神鏡封魔録


昇天

  1.

伊織の溜息に乙彦は悪びれる様子も無く腕を組むと、
「ふん、背に腹は代えられない、という奴さ。俺はプレートを奪われて立ち上がることも出来なかったからな。まあお前もご同様と言ったトコらしいが」
と薄笑いを浮かべた。

「力を分けてもらう代わりにコイツ等をここまで引き込んだというわけで?」
伊織は乙彦と話しながらも老婆と男から注意を逸らさなかった。
老婆の目的が生命の木の実であることは間違いない。
朋之に言われたくらいで諦めるようなタマではないとは思っていたが・・・

そしてもう一人の男―――どうやら穴牟遅ではないようだ。
伊織は不機嫌さを前面に押し出して幾分見下したような口調で言い放つ。
「貴様、なんとも盗人猛々しい男だ。我等天つ神でさえ選ばれたものしか立ち入る事のゆるされぬこの宝物庫に侵入しておいて、その不遜な態度は何だ。名ぐらい名乗ったらどうだ?」

この程度の相手なら問題ない、老婆の方は言わずもがな、問題は須佐だ。
コイツ、一体どういうつもりでこんな連中をこの心臓部にまで引き込んだのか。
それとも初めから国つ神と組んで宝を奪うのが目的だったのか?

「勇猛でならした建御雷神・・・ですか。今はその力も随分弱まっていらっしゃるようですが、敬意を表して私も名乗らせていただきましょう。
我が名は久延彦、恐れ多くも大己貴命様の懐刀と呼ばれております。」

「穴牟遅も落ちたものだな、手下に火事場泥棒の真似事までさせるとは・・・、だがお前等に我等が宝物は見出せまい」
久延彦は平静を装ってはいたが穴牟遅の名が出たときだけその頬がピクリと動いた。

「これは我等が勝手にした事、大己貴様はあずかり知らぬ・・・」
「要するに部下の統率も儘ならぬほど国つ神の長の権威は失墜しているということか・・・」
伊織はそう呟くと瞬時に久延彦の背後に移動し思い切り電撃を仕掛けた。

いつもならそれで相手の心臓は止まるはず、だがプレートを失った今の力では一撃で倒す事は出来ず、伊織は相手の渾身の投げ技を食らってしまった。
宙返りしてバランスを取りながら今度は老巫女を蹴り倒した。

相手が相手だけにかなり力を抜いたのがいけなかった。
老婆は倒れながらも伊織の脚をつかみ金縛りの呪文を唱える。
そこへ久延彦の方が攻撃を仕掛けてきた。
その指が長く伸びたと思うと蛇に変化し伊織の身体に巻きついてくる。

蛇は伊織をがんじがらめにすると今度はきつく締め上げてきた。
普通の人間なら内臓を押しつぶされるところだろうが・・・
伊織が少し力を入れると巻きついた蛇は簡単に裂けてしまった。

身体の自由を取り戻した伊織は同時に脚を振り上げて老婆を巴投げで放り投げる。
老婆の身体はもんどりうって横壁に激突し、そのまま床の上に倒れこんだ。
伊織は元に戻った指をさすっている久延彦の懐にあっと言う間に飛び込むと、襟首を掴んで締め上げた。

「やれやれ情け無い。国つ神なんてのはこんなもんか・・・」
「須佐殿、どうなさったのです、我等に加勢を・・・」
久延彦の口から呻きともつかない呟きが漏れる。

「それくらいにしといてやれよ、建御雷。こいつらは・・・」
「貴方に体よく使われただけだと言いたいのですか」
伊織は怒気を含んだ口調で振り向きもせず言い捨てた。

「そう怒るなよ、俺はどんな手を使ってもここへ来たかった。だからこの里の結界が緩んだのを見てあの洋館へ探りを入れに来たコイツ等を利用するしかなかったんだ。それにどうしてもお前と合流したかったしな」

「須佐殿、貴方は・・・」
久延彦の言葉はそこで途切れた。
伊織が電撃で止めを刺そうとしたとき、大音響が部屋中に響き渡り壁に大穴が開いたからだった。

虚を突かれて呆然と見詰める三人の前に、もうもうと立ち上った土煙の中一人の少女が現れる。
「伊織さん!」
そう呼びかける少女の傍には巨大な竜が横たわり蠢いていた。

「なっ、君、どうしてここに・・・」
晄琉は伊織の傍に駆け寄ると
「ごめん、どうしても貴方に会いたくて無理を言って連れてきてもらったの。それに、この人が・・・」
と言った。

闇御津羽の傍にはもう一人長身で精悍そうな面持ちの着流し姿の美丈夫が立っている。
「お前は・・・」
いぶかる伊織に乙彦は
「へえ、国つ神の長様がやっとのお出ましか」
と口笛を吹きながら嘯いた。

「国つ神の長?ではお前が穴牟遅か・・・」
「仰せの通りでございます、建御雷男神様。貴方様とは初の御目文字、恐悦に存じます。代替わりされても勇壮な猛者ぶりは変らぬご様子で」

それには答えず伊織は闇御津羽をきっと睨みつける。
「どういうつもりだ、闇御津羽。お前までがこんな者をこの最深部まで引き入れるとは」
「伊織さん、この人は闇御津羽さんを助けてくれたのよ。そうでなかったら・・・」

伊織は晄琉の記憶をさっと読み取った。
突然現れた背の高い着物姿の男―――
その顔には穏やかな笑みが浮かび、敵意を持っているようには見えなかった。

「この方の願いを聞き入れて差し上げたらいかがですか?私は部下達を連れ戻しに着ただけ。
勝手なマネを働いた連中ですが、もとは私のためを思ってしたこと、私は彼等を無傷で連れ戻したいのですが、私一人の力では彼等のいる場所には辿り着けないのです」

穴牟遅はそう言って手を差し伸べる。
「それに貴女の怪我は重い・・・」
穴牟遅は闇御津羽の手をとり強引に引き寄せるとその腹部に手を置いた。

「よせ、私は国つ神の情けなど・・・」
不思議な気の流れがその手を中心に巻き起こり、闇御津羽の身体の中へと流れ込む。
闇御津羽の顔にホンの少し生気が戻った。
だがこれは一時凌ぎだ。
自らの死期が間近いのを悟った闇御津羽は晄琉を伊織に託すことを考えた―――

だからってこんな奴を連れてこなくても・・・
伊織は少しばかり不機嫌そうに
「ふん、プレートがなくとも国つ神ごときに遅れを取る僕ではないのに・・・」
と言った。

僕はそんなに頼りないか―――?
少女の姿に戻った闇御津羽はそっと腹部を押さえながら壁に寄り掛かるようにして立っている。
その蒼白な顔を見て伊織は最後の言葉を飲み込んだ。

「分かっております。こうして私が恐れ多くもあなた方天つ神の聖地まで参上いたしたのは他でも無い、一族の者どもを連れ戻すためでございます。
この者共は功を焦る余り先走った愚か者共、ですが情状酌量の余地は御座います。どうか私に免じてお下げ渡しくださいませ」

その言葉に伊織は床に転がったままの老婆をチラと見遣った。
この国つ神の長には人を逸らさぬ不思議な力がある。
それは人としてのこの男自身の魅力なのかもしれない。
闇御津羽もそれを感じ取ったのだろう、だからこそ信用してここまで連れて来たというわけか・・・

伊織の手から力が抜けたのを感じ、久延彦はさっと身を翻し穴牟遅に駆け寄る。
「大己貴命様!」
穴牟遅は一歩前へ進み出ると久延彦の頬にぴしゃりと平手打ちを食らわせた。

「なぜです、大己貴様・・・、私は貴方のために・・・」
頬を抑えながら呟く久延彦の腹にさらに一撃を加える。
久延彦は身体を折り曲げるようにして床に座り込んだ。

穴牟遅は居住まいを正すと正面から伊織を見据えた。
「情状酌量?そもそもお前等を引き込み踊らせたのが我等天つ神だから、ということか?」
伊織は胡散臭そうな目で穴牟遅を見遣る。
「それも御座いますが・・・」
穴牟遅は視線で乙彦を示したが、当の乙彦は平然と口笛を吹いていた。

今まで心配そうに様子を眺めていた晄琉は、プレートを奪われ崩折れるように倒れた乙彦が無事でいるのを認め、ほっと胸を撫で下ろしている。
穴牟遅もまた伊織の肩越しに乙彦を見詰めながら、

「貴方も転んでもタダでは起きぬお人ですね、須佐之男命様。天つ神の内紛に乗じようと貴方に近付いた我が部下を逆に利用してこの場所まで入り込むとは・・・」
と皮肉な口調で言った。

乙彦は薄笑いを浮かべたまま
「お前等が欲の皮突っ張らかせてるのが悪いんだろう?コイツら生命の木の実に目の色変えやがって」
と呟く。

「生命の木の実は諦めるよう月読様に諭されたというのに、まだそんなことを考えて我らの周りをうろついていたのか・・・」
伊織は軽く溜め息を吐いた。

「国つ神どもに首を突っ込まれても迷惑だ。さっさと手下共を連れて立ち去れ。
どのみちこんなところに生命の木の実は無い。あれは・・・」
「天照が持って行ったか・・・」
乙彦の声から低い呟きが漏れた瞬間、老婆の肩がピクッと動いた。

「佐具売よ、もうよせ、我等は天つ神には敵わぬ。それはとうの昔に分かっていた事・・・」
そう言って老巫女に近付いた穴牟遅が屈みこんで老婆を起き上がらせようとしたとき、老婆はそれこそ目にもとまらぬ速さで晄琉の背後に現れ、首を絞めていた。

「生命の木の実は私のものじゃ。天つ神の宝を手に入れて私は永遠に生き続けるのじゃ。
さあ若造、ここに生命の木の実が無いというならお前等の長、天照のところへ案内してもらおうか」
「婆さん、いい加減にしないと・・・」

伊織がうんざりしたように手を伸ばしかけた時、大地が大きく揺れ部屋を支える柱がかしいだ。
老婆は晄琉を抱えたまま床に手を付く。
ともに倒れこんだ晄琉が手を触れた床面に光の輪が浮き上がった。
ふっと床面が消え、老巫女と晄琉はその下に現れた小部屋へと悲鳴を上げて落ち込んだ。

「晄琉さん!」
伊織がすぐさま小部屋へと移動すると、腰を摩りながら尻餅をついている晄琉をよそに、老巫女は小部屋の壁面に穿たれた小さな窪みに置かれていた水色の水晶で出来た小瓶を手に狂喜していた。

「ははは・・・、お前等の長はよほど急いでいたと見える。大事なお宝をこんなところに残して行くとは―――。それとももう必要なくなったのかのう」
「婆さん、それは・・・」
伊織が老婆から奪い取ろうとするが一瞬早く老婆は小瓶の栓を抜き中身を一気に煽った。

紅いゼリー状のドロっとしたものが瓶から老婆の口の中へ吸い込まれていくのが一瞬だけ見えた。
老婆は唇の端から紅い汁を滴らしながらにんまりと笑う。
「ははははは、これでこの私は永遠の命を手に入れた、もう死に怯える事無く思い通りに生きられるのだ・・・」

その顔はなにやら悪鬼を連想させて伊織は晄琉を抱えて思わず一歩後退った。
ばかな、こんなところに生命の木の実があるとは・・・
伊織は呆然として老巫女を見詰める。

「ははは・・・」
なおも高笑いを続ける老巫女の声が変にしわがれだしたのはそれからまもなくだった。
老巫女の表情が曇り、かっと目を見開いたと思ったらすぐに苦しそうに喉をかきむしり始め、床を転げ回った。

「佐具売、なんと早まった事を・・・」
穴牟遅が老婆の傍らに飛び降り、その手から小瓶を奪った。
「これは・・・」
穴牟遅は伊織を真正面から見詰め、
「これが生命の木の実なのですか」
と尋ねる。

「僕は実際、生命の木もその実も見た事が無い、でもこれは・・・」
「天照がそんなもんを残していくものかよ!それはダミーだ、盗賊避けのな。
中身はいずれなんかの毒だろう。天つ神なら一度では死なないだろうが、人間や国つ神ならイチコロだろうぜ」
先程の部屋から腕を組んで下を除きこんでいた乙彦が言った。

その横まで這うように身体を運んできて同様に下を覗きこんだ闇御津羽はその小瓶を見て蒼白になった。
「それは・・・」
老巫女はしばらく床を転げまわった後、目や耳、口、鼻の穴から血を流しながら苦悶に顔を歪め、耳を覆いたくなるような絶叫を上げて動かなくなった。



  2.

「須佐殿、生命の木は本当に姫神様が・・・?」
伊織は晄琉が悲惨な老婆の姿を目にすることの無いようにしっかりと抱き締めながら乙彦を見上げて尋ねた。
「俺も生命の木はこの星についてすぐに枯れてしまったと聞いた。この星の風土とは合わなかったのだろうと・・・。
だが、おそらくごく少し残った実はいざというときのために隠されてきたのだと思うぜ」

「銀晶石のように?」
「ああ、天照は新天地を見つけ迎えに来た仲間と合流するつもりだ。ただ一艘我等に残された鳥船を起動させてな・・・」
「とすれば生命の実は―――」
「初めから鳥船の中だ。必要になるのはこの星を離れる時だけだからな」
「!」

「伊織、俺を朋之のところに連れて行け、アイツ一人では天照には勝てない。早く、さっきの衝撃は鳥船の炉が動き出した印だろう?」
「須佐殿、でも僕では鳥船の置かれている部屋までは入れないんだ」
「分かってるさ、だが俺と一緒なら大丈夫だ」

伊織は晄琉を伴い乙彦の傍へと移動する。
穴牟遅もまた老巫女の身体を抱え軽く跳躍してもとの部屋に戻った。
「国つ神の長よ、部下を連れて自分の郷へ帰れ。巫女の件は我らとしても遺憾には思うが元はといえば本人が招いたこと、もう一人の男は無傷で返してやる、巫女の身柄を携えて即刻我らの里より立ち去るがよい」
伊織は冷徹な表情で感情のこもらない声でそう穴牟遅に言い渡す。

穴牟遅は「御意」と一言返すとまだ腹を抱えてうずくまっていた久延彦の襟首を掴んで立ち上がらせ、老婆の遺骸を押し付けた。
「闇御津羽、僕の力を少しだけ分けてやる、お前はこいつらと晄琉さんをこの内殿から連れ出せ。国つ神に我らの領域をこれ以上侵させるわけにはいかない」
伊織はそう言って腹部に手を当てて座り込んでいる闇御津羽に一歩近づいた。

闇御津羽は蒼白な顔色でぎゅっと唇を噛んで俯いている。
よく見るとその手はかすかに震えていた。
「闇御津羽、どうした、辛いのか・・・?」
伊織は覗き込むようにして闇御津羽の肩に手を触れる。

その腕を掴み、闇御津羽は震える声で言った。
「建御雷、私ももう一度行く。姫神様をこのまま行かせるわけにはいかない、あの方は・・・いや、あの女は姉の仇だ・・・」
「闇御津羽、それは・・・だが―――」

「あの方が薬だといって姉に飲ませるよう私にくれたものはあの水晶の小瓶に入っていたのと同じものだった・・・」
「何だって!?」
「私には分かる、上手く誤魔化してはあるが極くかすかに同じ臭いがしていた・・・」
その言葉に伊織だけでなく、晄琉も呆然となった。

「あの方は初めから姉を殺すつもりで・・・、いや、少なくともプレートを奪い易くする為に弱らせるつもりで、私に薬と称して毒を飲まさせていたんだ・・・!」
晄琉は闇淤加美の穏やかで少し寂しそうな笑顔を思い出した。
ひどい、あの姫神様の力ならそんなことをせずとも弱りきった彼女の体からプレートを取り出す事など簡単だったろうに・・・

晄琉の目に涙が滲んだとき、誰かの思考が頭の中に入り込んできた。
―――生命・・・生命の実・・・
―――私が手に入れる・・・誰にも渡さない・・・
えっ、と思った瞬間にその思考は掻き消えていた。

「建御雷、早く!」
決死の形相で、懇親の力で腕を掴んでくる闇御津羽に伊織は戸惑う。
こんなにも気力体力ともに弱ってしまっている闇御津羽を連れて行って大丈夫なものだろうか?
それに―――

事情はどうあれ国つ神と通じて聖地を冒した乙彦をさらに最深部まで引き入れていいのか・・・?
伊織にはまだ迷いがあった。

「仕方ないだろう、こんな連中でも力を借りずには俺はここに来るどころか立ち上がることすら出来なかったんだ」
伊織の視線を感じて乙彦が言う。

「そんな状態でなんでわざわざ来たっていうんだ!」
「俺は三貴神の一人、須佐之男だ。天叢雲剣は俺でなくてはその真価を発揮できない。天照を倒せるのは俺だけだ!」
その真摯な眼差しと口調に伊織は一瞬気圧された。

「建御雷、内輪もめをしている暇は無い、今は少しでも力を結集する方が得策だ」
闇御津羽に言われ伊織は躊躇いながらも頷いた。
「それはそうだ、だが・・・」
伊織はチラと晄琉を見遣る。
彼女をどうするか、連れて行くわけには行かないがここに置いていくわけにも・・・

「だめだ、君を連れて行くわけにはいかない、僕の力を分けてやるから君はこの方を―――」
伊織はそう言って晄琉のほうを視線で示すと、決然とした口調で続けた。
「最後まで守りぬけ。それが月読様への最低限の誠意だろう」

「建御雷、だがお前たちだけでは・・・」
「そう馬鹿にするなよ、僕も須佐殿も一級の戦士だぜ」
「だが相手は姫神様だ」
一瞬躊躇した伊織に黙って遣り取りを聞いていた穴牟遅が声をかけた。
「では私がこの方の変わりにお供いたしましょう」

「何?」
「何だと?」
「大己貴様・・・!」
余りに突然で意外な申し出に一同唖然として穴牟遅を見詰める。

「馬鹿を言うな、これ以上の最深部に国つ神を入れることなどできるわけがない!」
「それに・・・悪いが国つ神のお前さんじゃ足手まといになっても役に立つとは思えんしな」
伊織と須佐にそう拒絶されても穴牟遅は意に介す様子もなく、
「ですが今は少しでも力を結集したほうがいいのではありませんか?
それに・・・私にもこの国がどうなるのか見届ける権利はある、そうではないですか、須佐殿」
と言った。

乙彦の名を口にしながらもその目はじっと伊織を見詰めている。
伊織は穴牟遅の左の手首にあの老巫女の数珠が巻きつけられているのに目を留めた。
大粒の珠を連ねたその数珠には老婆のものと思われる血が付いている。

「何か思うところがあるのか・・・?」
伊織はいつになく低い声で訊ねた。
「いえ、そうではありません、ただ、私のような者でもお役に立つことがあるかもしれないとそう思ったものですから」

「ぐずぐずしてる暇が惜しい、伊織、どうするかお前が決めろ!生粋の天つ神は怪我人を除いてはお前一人だ」
乙彦に急かされ伊織は
「分かった、おかしなまねをしたらその時点で命はないものと思え」
と低く呟いた。

「建御雷!」
「君は晄琉さんとその国つ神を連れてここから出ろ。必ず月読様たちを助けて戻るから」
伊織は意外な事の成り行きに呆然と穴牟遅を見詰めている久延彦を顎をしゃくって指し示しながら闇御津羽に言った。

「私に指図は無用だ。お前こそ月読様の足手まといになるなよ」
闇御津羽はきっと伊織を正面から見つめて答える。
いつもの彼女らしさが少しでも戻ったことに安堵しながら、
「わかってるさ」
伊織はそう言ってくるりと振り向き須佐の腕を取ると
「行くぞ」
と一言呟いた。

次の瞬間伊織と乙彦の姿は消えている。
「待って、伊織さん・・・」
晄琉は慌てて声をかけたが伊織にはもう届かなかったろう。
私はまた置いてけぼりなのね・・・
仕方ないとは思いながら、晄琉はやはり寂しいと思う。
そんな晄琉の肩に闇御津羽の手が触れた。

あの馬鹿、自分こそ無理をして・・・
―――今の僕にどれほどの力があるか分からない、だが、君の思いが少しでも叶うよう頑張ってみるよ
最後に響いてきた伊織の声を不思議と心温まる思いで受け止め、自分らしくないと軽く苦笑した闇御津羽は、再び竜の姿に戻ると晄琉と老婆の遺体を抱えた久延彦を長い身体でしっかりと巻き込み宮の外へ出るべく大空に舞い上がった。

朋之はぐったりと脱力した絵美奈の身体をそっと抱き上げた。
「大丈夫だったか?特に怪我もしていないようだが・・・」
「うん・・・。あの人・・・、朋之の伯母さんが私の身体に触った途端に強い電流が走ったような気がして・・・」
「そうか・・・」

朋之はますます大きくなる振動音に辺りを見回しながら言う。
「船はすでに稼動を開始している。抜けられなくなる前に早く逃げ出そう」
「でも・・・」
小さな呻きが暁野の口から漏れ出たのを聞いて、絵美奈は朋之の肩越しに暁野を見下ろしながらその耳元に囁くように言う。

「あの人、あのままにしておいて大丈夫なの?」
「この船はまもなく動き出す。軌道はすでに設定されてるだろうから伯母はこの船とともにこの星からおさらば、ということさ」
朋之はそういうとくるりと振り向いた。

―――待って、朋之、その娘は違うの、私じゃないのよ・・・
身体を乗っ取られたのだ、と絵美奈は思った。
そして自分の魂は暁野の身体に押し込められている。
脚だけでなく身体中が思い通りに動かなかった。
必死で口を動かしても言葉にはならず、ただ、ああ、ああ、という声が僅かにもれ出るだけだった。

朋之は絵美奈の身体を抱きかかえたまま足早に部屋を出て行こうとする。
「待って、あの人まだ生きてる。私たちがこの船から逃げ出す前に妨害してくるかも知れない・・・!」
朋之の腕に抱かれ話しているのは紛れも無く自分自身だ、だが・・・
「大丈夫だろう、よほど酷くやられたらしいからな。お前の新しい力に」

「でもあの人私のこと殺そうとした。私のことを憎んでいるのよ、だから・・・」
「だから・・・?」
朋之は鮮やかに煌く緑色の瞳でじっと腕に抱えた絵美奈を見詰める。
「だから・・・絶対に追ってきたりできないようにしておいたほうが―――」

朋之は無言でただ口元をほんの少し綻ばせた。
「つまり、止めを刺せということか?」
「だって、この人本当に私のことを・・・」
絵美奈は少しうつむき加減のまま早口で言う。

「ああ、そうらしいな」
朋之はくるりと向きを変えると床に倒れている暁野の傍へとつかつかと戻った。
朋之はすぐ傍らに絵美奈を立たせると徐に刀を抜いて倒れている暁野の身体を襟首を掴んで持ち上げた。

―――朋之・・・私が分からないの・・・?
「ずいぶんひどくやられたものだな・・・」
朋之はそういって元通り暁野の身体を床の上に置くと、
「本当はお前の前でこんなことはしたくなかったが・・・」
といいざま、手にした刀を一閃させた。



  3.

絵美奈はうつ伏せになっていたので何が起こったのか分からなかった、ただ予期した激痛は訪れず、その代わりすぐ傍から驚きと苦悶の声が漏れたのが聞こえてきた。

―――朋之・・・?
やっと少しだけ力が入るようになった腕を突っ張って思い通りにならない身体を持ち上げた絵美奈の目に、抜き身の剣を手にして立っている朋之と、その足元に蹲っている自分自身の姿が見えた。

朋之は絵美奈の首筋に手を当てると床に押し付け、刀を当てた。
「何をするの、朋之・・・」
苦しそうな声が絵美奈の口から漏れる。

「こいつの身体を傷つけたくはないが、仕方ない、少しばかり痛い思いを我慢してもらわなければな・・・」
「朋之!」
朋之は絵美奈の上に馬乗りになると、剣で首筋を押さえつけたまま左手を暁野の身体へと伸ばした。

―――絵美奈、聞こえるか!
―――朋之、私のこと分かるの?
―――ああ、もう少しで騙されるところだったがな・・・

床にうつ伏したままの暁野の頬をそっとなでた朋之の手に熱いものが触れた。
―――絵美奈、泣くのは一仕事終えてからだ、いいか、気をしっかり持って自分の身体を取り戻すんだ。俺も手伝うが
―――朋之・・・?

―――お前の身体だ、取り戻せるのはお前しかいない、今こそお前の本当の力を見せる時だぜ
―――そんなこと・・・
できるだろうか・・・
強大な力を持ち、いまや鏡と勾玉とに守られている天つ神の長を相手に―――

「くっ、朋之・・・、なぜ・・・」
朋之は右手に持った刀で絵美奈の首筋を押さえつけながら左で掴んだ暁野の腕を絵美奈の身体に押し付けた。
触れ合った場所から強い光が発せられる。

―――強く念じろ、自分の身体に戻れるように、そして・・・
「よせ、やめろ、この身体はもうわらわのものだ・・・」
「違う、どう偽ったところで貴女は貴女でしかない。この身体は本来の持ち主に返してもらおう」
朋之は全く感情のこもらない低い声で静かに言った。

絵美奈は今は他者のものとなった自分の身体から不思議な力が流れ込んでくるような気がして、もう一度この身体に戻りたいと強く願った。
闇御津羽に言われたとおり、自分は今まで何ほどの努力もせずに普通に生きてきた。
それが当たり前ではない人がいることなど考えても見なかった。
でも・・・

自分は自分でありたい、そのためには持てる全ての力を振るわなくては・・・
今そうしなくてはいつその力を振るうというのか・・・
決して失いたくない、自分の身体も朋之と過ごす幸せな日々も・・・

絵美奈は渾身の力を振り絞る、だが鏡に守られた天つ神の長の力は余りにも強大だった。
―――朋之・・・どうしよう、私
―――しっかり、頑張るんだ。お前の身体はお前のもの。自分の力で取り戻すんだ。お前なら出来る、そう自信を持って・・・

―――でも、もし駄目だったら、元の身体に戻れないままだったら・・・
―――そんな弱気になるな、相手の思う壺だぞ!
―――だって・・・
―――そんなこと言うなよ、お前が元の身体に戻れるよう俺も力を尽くす、だからもっと強く念じるんだ、どんなことをしても元に戻るんだと
―――朋之・・・

―――それに・・・もし駄目だったとしても・・・、どんな身体になったって、俺が想うのはお前だけだ、そうだろ?
―――うん・・・
朋之の言葉に意を強くした瞬間、絵美奈は手に何かが触れるのを感じた。
小さく滑らかな感触を持つ不思議な形をしたそれはうっすらと熱を帯びて輝いている。

「くそっ、勾玉が・・・」
絵美奈の口から漏れるその声はいつの間にか暁野のものに変わっていた。
「勾玉は月読の巫女姫への変わらぬ心の証―――決して貴女のものにはならない。この身体が貴女のものにはならないように・・・」

朋之の言葉に、絵美奈は身体中に力が満ちてくるのを感じた。
朋之が力を貸してくれているのだろう、そう思うと更に力が強まるような気がした。
不意に抵抗がなくなる。
気がつくと絵美奈の意識はいつの間にか元の身体に戻っていた。

だが・・・
足元には暁野の身体が力なく横たわっている。
その魂はまだ絵美奈の体内にあってその身体を自在に操ろうとしていた。

「絵美奈、大丈夫か?」
振動が小さくなり、機械音が静かで規則的なものに変わる。
炉が完全に稼動し、鳥船は予めセットされた通りに離陸を開始しようとしていた。
―――まずい、早くこの船から逃げ出さねば・・・

だが、そのためには絵美奈の身体に留まり続ける伯母の魂を元の身体に戻さなくてはならない。
―――絵美奈、もう一息だ、伯母の魂をお前の身体から追い出すんだ。でないとお前は一生支配されることになってしまうぞ・・・
―――分かってる、私、頑張る・・・

絵美奈の胸に載った鏡は目も眩むばかりの光を発して輝いている。
鏡が天照を守っているのだ。
朋之は絵美奈に気づかれぬよう小さく舌打ちした。

―――俺たち二人の力では足りないか、だがここで諦めるわけにはいかない・・・
朋之は絵美奈の身体の中で相争っている二つの魂を感じる。
絵美奈も頑張っている、だがやはり力が足りない―――

絵美奈の目がかっと見開かれ口元に微笑が浮かぶ。
やがてその手がゆっくりと朋之の胸元へと伸びてきた。
「俺のプレートも奪い取るつもりか、思い通りにならないなら息の根を止めようってか・・・」
―――朋之!

絵美奈の手が体内へと滑り込むのを押し止めようとした朋之の力が僅かに緩んだとき、八咫の鏡は一際強い輝きを発し、絵美奈の身体はするりと床を滑るように朋之の腕から脱して少しはなれた場所に立った。

「残念ながら、そなたたち二人かかってもわらわには敵わぬようだな」
「伯母上、いい加減諦めて下さい。貴女の宿るべき身体は唯一つ、今は主無く床に転がっている、あの身体だけです」
朋之の口調はあくまで穏やかだがその目には怒りに燃えた闘志が浮かんでいる。

「ふん、わらわは天つ神の長、そのわらわに叶わぬ望みなどあるはずもない。この娘こそ自ら進んでわらわに身体を捧げるのが筋であろうが。
にしても、なぜこの身体に宿るのがわらわだと分かったのだ?気配も波動も調節して決して見破れまいと思ったのに」

絵美奈の顔には皮肉な笑みが浮かんでいる。
アイツはそんな笑い方はしないんだ、そう思いながら朋之はゆっくりと口を開いた。
「そうですね、初めは分からなかった、だが少し変だと思った。いくら新しい力を得たといっても、貴女がそう簡単にやられるだろうか、とね。だからカマをかけてみたのですよ」

「カマ?」
朋之も伯母とよく似た苦い笑顔を口元に浮かべる。
「そう、我等はいつも頭のどこかで計算しているでしょう、どんな風に行動すれば一番効率よく有利に立ち回れるか・・・
相手のことよりも常に自分の利益や都合が優先する。
服従するものは徹底的に利用し、歯向かう者には反逆者に相応しい死を―――

元来天つ神とはそういうものなのでしょう、悲しいくらい同じ血が流れているのを感じますよ、貴女も伯父も、あの優しかった父でさえ、そしてこの俺もね。
でもアイツは違う・・・。 止めを刺したほうがいい、などとは―――

貴女にどんなに酷い目に合わされたとしても、アイツならそんなことは言わないんですよ。
そしてそんな奴だからこそ俺はアイツが好きになったんだ」

―――朋之!
今の言葉は涙が出るほど嬉しい、そんな絵美奈の魂を力ずくで押し込め、暁野は絵美奈の口を借り絵美奈の声で言う。
「朋之、わらわとともに生きよう、新しい世界で本当の同族たちとともに新しい人生を生きていこうぞ。
わらわはそなたを愛しく想う、そなたが父親の元を離れわらわの元に連れてこられてからずっと、わらわはそなたを慈しみ見守ってきたのだ」

朋之は軽く溜め息を付く。
「貴女が愛したのは俺の父でしょう。決して結ばれることが許されない同母の弟・・・。いくら姿形が似ていても俺は父にはなれない。貴女だって本当はそんなこと・・・分かって・・・いる・・・はず・・・だ」

絵美奈を見詰める朋之の瞼は次第に重そうになり、その口から紡がれる言葉はだんだんとゆっくりになっていく。
「もう・・・これ・・・以上は・・・」
その先は言葉にならず、やがてその瞳からは生気が消えていった。

伊織は乙彦、穴牟遅とともに一瞬にして先程後にしたあの中央を壁で仕切られた部屋へと辿り着いた。
「へっ、これが天の鳥船か・・・。まさか実物をこの目で拝めるとは思わなかったぜ」
乙彦が薄壁をすかして中の様子を伺いながら不敵に笑う。

「須佐殿、結界が・・・」
「分かってるって」
乙彦は上着のポケットから何か小さなものを取り出して薄壁に当てる。
青白い光が辺りに広がり須佐の手は壁の中へと吸い込まれた。

「付いて来たいなら早く俺につかまれよ」
促されるままに伊織は乙彦の腕を掴む。
穴牟遅もまた乙彦の反対の腕に掴まるのを伊織は不思議な面持ちで眺めた。

国つ神の長穴牟遅―――コイツをとうとうこの最深部まで連れてきてしまった事は果たして正しかったのか・・・
このところ自分の判断は間違いだらけだ。
何もかもが裏目に出てしまう。
コイツの存在が朋之様にとって悪い結果をもたらすような事になったら・・・

そう思うと伊織は強烈な不安に襲われた。
十二の歳に祖父から受け継いで以来、常に体内にあって自分に強大な力を齎してくれたプレートが今は無い、それがこんなにも心細く感じられるとは伊織にはかなり意外な事だった。

そんな感情が面に出てしまったのか、穴牟遅はじっと伊織を見下ろしてにっこりと微笑んだ。
心許ない弟を見守る兄のような表情だ。
伊織は少しむっとして眉を顰め顔を背けた。

薄壁の中は銀青色に照らし出された静謐な世界だった。
不思議な金属の冷ややかな感触だけが辺りの空気を通じて肌に感じられる。
「これは、何とも不思議な金属ですね。融点がかなり高い。この星の鉱物ではないようですが」
穴牟遅はそっと壁に手をあてそう言った。
「・・・」
乙彦と伊織の無言に臆する風も無く穴牟遅は続ける。

「これが銀晶石、いわゆるオリハルコンと言うものですか?」
「いや、これは違う。様々な鉱物を特殊な方法で合成して銀晶石に似せて作ったまがい物だ。だが・・・」
伊織は軽く壁を叩いてみせる。
カン、という硬質な音が小さく響いた。

「この星の武器ではこれを壊す事は出来まい。例え核兵器を使ったとしても」
「ふん、銀晶石もどきか、まあよく造った方だよな。今の俺たちにゃ、こんなものは造れない。造る為の設備すら、な」
と乙彦が自嘲気味に言う。

「確かに、時を経て代を重ねるごとに我らは沢山のものを失ってしまった・・・」
「・・・俺はそれでいいと思ってるけどな。俺たちはこの星の住人になった。この星にないものは必要ないんだ、本当は・・・」

円形の壁で仕切られた小部屋は思いの外広い空間になっていて、中央に楕円の球形をしたものが置かれている。
乙彦は迷わず真っ直ぐにそれに向って歩いていった。





  4.

「円盤型の飛行船、ですか・・・」
「まあな、空を飛ぶときには両脇から翼が出るはずだ。特殊なバリアを張ることが出来るからどんな精密なレーダーにも引っ掛からない。
まあ僕もこの船が空を飛ぶところは見た事が無い。プレートに刻み込まれた遠い祖先の記憶に極く微かに残っているだけだが」
乙彦の後に続きながら伊織は穴牟遅に説明してやった。

こんな事教えてやる必要など全く無いはずなのに、この国つ神の長にはやっぱり不思議な力があるようだ。
どこか憎めない、人を惹きつける魅力のようなものが・・・
それは絵美奈にも共通している、と伊織は思う。

あの人には幸せになってもらいたい、それは朋之の想い人だからというだけではなく、伊織自身が絵美奈の人としての大らかな優しさに惹かれるものを感じているからでもある。

絵美奈と出会って、朋之も変ったが自分も変った。
かつての自分なら何があっても姫神様に盲従していた事だろう。
朋之の本当の心を知ることも無く―――

朋之は絵美奈を救い出すためなら自分の命を棄てるつもりだ、だがそれでは絵美奈は幸せにはなれない。
あの二人が揃って笑顔で新しい日を迎えられるようにするのが自分の務め・・・

穴牟遅は相変わらず目が合うと穏やかな笑顔を向けてくる。
少しばかり面映く感じた伊織はその視線を振り払うかのようにつと前を向くと早足で乙彦の後を追った。

乙彦は震えるように小刻みな動きを見せている鳥船に近付くと船体を支える細い脚部に手を触れた。
「本当なら迎えはもっと早く来るはずだった。そうすれば俺たちだって・・・」
その胸中に去来するものは永遠に会い見ることの叶わなくなった仲間達への惜別の想いか、果てなき宇宙への憧憬か・・・

伊織はどこか物寂しげな乙彦の横顔をじっと見詰めた。
「何だ、どうかしたか?」
と乙彦は少しだけ顔を振り向けて尋ねる。

いや、と軽く目を伏せて伊織は
「須佐殿、貴方もプレートを奪われたはず、なのにどうして・・・」
と逆に聞き返した。
乙彦はニヤッと笑うとポケットから極く小さな鉛色のかけらを取り出して伊織の目の前に突き出して見せる。

「これさ、あの靖之のプレートを刺し貫いたときの破片が俺の刀にくっついてたんだ。銀晶石は互いに引き合う性質がある。だが、完全には融合しきらなかった。俺、それをしまいこんだまま忘れてたんだ。
周りの銀晶石のエネルギーが強すぎて天照も見落としちまったんだろうな。やっこさん、プレートを集める事しか頭になかったみたいだし」

感心して手の中の銀晶石の欠片を見詰める伊織に乙彦は勢い込んで言う。
「こんなんでも結界を抜けるくらいは何とかなる。急ごう、もうすぐ船が離陸するぞ」
その言葉どおり、鳥船は全体が青白く輝きながら規則的な機械音をたてて振動している。
やがてその全体がふっと僅かに浮き上がり、脚部は本体へ吸い込まれるように消えて行った。

同時に天上に薄っすらと切れ目が入り、その切れ目が左右へと広がり始める。
「須佐殿!」
「ああ、これからが正念場だ。行くぜ!」
乙彦は伊織と穴牟遅に捕まる様指示するとの腕を伸ばして銀晶石を翳した。
三人の姿は瞬時にその場から消えていた。

ウイン、ウイン、という機械音が否応なくはやる気持ちを追い討ちするなか、伊織は乙彦について進みながら朋之と絵美奈の気配を必死で探した。
あの二人に居るところに天照も居るはずだ。
だが銀晶石で作られた船内では伊織も乙彦も瞬間移動はできなかった。

三人はいくつものがらんどうの部屋を超え、少しでも朋之たちの気配が強い方へと駆けていった。
今は何も無いこの部屋部屋をかつては人や物資で一杯にしてこの船は大空を飛んでいた。
青空に溶け込むような美しいシルバーブルーの船体を陽光に輝かせて―――
伊織は感無量の思いで船内を見渡した。

ほんとうなら自分達天つ神と呼ばれる種族はこの船に乗って迎えに来た仲間とともに本当の新天地へと向かう筈だった。
だがあまりにも永い時が経ち、自分達は変ってしまった。
この星に同化しすぎてしまったのだ。
我等に宇宙の旅はもはや無理だろう。

いや、恐らく姫神様にだって・・・
だからこそ生命の木の実が必要なのだろうが―――

船体が大きく浮き上がるのが伊織にも感じられた。
天上が開いて船が空へと舞い上がったのだ。
船体の壁は薄く透けて船外の様子を目の前に映し出す。
穴牟遅の口からおう、という感嘆の声が上がった。

陽光よりもさらに強い光に導かれ鳥船は高く高く舞い上がって行く。
人間の目には捕らえられない波長の光だが、伊織にも乙彦にもはっきりと感じられるその光は、この星のすぐ近くまでやってきた母船から発せられた誘導波なのだった。
この星の引力が強いため母船も迂闊には近づけない。
下手をすれば先祖の二の舞となりこの星に捕らわれてしまいかねないからだ。

「須佐殿、急がないと・・・」
「分かってる、もうすぐだ・・・!」
乙彦が銀晶石を持った手を触れると壁がふっと消え、目の前に開けた空間が現れた。

朋之は刀を下げたままゆっくりと絵美奈に近付き、すぐその前に立つと刀を足元に投げ捨て、両腕でそっと抱き締めた。
「朋之・・・」
絵美奈の手が朋之の胸に触れる。
―――朋之、プレートをつかみ出される・・・!
その瞬間首筋を絶えず圧迫していた重量感が不意になくなった。

絵美奈の胸元から滑り落ちた鏡が硬質の音を高く響かせて床を転がっていくのが目の端に映る。
「くそっ」
咄嗟に飛び退ろうとする絵美奈の身体を朋之は硬く抱き締めた。
その手にはいつの間にか刀が握られている。

二人固い床に座り込むような格好で抱き合ったまま朋之は益々力を強めてくる。
絵美奈は暁野の意識が絵美奈の手を鏡の方へ伸ばそうとするのを、朋之が宝剣と自らの力とで押さえ込んでいるのを感じた。

「なぜ、わらわの術が利かぬ・・・」
絵美奈の口から漏れる声はかすかに擦れている。
暁野も疲れ始めているのだと絵美奈は思った。

意のままにならぬ他者の身体を操るのは想像以上に力を使うものなのかもしれない。
それでも、あくまで絵美奈の身体に固執する暁野の魂は強硬に根を張って頑健に抵抗していた。

―――朋之・・・
思わず泣き言を漏らしそうになる絵美奈の心に朋之の声が響く。
―――もしお前が俺の思っているとおりの者なら・・・、俺に力を貸してくれ!頼む、俺一人の力ではこの女をこの身体から引き摺り出すことが出来ないんだ・・・

―――朋之?誰に言っているの?
そう思った瞬間、絵美奈は身体中を激しい電流が流れるような衝撃を感じ、意識が遠くなった。
「絵美奈、しっかり自分の身体に踏みとどまれ!」

耳元で朋之の叫び声が聞こえる。
まるで泣いているような悲痛な声だ。
―――大丈夫、朋之、私は大丈夫だよ・・・
なにが大丈夫なのか、とにかく朋之を安心させたくて絵美奈はそう朋之の心に呼びかけた。

「絵美奈!」
ふいにガクッと身体が重くなる。
手足が思い通りに動くのを実感した時、ギャッ、という声とともに床に倒れていた暁野の身体が宙に浮いた。

「やったな、絵美奈・・・!」
「うん、うん・・・!」
朋之の腕の中で絵美奈は涙が止まらない。

「馬鹿な、このわらわがそなたたちごときに・・・」
暁野の顔は怒りに燃え、鬼の様な形相と化している。
もともとが大層美しく整った顔立ちだけにその様子は凍りつくような恐ろしさを感じさせた。

絵美奈は朋之ががっくりと膝をつくのを慌てて支える。
「朋之!どうしたの?」
絵美奈は朋之の身体から強い力の波動が消えていることに気がついた。

「ふふふ、身体は奪い損ねたが、最後のプレートはこの通り・・・」
暁野は手にした鉛色の円盤を高く掲げるとそのまま部屋の中央に立った彫像へと投げつける。
朋之のプレートはその彫像に触れると溶けるように形を失い、吸い込まれるようにして彫像の一部となってしまった。

その途端機械音はいっそうリズミカルに響き始め、ゆっくりとだが床が持ち上がるような感覚に絵美奈は足を取られ、危うく倒れそうになった。
ウイン、ウイン、ウイン・・・
機械音に混じって聞いたこともない言語がどこからともなく聞こえてくる。
壁に投影する文様は一層激しく形を変えながら明滅を始めた。

「鳥船が動き出した。もはやそなたたちに逃げる術はない。わらわとともに長き旅へと赴こうぞ」
「そんな・・・」
その言葉に絵美奈が眩暈を起こしそうになったとき、
「朋之様!」
という懐かしい声が耳に飛び込んできた。