ではない。
初めて出会った時から心に住むのはただ一人だけ―――
そしてそれは決して振り向いてくれるはずの無い人・・・
いや、それどころか・・・

どんなに長いこと傍近くに仕えても、朋之が自分に心を許してくれる事はないだろう。
朋之は伊織が自分を監視するために常に傍にいるのだと思っている。
それは確かに事実ではあるのだが・・・

こうして離れていても伊織は折に触れて意識を飛ばし朋之の動静に気を配っている。
それこそ朋之にかすり傷一つでも負わせたら姫神様の信頼を裏切る事になる。
朋之の命令で絵美奈の警護についてはいるが、本当は常に朋之の傍にいなくてはならないのだ。

なのに朋之はそんな自分の立場など少しも慮ってくれないくせに、絵美奈のことになると過剰なくらい気を使っている。
自分は心の奥底で嫉妬しているのだ、と伊織は思う。
朋之にこの上なく大切に想われている巫女姫に対して・・・

「どうした?、コーヒー、すっかり冷めちまってるぜ」
じっと考えにふけっていた伊織はそんな言葉とともにテーブルの上にフイに落ちた影に、はっと我に返った。



  5.

一方絵美奈はいつもどおり塾で数学の講義を受けた。
千夏は先に来ていて席を取ってくれていた。
堀内先生の講義を聞きながら絵美奈はもう以前のようにこの先生に夢中になれない自分を感じている。
朋之とはまた違った大人の魅力溢れる素敵な男性であることに変わりは無いのだが・・・

お前を妻に・・・
ダメだ、朋之の言葉が頭から離れない。
因数分解も三角比も絵美奈の頭からは既に吹っ飛んでいる。
ここでこんなことをやっているなら、少しでも早く帰って朋之に会いたい・・・
堀内先生には申し訳ないが、そんな風に思えてしまう。

そういえば、朋之は学校が引けたらどこかで落ち合って・・・、と言っていたけど、結局打ち合わせする間もなくさっさと学校に行ってしまって・・・
伊織や飯塚さんの手前何事も無かったように振舞ったのだろうが、絵美奈としては少し、いや、かなり寂しい。
それこそ絵美奈にとっては初めてのことだったのだから、もう少し優しくしてくれてもいいのに、とつい思ってしまった。

講義の後教務に用があるという千夏と分かれた絵美奈は、ホールでふと目に留まった大学入試の資料集をパラパラと捲って見た。
朋之は一体どこの大学に進学するんだろう。
三年生なのに余裕なのはやっぱり神様には勉強する必要などないから・・・?
大学を卒業するまで後四年と少し、少なくともその間はこちらの世界にいてくれる・・・
それが長いのか短いのか絵美奈にはよく分からないが。

ひとしきり眼を通した後資料集を元に戻し、絵美奈は伊織が待っているはずの喫茶店へと向ったが、そこで待っていたのは伊織ではなく朋之だった。
「どうしたの?伊織君は?」
「アイツは帰ったぜ、俺と入れ替わりに。買い物に行く約束だっただろ?アイツにも一応一緒に行くかと訊いてはやったんだけどな」

「そうなの・・・」
伊織は気を利かせてくれたんだろうか?
朋之が頼んでくれたオレンジジュースを飲みながら絵美奈はぼんやりと考える。
絵美奈はふと朋之がじっと自分を見つめているのに気付き、
「どうかした?」
と訊いてみた。

「いや、何だかまだ実感がわかないなと思ってさ・・・」
「うん・・・」
自分でも信じられない、ついこの間であったばかりの人と結婚してしまったなんて・・・
いやまだ正式に結婚したとは言えないが・・・

「私、しばらく塾は休もうかなと思うんだけど・・・」
「どうして?」
「だって、この辺りに変な人が居るんでしょ?やっぱり気になるし、それにこうして講義を受けていてもあまり意味が無いような気がしてきたんだ・・・」
もう堀内先生にあまり魅力を感じなくなってしまったから、と言う理由は口が裂けても言えないな・・・

「まあ、お前の好きなようにすればいいと思うけど。塾では何を習ってるんだ?」
「数学。苦手なんだ、私」
「ふ〜ん、じゃあ、俺が教えてやるよ」
「ホント?」
「ああ、高一の数学など簡単だ。では、そろそろ行こうか」
絵美奈が飲み終わったのを確認し朋之が伝票を手に席を立つ。

「買い物ってどこへ行くの?」
「そうだな、どこにするかな・・・」
そんなことを話しながら朋之の腕につかまって駅へと向う途中、絵美奈は突然呼び止められた。
「絵美奈・・・一体どうして?」
駅前の書店の前に先程別れた千夏が立ってこちらを見ている。

千夏は手に取った雑誌を落とすようにして棚に戻すと絵美奈を引っ張るようにして道端へ連れて行き、
「ちょっと絵美奈、誰よあれ・・・」
と小声で尋ねた。
「あの人は、ええと・・・、伊織君の先輩で・・・」
とっさにどういって言いか分からず絵美奈はしどろもどろになる。

「伊織君の先輩?じゃ、あんたまさか二股・・・」
「ち、違うって、私は伊織君とは何でも・・・」
「嘘ばっかり、いつもあれだけ引っ付いているくせに・・・」
そんな二人の様子を半ば呆れ気味に見ていた朋之は埒があかないと見たのか、
「どうしたんだ、一体?」
と近寄ってきて絵美奈に尋ねた。

「うん、ええと・・・」
絵美奈が二人を交互に見て返答に困っていると、朋之は
「お前の友達か?」
と尋ねた。
黙って頷く絵美奈を見て朋之は千夏に、
「こんにちは、僕達これから買い物して食事に行くんですけど、よかったらご一緒にいかがですか?」
とにこやかに言った。

千夏は真赤になって
「はい、喜んで・・・」
と言ったが、いきなりわき腹をつつかれ、
「でも、千夏、用があるんだよね、そう言ってたよね!」
と言われてやっと絵美奈の顰め面に気付き、
「・・・あ、そうだった、すみません先約があって・・・」
とかなり口惜しそうに言った。

「そうですか、それは残念ですね・・・」
と答える朋之の腕を取って絵美奈は
「ごめんね千夏、また明日ねっ!」
と言ってスタスタと歩き出す。
「おい、いいのか・・・?」
と尋ねる朋之に絵美奈は
「これから指輪を買いに行くんでしょっ!」
と語気荒く答えた。

「そうだけど・・・」
「だったらどうして他の女の子まで誘うのよっ!」
「だってお前の友達だろ」
「それはそうだけど」
「何をそんなに怒ってるんだ?」
全く、コイツ性悪かと思いきや天然かい!
タラシのくせに、千夏の目付きに気付かなかったとでも言うの!?

「なにがいけないのかよく分からないな。俺たち結婚したんだろう。だったら・・・」
「だからいけないんじゃないの!」
絵美奈の剣幕にたじろぎながら朋之は
「分かった、これからはお前以外の女性は誘わないよ。これでいいか?」
と忍び笑いを漏らしながら言う。

「ホントにそう思ってないでしょ・・・」
「巫女姫様が大変なヤキモチ焼きだって事はよく分かったから・・・」
「何よ、それ!」
「全く・・・、お前は俺の奥さんなんだから、他の女の子とは違うだろ?さっきだってお前の友達だから悪いかと思って声を掛けただけじゃないか・・・」

「自分の容姿、自覚してる?」
「そりゃ、まあね」
「だったら不用意に誘ったりしないの!」
「俺はお前しか目に入らないけどな・・・」
「!」
突然そんなことを言われて絵美奈はそれこそ真赤になる。

「もっと自身を持てよ、お前は俺がただ一人、妻にと選んだ女性なんだから」
「・・・うん・・・」
やっぱり気障で性悪だ・・・でも・・・
通り過ぎる女性が絵美奈のことを少し羨ましそうに見ているのはきっと気のせいではない。
腕を組んで駅への道を辿りながら、絵美奈は今自分は世界中の誰よりも幸せだと思っていた。

朋之が絵美奈を連れて行ったのは一等地の目抜き通りにある高級宝石店で、こんなとこ制服で入っていいのか!?といった感じの店だった。
朋之は不審そうな店員に、婚約と結婚の指輪を見繕うようにと言った。
店員は朋之と絵美奈の服装を見て、初めはまともに取り合おうとしなかったので、朋之は店長を呼ぶようにと別の店員に指示した。

間もなく店長が現れたが、朋之の姿を見ると
「これはこれは北条様、不慣れな店員が大変失礼を・・・」
と平身低頭、すぐに別室に通され下にも置かぬもてなしを受けることになった。
こんな待遇になれていない絵美奈には居心地が悪くていたたまれないが、朋之は至極当然と言った顔でふかふかのソファにふんぞり返っている。

店長のお詫びの言葉をひとしきり聞いた後、朋之は
「能書きはいいから、はやく指輪を見繕ってもらいたい。僕達は暇を持て余しているわけではないんだから」
と居丈高に言う。
「はい、只今すぐに・・・、で、どのような指輪がお望みで・・・」
「どんなのがいい?」
朋之は絵美奈に顔を向けそう尋ねるが、いきなり言われてもとっさに思いつくものではない。

「ご婚約でしたら、一般的にダイアモンドが喜ばれますが、お嬢様の誕生石などもよろしいかと・・・」
「誕生石?」
「お嬢様は何月生まれでいらっしゃいますか?」
店長と一緒に来た優しそうな女性の店員に聞かれ、絵美奈は
「私は五月生まれです・・・」
とおずおずと答える。

「五月ですとエメラルドになりますわね」
店員は、失礼、と言って絵美奈の手をとると、
「こちらですと九号か十一号ですわね。いくつか持ってきて見ましょうね」
と言って部屋を出て行く。

しばらくして店員が持ってきた指輪の値札を見て絵美奈はぶっ飛びそうになる。
日頃絵美奈が身に付けるようなものとは桁が二つは違う・・・
―――ちょっと、どれも凄く高いけど、大丈夫なの・・・?
―――ああ、一千万までなら俺が自由に使っていいことになっている
―――・・・
パンピーの絵美奈にはもう言葉も出ない。

次々と持ってこられる様々な指輪にかなり迷いながらも、絵美奈は緑色の光沢が美しいエメラルドの指輪を選んだ。
プラチナの台上でダイアモンドに囲まれてキラキラと煌く美しい緑の石・・・それは薄闇の中で鮮やかに輝く朋之の不思議な瞳を思わせ、絵美奈はとても気に入ったのだった。

あとは繊細な文様が掘り込まれたシルバーの結婚指輪を注文して、朋之は婚約指輪を包装させるとカードで支払いを済ませた。
絵美奈は生まれて初めて目にするプラチナカードである。
全店員が最敬礼で見送る中、朋之は絵美奈の手をとり颯爽と店を後にした。

「さて、次は食事か。さても人間の身体とは面倒だな。絶えず他の生き物を取り込んでいないと生命を維持できないとは・・・」
「・・・やっぱり普通の人間じゃないじゃない・・・」
いろんな意味で・・・
絵美奈は自分と朋之とではあらゆることで釣り合わない、そう思った。
「まあ、そうなんだけどな・・・」
そのことばに呟くように答えたときの朋之の寂しそうな顔が絵美奈の胸を打った。

「朋之・・・?」
「そんな顔するなよ。指輪、気に入らなかったのか・・・?」
「ううん、とっても嬉しいよ。でも、いいの?あんなに高価なもの・・・」
「気にするなよ。この俺があのクソ爺の姓を名乗ってやってるんだ、充分おつりが来るさ」
「・・・」



  6.

華やかな街路を見下ろすレストランの窓辺の席に陣取り、リッチな夕食を済ませた後、朋之は指輪を取り出して絵美奈の左手を取り、薬指に嵌めてくれた。
その手をそのまま唇へと持っていき、軽くキスを落とす。
吃驚して見つめる絵美奈に、
「今夜はどこかホテルへ泊まっていこう。伊織にはそう言ってあるから」
と朋之はそれこそ蕩かすように甘い声で囁いた。

「でも、あの、封印は・・・」
「さっき家に帰ってもう一度時封じの術を、今回はもっと念入りに掛けたから、少なくとも今晩一晩は大丈夫だと思う」
「だけど・・・」
「だって、今日は俺たちの初夜だろう、まあ今朝済ませちまったけど。今夜くらいはゆっくり二人きりにさせてもらおう」
絵美奈はボッと火がついたように赤くなる。

朋之はそれを見て、心から楽しそうな笑顔を見せた後ポツリと言った。
「本当は・・・伊織もお前のことが好きだったらしいが・・・」
「伊織君が?」
「ああ、お前のことがからむと、やけにムキになって突っかかってきたからな、アイツ」
「そんなはず無いと思うけど・・・」

「そうかな、でも、アイツには悪いと思うが俺もお前のことが好きだ。だから、俺はアイツの分もお前を幸せにするつもりだ」
「朋之・・・」
「また、気障で性悪でいけ好かないと言われてしまうかな・・・」
そう言って朋之は珍しく照れたように窓の外に視線を転じた。

朋之は誤解している。
伊織君が好きなのは私なんかじゃないのに・・・
窓に映る朋之の顔を見ながら絵美奈はふと、昔は朋之は髪を長く伸ばしていたのだということを思い出した。
今より少し幼くて髪が長い朋之はもしかして、いや、しなくても自分より数段美人だろうな・・・
そうだ、少し年上で身分が高くて髪の毛が長くて、そして凄く綺麗な人・・・
伊織がずっと片思いしている相手って・・・まさか・・・

朋之はつと振り向くと、
「そういえば、今更だけど、その、大丈夫かな・・・」
と絵美奈に尋ねた。
「大丈夫って、何が?」
「だからその・・・子供・・・赤ちゃん・・・。今朝は俺も余裕無かったから・・・」
その言葉に再び絵美奈は真赤になった。

「アレが終わったばかりだから・・・多分・・・大丈夫だと・・・」
「そうか」
半分ほっとし、半分がっかりしたような朋之の答えに絵美奈は、
「なんだか、神様らしくない会話よね・・・」
と呟く。

「まあな、一応俺たちもこの人間の身体に支配されてるわけだから・・・
俺たちにはまだちょっと早すぎるだろ。
でも少し残念かな。ハネムーンベビー、欲しかったし」
「へえ、朋之にしては意外な発言・・・」
「そうかな」

「子供、好きなの?」
「ああ、嫌いじゃないぜ。それに俺、家族は早く作りたいと思ってた。本当に俺のことを思ってくれる家族は俺にはいないから・・・」
「え・・・、だってお姉さんは?」
「・・・お前には本当の事を話さないとならないな。
あの人は、姉上と呼ぶように言われているけど、本当は俺の父の姉、俺にとっては伯母に当たるんだ」
「・・・!」

「俺の母は里の者じゃなかったから俺は五歳までこの世界で暮らしていた。両親と生まれたばかりの妹と四人で」
「そうなんだ」
「ある日父が俺を呼んでこういった、朋之様、あなたは現人神となるべく選ばれました。だからもう私たちは一緒には暮らせなくなったのです、と」
絵美奈は驚いてただ朋之を見つめる。

「それから俺は里に連れて行かれて、そのときからずっと家族とは会っていない。実の伯母と言ってもあの人は里と一族の存続の事しか頭に無いし・・・」
「でも・・・家族はこちらの世界に居るんでしょ、だったら何時でも会いに行けるじゃない・・・」
朋之は軽く目を伏せて頭を横に振った。

「姉上と約束したから・・・。それに父も母も俺の事は忘れているはずだ。妹は勿論俺のことを覚えているはずが無いし・・・」
「記憶を・・・消されてるってこと・・・?」
朋之は静かに頷いた。
「それに、俺ももうあまりよく覚えていないんだ、父のことも母のことも・・・」

店内がざわついてきたのを感じ、朋之はもう行くか、と言って席を立つ。
朋之は絵美奈の手をとって立たせると腕を貸してくれた。
レストランを出て、それこそ制服で来るのは気恥ずかしいようなホテルに朋之は絵美奈を連れて行く。
予約もなしに大丈夫なのかと思ったが、平日と言うこともあり部屋はすんなりと取れた。

壮麗な夜景を見下ろすホテルの一室で、朋之は絵美奈を膝に抱き、
「俺はお前を妻として生涯かわらぬ貞節を誓う。お前は?」
と言った。
絵美奈がそれにどう答えていいか分からず戸惑っていると、
「お前は俺を夫として生涯変わらぬ貞節を誓うか?」
と真摯な顔つきで尋ねる。
「はい・・・」
絵美奈はその日何度目か分からないが顔中真赤になってそれだけ答えた。

朋之は小さく微笑むと絵美奈を抱きしめそっと唇を重ねる。
その後絵美奈は愛しい夫と二人、まさに夢のような一夜を過ごした。
幾度も互いに求め合い固く身体を繋ぎ合わせながら、絵美奈はこの夜が永遠に続いてくれたらいいのに・・・と願っていた。

それでも容赦なく時は過ぎていってしまう。
朋之の端正な顔を見つめながら絵美奈は先程の会話を思い出す。
貴方は現人神になられる事が決まりました・・・
朋之の姉、いや伯母がどんな人か知らないが、その人は朋之と自分の事を知って、黙って許してくれるだろうか。
もしかしたら自分も朋之も記憶を消されて引き裂かれてしまうかも・・・

「朋之・・・私・・・」
絵美奈の心中を察したのか、朋之は
「大丈夫だ、お前の事は姉上に話してある。お前の記憶を消させたりしないから」
と絵美奈の頬を撫でながらそう言った。

「本当・・・?」
「ああ、特別な方法で姉上とは連絡をとれるんだ。姉上はもう俺とお前のことを知ってた。俺がお前と一緒にずっとこちらで暮らしたいと言ったら、姉上はそれでいいと言ってくれた。だから・・・」
「信用して・・・大丈夫なの?」

「・・・分からない、けど、俺がこうしてこの世界で暮らしているのは、俺の父と姉上との取り決めらしいから」
「取り決め?」
「ああ、初めて姉上に会った時言われた、俺を引き渡すに当たって父は俺にこちらの世界の教育を受けさせるという条件を出したのだと」

「だから、朋之はずっとこちらの世界にいるの?」
「そう、小学校へ上がってからずっと。長期の休暇以外には里にはほとんど戻ってない。もっとも俺がいてもいなくても里の暮らしは何ら変わる事は無いんだろうけど。だから俺もこちらにいていいという事なんだろう、何かあったときだけ戻るようにすれば」
「そんなに簡単にいくのかな・・・」
「・・・確かにな、俺も少しは不安だが・・・でも姉上には何か考えがあるみたいだし・・・」

「・・・どんな・・・?」
「俺は半分はただの人間だろ?だから俺が月読命を継ぐのには宗主家の中でも反対があったらしい。そのときは姉上が押し切ったらしいけど・・・
俺より月読命に相応しい者は幾らでもいるだろうから・・・
ただ、今の姫神様の直系の親族ではないってだけで」
「そうなの・・・?」
「いずれにしろ、俺はお前を手放す気は無いから。どんな事があっても・・・」
「うん・・・」

一抹の不安を抱えながらもいや、それだからこそ不安の全てを吹き飛ばしてしまいたくて絵美奈は朋之に自分から口付け、
「抱いて・・・もう一度・・・」
と言った。
「ああ・・・」
こうして結ばれているだけで幸せなのに永遠を望むのは贅沢と言うものなのだろうか。
それでも絵美奈は朋之を失いたくないとその背をきつく抱きしめた。

翌日、あまり早く起きれなかった二人は学校を休んで一日休養をとることにした。
ほとんど一晩中求め合っていたから、いくら若い二人といえどもかなり身体は辛かった。
ギリギリまでチェックアウトを伸ばしてそれから遅めの朝食を取り、二人は昼近くになって帰宅した。

絵美奈が花婿は花嫁を抱き上げて家に入るものだと言うと、朋之はそれは他所の国の風習だろう、と言いながらも絵美奈の望みどおりにしてくれた。
伊織は、朋之も絵美奈も不在のため家で留守居をしていたが、戻ってきた二人を迎えて、
「やあ、ご成婚おめでとうございます」
と明るいながらも多少の皮肉を込めて言った。

朋之はただ頷いただけで伊織に、巫女姫は今日から自分の部屋で暮らすから荷物を今の客間から移すのを手伝うようにと言った。
絵美奈は真赤になって、いや、それは・・・、と言おうとしたが朋之は取り合わず絵美奈を抱いたままさっさと二階へ上がってしまう。
伊織はポーカーフェイスを崩さないのでその真意は分からないが、絵美奈は何となく夕べ思った事はさほど的外れでもないような気がした。

髪を伸ばした朋之は遠目には女の子に見えたかもしれない。
凄く綺麗だった事は間違いない。
伊織が勘違いして好きになってしまった可能性は高いだろう。
伊織が朋之に素直に向き合えない原因はそんな思いを知られてしまいたくないから、絵美奈にはそう思えてならない。

ただ朋之は本当に気付いていないようなので、絵美奈もこの事は自分の胸にしまっておこうと考えた。
伊織の気持ちを知っていて朋之と夫婦のような暮らしをするのは、絵美奈としてはかなり気が重いのだが・・

一緒に荷物を移すときも伊織は自分の感情は一切表さずに、いつものように軽口をたたきながらあれこれと気を使ってくれて、絵美奈は申し訳ないと思った。
もっとはやく、伊織の気持ちに気付いていたら・・・
でも、そう気付いていたとしても、自分も朋之を好きになるのを止める事は出来なかったと思う。

「結婚なんて早すぎると思うんだけど・・・」
伊織の表情をそっと伺いながら絵美奈はポツリと言ってみた。
「まあ、こちらの世界ではそうだろうけど、僕たちの里ではそう早い方でもないぜ。
僕等はほら、十五で成人だろ。成人と同時に結婚する奴も大勢いるし。朋之様はこちらの世界で暮らしているからいままで独身でいたけど、貴種筋の人ほど結婚は早いから、ほんとならもうとっくに結婚していてもおかしくない年齢ではあるんだよね」

「そうなんだ・・・」と感心しながら、
「伊織君・・・朋之のお姉さん、私たちの事どう思うかな・・・」
絵美奈は朋之から聞いた話は伏せて伊織にそう訊いてみた。
「そうだね・・・姫神様は本当はともりんには里の娘と結婚して欲しかったんだと思うけど、こうなったからには・・・
それに、君は巫女姫だ。だから姫神様ももしかしたら月読様の妻として認めるかもしれない」

「巫女姫・・・」
「そう、つまり君の遠いご先祖はわが同族の端くれ、とでもいうのか・・・」
「?」
「わが一族に伝わる伝説さ。今度時間のあるときともりんに聞いてみるといい。ま、僕が話してあげてもいいけど、巫女姫様はともりんから聞いたほうがいいでしょ」
そう言って笑う顔はいつもの伊織に戻っている。

「あのタラシが君に夢中なんだ、きっと幸せにしてやってよね」
伊織は最後の荷物を運び終わると絵美奈の耳元でそう囁いた。
「うん、ありがとう。私、伊織君の気持ちに気付かなくて・・・ゴメンネ・・・」
絵美奈がポツリと言うと、伊織はちょっと驚いて、やっぱり分かっちゃったか、と頭を掻きながら
「いいって、何年一緒に居ても全く気付かないのも居るんだから。でもこれでやっと踏ん切りがつけられる。思えば長い片思いだったものね」
と言って笑ったが、その後自室へと戻って行った後姿はやはり少しだけ寂しそうだった。

その夜はまた鏡が割れ、絵美奈は朋之、伊織とともに封印のために東奔西走させられ、ほとんど一晩中駆けずり回っていたため、家に戻ってほんの数時間横になって休むだけになってしまった。
それでも朋之と抱き合うようにしてまどろむ一時は何物にも代えがたい幸せな時間だったが、確かに夕べ一晩だけでもゆっくり出来てよかった、と絵美奈は心から思った。
ただあの術者もその日は姿を見せず、それだけはほっとした。