神鏡封魔録


鳥船

  4.

何で出来ているのか見当も付かない青白い不思議な金属の壁にそっと手を触 れながら絵美奈は呆然と、目の前に忽然と現れた不思議な空間を見回した。
「ここは・・・一体どういう場所なの」
絵美奈は半歩ほど先を歩いている闇御津羽に尋ねる。
「ここは格納庫です。我等の遠い祖先が使っていた乗り物の」
「乗り物?」

「ええ、この地の者が天の鳥船とよんだ、空飛ぶ船・・・。我らの先祖はこの星に 人工の島を造りその島に美しい都を建てた。無数の空飛ぶ船がその都の周りを 飛び交っていたと私は聞いています」
「へえ・・・」

「本来は母船の警護や新しく訪れた星の調査用に使われていたものらしいです が」
「母船?」
「遠い宇宙を旅してきた我等の母船―――痛みが酷く、修理を施す為着陸した この星に我が母星と同じ金属は存在しなかった」
「え?」

「この星は我らの母星とはあらゆる点で違いすぎ、我が一族が住むには相応しく ない、だがこの星に存在する物質では母船を元通りに修復する事は出来なかっ た。
我が一族はこの地に住むことを余儀なくされてしまったのです。でも・・・」
闇御津羽は部屋の中央に丸く仕切られた壁面へとゆっくりと進んで行く。

その後を追いながら絵美奈はその先を促した。
「大幅に縮小されたが母船はどうにか旅を続けられるよう修復された、だが乗り 込める者は極くわずか・・・。選ばれた彼等は我が一族に相応しい住環境をもつ 星を見付けたらきっと迎えに来ると誓いを立ててこの星を旅立って行った。我等 が携えてきた銀晶石のほとんどを燃料として船に積み込んで」

近付くにつれ薄い壁を透かしてその中に置かれた『鳥船』が見えてきた。
横から見ると楕円の球体に見える。
プレートを巨大にしたような感じだ。
こんなものが無数に空を飛んでいたなんて信じられない、絵美奈はそう思った。
「でも、そんな人工の島があったなんて、聞いた事も無いけど、人類が生まれるもっと昔の話なの?」

闇御津羽はふっと笑って、
「そんなに昔の話ではありません、ただその島はもうこの世には存在しない。銀晶石の残量が少なくなり、充分な量を確保できないまま炉を稼動させたため酷い事故が起こり、人工の島はあちこちで爆発が起き最後には海の底に沈んでしまいました。浮力の調節装置も壊れてしまったのでね」
と言った。

「まさか、それって・・・」
高度な文明を誇りながら一夜にして海中に沈んだ伝説の都の話は絵美奈もテレビか何かで聞いたことがあった。

「生き残った先祖達はこの星の色々な場所に移り住んだ。我らの先祖が一番遠くまで流れてきました。様々な地を経ながら・・・。我ら一族は母星から持ってきた数々の宝を守っていた神官の家系でしたから、その宝をこの星の人間達から守るため戦闘と移転を繰り返さざるを得なかった。そしてこの地に、日本に辿り着いたのです」

「この地は生まれたばかりで人間は国つ神に従いながら獣のような生活をしていた。征服するのは簡単だった。先祖がこの鳥船に乗って現れた時、彼等は我等を神として崇めたのだ」

「朋之!」
薄壁の向こうから響いてきたその声に絵美奈は急いで駆け寄ろうとしたが闇御津羽はその腕をしっかり掴んで離そうとしなかった。

「近寄らないで!貴方が余計な出だしをすればこの方を傷つけないわけにはいかなくなる」
「お前がどう動こうと伯母の掌の上で踊っているだけだぞ!」
伊織と共に朋之がすぐ目の前に現れる。
腕を振り払おうとする絵美奈を闇御津羽はさらに強く引き寄せた。

「それでも、それでもあの方の思い通りになどさせない!」
そう叫びながら闇御津羽は後退りする。
背後に強い力の波動を感じ絵美奈は
「いけない、闇御津羽・・・」
と叫んだ。

その途端部屋中に明かりが灯り青白い光に隅々までが照らし出された。
壁一面に不思議な文様が浮かび上がる。
部屋中の明かりを全て集めたよりも強い光の中に人影が浮かんでいた。

「ご苦労だったな、闇御津羽。お前で最後だ・・・」
高く張りのある澄んだ声―――それが誰のものであるか絵美奈にはすぐに分かった。
―――そなたが浩之殿の子か・・・
あのときからずっとこの人は朋之が成長するのを待っていたのだ、朋之が父親とそっくりの青年になる時を・・・
絵美奈はじっと朋之の伯母、今代の天照を見詰めた。

今は晄琉の身体を借りているその右腕にはぐったりと意識の無い女性の身体を抱えていた。
古代の衣装に美しい宝玉を連ねた首飾りをいくつも下げた少し年配の女性―――
この人が本当の姫神様・・・
この人が自分と朋之の結婚など認めるはずが無い
絵美奈は泣きそうな気分でその女性を見詰めていた。

闇御津羽は絵美奈を庇うように強く抱きしめた。
「姫神様、里人から全てのプレートを取り上げたのはなぜです?そのため里を守る結界を弱める結果を齎してまでも・・・」
闇御津羽の声はわずかばかり震えている。
絵美奈は朋之のほうへ少しでも近付こうと身をよじったがその動きはすぐに封じられてしまった。

朋之もまた伯母と闇御津羽のスキを狙っているのか動きを見せない。
「そなたに語って聞かせる必要はあるまい」
幽かながらウィンと言う低い音が聞こえ始めた。

「訊いたって無駄だ。この人にとってお前はただの手駒、それもまもなく用済みになる」
朋之が茶化すようにいうのを無視して闇御津羽は一族の長、暁野をぐっと睨み付けた。
「回収したプレートで炉を復活させ鳥船を動かす、その目的は―――」

朋之の手が腰の剣に伸びるのを横目で牽制しながら暁野は一歩闇御津羽に近付く。
つられるように闇御津羽は絵美奈と共に後退る。
絵美奈の背があの薄壁に押し付けられる形となった。

壁で円形に仕切られた中に置かれている楕円の球体が幽かに振動しているのが、壁を通して絵美奈の背に伝わってくる。
この船を動かすため姫神様はプレートを回収した、と言う事は鳥船を動かすのにプレートが必要だったという事、でもそれなら・・・
未だ体内にプレートを持っているのは姫神様自身を除けば闇御津羽と・・・

絵美奈がそう思ったとき暁野がピクリと動いた。
それを見逃さず闇御津羽は絵美奈の首筋に長く伸びた爪を当てた。
「動かないで!貴女はこの身体が無傷で欲しいのでしょう?」
「よせ、闇御津羽!」
「貴方も!月読様」

闇御津羽がホンの少し爪を立てると絵美奈の首筋から少量の血が溢れ出た。
「それ以上近付いたらこの細い喉を刺し貫く。奥様に辛い思いをさせたくないのでしょう?」
「闇御津羽、お前の目的は何だ・・・?」

闇御津羽は、
「私は貴女と刺し違えても姉の仇を討つつもりだった。でも・・・」
と言いながら値踏みするような視線を暁野に向けた。
「今や私にはもう帰る場所が無い。私にこの地で生きていける場所はないのです。だから・・・」

朋之は黙って闇御津羽の言葉を聞いていたが、硬く握られたその手が怒りに震えていることを伊織は見て取った。
一方の姫神様、暁野もまた薄笑いを浮かべながらじっと闇御津羽の話を聞いている。
なんとか晄琉を元に戻してやりたい、伊織は右腕に本当の姫神様の身体を抱えたその姿を眺めながらそう思った。

「貴女は我等全てを見捨ててただ一人で・・・」
ここで闇御津羽は一旦言葉を切って朋之をちらりと見たがすぐに暁野に向き直った。
闇御津羽が目を離した一瞬、暁野は手に抱えた自分の本当の身体を足元に投げ捨てている。

その様子に絵美奈の首に突き立てた爪をさらに深く食い込ませ、闇御津羽は続けて言った。
「この鳥船に乗って迎えに来た仲間のところに行こうとしている。だから私も連れて行っていただきます。」
「ふふん、残念ながら一緒に連れて行くのは・・・」
その言葉と共に暁野の宿った晄琉の身体がぐらりと揺れた。

闇御津羽が一瞬その動きに気を取られたとき、床に転がっていた姫神様の身体が目にも留まらぬ速さで動きその手を闇御津羽の身体に突き刺していた。
後ろ向きに倒れこむ晄琉の身体を伊織が瞬時に支える。

抜刀した朋之は暁野めがけて刀を振り上げるが
「動くな!」
と言う叫び声とともに強い衝撃に弾き飛ばされた。

暁野は闇御津羽の身体からプレートを取り出すとその身体を突き飛ばし、くるりと一回転して絵美奈の首に腕を回し朋之に対する盾とした。
「そなたの妻の身体、頂いていくぞ」
そのまま暁野の身体は絵美奈もろとも薄壁の中に吸い込まれるようにして消えて行った。

「待て!勝手なことを・・・!」
朋之は晄琉の身体を抱えた伊織に叫ぶように声をかけた。
「お前はソイツを安全な場所に連れて行け。それに・・・」
「朋之様!」
「どうやら里に侵入したものがいるようだ。結界が急に緩んだからな」

伊織ははっとして朋之を見詰める。
「お前は侵入者を撃退しろ。まさかここまで入り込めるとは思わぬが用心に越した事は無い!」
「でも朋之様は・・・!?」

「俺は絵美奈を取り返す。大丈夫、伯母の最終の目的は俺だ。俺が追いつくまで鳥船は動かさないだろう。どの道・・・」
朋之はそう言って壁に手を触れる。
「この俺のプレートとこの刀・・・、どちらも伯母は手に入れたいだろうからな」

その言葉を残して朋之の身体は壁に手を触れる。
部屋中を振るわせ始めた幽かな振動は鳥船のエンジンが始動し始めた事を表していた。
「いけない、朋之様・・・」
朋之の姿はあっと言う間に壁の向こうに消えた。
「貴方も帰って来れなくなる・・・!」

―――早くしろ!無理な稼動で炉が壊れたらここは崩れ落ちる。今度こそ妹を守ってやってくれ
―――朋之様!
―――どうやらアイツは・・・

後を追おうと薄壁に触れた伊織だが、壁は触れた瞬間にショートしたようにバチバチと強い光を放ってそれ以上進む事は出来なかった。
プレートを持っていなければこの結界は越えられないか―――

伊織は晄琉を抱き上げると取り合えず飛べるところまで移動しようと思った。
全の事もあったが里への侵入者の事も気になった。
結界だらけのこの場所から今の自分の力でどこまで飛べるか分からなかったが・・・

そんな伊織の耳にか細い声が聞こえてくる。
「待て、建御雷・・・」
「闇御津羽、お前・・・」
「私も連れて行け、きっとお前の役に立つ・・・」

「だが・・・」
お前は朋之様を裏切って巫女姫様を攫ったのじゃないか・・・
そう言いかけた伊織に闇御津羽は
「侵入者がいるのだろう?今のお前一人で大丈夫なのか?その方もいるのに・・・」
と意識を失っている晄琉を示しながら苦しげに言う。
伊織は瞬時躊躇ったが、振動がますます激しくなってくるのを感じ闇御津羽の手を取って移動した。



  5.

着いた場所はあの北山の壁の前だった。
プレートを持たない自分達は結局結界に弾き飛ばされるようにしてどうにかここまで出られたのだろう。
眼下に宗主家の住居である宮の広大な建物が見えている。

屋根の破れ落ちたところが姫神様の日照殿だとすると、日照殿は宮の東側の翼にあり、重要な神事や姫神様が里人に謁見する時使用される本殿を挿んで反対の西側の翼に朋之のいた内殿、かつての月照殿が建っていることがよく分かった。
今や宮の結界はボロボロに破られ、侵入者が奥深くまで入り込もうとしているのが手に取るように分かる。

伊織は
「この方にもしものことがあったら今度こそお前を殺す。分かってるな」
と念を押して闇御津羽に晄琉を託した。
「ああ・・・。私は姫神様が許せなかっただけだ。あの方は一族の長でありながら我等全てを見捨て行ってしまおうとしている。しかも・・・」

「もういい、余り喋るな。それより僕が戻るまでこの方を頼んだぞ」
「分かった・・・」
侵入者はどうやら国つ神のようだ。
プレートを失ったとはいえ、伊織ならどうにかできるだろう。

まったく命知らずな連中だ、里の結界が緩んだのを見て乗じてきたものだろうが、我等に勝てると本気で思っているのか・・・
闇御津羽は眼下に広がる一見長閑な山里風の景色を見晴るかし、ほっと溜息をついた。

宮の結界がこんなにも緩んでいるのを感じたのは初めてだ、と伊織は思った。
忘れもしない遠い日、朋之と初めて出合った時でさえこれほど弱まってはいなかったはずだ。
闇御津羽に晄琉を託して宮へと飛んだ伊織は余りにもやすやすと内殿に進入できたことに強い危機感を感じた。

姫神様は重鎮と呼ばれる者たちから総てのプレートを回収したのだろう。
鳥船の動力となる銀晶石はもはや残されていない、そう言い伝えられてきた。
今度の騒動で少しは極秘に保管されていたことが判明したが、それでもその量はごく僅かだろう。

鳥船を稼動させる為に大量の銀晶石が必要になった姫神様は受け継いだもの全員からその体内のプレートを取り上げたのだ。
結果里を守る結界も目に見えて弱ってしまった、ということなのだろう。
もはや姫神様にとってこの里も宮も守る必要がなくなった、ということか―――

闇御津羽は姫神様は一人でこの星を捨て去ろうとしている、と言ったがそれは違うだろう、と伊織は思う。
姫神様は朋之様を連れて行くつもりだ、そして自分は巫女姫の・・・絵美奈の身体を乗っ取って―――
伊織は朋之に想いを馳せながらも侵入者を目指して長い廊下を駆けていった。

途中、姫神様付きの巫女が何人も倒れているのに行き会った。
おかしい、この巫女たちは天つ神の傍付き、しかも宗主家に連なる家柄の出身の女性だ。
それがこうも簡単に倒されてしまうとは・・・
侵入者の気配は国つ神のはずなのに―――

複数の国つ神の気配が数箇所から感じられる。
そのうちの一つは既に地下深くまで侵入していた。
伊織は躊躇ったが取り合えず手近な相手から片付けていくことにし、一番近くの国つ神のいる場所まで飛ぶことにした。

どの道国つ神に宮の最深部にまでたどり着くことはできない。
放っておいても途中で立ち往生しているところを押さえれば問題ないはずだ。
もしその者が弱っているとはいえ、結界を越えて更に奥まで入り込めたならばその者は・・・

突如目の前に現れた天つ神にギョッとする国つ神の若い男を伊織は一瞬のうちに電撃で倒した。
今の自分に一撃で止めを刺す力が無いことが口惜しいが、それでもしばらくは自力で立ち上がることはできないはずだ。
伊織は倒れている巫女の一人を回復させると、その男を見張るよう言いつけて更に別の侵入者を追撃に回った。
巫女は伊織が内殿にいるのに少なからず驚いたようだが、緊急事態であることをすぐに察したようで、素直にその言葉に従ってくれた。

もう一人は建物の反対側の翼、月照殿の方へと進んでいる。
朋之と出合った場所を汚されたくない、伊織は直前の廊下で相手を捕まえ、再び相手の身体に強い電流を送り込んだ。
更に何人かの国つ神を撃退した伊織は本殿の裏庭、日照殿と月照殿との中ほどの地下深くに小さな空洞があるのを感じ取った。
気配からその場所にいるのは三人と見て取る。
そのうちの一人は・・・

苦しげに息を吐いた闇御津羽の傍らで晄琉が小さく声を上げた。
「私・・・私は・・・」
「目が覚めましたか?」
朋之から受けた一撃がプレートを失った身体に酷くこたえるのを隠しながら闇御津羽は晄琉に尋ねる。

「貴女は闇淤加美?ううん、違うわ。あの人は死んで・・・」
晄琉の目から一滴涙が零れ落ちた。
「死んでしまった―――私のせいだわ」
そう言って晄琉は両の手で瞼を覆った。

「違う、貴女のせいではありません」
「でも・・・、私のこの手が・・・。あの人のプレートを掴み取った感触が今でも残っている。私は何もできなくて・・・」
闇御津羽は晄琉の頬を伝う涙をそっと拭った。

「そんなに自分を責める事はありません。何も出来なかったのは私も同じ。いえ・・・、私は・・・、本当は私には姫神様を責める資格など無いのかもしれない。姉をあそこまで追い詰めたのはこの私なのですから・・・」

「そうだ!」
そう言うと晄琉はがばと起き上がった。
「伊織さんは!?あの人はどこ・・・?」

晄琉は一瞬目を見張った闇御津羽の両腕を掴みながら勢い込んで尋ねた。
「あの人はお兄さんと一緒にいた・・・まださっきの場所にいるのかな、それとももしかしてあの姫神様とかいう人に・・・」
姫神様は晄琉の伯母なのだが、晄琉にはそんな感覚は皆無なのだろう。

闇御津羽はほっと溜め息を付くと、
「建御雷、いえ、今はただの天つ神、伊織は宮へと向いました。この機に乗じて不届きにも我等が宮に侵入した者がいるのです。大した者共ではないようですし、伊織ならすぐに退治して戻ってくるでしょう」

「でもあの人も相当参っているのでしょう?私が・・・」
そう、自分のこの手は伊織の体内からもプレートを奪い取った。
晄琉はじっと自分の手を見下ろした。
プレートを失い倒れかかる伊織に駆け寄る朋之の姿が目の端をよぎったのを覚えている。

「心配いりませんよ、アレは丈夫なだけが取り柄ですから」
「そんな・・・」
晄琉は不安げに伊織が向かったという宮の方を眺めやった。

少しばかり高台になっているため、木立の中に平屋作りの宮の屋根がよく見える。
一部崩れ落ちている部分が闇御津羽が壊した所だろう。
伊織は今、あの建物の中にいる―――
伊織の心を占めているのは自分ではなく兄なのだ、そう薄々感じてはいても晄琉は無性に伊織に会いたかった。

「お願い、私を伊織さんのところに連れて行って・・・」
「馬鹿なことを言わないで下さい!そんなことできるわけが」
晄琉は苦しそうな闇御津羽の様子に少し躊躇いながらも必死に頼み込んだ。

「私にはお兄さんのような力が無くて、だから伊織さんにとっては足手纏いになるだけかもしれないけど、でもここでただ待っているだけなのは嫌なの。せめてあの人の姿が見えるところにいたいの・・・!」
闇御津羽は珍しく判断に迷いながら晄琉を見詰めた。

プレートを失った伊織に今までの力は無い。
それでも国つ神どもに後れを取るような事は無いだろう。
だが相手はどうやら一人では無さそうだ。
伊織一人では分が悪いかもしれない、だが・・・

闇御津羽が迷ったのはホンの一瞬だが、その一瞬の隙を突くようにして一人の男が結界の隙間を縫うようにしてすぐ傍に姿を現した。
背が高くがっしりとした体躯に黒の着流しを粋に着こなしている。
「貴様、何時の間に・・・」
気色ばむ闇御津羽に男は爽やかな笑みを見せながら
「この方の願いを聞き入れて差し上げたらいかがですか?」
と言った。

伊織は裏庭に出て辺りを見回した。
小さな池の南側に生えた巨木の根元近くに結界の破られた痕跡がある。
伊織は小さく舌打ちすると地下の空洞まで一気に飛んだ。
元は何重にも張られていた結界が今は無残に破られている。
あの不思議な金属で床と壁面を覆われた小さな部屋に伊織は立っていた。

部屋の中央には凝った意匠の浮き彫りが全面に施された瓶が置かれているが、今は水は張られていなかった。
国つ神の気配は奥の壁面の向こう側から感じられる。
近付くと壁の向こうにさらに小さな部屋があることが分かった。

伊織は簡単に壁を超え小部屋に立つ。
一見何もないただの四角い部屋のようであるが、ここにある宝物が隠されている事に伊織は気付いていた。

突然現れた天つ神にギョッとしたように二つの人影が振り向く。
面識のない若い男と背の低いかなり年配の女―――伊織にも見覚えのある老巫女だった。
「呆れたな、婆さん。こんなところにまで忍び込むとはいい度胸だが・・・」
伊織はきっと睨みつける老巫女から若い男達へと視線を転じた。

なるほど確かにそこそこの力を持っているようだ。
男は少し斜に構えた感じで不敵そうな笑みを口元に浮かべて言った。
佐具売さぐめよ、お前の知っている者か?」

「おう、あのときの月読はたしかコイツのことを建御雷と呼んでいた」
「建御雷男神―――か。確かに強い力を持っているようだが・・・」
「ふっ、僕の事はこの連中に話していないようですね」
伊織は男の言葉を軽く無視してその背後に佇んでいたもう一人の人物に声をかけた。

「全く、こんなところで貴方が一枚噛んでくるとはね・・・」
「まあな・・・。ここまで乗りかかったんだ、最後まで付き合わせろや」
悪びれる様子も無く悠然とこちらを見返してくる顔にも身体つきにも幼さの残る少年に伊織は軽く溜め息をつきながら対峙した。
「いくら結界が緩んだとはいえ、国つ神だけでここまで入り込む事はできないはず。でもまさか貴方が手引きしたとは考えたくはなかったですよ、須佐殿」




  6.

絵美奈を小脇に抱えた朋之の伯母暁野は脚の不自由さなど全く感じさせない軽やかな身のこなしで短距離の空間移動を繰り返しながら『鳥船』の真下まで瞬く間に移動した。
この人も重力の調整が出来るんだ・・・、と絵美奈は思う。
でも伊織君のような長距離の移動はできない―――

暁野が手を真っ直ぐ上に上げると二人を取り囲むように床に円形の文様が浮かび上がりその文様から光が立ち昇った。
あっと言う間に絵美奈は球形に閉ざされた空間にいる。
周囲の壁には青白く輝く光のグラデーションが絶えず変化する不思議な文様を壁に描いていた。

ウイ・・・ンという微かな機械音が何処からともなく響いてくる。
部屋の中央の床の一部がせり出して彫像のような形へと変化する。
繊細で凝った意匠が掘り込まれた美しい像だった。
その頂点からは一際強い光が真っ直ぐ上方へと立ち昇り、天上に当たって四方へと跳ね返った。

その彫像を間に置いて絵美奈は暁野と向き合っていた。
「貴女はこの船に乗って遠い宇宙の彼方へ旅立つつもりなのですか・・・?」
朋之の伯母だと思うと口調も敬語調になる。

「そうだ。余りにも長生き年月が経ってしまったが、我らの仲間は我等を忘れてはいなかった。わらわは仲間の待つ新天地へと向うのだ」
暁野は宙にフワフワと漂うように絵美奈と対峙している。
両脚は力なく下がっているだけだ。
絵美奈はその姿をどこか痛々しいと思った。

「そんな顔をする事は無い、わらわは不自由など感じた事はないのだからな・・・」
「それはそうかもしれないけど・・・」
絵美奈は辺りを見回してから先を続けた。
「貴女は天つ神の長なのでしょう?他の天つ神は?一緒に仲間のところへ連れて行かないのですか?」

絵美奈の脳裏には闇御津羽の顔が浮かぶ。
「ふん、人間との同化がこれほどまでに進んでしまった者共を同族とみなす事は出来ぬ。宗主家の中でも純血種を保ってきたごく一部の者しか新しい星で生きて行く事はできないだろう。
そのために我が宗主家は何代にも渡って親族同士の結婚を繰り返してきた。少しでも血を薄めないためにな・・・」

「でも、里の人達は貴女に見捨てられてしまったら・・・」
「連中も天つ神の端くれ、なんとかやって行くだろうて」
「そんな・・・!」

暁野は冷たい微笑を浮かべながら絵美奈に流し目をくれる。
「仕方あるまい、わらわは先祖代々受け継がれてきた言いつけに従っているに過ぎぬ」
「でも・・・」絵美奈はぎゅっと手を握った。
「では、ヒルコ神は?彼等も貴女の同族でしょう?おそらく彼等の方が貴女方の原初の姿にずっと近いはずだわ!」

「ほほほ、これは異なことを・・・。ヒルコ神達を封じたのはそなたであろうに」
「それは・・・だって!」
明野は絵美奈が首から提げた鏡を指差して笑う。
「どうする?その鏡を壊せば封印が解け、ヒルコ神たちは甦る。やつらを連れて行くのがそなたの望みなら叶えてやらぬでもないぞ、そなたはそれだけの働きをしてくれたのだからな・・・」
絵美奈は言葉に詰まりただ暁野を見詰めた。

遥か地の底で静かに憩っていたヒルコ神たち―――
今のままでいるのと、新しい世界を求めて旅立つのと、彼らにとってはどちらが幸せなのだろう・・・?
絵美奈には良くわからなかった。

「ふふ、そなたはあまり賢そうではないな、だがそれくらいのほうがちょうどいい、あまり目端が利きすぎるのは災いの元だ」
不意に暁野の身体が目の前にふわりと現れたので絵美奈は反射的に一歩下がった。

「鏡に勾玉、そして朋之が持つ剣が揃えばこの世に散った我らが秘宝の全てが集約する。そのときこそ鳥船が再び大空を舞い、わが一族の悲願が達成するのだ」
「朋之・・・」
朋之が自分を追ってくる気配を絵美奈ははっきりと感じ取った。
でも・・・

「貴女は鏡に勾玉・・・、と言った。ということは貴女は勾玉を手に入れたの?」
絵美奈は勢い込んで尋ねる。
「そうさな、どう答えたものか・・・。未だこの手に取ってはおらぬが手中にしたも同然・・・」
暁野はそういうとじっと絵美奈を見詰めた。

「え、何、どういうこと・・・?」
その言葉の意味が分からず、絵美奈もまたじっと暁野を見詰め返した。
やはり姉弟だけあってその顔は朋之の思い出に残る父浩之とどこか似ている。
そしてまた朋之とも・・・

「そなたは気づいてはおらぬのだな、そしてどうやら朋之も・・・
わが一族に受け継がれた言い伝えがある。
月読は勾玉を巫女姫に託した。 勾玉は誰も見つけることの出来ぬ場所に隠され、遥かな時を超えて再びこの世に現れる、と―――」

「勾玉が隠されている、ということは朋之から聞いたけど・・・」
「それは勾玉を巫女姫に渡した月読自身が天照に語ったこと。その月読もまもなく姿を消してしまい、その言葉の本当の意味は良く判らなかったが・・・」

「!」
璋瑛王が姿を消した・・・
それはどういうことだろう・・・

「だがお前たちの気配がこの世から消え、再び現れた時、これまで感じられなかった力の波動が感じられた。
それで隠されていた勾玉が世に現れたことをわらわは悟ったのだ」
「えっ!?」

「お前のその身体、特に右腕からは信じられぬほどに強い波動が感じられる。 それはただ人には持ちえぬ力・・・」
「・・・一体何を言っているの?私は・・・」

あっ・・・、と絵美奈は思う。
月読は巫女姫に勾玉を託した、その巫女姫は・・・
月読とともにあの時天照に対峙したのは―――ほかならぬ自分ではないか!

「まあ、うすうすそんなことではないかと思っていたからそなたを泳がせていたのだがな・・・」
「じゃ、あの時璋瑛王が私に授けてくれたのは・・・」
絵美奈は右の掌をじっと見詰めた。
あの時確かに何かがこの掌から体内に滑り込んだ、その感覚は今でもはっきりと残っている。

「勾玉はそなたの体内に隠されている。だからこそそなたは我ら天つ神の聖域中の聖域にまで立ち入れたのだ。さあ・・・」
天照の手が右腕に触れる。
いけない、勾玉をつかみ出される―――
とっさに絵美奈はその手を掴み返した。
これを奪われるわけにはいかない・・・!

激しい光の点滅が洪水となって辺り一面を輝かせる。
絵美奈の腕には強い電流の流れが取り巻き、バチバチと音を立てていた。
「ふん、今のそなたは鏡と勾玉、二つの神器に守られている、か・・・」
勾玉はすでにこやつの身体に同化している、ならば・・・

天照は長く伸びた爪を絵美奈の顔面に突きたてようと腕を伸ばしてくる。
きゃっ、と悲鳴を上げてよける絵美奈の胸元がふいに軽くなった。
「あっ・・・」
絵美奈の目には鏡を手にした暁野の艶やかな笑顔が映った。

「これはもともとわらわのための鏡。そなたには使いこなせぬ」
艶やかな笑顔と華やかな笑い声がこだまする中、絵美奈は激しい光の点滅に目を眩まされる。
朦朧とする意識の中、何かが口から体内に入りこんで来るようで絵美奈は酷く気分が悪かった。
いや、助けて朋之・・・

どこか遠くで絵美奈の名を呼ぶ朋之の声が答えたような気がする。
朋之・・・
なぜだろう、その言葉は声にはならない。
腕も脚も力が入らず、床にうつぶしたまま顔を上げることも出来なかった。

伯母が消えた壁の中へと入り込んだ朋之は鉛色の飛行船の周囲を一周した。
船の炉はまだ稼動していないらしいが、朋之が近づくと船全体がうっすらと光を帯びたように見えた。

船体にそっと手を触れると少し冷たい感触が心地よい。
朋之は鳥船の真下に立ち、四方に張り出した細い脚に支えられた鉛色の底部を見上げる。
足元に浮き出た文様から立ち上る光に包まれ朋之もまた鳥船の内部へと移動した。

朋之を飲み込んだ鳥船はぼうっと光り始め、内壁には不思議な模様が次々と姿を変えながら映し出されていた。
朋之が模様に手を触れると、壁に独特の文様が浮かぶ。
月読の印の文様か、と朋之は思う。
どうやら伯母が鳥船を起動させたらしい。
体内のプレートが鳥船の動きに反応して微動していた。

銀晶石か―――
天つ神としての存在になど未練はない。いつだって捨て去ってやる、内心そう呟きながら朋之は文様の中心に手を当てる。
そうだ、絵美奈を取り戻した後ならいつだって・・・

瞬きする暇もなく朋之の身体はさらに奥の部屋へと滑り込んだ。
青と銀の複雑な文様が無数の鏡を取り巻くその部屋は日照殿とよく似ている。
どうやら迷路の様な構造になっているらしい。

鏡が一人でに動いて朋之の行く手を遮る。
絵美奈の気配はすぐ近くに感じられるのにそこに近付くどころか遠ざかっているように思える。
くそっ、つまらん目晦ましだ―――

かすかに響いてくるウィン・・・という振動音に朋之は舌打ちすると手にした刀で目の前に移動してきた鏡に斬りつけた。
強い衝撃で刀が跳ね返される。
鏡には極薄くひびが入っていた。

腕の痺れをものともせず朋之はもう一度刀を振り下ろす。
バリン、と嫌な音がしてひび割れた鏡面が床へと零れ落ちた。
不意に部屋は何も無いがらんどうの空間に変る。
次の部屋もまた同じような鏡だらけの部屋だった。

ウィンウィンという振動音はだんだんはっきりと強くなってくる。
それにつれて船全体も体内のプレートも少しずつ揺れだしていた。
こんな部屋が一体いくつあるのか・・・
焦る気持ちを抑えながら絵美奈の気配を追って似たような部屋をいくつも抜けた朋之は、不意にひときわ広々とした空間に飛び出した。

部屋の中央に立った彫像の天辺から天井に向かって一筋光が迸っている。
朋之の視線は、その彫像の脇に倒れている少女の姿に釘付けになった。
「絵美奈!」

その傍には古墳時代の服装をした女性がうつ伏せになって倒れている。
どうやら二人とも気を失っているようだ。
朋之は伯母にチラと視線を投げただけで、いそいで少女の傍に駆け寄った。
「絵美奈、無事だったのか?」
朋之の声ががらんとした部屋に響く。

朋之、朋之なの・・・
朦朧とした絵美奈の意識を朋之の声が揺さぶる。
もうすぐ朋之がこの身体に触れ、抱き上げてくれる―――だが、絵美奈が待ち望んだその時は訪れる事無く、もう一度朋之の声が耳の上を滑って行った。

「よかった、お前に何かあったら俺は・・・」
「朋之、きっと助けに来てくれると思ってた・・・」
遙か頭上で発せられたその言葉―――その声は驚いた事に絵美奈自身のものだった。