神鏡封魔録


盟約

  4.

一際高い火柱が地を割って吹き上げ絵美奈と伊織を襲う。
絵美奈は結界を張って自分と伊織の身を守った。
「伊織君、どうしよう・・・」
「あの野郎、調子に乗りやがって・・・」

伊織が絵美奈を安全な場所に下ろそうと下降した時、大地に長い亀裂が走った。
封印が大きく破れたのかと思ったがその切れ目から吹き出したのは大量の水―――
「闇御津羽、どうして君が・・・」
伊織と絵美奈の前には光り輝く竜身の神が宙に浮かんでいた。

「全く、この私がお前を助けるいわれなどないのだが、こちらを見殺しにしたとあっては私は月読様に合わせる顔がなくなってしまうからな」
竜は絵美奈にではなく伊織に向って言う。
その間にも溢れ出す地下水に地上を覆いつくしていた炎の勢いも弱まり、見る間に消えていった。
同時に大地の切れ目も元通り塞がっていく。
それを確めると竜はあっと言う間に少女の姿になった。

「それにしても情けないことだな、建御雷。そんなことで月読様をお護りできるのか」
「うるさいな、君にそんなこと言われる筋合いないだろう」
「言われたくなければもっとしっかりすることだ、この間月読様が酷い怪我をされたのだって・・・」
「ちぇ、早耳だな、そんなことまで知ってるのか」

「月読様のことで私に分からない事はない。あの方がご結婚されたことも・・・」
そう言って闇御津羽は初めてちらりと絵美奈を見遣った。
「要するに君は朋之様のストーカーってわけだ」
「・・・お前はいつもそんなことばかり言っているから月読様にまともに取り合ってもらえないのだ。そんなこともまだ分からないのか」
「・・・大きなお世話だ、君だって・・・」
「そんなことより・・・今のうち迦具土に止めを刺す」
伊織の言葉を軽く無視して闇御津羽はそう言って地上へと急降下した。

「おい、待てよ!」
伊織も絵美奈を伴って慌ててその後を追う。
「よいか、私が合図したら電撃を放つように」
「待てって、何で僕が君の命令を聞かなくちゃならないんだ」
「私のほうが強くて賢いからに決まっている」

「全く・・・。巫女姫様、これから地上に下ろすけど危ないから結界を張って身を守っていて下さいね」
「うん・・・」
「闇御津羽、アイツには・・・」
「分かっている」
闇御津羽は迦具土の正面に立ち水流で相手の身を包んだ。

「俺にお前の攻撃はきかないぞ」
迦具土は不敵に笑うと火炎を放射すべく手を挙げる。
その身体にほんの一粒水滴がついた瞬間、闇御津羽は大きく頷いて見せた。
それを合図に、伊織は迦具土の背に手を当て強烈な電撃を加えた。

「くそったれが・・・」
そんな声と共に黒い影が迦具土の身体から飛び去った。
「今度こそ貴様の最後だ」
そう言って掴みかかる伊織にバチバチと体中から火花を散らしながら膝をついた迦具土は
「俺に構っている暇があるのか、建御雷?後ろを見てみろ」
と不敵に言った。

「何!?」
振り向いた伊織の目に絵美奈に掴みかかる京介の姿が映った。
その背には黒い染みのようなものがしがみついているのが夜目にもはっきりと分かる。
あっ、と思ったとき迦具土は消え去っていた。
逃がしたか・・・、仕方ない、今は巫女姫様を助けるのが先決・・・

伊織に言われた通り絵美奈は下ろされた丘の上で身の回りに結界を張って伊織達の戦いの行方を見守った。
街を挟んで反対の丘に京介が立っているのが気配で感じられた。
京介は真っ直ぐ絵美奈を見詰めている。

堀内先生は一体何を考えているのだろう・・・
なぜ封印の邪魔をするの・・・?
そう思った瞬間、京介の顔がすぐ目の前に迫っていた。
「きゃ・・・」
絵美奈の結界は簡単に破られてしまう。
絵美奈は京介に首を絞められた。

「い、いや・・・」
その手を振り解こうと頑張ってみたが相手の腕に引っ掻き傷を作ったくらいで怯ませる事すらできない。
少しずつ意識が遠退いていくのを感じ絵美奈は今度こそヤバイ、と思った。
霞む視界に京介の目がぼんやりと映る。
朋之と同じ緑色の瞳―――

でもこの瞳は・・・私を憎んでいる・・・
どうして?
先生はあんなに優しく励ましてくれたのに
今から頑張ればきっと希望の進路に進める、そう言ってくれたのに・・・
まさか、この人は・・・

―――お前が死ねばアイツはさぞかし悲しむことだろうな・・・
頭の中に響く声が脳髄を揺さぶる。
体中の力が吸い取られていくようだ。
―――安心しろ、お前はまだ殺さない、いろいろと使い道があるからな・・・

「巫女姫様!」
伊織君、どこにいるんだろう、声が随分遠い・・・
だめ、もう意識を保てそうにない・・・
京介の手を通して何か異物が入り込んでくるような感覚を覚えた時、
―――しっかりして!
そんな声と共に相手の力が少しだけ緩んだ。

「巫女姫様!気をしっかり持って!」
力強い腕が身体を支えてくれるのを感じ絵美奈はぐったりとその腕に凭れ掛かる。
「気をしっかり持って!自分の周りに結界を張るんだ、早く!」
結界・・・?

足元に水が流れるのを感じ一瞬意識が覚醒した絵美奈は言われるままに護身用の結界を張った。
身体がふわりと軽くなるのを感じた瞬間、悪魔のような叫び声がすぐ傍らで聞こえたような気がした。
「ぎゃああああ・・・」

薄っすらと開いた目に、遙か下方に見えている地面の上をボロボロになった京介がのたうっているのが映る。
その体の上を真黒い影が這うように蠢いたと思った瞬間京介の姿は黒い影もろとも消えうせていた。
その影が消えたあともしばらく地獄の底から響いてくるような不気味な声が聞こえてくるのを絵美奈は確かに聞いたように思う。

「巫女姫様、大丈夫?」
伊織の声が思いのほか近くに聞こえる。
絵美奈は朦朧とする意識の中、涙をこぼしながら自分を支えてくれている相手に抱きついた。
「朋之、いや、朋之・・・」

相手は戸惑いながらもしっかりと抱き返してくれる。
その力強さに安堵して気が抜けたのか絵美奈は意識を失ってしまった。
「早く家へ連れ帰ってやれ。こんなところを月読様に見られたら、お前、ただではすまなくなるぞ」
「・・・分かってるよ」
暗闇を漂う絵美奈にはそんな声がどこか別の世界から聞こえてくるような気がしていた。

ちょろちょろと細い水音の聞こえる暗がりの中に一陣の旋風が巻き起こりぼうっと明かりが射した。
薄明かりの中に二人の人影が浮かぶ。
「どういうつもりだよ、今更ここへ来たいって・・・」
幾分不機嫌そうな子供の声に
「そう嫌がることもないだろう、すっかり様子が変わってしまったが、一応お前のふるさとなんだし」
とからかうような響きを帯びた低い声が返す。

朋之は家に戻る前に須佐の安住の地に立ち寄るよう乙彦に命じたのだった。
「早く帰ってやらなくていいのかよ? アイツ、心配してるぜ。第一、男と二人きりにしておいてお前、平気なのか?」
「まあ、伊織は俺の妻に手出しはしないだろうから」

「随分信用してるんだな、あれでも男は男だろうに」
確かに誰かさんしか目に入ってねえけどよ・・・
「多分・・・大丈夫だ。アイツはそんな奴じゃないさ」
「へ〜え、そうですかね」
コイツもそっち方面のことにはとことん鈍いな、さっきだって・・・
まあ穴牟遅のことなんざ、どうでもいいが・・・

乙彦の心中の呟きに気付くことなく朋之は近間の岩に腰掛け、雲間から覗く半月に目を遣る。
伊織も絵美奈に惹かれている、それを知っていてこんな役目を負わせるなど、自分は随分酷なことをアイツに強いてしまったのかもしれない、だが、今夜ばかりは・・・
「・・・アイツには頼めないことがある」
朋之はそう言って乙彦に流し目をくれた。

「何だよ、気味悪いな」
「そう言うなよ」と言って朋之はほんの少し俯いた。
「俺は勝てるかな・・・」
そんな呟きがその口から漏れる。

「穴牟遅が言っていた天つ神の後ろに居るヤツのことか」
「まあ、それもあるが・・・俺は自分の運命に勝てるだろうか・・・」
「どうしたよ、珍しく弱気じゃん?」
「俺はお前と同じ、半分はただ人だからな・・・」
「月読・・・」
言葉に詰まる乙彦を横目に見ながら朋之は自らの胸に手を当てた。

手の触れた場所から青白い光が広がり辺りを明るく照らし出す。
その強い光に驚いて小動物たちが泡を食って移動するのが鳴き声や葉ずれの音で分かった。
「おい、月読、お前一体何を・・・」
乙彦が驚き呆れて見つめる中、朋之はゆっくりと胸から手を離す。
光は急速に消えうせ、朋之の手には冷たい金属の光を放つ丸い円盤が握られていた。

少しばかりぐったりとした朋之の身体を乙彦は慌てて支えてやった。
「全く無茶な奴だな、自分で自分のプレートを取り出すなんて・・・」
「これからお前と話すことをこれに刻ませるわけにはいかないからな・・・」
「大丈夫かよ、下手したら死んじまうぜ・・・」
「ああ、大丈夫だ。久々に憑き物が落ちたようなさわやかな気分だぜ」
朋之はそう言って力なく笑うと真顔になって続けた。

「この下に須佐は眠っているのだよな、ヒルコ神たちと一緒に・・・」
「ああ、それが親父の望みだった。俺のせいでなかなか叶えられなかったが・・・」
「須佐はなんびとも立ち入れないようあの空間を閉めると言ったが、お前なら・・・、今のお前なら入ることができるのだろう?」

「月読、お前俺を厄介払いするつもりか?」
「そうじゃない、答えろよ、どうなんだ」
「そりゃ、その気になれば・・・。でも俺は親父の眠りを妨げたくない」
「ああ、分かってるよ」
「じゃ、何でそんなことを聞くんだよ!」

「俺は東の地脈を封じるつもりだ。そのために新しい霊鏡を作らせた。地脈は大きいがその鏡を使えば封印はさほど大変ではないだろう。だが・・・」
そこまで言って朋之は乙彦の腕を強く掴んだ。
「アイツの望みは・・・。お前なら分かるだろう。この地の下に眠る湖―――あの清浄な世界を・・・」

「分かったよ、封じたヒルコ神とヒルコ神が生み出した異類異形たちをあんな世界に住まわせてやりたいんだろう」
「俺はそんなこと考えたこともないけどな、アイツは封じるのではなく、共に生きる事は出来ないのかと言ったんだ、だから・・・。
俺にはそんなことは出来ないが、須佐の力を受け継いだお前なら・・・」

「まあ、俺にどれだけのことが出来るかわからないけど、お前は俺に新しい人生をくれた、だからそれに見合うだけの事はしてやるよ、それでいいんだろう、分かったから早くプレートを戻せ・・・」
「まだだ、もう一つ・・・」



  5.

朋之は傍らに置いた刀を掴むと乙彦に持たせて言う。
「これはお前の刀だ、大気中の微量な電流や磁場の動きを読み天候を思いのままに操る、この刀の本当の力を引き出せるのは、風の神、嵐の神であるお前だけ。
そしてこの剣は我等の遠い先祖が遥か彼方よりこの地へと携えてきた宝の一つ―――この地球上では得られない物質、銀晶石で作られたもの」

「それがどうしたって言うんだよ」
「いいか、もし俺が俺でなくなったら・・・、お前は迷わず俺をこの剣で斬ってくれ。天つ神である俺を殺せるのは今ではこの剣だけだ」
「月読、それは一体どういう意味だ!?」

「文字通りの意味さ、俺が誰かに操られてアイツに危害を加えるようなことがあったら、それを阻止できるのは・・・」
「よせって、俺は・・・」
「頼む、万一の時はそうすると約束してくれ」
朋之はそう言って乙彦の腕を更に強く掴んだ。

「俺、嫌だよ、そんなの・・・」
「俺はアイツを傷つけたくないんだ、どんなことがあっても・・・」
「お前が死ねばアイツは一番傷付くだろうが」
「ああ、そうだな、けど・・・」
「何でそんなことを俺に頼むんだよ」

「済まないな、昨日会ったばかりのお前にこんなことを頼むのは筋違いなのは分かっている。
だが他に頼めるヤツはいない。お前と出会ったのもこの刀が俺の手に渡ったのも・・・運命だ―――」
「そんな運命、俺は認めない!」

「俺だってそう簡単にやられるつもりはないさ、だが、俺がアイツを守れなくなったら・・・」
「そんなこと言うなよ、お前らしくないじゃないか!」
「そう・・・だな。けど相手が悪い・・・、正直勝てる自信がないんだ」
力なく笑う朋之に乙彦は返す言葉がない。

「伊織でも俺を倒す事は難しいだろう、だから頼めるのはお前しかいないんだ。俺は・・・
俺のこの手がアイツの命を奪うくらいなら俺が死んだ方がマシなんだ」
「月読・・・」
「いいな」
「・・・分かったよ、お前の言うとおりにしてやるよ、それでいいんだろっ!」

朋之は無言で頷くと鞘から剣を少しだけ引き抜き、その諸刃の剣で自分と乙彦の手首に同時に小さな傷をつけた。
「血の盟約だ、必ず違えるなよ」
互いの傷口を軽く合わせながら朋之は強い口調で言う。
「ああ!」
乙彦は小さく叫んで朋之が脇へと置いたプレートを引っつかむと乱暴にその胸に押し当てた。

「須佐・・・」
「お前の望みはよく分かった、だからもうくだらない事言うなよ!」
強い光と共にプレートは朋之の身体に飲み込まれる。
「落ち着いたらさっさと戻ろうぜ、辛気臭い話はたくさんだ」
「ああ、そうだな・・・」

胸を押さえながらゆっくりと立ち上がった朋之は
「今の話は絵美奈にも伊織にも言うなよ、カッコつかないからな・・・」
と言って照れたような笑顔を見せた。

家に戻った朋之は今は部屋で安らかな眠りについている絵美奈を見舞うと、応接間で伊織から報告を受けた。
「申し訳ありません、月読様。僕の力不足で・・・。正直言って闇御津羽が来てくれなければどうなっていたか・・・」
伊織の言葉に朋之は腕組みをしながら
「こちらが動き始めたのを知って、仕掛けてきたのだろう。にしても迦具土を抱き込んでいたとはな・・・」
と呟く。

「他にも手駒を集めているかもしれません、敵もそう簡単に手の内を明かしはしないでしょうし・・・。
迦具土も京介も格段に力が強かった。その理由は・・・」
「力の増幅・・・か・・・」

「あの二人の背後には黒い影が付いていました。それがあの二人の力を増幅していたに違いありません。
巫女姫様が思わぬ抵抗をして京介を怯ませてくれたので闇御津羽と僕が同時に攻撃できたんですけど」
「まったく厄介な事だな・・・」
伊織は反す言葉も無く黙り込む。

「取り敢えず国つ神のほうは手を打ったからな、封印の件に関してはもう関わってはこないと思う」
朋之は気を取り直すようにそう言った。
「穴牟遅がそう言ったのですか?」

「部下は引き上げさせると確かに言った。今後もし国つ神が我等の邪魔立てをするようなことがあれば切り捨て御免の承諾も得たからな。
あいつもなかなか狡猾な奴だから当面は高見の見物と洒落込むだろう」

「しばらくは様子見・・・ですか。まあ国つ神が何人集まろうとそう問題ではないですが、また巫女姫様やその周辺の人間に余計な手出しをされても厄介ですからね・・・」
「まあな。それより問題は・・・」
「貴方の名を騙って穴牟遅の協力を取り付けさせた奴―――ですね・・・」
「なあ、その名を騙った奴って、一体誰なんだよ、お前等二人とももう判ってるんだろ?」
朋之と伊織の話をじっと聞いていた乙彦が欠伸を噛み殺しながら尋ねる。

「お子様はもうお休みになった方がいいんじゃないですか、須佐殿」
皮肉めいた伊織の言葉に
「何だよ、そんなに俺を邪魔者扱いする事もないだろうに」
と乙彦はニヤリと笑ってみせる。

「別に邪魔にしているわけじゃ・・・。何だか眠たそうですし」
「現界にこんなに長く居るのは初めてだからな、確かに少し疲れるが、もう大分慣れたよ。
それよりはぐらかさないで、そいつの事教えろよ。俺だってもう蚊帳の外を決め込んでるわけにも行かなくなったんだしよ、そうだろ、月読」

「まあ、そうだな・・・」
出発前と比べて明らかに親近感が増している様子の二人を見て、伊織は一体何があったんだろうかと訝しむ。
朋之はそんな伊織の心中には全く無頓着にゆっくりと話し出した。

「俺の名を騙った、と言う表現が適切かどうかはわからないが・・・。
穴牟遅の元を訪れたのは、いつかお前が幻術で追い払った眼鏡の男、次の思兼神を継ぐはずだった京介という天つ神に間違いないだろう。穴牟遅が先代の須佐を訪ねたのはその男の話を確めるためだった、というのも嘘ではあるまい。
京介は俺の伯母、天つ神の長である姫神様からその力のほとんどを封じられた。おそらく一部の記憶も消されたことだろう。
その京介の記憶と力の封印を解くことが出来る者は、つまり姫神様とほぼ同等の力を持つ者という事になる。
俺が知る限りではそんなことが出来るのは一人しかいない・・・」

「朋之様、それは・・・」
「お前ももう見当がついているのだろう、そいつは俺と同じ術を使う。桜の枝の時を止め、封印の鏡にかけた俺の時封じの術を破ることができ、お前を結界のうちに閉じ込められる奴―――更に言えば手に触れた他者の力を増幅できる者・・・」

「誰なんだよ、勿体つけてないで早く言えよ!」
「相変わらずせっかちな奴だな、まあいいか。この俺、月読と同じ術を使えるのは月読だけ。つまり先代の月読、伯父の靖之だ」
「先代の月読・・・?けど・・・」
驚く乙彦に朋之は軽く肩を竦めてみせる。

「でも、先代の月読様、靖之様は不慮の事故で亡くなったと、祖父は確かに僕にそういいました。だから貴方が月読の位を継承する事になったのだと」
伊織もまた半信半疑といった面持ちで遠慮がちに尋ねる。
その様子を揶揄するような笑みを浮かべて見遣りながら朋之は言う。

「この俺が、半分はただ人の俺が、あれほどの怪我をしても死ななかったというのに、俺よりは遙に強い力を持った伯父が一体どんな事故で死ぬというんだ?」
「・・・そう、ですよね。今にして思えば、確かに・・・。
でも、その話を聞いた時はただそうなのか、と思っただけでした。まあ僕も子供だったから深く考えもしなかったんですけど」
あの時はどうしたらあの少女にもう一度会えるかで頭が一杯で、正直靖之様の事など眼中にはなかったのだと伊織は懐かしく思い出す。

そんな伊織を見詰めながら、今だってまだ子供だろうにという言葉は胸にしまい、朋之は
「伯父は死んだわけではなかった。だが何らかの事情で月読としての役目を果たせなくなったのは確かだ。
伯母はその事はごく一部のものにしか告げず、表向きはお前の祖父が言ったようなことにしたのだと思う」
と言った。

そういえば京介も靖之様に異変があって、という言い方をしたことを伊織は突然思い出した。
異変とは一体何だ・・・?

「でもよ、お前は月読のプレートを持ってるだろ?代々受け継がれてきたやつをさ。
と言う事はその先代の伯父さんはもうプレートを持っていないことになる。
いくら強い力を持っていても月読としての力・・・重力の解放や時間軸の操作などは出来ないはずじゃないのか・・・?」

須佐の言葉に朋之は陰鬱な表情で頷く。
「ああ、そこなんだが・・・」
「何か心当たりがおありで?」
伊織がためらいがちに聞く。

「伯父はプレートを剥奪される事を予期して予めレプリカを作っておいたのだと思う」
「いや、しかしそれは・・・」
「それは無理だろう?この地球上の物質ではあれは作れまい。作れたとしても機能的に期待できるシロモノとは到底思えないぜ」
「だから、本物の銀晶石を使ったんだ」

「まさか!銀晶石はもう・・・」
伊織と乙彦が異口同音に叫ぶ。
「ああ、我らの先祖が故郷からはるばると携えてきた三つの宝物の一つ、お前の刀の材料でもあるその銀晶石だ。
この地ではオリハルコンなどとも呼ばれているようだが・・・」
朋之の言葉に乙彦は手にした刀に思わず目を落とした。

「先祖がこの星にたどり着いたとき銀晶石は既に残り少なくなってしまっていた。
船を動かす動力銀晶石がなくては宇宙の旅は続けられない。
結局我等の先祖はこの星に捕らえられてしまった。
知ってのとおりわが一族の祖はこの星で暮らす事を決めたとき、自分達の身体を変えこの星の住人と混血する事を選ばざるを得なかった。
この星の環境はもともとの我等の身体には適さない上に、固体数が圧倒的に少なすぎたから―――
だがそれは自分達の力が弱まる事を意味する。だからその力を刻み込んだプレートを作りそれを継承していく事で代を重ねるごとに力が弱まっていくのに対処することにしたのだ。
残り少なかった銀晶石はそのプレートを作るためにすべて使い尽くされた、と言われていたが実際にはゴク僅かだが残されていたのさ」

「じゃ、靖之様は・・・」
「俺も詳しく教えてもらってはいないんだが、随分前宮の宝物庫から極秘に保管されていた銀晶石が盗まれた事があるらしい」
「しかし、いくら靖之様でも本物とそっくりなプレートを作るなど・・・」
「まあ、どれほど正確に模倣できたのか分からないが、俺と同じ術を使えるのだからかなり精巧なものが作れたのだろうな」

正直勝てる自信がない―――そう言ったのはそのためか・・・
月読としての力は同じ、ならば元々生まれ持った力が勝敗を決する事になる。
コイツもかなり強い力を持ってはいるが半分はただ人、まともに戦えば結果は見えている・・・
乙彦は朋之を見遣り、刀を持つ左手に力を込めた。
その靖之という野郎の目的は何なのだろう。それが分かれば打つ手はあるかもしれない・・・

「取り敢えず京介の目的は巫女姫の力を封じることにあるようだから、当面はアイツから目を離さないようにしよう。今度はどんな手を使ってくるか分からんからな」
「そうですね・・・」
伊織は朋之の言葉に今一賛同できないものを感じている。

京介の目的が絵美奈なら、もっと早く手を打ってきたはずだ。
自分達が京介が絵美奈の塾の講師であることを全く知らずにいた間にどうにか出来そうなものだし・・・
今夜朋之の不在を狙うように姿をみせ、あからさまな妨害行為をしたのはなぜなのだろう・・・?

朋之は伊織に乙彦に部屋を見繕ってやってから休むように言いつけると自身も自室へと戻った。
絵美奈はぐっすりと眠っている。
枕元の常夜灯の薄明かりの中絵美奈の頬をそっとなでながら、朋之はこうして共に過ごせる日が少しでも長く続くよう強く願った。



  6.

ゆらゆらと揺れる意識の中、絵美奈は朱色に染められた欄干が長く続く廊下を歩き続けていた。
先に立って案内するのは年配の巫女姿の女性。
ふと見れば自分もまた同じ格好をしているのに気付いた。
そうだ、私は天つ神の長天照様からお召しを受けて参内したのだった・・・

「こちらです」
その女性が広い部屋の入り口で立ち止まり声をかける。
その部屋は壁一面鏡が張り巡らされその周りを銀と青を基調に繊細な浮き彫りで飾られた壮麗な部屋、いわば異空間だった。
鏡を過ぎる私の姿はたいそう幼くみえる。
そう、私はまだやっと十三になったばかりなのだ・・・

部屋の奥に置かれた玉座には美しく着飾った一人の少女が腰掛けている。
長いさらさらのストレートヘアには両耳のあたりに緑色の宝石がはめ込まれた大きな髪飾りをつけていた。
その髪飾りから垂れ下がる何本もの金鎖が艶やかな黒髪を一層引き立てている。
宝玉の輝きを縫いとめたような美しい光沢のある薄紅色のゆったりした古代の服を纏ったその胸には髪飾りと同じ形で少し大きめの首飾りを下げていた。

こんな美しいものは見た事がない。
だが驚いた事にその少女の顔はその宝飾よりも更に美しく光り輝いていた。
先ほどの年配の巫女がその少女に近寄り何事が告げる。
「光り輝く太陽の巫女、天照様、これがお召しの者にございます。人間でこれほどに強い力を持つ者は稀でございます。どうやら国つ神の血が少しはいっているようですが」

少女は私に傍に寄るよう手招きする。
近くで見るとずっと綺麗だ。緑色の瞳は吸い込まれそうなほどに美しく澄んでいる。
「なるほど、確かにたいそうな巫女のようだな。そう、固くならずともよい、いきなり連れて来られて戸惑う事も多いだろうが、ここの暮らしにもすぐに慣れるだろう。
そなたにはいずれわらわの片腕として存分に働いてもらいたいと思っている。期待しておるぞ」

少女がそう言った時一羽の鳥が音もなく滑りこんできた。
鳥は私のすぐ傍をすり抜け少女の肩に止まる。
「これはまあ何としたことでしょう、弟君の鳥ではないですか・・・」
年配の巫女が慌てて鳥を追い払おうとしたので鳥は軽く羽ばたくと今度は私の肩にとまる。
皮膚に食い込む爪の鋭さに思わず悲鳴が漏れてしまった。

年配の巫女が
「ちょうどよい、このまま付いておいで」
と私に言うと少女はそれを手で止めて
「よい、お前はもう下がれ、わらわはこの娘と少し話がしたい」
と言った。
私はどうしていいか分からずその巫女がしぶしぶ部屋を出て行くのを見送る。

二人きりになるとすぐさま少女は優雅に立ち上がりわたしのすぐ傍に立った。
少女の背は私の肩くらいなのでちょうど肩にとまった鳥を少し見上げる格好になる。
その鳥に静かに差し出された細い手首にも、今気付いたが美しい宝飾のついた金鎖が何重にも巻きつけられていた。

「珍しいな、コイツが他の者に懐くなんて・・・」
今までとは少し違った口調に私が戸惑っていると少女は
「内緒だが私は天照ではないんだ。本物の天照は今私の振りをしてもう一人の弟と共に父上の鷹狩のお供をしている」
と言って楽しそうに笑ったのだった。

その笑顔と共に部屋の景色が揺らぐ。
私はどこか郊外の一面の草むらに立っている。
天照様と入れ替わっていたのは双子の弟君。
顔がそっくりなので時々ああして入れ替わるのだと言う。
天照は退屈で仕方ないものだから面倒な儀式の時はすぐに私に押し付けて逃げ出すのだ、と少女の振りをした少年は言った。

あれから数年、私はその少年のお供でこの草原に草摘みに来ている。
正確に言えば私の仕事に相手がついてきたということになるのだが。
奥付の巫女である私はこの少年と顔を合わせる事はあまり多くは無い。
だが私が用事で外に出るときは彼は決まって私についてくるのだ。

今ではもう双子の姉と入れ替わる事はなくなった少年は珍しく真顔で私に言う。
「私は月読の座を父上から継ぐことになって月照殿へ移り住む事になった。
姉上は巫女を何人か連れて行ってもよいと言ってくださったので、私はそなたを連れて行きたいと言ったのだが、どうかな?」
「私に否やのあろう筈がありません。何事もお心のままに・・・」

その答えに少年は少し物足りなさそうな顔をしながらも
「巫女姫、そなたは私よりも年上で背も高い。でも、私はもうすぐそなたより背が高くなる。そうしたら私の願いを聞いてもらえるか?」
と私に訊く。

「願いなどと、どのようなことでもお命じ下されば、私にできることでしたら・・・」
私は草を摘む手を休め、少年の顔を見遣った。
「そうではない、それでは意味がないんだ」
少しムキになる相手の様子に私はその理由がわからずただ相手を見詰める。
彼はしばらく躊躇っていたがやがて意を決したように、じっと私の目を見た。

「私は、そなたにずっと私の側にいて欲しい。私と共に生きて欲しいのだ」
頬をわずかに染めてそう言い切った少年は恥ずかしそうに視線をそらす。
「だめか・・・?」
私は慌てて首を横に振ると、自分もまた赤く染まった顔を見られたくなくて深く俯いたままそっと呟いた。
「いつか、貴方の背が私よりも高くなった時には・・・」

草原を吹きぬける風に幾度も季節の移り変わりを感じながら、私たちは共に大人になった。
少年は見違えるような立派な若者に成長を遂げ、私は何時の間にか相手を見上げている自分に気付く。
あのときの事は二人ともそれ以後口にすることなく時は経ち、あんな他愛のない子供の頃の約束など彼はもうすっかり忘れてしまったのだろうと私は思っていた。
それは私にとっては少し心寂しいことだったが・・・

天照様の御用でしばらく月照殿を離れていた私は、久々に会う見慣れたはずの相手の姿になぜか鼓動が早まるのを感じ驚いた。
「そなたが戻るのを待ちかねたぞ」
私の姿を遠くから認め駆け寄って来た彼はそう言って私の手を取る。
「巫女姫、ずっと訊きたいと思っていた。いつかの約束をそなたは覚えているか?」

彼の言葉が私の心を震わせる。
あのときの事、覚えていたのは私だけではなかったのだ・・・
そう思うと喜びに身体が震えだすのを止められない。
「私はそなたよりも背が高くなった、だからあの時の約束どおり私と共にこの長き現し世の時を生きてくれるか・・・」

高鳴る鼓動に朱く染まった頬を見られたくなくて顔を伏せた私の耳にそっと囁かれる優しい言葉―――
「私はそなたが好きだ。あの時も今も・・・。私はこれからもずっとそなたに側にいてもらいたい。どうか私の願いを叶えて欲しい・・・」
強い腕に抱き締められながら私は呟くようにはい、とだけ答えたのだった。

私の腕の中で憩う若く美しい愛しい天つ神―――
私はこうしていられるだけで他にはもう何も望むものはない
私は―――

茫洋とする大海の波間から浮かび上がるように意識が覚醒してくる。
絵美奈はけだるい身体をゆっくりと持ち上げ、半身を起こした。
零れ落ちた涙で頬が濡れている事に気付き自分でも驚く。
今のは夢なのか、意識下に刻み込まれた遠い先祖の記憶なのか―――

そうだ、強い力を持つ私はかつて巫女姫と呼ばれていた。
天照様のお召しを受けて日照殿に仕えることとなり、そこで月読様と出会って惹かれあい結ばれた、けど・・・
いつか朋之から聞いた話、あれは伝説ではなかったんだ
私たちは愛し合ったけど添い遂げる事は許されなかった、それは私が天つ神ではなく人間の娘だったから―――そうなんだよね・・・

ぼんやりと部屋の中を見回すとソファの上で朋之が眠っているのが目に入った。
夕べの事を伊織から聞いて自分を起こさないように気遣ってくれたのだろう。
絵美奈は静かに起き上がりソファに近付くとずり落ちた毛布をかけなおしてやった。

傲慢で不遜で人を人とも思わぬ日頃見せるあの態度は天つ神としてこうあるべきと教えられたもの。
でも本当の貴方は優しくてそして少し寂しがり屋ね・・・
貴方は本当の自分を誰にも見せない。
何もかも一人でしまいこんでしまおうとする。
そんな貴方が私にだけは本当の姿を見せてくれてとても嬉しかった。
だって私は貴方ともう一度出会って愛し合うために生まれてきたのだから

前世では添い遂げる事が出来なかった私たちはこの世でも引き裂かれてしまうかもしれないね。
でももしそうなってしまったとしてもまたいつかきっと会えるよね
私は前世の巫女よりもずっと貪欲だ
この人とすごす時を永遠のものにしたいと願ってしまうから―――

絵美奈は差し込む日の光りにほんの少し眉を顰め眩しそうに顔を背けた愛しい夫の唇にそっと自らの唇を重ねた。
その気配に朋之の瞳はゆっくりと開かれる。
「やあ、起きてたのか・・・」
その腕に抱き寄せられながら絵美奈は夢見るように呟く。

「夢を見たわ・・・遠い昔、私はやはり巫女姫と呼ばれていた・・・
貴方は気付いていたんでしょう、私たちは転生したのだと。貴方のプレートには遠い昔の記憶が刻み込まれているはずだもの」
相手の無言を肯定と受け取り絵美奈は続ける。
「なぜ言ってくれなかったの?あの伝説の話を聞かせてくれた時、あれは伝説などではなく私たちの前世のことなのだと・・・」

朋之はしばらく黙っていたが、やがて俯きながらゆっくりと話し出した。
「子供の頃時々夢を見た。天つ神ではないのに強い力を持つ美しい娘、そして唯一人俺の鳥が俺以外に懐いた相手・・・」
「朋之の鳥は懐かなかったけど・・・」
「アイツが俺以外のものを乗せたのはお前だけだぜ」
朋之はそう言って笑う。

「そうなの?」
「ああ。継承の儀を受けたのは十五の時だが姉上からプレートを授かったのは十の時だ。
その時初めてあの夢が意識下に刻まれた記憶だったことに気がついた。
そして初めてお前と会ったとき・・・多分俺たちは転生したのだろうと思った。
けど、お前は全く気付いてないようだったから・・・。
たとえ前世では愛し合っていたとしても今は全く別の人格として生まれ変わっているのだから、お前には教えない方がいいと思った」

「どうして?私は・・・」
「俺は生まれ変わりだという理由でお前を好きになったわけじゃない。だからお前にもそんな理由で好きになってほしくなかった。
前世の記憶が残っていたとしても俺はあの月読とは別人だ。お前だってそうだろう?」
「そうだけど・・・、でも・・・」

「俺たちは前世などとは関係なく出会って愛し合ったんだ。それでいいじゃないか・・・?」
「うん・・・」
それに・・・結局はまた同じ運命を辿る事になってしまうかもしれないから―――
という理由は朋之には言えなかった。

絵美奈の体調が万全とはいかないのを察して、朋之は今日は二人とも学校を休んでゆっくりしようと言い出した。
「珍しいね、朋之がそんなこと言うなんて」
「俺は三年だからどの道そう毎日行かなくても大丈夫だし」

「朋之は大学へ行くんでしょう?勉強しなくて大丈夫なの?」
「一応今通っているのは大学の付属校だからな・・・。まあ一般で受けてもどこかへ入れるだろうけど。
俺、成績は中高通じてトップだし。念のため言っとくけどズルはしてないぜ」

「ふうん、いいなあ・・・。じゃ、大学で何を勉強する予定?」
「そうだな、ずっと宇宙物理学を勉強したいと思っていたけど・・・。
だって俺たちの本当の故郷がどんなところか少しでも知りたかったからさ。けど・・・」
「けど、何?」
「生活力がないと駄目なんじゃ、別の学部を選ぶかな・・・」
「そうだね・・・」

「やけに力が抜けてるな。俺はずっとお前とこの世界で暮らしていくつもりだぜ。そのためには何がいいか考えないとな」
「うん」
その胸に顔を埋めながら絵美奈はそんな日は来ないのだろうという予感に胸が締め付けられ懸命に涙を堪えた。
朋之に泣き顔は見せたくない、少なくとも今は・・・

「どうした?泣いてるのか・・・?」
かすかに震える絵美奈の背をなでながら朋之は尋ねる。
「うん、夕べの事思い出して・・・」
絵美奈はそう言って涙のわけを誤魔化した。

「伊織から聞いた。夕べは大変だったらしいな。火傷をしなくてよかったが・・・」
「先生、なんだかいつもと違う人のようだった」
急に京介の憎しみに満ちた瞳が思い出され絵美奈は大きく身震いした。
「まあ、これまでお前の前ではいい先生を演じていたからそう感じるんだろうが、昨日のほうがアイツの本性だろう」
「そうかもしれないけど・・・、私、あの人は先生ではないような気がしたの。たしかに顔も姿も声も先生のはずなんだけど、どうしてかな・・・」

お前が死ねばアイツはさぞ悲しむだろう―――そんな言葉をあの先生が口にするとは思えない、いや、思いたくなかった。
朋之はただ黙って絵美奈の髪を撫でる。
「少し疲れたんだろう、かなり恐い思いをしたようだし・・・。今日は一日傍に居るからもっと眠ったらいい」
朋之はそう言うと絵美奈を抱き上げてベッドへ運んだ。

「食事を運んでくるから横になってろ」
そう言って出て行こうとする相手に
「天つ神を召使代わりにコキ使えるなんて凄い特権ね、恐れ多くて食事なんて喉を通らないよ」
と精一杯明るく言うと
「それだけ言えるなら大丈夫そうだな」
と朋之は綺麗な笑顔を見せてくれた。

食事の後また眠ってしまった絵美奈は昼近くになって目を覚ました。
身体を休めたせいか心の昂ぶりは大分落ち着いていた。
階下から数人の男性の話し声が聞こえてくる。
何の騒ぎだろうと思って下りていくと、応接間で作業服姿の男達が何やら話し合っていた。

絵美奈の姿を認めて近寄ってきた伊織に問うと、朋之が乙彦のためにテレビをつけるよう手配したのだということだった。
「少しでも早くこの世界に慣れさせたいんだって。落ち着いたら学校にも通わせるつもりらしいからその肩慣らしもあるらしいけど、それまでは退屈だろうからって。
全く、水鏡があれば僕等にはこんなもの必要ないんだけどさ」

自分にはそんなこと気遣ってくれなかったくせに、と思うと絵美奈にも少しだけ伊織の気持ちが分かった気がした。
朋之と乙彦はテレビを置く場所を廻ってなにやら言い合っている。
他愛のない兄弟喧嘩を繰り広げる二人の様子を見て、全く仲が言いのか悪いのかと絵美奈は思わず笑顔を浮かべた。

その夜は京介が姿を現すこともなく絵美奈は伊織とともに大きく裂けた地脈にそって封印を施していった。
朋之と乙彦も念のためすぐ傍に待機してくれる。
また火の神が現れたら、と思ったが朋之は今度は須佐がいるから問題ないだろうと言う。

あの刀は雲を呼び雨を降らせられるものだし、須佐が本気になればもっと凄いことが出来るらしい。
絵美奈は神話に描かれた勇猛な神須佐之男のイメージを思い浮かべる。
須佐之男の乱行に恐れをなした天照はその姿を隠してしまう、それは恐らく台風のような嵐を表現しているのだろうと思われた。

靖之の事は絵美奈には言わないよう朋之は伊織と乙彦に固く口止めしていた。
伊織は何も知らない方が絵美奈にとっては危険ではないのだろうかと思うが、朋之がこれ以上絵美奈に不安を与えたくないのだという気持ちも分かるので、取り敢えず従うことにした。

乙彦は何を考えているのか伊織にはよく分からない。
見かけは幼い子供だが自分達よりは遥かに長い時を生きているこの天つ神と国つ神の力を併せ持つ不思議な男は、何を思ってこうして我等と行動を共にして居るのか・・・
もともと月読と須佐之男は同母の兄弟だ。自分には入り込めない絆があるのかもしれないが・・・